昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百二十六話 お茶騒動(2)

 幸いにも紅茶を飲み下したのはエーリクだけであった。

 カーリンは茶に口をつけてはいたが、すんででオヅマがマリーのカップを払ったのに驚いて、飲むことはしていなかった。ただ、少しだけ唇に茶の触れた部分にピリピリとした痒みのような感覚が残ったが、それも半日の間に消えた。

 他にもテリィが口に含んだものの、オヅマの怒鳴り声に驚いて吹き出してしまい、彼も幸い飲んではいなかった。カーリンと同じようなピリピリした痛みが口中に残り、こちらは大騒ぎして、一刻近く口を(すす)ぐのを繰り返した。

 彼らはひとまず胃腸薬を渡されたが、その後の診察においても体調に問題はないとされた。

 

 今回、お茶を淹れたロジオーノは当然疑われたのだが、彼はもちろん毒など入れていない。

 それは一緒にお茶の用意をしていたミーナも証言した。

 

「ロジオーノがお茶を淹れているときに、おかしな動作をしたことは一度もありませんでした。何かを混ぜるような、そんな素振りをしていたらすぐに気付いたはずです。私たちは話しながら用意をしていたんですから」 

 

 ロジオーノは毅然と自分の身の潔白を証言してくれるミーナが有難くて、目を潤ませながらも必死に訴えた。

 

「奥様の仰言る通りです! 本当に、本当に、何もおかしなものなんて入れた覚えはないんです!」

 

 彼に動機もなく、疑わしき行動もないとわかっても、すぐに解放されるわけではない。ひとまず自室で謹慎させたあとに、詳しい捜査が行われた。

 

 ロジオーノの行動に問題がないとすれば、疑惑を向けられるのはカップやポットなどの食器類と、茶葉だ。

 サビエルはマッケネンと一緒にお茶の用意をする小部屋に向かうと、いつもの茶葉の入った白い陶器のキャニスターを取った。

 蓋を開けて、ムッと顔をしかめる。

 

「なんで……まさか、腐ってるなんて……」

 

 サビエルは困惑したようにつぶやいた。

 マッケネンはすぐさま蓋を閉めると、サビエルからキャニスターを取り上げる。

 

「ひとまず領主様に判断いただく。行くぞ」

 

 そのままヴァルナルの執務室に向かいかけて、途中でエーリクの診察を終えたロビン・ビョルネ医師に出くわした。

 

「ビョルネ先生、エーリク公子の具合はいかがですか?」

「あまりよくありません。発熱と、激しい頭痛。手足が少し痺れているようです」

「毒なのですか?」

 

 マッケネンが尋ねると、ビョルネ医師は「おそらく……」と頷いてから、難しい顔になった。

 

「解毒薬を処方しようにも、毒が特定できないと……。毒の特定は難しいのです。毒そのものがあれば別ですが……」

 

 すぐさまサビエルがマッケネンの持っていたキャニスターを奪わんばかりにして、ビョルネ医師に差し出した。

 

「これ! これに毒が入っているのかもしれません」

「……見せてください」

 

 ビョルネ医師は神妙な表情で蓋を開けたものの、そこから漏れ出た臭気にうっと呻いてすぐさま閉じた。

 

「なんだこれは……ひどく腐っているようですが」

「そうなんです。僕が昨日淹れたときにはそんなことなかったのに」

 

 サビエルも不可解な顔で言い立てる。

 問題の茶葉の入ったキャニスターを中心に、三人が黙りこんでいるところにヒョイと手が伸びてきて、ビョルネ医師の持っていたそれを取り上げた。

 

「あっ! トーマス! なにをするんです?!」

 

 ビョルネ医師が抗議するのもお構いなしに、トーマスは取り上げたキャニスターの蓋を開けると、中から昇ってきた臭気に「おぇ」と嘔吐(えづ)く真似をしてすぐに閉じた。

 

「こりゃまた、とんでもないのが混ざっちゃったもんだねぇ。まさかこれでお茶淹れちゃったりしてないよね?」

 

 相変わらずの脳天気な様子で尋ねてこられて、いつもは先生だからとへりくだっているサビエルも青筋を浮かべた。

 

「淹れてしまって、大変なことになっているんですよ! 今!!」

「えっ? まさか。ホントに?」

 

 さすがのトーマスも、普段は穏健なサビエルの切迫した声に顔色を変えた。

 

「まさかと思うけど、誰か死んだとか?」

 

 双子の兄の飛躍した問いかけに、ロビン・ビョルネ医師が怒鳴りつける。

 

「不謹慎なことを軽々しく言うんじゃない! 今、治療中だ」

「治療中……ね」

 

 トーマスはキャニスターを軽く振ってから、興奮気味な弟に静かに問いかけた。

 

