翌、
領主家族ほか、アドリアンとティア、それに侍女のカーリンと近侍ら一同が集まった朝食の席で、まずマリーが念押しするように言った。
「今日はお勉強はお休みよ!」
何日も前からマリーはアドリアンにお願いをしていた。大帝生誕月の本祭が行われるこの日だけは、勉強を休んで一緒に祭りに行ってほしいと。
本当は十日前にあった前祭も一緒に行こうと約束していたのに、その前日にオヅマとケンカして絶交状態に陥ったために、アドリアンはマリーに謝罪して同行しなかった。祭りに行くとなれば、必ず身辺警護としてオヅマが
だが、最近になるとアドリアンもそろそろ怒りを解くべきなのだろうとは思っていた。
この絶交期間中、オヅマはアドリアンが最後に通告したように、声をかけてくることはなかった。だが不意に顔を合わせるたびに、何か言いたそうにしては結局口を噤んで、悄然と去って行く後ろ姿を見て、アドリアンもそろそろ罪悪感が積もってきてはいたのだ。
「無理を言ってはいけませんよ、マリー。小公爵様も、毎日お勉強をしてお疲れなのですから」
ミーナが表情のうかないアドリアンを
アドリアンは笑って否定した。
「大丈夫です、男爵夫人。僕らもたまには気分転換しないといけませんから。マリー、今日は一緒に行こう」
「良かった!」
心底嬉しそうなマリーに、ティアもホッとしたように言った。
「良かった。マリー、この前もとても楽しみにしていたんですよ。お兄様が来られないから、とても落ち込んでいて」
「あら、ティア。落ち込んでいたのはわたしだけじゃないでしょ? ティアだって楽しみにしていたじゃないの。アドルと一緒に踊りたいって」
マリーがサラリと言うと、アドリアンは顔を真っ赤にする妹を見つめた。
「えっ、あっ……あの、あの……そう、できればいいかな、って」
ティアは恥ずかしそうに顔をうつむけて、小さい声で言ったが、マリーはまったく頓着しない。
「ティアだって、カーリンだって、お祭りでみんなで踊るのを楽しみにして、一生懸命練習していたんだから。だから、ちゃんとみんなで踊るわよ。アドルも! マティも! テリィも! エーリクさんも!」
ビシビシと言いつけられて、近侍らは急に思ってもみなかった事態に固まった。
「お兄ちゃんもよ!」
最後にマリーがオヅマにも釘をさしたが、オヅマのほうはまったくやる気がなかった。
「無理だろ。踊りなんか……もう忘れたよ」
「お兄ちゃんだったら、
「…………俺は警護担当だから踊っている暇はない」
「あ、それならば僕も」
エーリクがすかさず言うと、マリーはギロリと並んで座っている二人を睨みつけた。
「問答無用! みんなで一緒に踊るの!!」
マリーが叫ぶと、ハッハッハッと大笑いしたのはヴァルナルだった。
「まぁ、今日は騎士らも警護につくから、エーリクもオヅマも気にせず遊ぶといい」
「しかし……その、僕は踊りというのが苦手で……」
「もう遊ぶような年じゃないです」
エーリクはそれとなく拒否の意向を伝え、オヅマはハッキリ断ったが、
「残念だが……この館の権力者はここにおられるマリー嬢なのだ。あきらめなさい」
と、ヴァルナルはニコニコ笑って退けた。
確かに、この館においてヴァルナルが全面的にマリーの味方であるのは、誰しもが知るところであった。
特にマリーが仲違いしたままの兄とアドリアンのことで、いずれ何か一計を案じているのであろうと推測しているヴァルナルとしては、もはや頼み込んでもマリーの提案に乗るしかない。
マリーもまた、父からの絶大な信頼に応えるつもりであった。
「ありがとう、お父さん」
短い親子の会話の中で、その日、アドリアンを始めとする近侍らもまた、祭りの輪舞に参加することが強制的に決まったのだった。
***
「アドル、一緒に行きましょう」
領主館から出るなり、マリーは有無を言わさずアドリアンと手を繋いで歩き出した。
最近ではティアやカーリンとほとんど一緒にいることが多いマリーが、わざわざ一緒に行こうと言ってきたことに、アドリアンはすぐ意図を察した。
「説教かい? マリー」
「まぁ、アドル。意地悪な言い方ね」
「ハハ。ごめん。でも、物申したいことがあるんでしょう? マリー嬢」
