昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

235 / 259
第二百二十三話 ネストリと死神

 レーゲンブルトにおいて、大公家居城(ガルデンティア)からの手紙を受け取ったのはアドリアンばかりではなかった。

 手紙を受け取ったもう一人は、そこに書かれていた暗号を解読すると、しばし人形のように固まった。

 

『調査対象オヅマ・クランツ』

 

「ふ……ふ……ふ、ふ、ふ、ふ、ふぅ~ん」

 

 強張っていた笑い声が、徐々に鼻歌にかわる。

 上機嫌な様子で歌いながら、もらった手紙を器用に折って、暖炉へ向かって飛ばす。

 鳥のように飛空した手紙が、暖炉の中で炎に包まれて消えていく。

 揺らめく炎を見つめつつ、ガジガジと中指の爪を噛む。

 

「そうだなァ。少々気になることもあるし。確認するには丁度いい……」

 

 どうせならば面白く。

 どうせならば、()()()()()()を驚かせるような。

 ふと閃いた記憶に、ニィィと口の端が歪むと、早速ペンを取った。

 

 

***

 

 

 大帝生誕月の本祭前夜。

 

 春を告げるその祭りは、レーゲンブルトに住まう人間にとっては、長い冬からの解放であり、一年の中では新年の祭りよりも楽しみにしているものだ。

 多くの者が明日に開かれる祭りを心待ちにして眠りにつくであろうその夜に、一人、憂鬱な顔をしている人間がいた。

 

 ネストリはここのところ、また胃薬の世話になっている。

 また、というのは、以前にも同じ頃に似たような状況に陥って、そのときも頻繁に胃薬の世話になっていたからだ。

 

 今回はケレナが心配してくれて、外国で手に入れたという煎じ薬なども淹れてくれたが、あまりの不味さにすぐに吐き出した。そうでなくともイライラしていたので当たり散らしてしまい、また泣かせてしまった。

 自分でも八つ当たりだとはわかっているのだが、あぁもメソメソされると、ただでさえ苛立っている神経が余計に刺激されて、怒りたくもなるというものだ。彼女の従順さは好もしいが、すぐに泣くのは愚かな子供と変わりない。

 

 ムカムカとケレナへの怒りを再燃させつつも、ネストリの顔は強張っていた。

 真夜中の人気(ひとけ)のない廊下、角を曲がろうとするたびに、誰もいないか確認しながら、細心の注意を払って目的の場所へと向かう……。 

 

 ネストリは東塔の一室に呼び出されていた。

 そこは以前に紅熱病(こうねつびょう)が領主館で蔓延したときに、緊急で作られた患者を隔離するための部屋であったが、今はむろん、誰使うこともない。

 ベッドには埃よけの布が被せられ、閑散としただだっ広い部屋は寒々としていた。

 元々物置小屋でもあったので、隅のほうには使われなくなったソファや、いつの時代のものか、古めかしい鎧帷子(よろいかたびら)が置き捨てられている。

 

 ネストリは埃っぽいその部屋でゴホゴホと咳しながら、辺りを窺った。

 

 誰もいない ――― 。

 

 ギリと歯軋りして、ポケットから小さな紙片を取り出す。

 

『東塔の隔離部屋に来てください。あなたの秘密を知る者より』

 

 こんなものは無視すればいい。

 ノコノコ出て行くだけ、余計な厄介事をかかえるだけだ……。

 

 そうとわかっていても、ネストリがここに来てしまったのは、自分が秘密を持っていること、しかもそれがバレたときには死に直結するかもしれないような秘密であるという自覚があったからだ。

 

「……いつまで待たせる気だ」

 

 じりじりと待っている間、片足だけ気忙しく足踏みする。

 背後から急に声がかかった。

 

「貧乏揺すりというのは、自分の心を落ち着けるためらしいデスよォ」

「ヒッ!」

 

 不意に現れた人影にネストリは驚いて尻もちをついた。

 見上げた目線の先には、黒い仮面をつけ、すっぽりとフードを被った人物が立っている。革手袋がネストリの落とした燭台を拾い上げると、消えかけていた火が再び燃えて、奇怪な姿をより鮮明に浮かび上がらせた。

 