「お前、これどういうことだと思う?」

「どういう……って、腐敗しているのだろう。管理に問題があったのか。詳しく調べてみないと分からないが」

「まぁ、当たらずとも遠からずといったところかな。それで患者は? 重症なのか? 解毒薬のアテは?」

 

 トーマスに次々問われて、ビョルネ医師はムッとなって言い返した。

 

「そんなすぐに対応できるわけないだろう! 今、知ったところなんだぞ」

「そりゃそうだ。でも、僕は今知って、もうだいたいわかってるぞ。どういう薬が必要かもな。どうする? 医者の面子をとるか、それとも患者の治療を優先するか?」

 

 トーマスがいつになく冷静な声で問いかける。

 

 ひんやりとした、名状しがたい雰囲気が流れた。

 真面目でお堅いロビンと、適当でいいかげんなトーマスの兄弟ケンカは、もはやレーゲンブルトにおいて日常光景と化していたのだが、そのときの二人の立場は微妙に違っていた。

 

 ロビンはグッと拳を握りしめると、険しい顔で言った。

 

「……当然、患者の治療だ」

 

 その言葉にトーマスは満足そうに頷く。

 

「じゃあ、さっさと作ろう。あ、リュ……マッケネン卿。これ、借りていきますね」

 

 白いキャニスターを持ったまま去って行こうとするトーマスを、それまで成り行きを見ていたマッケネンはあわてて引き止めた。

 

「おい、ちょっと待て! その茶葉については、先に領主様に」

「何が起きたのか知らないけど、この場合、最優先されるのは何かってことぐらい、賢明なる騎士様であれば、おわかりだと思いますけど?」

 

 研究や読書中以外はフザけてばかりいるトーマスは、このときもどこか一癖ある言い回しではあったものの、その顔は真剣そのものだった。

 マッケネンは仕方なく手を下げ、軽く顎をしゃくった。

 トーマスはニコッと笑い、そのまま弟と廊下を足早に歩き去った。

 

 数時間後にはトーマスとロビンによって解毒薬が作られ、それを()んだエーリクはひとまず小康状態となった。

 

 最終的にこのキャニスターの中の茶葉が腐ってしまったのは、微小体(びしょうたい)(*細菌、ウイルス等の総称)によるものだとされた。

 その経緯について、まず証言したのはロビン・ビョルネだった。

 

「なんでもトーマスが言うには、ある従僕が茶葉をこぼして拾っているのを見たらしいのです。それで今回のことも、すぐに思い至ったと……」

 

 その後、すぐにマッケネン達がトーマスに事情を訊くと、彼は明快に答えた。

 

「あぁ、そうだよ。新入りの子かな? 床に盛大にぶちまけちゃってて、僕は棄てた方がいいよと言っておいたんだけど、もしかしたら取っておいたのかなぁ? ……と思って。だから調べるために、あのキャニスターを持って行ったんだよ」

 

 その後、使用人らに話を聞くと、すぐにその新入り従僕について判明した。

 

 そもそもの発端は五日ほど前のことである。

 新入り従僕が、その白いキャニスターを床に落としてしまった。

 分厚く丈夫な陶器の器が割れることはなかったが、中身の半分以上が床にぶちまけられた。

 新入り従僕は高級な茶葉をそのまま捨てるのはどうかと思ったらしい。

 床掃除したばかりで床も綺麗であったので、ご丁寧に散らばった茶葉を拾って、キャニスターの中に戻してから、サビエルに経緯を説明して謝罪した。

 

 サビエルとしては従僕が気を遣ってくれたのはわかっても、まさか床に落とした茶葉で、小公爵様にお茶を淹れるわけにはいかない。従僕がせっかく拾ったその茶葉については、廃棄するよう命じた。それからストックしてあった新しいキャニスターを開封し、そちらで茶を淹れていた。

 

 だが新入り従僕は、茶葉を捨てるのが勿体ないと感じたのだろう。

 自分用にと、その拾った茶葉を置いておいたのだ。

 彼は新しくサビエルが開封したキャニスターと間違えないようにと、()()()()()()見つからないよう置いたつもりであったのだが、

 

「昨日、夕食後にちょっと時間があって、そのときに飲んだあと、もしかしたら……台の上に置いたままにしてしまったかもしれません!」

 

 新入り従僕は取り調べにすっかり狼狽しつつも、ともかく素直に、隠さず話した。

 それは別の女中の証言で立証された。

 彼女は今朝、()()()()()()()()()()()白いキャニスターを見て、すぐにそれが小公爵専用のものであるとわかった。

 

(わたし)ゃ、てっきりサビエルさんが置いたままにしておいたのだと思って、元の位置に戻しておいたんですよ」

 