「物申したいだなんて……そんなご大層なことじゃあないわよ。でも、この際だし、はっきり訊くわ。アドルは何に怒ってるの?」
唐突に問われて、アドリアンはすぐに返事ができなかった。思わずサッと目を逸らす。
マリーはフゥと一つ息をついてから、話し出した。
「お兄ちゃんがとっても失礼なことを言ったのは、確かにそう。しっかり怒られても仕方ないわ。でも、いつものアドルだったら、そろそろ許してくれてると思うのよね。お兄ちゃんがああいう……なんていうか、ちょっと言葉選びが下手だっていうのはわかってると思うの、アドルは。でもずーっと怒ってるってことは、アドルは本当はあのとき言われたことじゃないことで、なにか怒ってることがあるんじゃないの?」
「…………」
その質問はある意味、アドリアンの胸に巣食う黒々とした、まとまりのつかない気持ちの中枢を打ち抜くものだった。
確かに当初はオヅマのあの言葉 ――― 『お前に友達なんかいない』という無神経な言葉に傷つき、怒っていたのではあるが、実際のところそれは本当の意味でのアドリアンの怒りの対象ではなかった。
いや、そもそも怒ってもいなかった。
冷静に考えればオヅマの言ったことは間違っていない。
もっともであればこそ腹立たしくもあったが、それも怒りとしてはそう持続するようなことではなかった。だから、いつまでも口を利かないでいる理由は他にあるのだ。
それはやはりオヅマへの暗い羨望だった。
怒っているという形をとってはいても、所詮、アドリアンはオヅマから逃げていた。
いや、オヅマを羨ましく思う自分から目を背けたかったのだ……。
「お兄ちゃんね、心配したがりなのよね」
沈黙するアドリアンに、マリーは言った。
「心配したがり?」
「あ、違う。えーと、心配性っていうの? 今はそうでもないけど、私が子供の頃……あ、もっと小さい頃ね、そりゃあもう心配ばっかりして。私がちょっと転んで、泣いただけでも、誰かにいじめられたのかとか、痛い思いしてないかとか、ものすごく心配するのよ。でもね、お兄ちゃんが心配するのは、それだけ大事に思ってるってことなの」
「それは、そうだろうね」
アドリアンが最初にレーゲンブルトに来たときも、オヅマがマリーのことを特に気にかけているのは、すぐにわかった。
表向きは素っ気なくとも、マリーが泣いていると必ず理由を尋ねて励まし、もし誰かによって傷つけられたと知れば、泣かせた相手に食ってかかることもあった。
そのときのオヅマは本当に狂犬か何かのようで、放っておいたらそのまま殺してしまうんじゃないかとすら思えるほどで、さすがにアドリアンも驚いてたしなめたことが何度かあった。
正直、近侍となるのもマリーの一声がなかったら、オヅマは断っていたかもしれない。
それくらいオヅマにとってマリーは大事な妹だった。
「アドルのこともそうなのよ」
マリーはそっと言った。
アドリアンは一瞬固まり、まじまじとマリーの緑の瞳を見つめた。
「……僕が?」
「そうよ。言い方はひどいけど、お兄ちゃんなりにアドルのことを心配してるのよ。だって、アドルはやっぱり小公爵様でしょう? 身分の高い人には悪い奴らが寄ってきたりするから、友達なんて言っても、本当のところ、どんな人間かわからない、って」
「それくらい……僕にもわかるよ」
「そうね。だから本当はお兄ちゃん、ちょっと寂しいのかも」
「寂しい?」
「だってお兄ちゃんは、自分がアドルの友達第一号だって思ってるんだもの。それなのに自分の知らない友達がいるなんて聞かされたら、そりゃあちょっとフクザツな気持ちになっちゃうわよ」
マリーはそう言って笑った。
いつもの無垢な笑顔……。無垢な言葉……。
最初に会ったときから、マリーはいつもアドリアンを目覚めさせてくれる。
今も、ささくれたアドリアンの心にするりと入ってきては、優しく頬を叩いて、閉ざしていた瞳を見開かせてくれるのだ。
友達……。
本来、それがアドリアンの望むオヅマとの関係であったはずだ。
それなのにランヴァルトのことを考えると、どうしても彼我の差を感じて儘ならなくなる。
本当にマリーの言う通り、自分は何に怒っているのだろう?
一体、何をどうしたいと思っているのだろう?