 黒い仮面 ―― よく見ればそれは死刑執行人の被るものだった。

 目の部分に細い孔が空いているが、こちらからはほとんど瞳が見えない。足先までの長い赤灰色のコートで体型も判然とせず、目深に被ったフードのせいで頭形や髪色も分からなかった。

 パッと見の背の高さは男であると思われたが、女であっても多少背の高い人間 ―― ネストリの知る背の高い女といえばケレナであったが ―― である可能性もなくはない。

 もっとも目の前にいるのがケレナであるはずはなかった。彼女はこんないかにも幽霊の出そうな薄気味悪いところが苦手であったから。

 しかも……

 

「執事サァン。火の始末には気をつけてェ。アナタは()()()

 

 皮肉っぽく言われて、ネストリは内心でゾワリと怖気(おぞけ)だった。

 まるで小鳥が人語を喋っているかのような、どこか作り物めいた感じのする甲高い声。姿形の雰囲気を裏切るその高い声は、薄気味悪いその印象をより一層不気味に仕立てていた。

 それより何より「火の始末」と、わざわざ言ってきたことが、ネストリの神経を逆立てた。

 

「き、き、貴様ッ……一体なんだッ」

 

 吠えるように問いかけながらも、尻もちをついたまま後退(あとじさ)るネストリを見て、仮面の人物は「アハハッ!」とはじけるように笑った。子供のような笑い声がガランとした部屋に響く。

 一歩、仮面の人物はネストリに近付いた。

 

「あんな手紙もらってココに来ちゃったってコトは、まだまだ執事サァンにとってアノコトは秘密にしておきたいんデスねェ」

「あ、あのこと……?」

「しらばっくれマスね。オッケのことデスよォ」

 

 ネストリはまさしく自分の急所とも言うべき秘密を衝かれ、うっと呻いて沈黙した。

 

「誰もがみんな、オッケは酔っ払って、自分の飲んだワインの瓶で足を滑らせて転んで死んだと思ってマスねェ。可哀相なオッケ。きっと自分が死んだのも、死んだ理由も、死んでから自分の死が捏造(ねつぞう)されたことも知らないのでショウねェ」

 

 ゆらゆらと揺れるように歩きながら、小鳥のような声がやかましくさえずる。

 ネストリの脳裏に、あの日のあの光景が、つい先程のことのように浮かんだ。

 

 火を点けたオヅマの小屋から、ネストリが出てくるのを見たと言ったオッケ。

 酒に酔った馬鹿な下男一人程度、買収するなど容易(たやす)いと思ったのに、いざとなるとその男の馬鹿さが不安になった。

 

  ―――― 待て、オッケ。その金を返せ!

  ―――― やだ。俺ンだ! 俺ンだぞ!!

 

 そうして揉み合いになって、グラリと二人とも傾いて。

 

 ガッ!

 

 鈍い音がしたと思ったら、オッケは……死んでいた。

 涎を垂らし、白目を剥いて、だらしなく死んでいた。

 きっと死んだことも気付かぬうちに。

 

 ネストリは恐怖と怒りに(おのの)きながら、目の前に佇む死神を見上げた。

 この黒の仮面をつける職業の人間=死刑執行人を、人は侮蔑と畏怖をこめて『死神』と呼ぶが、まさしく今、ネストリの前に立つのは死神に違いなかった。

 罪人の首を落とす斧の代わりに、ヤツはネストリの首を絞める真実を持っている。オッケにオヅマの小屋から出てきたのを見られていたように、オッケの死亡現場にネストリが居合わせていたのも見られていたのだ。

 この……死神に。

 

 ネストリは血の気の失せた顔で尋ねた。

 

「なにが……望みだ?」

「さすガ」

 

 死神はピタリと動きを止めると、ネストリを見て笑ったようだった。「話が早いデスねェ、有能執事サァン」

 

 そう言って死神は拳を開いて、(てのひら)にある赤い小さな包み紙を見せた。

 五角形に畳まれたその包みを見る限り、中身が何であるかは聞かずともわかりそうなものだ。

 

「ど、毒……」

 

 ネストリがヒクッと喉を詰まらせると、死神はクックッと笑った。

 

「さァて。どうでショウねェ?」

「じょ、冗談じゃない。そんなもの……」

 

 断ろうとするネストリに、死神はズイと一歩近寄って囁く。

 