 年嵩(としかさ)の古参の女中は、何が悪いのかと言わんばかりだった。

 戸棚には新しいキャニスターが置かれてはいたが、通常、ストックのキャニスターは使用中のものの後ろに置いておくものであったので、彼女はサビエルが開封した()()使()()()()()()()()()()()()()を奥へと引っ込め、机に置きっぱなしになっていた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()をその手前に置いた。

 そうとは知らず、ロジオーノは()()()()()()()()()()()()お茶を淹れたのだった。

 

「どうやらこれに微小体(びしょうたい)の卵みたいなものがくっついていたようです」

 

 エーリクに解毒の薬を与えたあと、ヴァルナルの執務室に()ばれたロビン・ビョルネ医師は、難しい表情で説明した。

 

「微小体?」

 

 ヴァルナルの傍らに控えたカールが、聞き慣れない言葉を問い返す。

 

「はい。まだ、研究段階ではあるのですが、(トーマス)が言うには極めて小さい、目に見えないような物質によって、物の腐敗が進むらしいのです。今回、茶葉が床に落ちたときに、そうした有害なものがついてしまって、それがあの容器の中で茶葉を腐らせてしまったのではないか……と」

「しかし、あんなクサい匂いがしていたら淹れる前に気付きそうなものだ」

 

 マッケネンが強烈な臭気を思い出して疑問を呈すると、ビョルネ医師は頷いた。

 

「おそらくロジオーノが淹れる時点においては、さほどに腐敗が進んでいなかったので、気付かなかったのだろうと。空気などに触れることで、急激に腐敗が進む場合があるそうです」

「前日にその従僕が飲んだときにはどうともなかったのに?」

「そうですね。腐敗自体は徐々に進行していたのかもしれません。表面的には問題なくとも、容器の奥の部分の腐敗が始まっていたとするなら、今回、ロジオーノが十人以上の茶葉を使用するに際して、腐敗部分をかき混ぜてしまった状態になったのかもしれません。……憶測の域を出なくて申し訳ないのですが」

 

 曖昧な説明に終始する自分が不甲斐なかったのか、ビョルネ医師は首をすぼめて謝った。

 

「いや。今回はビョルネ先生が迅速に解毒薬をつくってくださったので、エーリクが助かったのだ。誠に感謝している」

 

 ヴァルナルが礼を言うと、ビョルネ医師はますます小さくなって、ボソボソとつぶやくように言った。

 

「いえ。解毒薬もほとんど兄が作ったようなものですので……」

「その解毒薬について少し伺いたいのだが、どういった成分になっているのです?」

 

 やけに強い口調で、マッケネンが問うてくる。ビョルネ医師はやや戸惑いながら答えた。

 

「主には吐酒石(としゅせき)とオリーブオイル、それにストゥグリの実……」

「ストゥグリの実……」

 

 マッケネンはつぶやいてから、険しい顔になって黙りこんだ。

 ヴァルナルはマッケネンの様子を怪訝(けげん)に思いつつも、ビョルネ医師には別のことを尋ねた。

 

「それでオヅマは? 大丈夫なのか?」

 

 ビョルネ医師もマッケネンの質問を不思議に思ったが、そこは医者であるので、まずは患者についての説明を第一にする。

 

「あ、はい。オヅマは……いったいどういうことなのでしょうかね? また、髪の色が変わって……」

「オヅマもこのお茶を飲んだのだろう?」

「そうだと思われるのですが、当人はさほどに飲んでいないと言うのです。飲んですぐに違和感があったので、カップの中に吐き出したと。だから解毒薬も不要だと言って……」

「しかし、ミーナはオヅマの汗を拭いたら、黒かったと」

「そうなんです。以前、狼狐(おおかみぎつね)の鮮血を浴びたときにも、そうした症状は現れていたと思われます。あのときの服は燃やしてしまったので、検分できませんが……髪の色にしろ、毒に反応する、なにか特殊な体質なのでしょうか? 私にも初めての症例で……帝都に行けば、もう少し詳しく調べることもできるかもしれませんが」

「ふむ。先生にもわからぬことであれば、我らにはわかりようもないが……」

 

 ヴァルナルはつぶやきながら、オヅマについて考えた。

 そもそも、何らの教えも受けていないのに『千の目』を発現したであろうことからして、既に十二分に奇妙なのだ。確かにビョルネ医師の言う通り、なにか特殊な体質なのかもしれない。

 

「具合は……髪の色以外は問題ないのか?」

「はい。エーリク公子と違って、至って元気です。さっきも(マス)焼きパイとソーセージを二本、食べてましたから」

「そうか。ま、元気であるなら、良かった」

 

 ヴァルナルはややあきれた笑みを浮かべ、ビョルネ医師に退出を促した。

 医師が出て行くと、すぐさま鋭くマッケネンに問いかける。

 

「なにか気になることがあるのか?」

「はい。一人、気になる者がおります」

「誰だ?」

「トーマス・ビョルネです」

 

 




次回は2024.11.24.更新予定です。
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