自分の心なのに、自分の思い通りにならない……。
アドリアンが溜息をついていると、いきなり後ろから怒鳴られた。
「おい、さっきから聞いてりゃ……なに勝手なこと言ってやがる!」
後方で警備についていたはずのオヅマが、いつの間にか背後に立っていた。
「なによぉ。本当のことでしょ」
振り返るまでもなく兄だとわかったマリーがすぐさま言い返す。
ふてぶてしく言う妹に、オヅマは猛然と抗議した。
「俺が心配性だって? そりゃ、お前がしょっちゅう危なっかしいことばっかしてたからだろ。近所の悪ガキ共と張り合って、高い塀から飛び降りごっことかして」
「もうしてないもん」
「今はな! 昔はそうだったって話だよ」
「なによ! さっきまで知らんぷりして後ろのほうにいたのに、聞き耳たてちゃって」
「だから俺は警護に来てるんだって言ってるだろうが! 情報収集のためにある程度……っ……て」
アドリアンがじっと見ていることに気付くと、オヅマは急に口を噤み、少し離れた。
「あ……邪魔した……な」
気まずそうに言って再び後ろに下がろうとするのを、アドリアンは呼び止めた。
「オヅマ、悪かった」
「……え?」
「この数日、君に対して理不尽に怒っていた。すまない」
思ってもみない謝罪にオヅマは面食らっていたが、ボケッと固まった兄の腕をマリーが小突く。
「お兄ちゃんも、ホラ!」
「あー……なんだ、いや。俺も……っていうか、俺がちょっと言い過ぎた」
ポリポリと頭を掻きながら、ボソボソと少し決まり悪そうに詫びてくるオヅマを、アドリアンは軽く手を上げて制した。
「いや……君の言う通りだ。僕は確かに友達と呼べる人は少ない。あまり人付き合いも上手じゃないし、君みたいに楽しい話もできないし……」
「いや、そんなことはねぇだろ。お前、わりとタラシだよ」
「タラシ?」
「あー……えーと、その、アールリンデンでもけっこう……その、人気あったじゃねぇか。青月団のガキ共もお前にすっかりなついてたし、女どもなんてトロンとした目になっちまって、それこそエッダさんまでお前にゃ骨抜きにされてたし……」
だんだんと話が奇妙な方向に流れ始めて、アドリアンは眉を寄せた。
「…………オヅマ。君、謝ってるんだよね?」
「えっ? 謝ってるぞ。うん? 謝ってる……よな?」
オヅマはまた何か不穏な空気を感じて、マリーに助け船を求める。
こういうときにはとことん不器用な兄にマリーは嘆息すると、パンパンと手を打った。
「はいはい! じゃ、仲直りね。これでケンカはおしまい! さ、二人とも仲直りの証として、はい、ギュッッと」
「ギュッと?」
「お父さんがよくやってるの。お母さんとケンカしたときに、ギュッってハグして仲直りしてるわ」
「…………」
「…………」
しばしの間のあとに、オヅマは怒鳴った。
「なんだ、それ! なんでそんなことしないといけないんだよ!」
「恥ずかしがることないじゃないの。アドルがこっちにいたときには、一緒に寝てたくらいなんだから」
「寝て、って……あれは、コイツが寝ぼけて勝手に俺のベッドに入ってきただけだ!」
「同じことじゃない」
「違うッ。お前、また妙なこと考えてるんじゃないだろうな?!」
「妙なことって?」
「恋人のフリとか何とか訳の分かんねぇ話を…………うオッ」
兄弟ゲンカを遮るように、アドリアンはオヅマを抱きしめた。
一瞬で石化したオヅマの肩をポンポン、と叩いて「悪かった」ともう一度謝ってから、そっと離れる。
それから平然と、周囲で同じように固まっている近侍やティアらに呼びかけた。
「行こうか。仲直りも済んだことだし」
まるで何もなかったかのようなアドリアンの態度につられるように、オヅマを除いた面々はそろそろと歩き始める。
「オヅマ……大丈夫?」
オリヴェルに声をかけられて、オヅマはハッと我に返るなり顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お、お前はーッ! いきなりなにしてやがんだァっ!」
オヅマがそういう反応をするのは、アドリアンには既に想定済であった。クスリと笑ってから振り返ると、あきれたように言った。
「まったく、ハグするくらいのことで、何を恥ずかしがってるんだか。前々から思ってたけど、君、意識し過ぎだぞ」
「だ、だれがッ!」
「確かに昔は近侍と主人の間で何だか妙な習わしがあったとかいうけど……心配しなくても、君に対して
「俺だって、そんな気ねぇわ!」
「だったら問題ないじゃないか。解決だ。これからは妙に意識しないでくれ。かえってこちらが気恥ずかしくなる」
ピシャリと言い切ってアドリアンは再び前を向いて歩き出す。
近侍らは誰も何も言わなかったが、一様にホッとした表情で
唯一、オヅマだけがしばらく唖然と突っ立っていた。
最終的に、何だかわからないところに着地した気がする。
「いろいろと悩み深い年頃だな、オヅマ。とりあえず行くぞ」
苦笑いを浮かべて、警護役のマッケネンが突つく。
オヅマは仕方なく後に続いた。
本当はアドリアンに訊きたいことがあったはずなのに、訳が分からなくなってしまった……。
まだどこか釈然としないものをかかえながらも、オヅマはその場で追求するのは控えた。ともかくはマリーのお陰で仲直りはできたのだから、今後、また話す機会はあるだろう。…………
その後、レーゲンブルトの権力者・マリー嬢の一喝によって、及び腰の近侍一同はもちろん、同行していた騎士らや、ナンヌ、サビエルも輪舞の輪に加わった。
どうしても足と手が一緒に出てしまうエーリクや、意外に踊りの才能があったテリィ、見知らぬ村娘と手を繋ぐだけで顔を真っ赤にしているマティアスなどをからかったりしつつ、皆で踊っている間に、この数日間のケンカは過去の笑い話になっていった。
そうして帰ったときには、もはやケンカのことなど忘れ去られるほどの事件が待っていた。
次回は2024.11.17.更新予定です。