「毒だとして、なんだというんデスかァ? まさか断ル? 今更デスよォ、執事サァン。もう一人殺しちまってるっていうのにさァ」

「こ、殺してないッ。アイツが勝手に……転んで……死んだ……」

 

 ネストリは反駁(はんばく)しながらも、声は徐々に弱くなっていく。

 死神はあきれたかのように鼻をならした。

 

「フン! 随分と冷たいことをお言いデスねェ。転んだ原因を作ったのは、執事サァン、アナタだと言うのにサ。あの状況で全くの無関係とは認められまセンよォ」

「…………」

 

 黙りこむネストリに、死神は赤い包みを突き出してくる。

 ネストリが渋々受け取ると、死神はやや強い口調で言った。

 

「小公爵と近侍たち()()()()むように。じゃないと成果が出まセン」

「小公爵と近侍全員だと? どうやってそんな……」

 

 小公爵の食事については、今も近侍の習わしだの何だので、必ずどの皿においても最初の一口は近侍の一人が毒見することになっている。全員の食事に混ぜたところで、必ずその毒見が終了しない限りは食べないのだから、そこで異常が発覚すれば全員が食べることなど有り得ない。そもそもネストリは彼らの給仕をしていない。いきなりすれば疑念を招くだろう。

 しかし死神は当然ながら冷淡だった。

 

「方法はアナタが考えてくだサイよォ。それくらいの脳ミソ持ってるデショ? 鼠だって、迷路に入れたら考えて進むんデスよォ。アナタもそれくらい考えなクッちゃア。あぁ、そうだ。ダラダラと先延ばしにサレちゃあ、困りマス。期限をつくっておきまショウ。そうだナ、三日以内」

「三日?! そんな……無理だ……!」

 

 おどおどと目を泳がせるネストリに、死神は安心させるように言った。

 

「大丈夫。大丈夫デスよォ、執事サァン。そんなに思い詰めなくっテモ。コレ自体は毒でも何でもありまセン。そんな大事にはなりまセンよォ。ただの、ちょっとした実験ってヤツ。色々と確かめたいことがありマシテねェ」

「……実験?」

 

 死神はその質問に答えず「じゃあ頼みマスよォ」と軽い足取りで出て行った。

 

 ネストリは手のひらの五角形の赤い包みを手に、しばし呆然となった。

 いっそ手にある、その包みを床に放り投げたい。

 だがもし言う通りにしなかったら、あの死神はオッケの死について、領主(ヴァルナル)に告発するのだろう。

 匿名の善人として。

 いや、それどころか誘拐事件についても、ネストリが関わっていたことを話すかもしれない。

 

 今、ネストリの手元にその証拠となるようなものは残っていないが、考えてみれば、あのときだって脅されたではないか。ネストリが犯人に書き送っていた手紙を持っている、と。

 領主や騎士団の動向について書いたそれは、明らかに後日起こった誘拐事件のための情報収集だったのだ。

 

 犯人(ダニエル・プリグルス)は死亡したが、もしかするとあの手紙は今も誰かが ―― あるいはあの死神が持っているのかもしれない。

 いや、そもそもあの死神に扮した者すらも、誰かの手先かもしれない。

 誰か ―― ?

 そう、あのときもそうだったように、アルビンがまたレーゲンブルトに小公爵が来ているからと、ネストリを利用しているのだとしたら?

 前回のことでアルビンに対して警戒しているネストリに、無理矢理言うことを聞かせるために脅迫してきたのだとしたら……?

 

「ああぁッ」

 

 ネストリは訳が分からなくなって、その場に(うずくま)った。

 

「クソォ……なんで俺がいつも……こんな目に……」

 

 ブルブルと震える手の中で、赤い包み紙がネストリを見張っている。

 胃がキリキリと穴を穿つかのように痛み、ネストリは激しく歯噛みした。

 

 どうしていつも、こんなロクでもないことに、自分が巻き込まれなければならないのか。

 こんな真夜中に秘密裡に呼び出し、過去の()()()()()をネタにして脅すような輩に、どうして自分が屈せねばならぬのか……!

 

 腹立たしく思いつつも、ネストリは理不尽な要求を撥ねつける自由を持たなかった。

 彼は思っていた。

 自分には選択の余地などない、と。

 自分はいつも()()()()()()()()()()()。……

 

 




次回は2024.11.10.更新予定です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。