「おや。意外に遅かったね、リュリュ」
夕食過ぎに自室にやって来たマッケネンに、トーマスは冷めた紅茶を飲みながら応じた。
「さっき来たが……お前、寝てたろうが」
ヴァルナルに説明したあと、マッケネンはすぐにトーマスに話を訊きに言ったのだが、当人はぐっすり寝ていて、それこそ怒鳴ろうが、頬をつねろうがまったく起きなかったために、逃亡だけしないよう見張りをつけて、その他の情報収集にあたっていたのだ。
しかし扉の向こうに見張りがついていたことなど知る由もなさげに、トーマスはのんびりあくびする。
「まぁね~。だって、ホラ、昼過ぎから大変だったろ~。いきなり解毒薬なんてモノ作る羽目になっちゃってさ。僕、ああいう突拍子もないことが起こると、著しく知力も体力も削がれるんだよねぇ~」
「なぜストゥグリの実を用意しておいた?」
マッケネンはズバリと訊いた。
おそらくトーマスは既にマッケネンの来訪を予想していたのだろう。そこでどういう質問がされるのかも。
いつもの揺り椅子に腰掛けて、グラグラと揺らしながら楽しげに目を細める。
「怖い顔。死にかけの近侍くんを救ってあげた功労者に、随分、剣呑としたもんだね」
「質問に答えろ。ストゥグリの実をどうして用意してあった?」
「用意してあった……というのは、正確じゃない。
「
オヅマの課題につき合っているときに、外出先から戻ってきたトーマスは言ったのだ。
―――― これはね、ストゥグリの実とその他諸々ハーブ……
あまり一般的ではないその実についてマッケネンが知っていたのは、昔住んでいた家の庭に自生していたからだ。マッケネンは父からその実が毒消しにもなることを伝え聞いていた。古くは戦場に持って行き、毒矢を受けたときに服用していたという。
「あんなものを都合良く、
マッケネンがほとんど怒鳴るように断定すると、トーマスは肩頬を歪めた。
「へぇ。それは、なに? 僕が毒を仕込んで、それから解毒薬を作ったとでも? 随分とまだるっこしいことだね。何のためにそんなことをする必要が?」
「それを訊きたいのはこちらだ」
「勘違いしているようだよ、リュリュ。僕は毒を仕込んでもいないし、解毒薬のためにストゥグリの実を買っていたわけじゃない。本当に、偶然、持ち合わせていただけだよ」
「偶然……?」
マッケネンはせせら笑った。「
ほとんど脅すかのような低い声で問い詰めるマッケネンに、トーマスはフイと目を逸らすと溜息をついた。
「そりゃあ君が疑うのも無理ないけど。僕だって君の立場なら疑うよ。でも君の言う前提に立つなら、そんなことをして僕に何の得がある? まさか僕が『解毒薬つくったー!』って自慢したいからとか、そんな幼稚な理由で動くと思う?」
マッケネンはギリと歯噛みした。
実際、動機についてはここに来るまでにも考えていたし、このことをヴァルナルに話したときにも言われた。
「もし、お前の言う通りであるとして、トーマス・ビョルネはいったいなんのためにそんなことをした?」
不明であればこそ、今こうして訊くしかなかった。
本当であれば重要参考人として、尋問にかけたいくらいであったが、現状、トーマスに明らかな罪があるわけではない。
そこはマッケネンも慎重だった。
キエル=ヤーヴェ研究学術府(=帝都アカデミー)の象徴である『賢者の塔』。
トーマスはその『賢者の塔』に在籍している、いわば
彼らの名声と実績は貴族であろうと蔑ろにはできない。
問答無用で引っ捕まえたら、塔に住まう他の住人らが権力中枢に圧力をかけてくることも有り得たし、数ヶ月後に控えたアカデミーの入学試験において、小公爵様はじめとするオヅマら近侍も不当な扱いを受けることになるかもしれない。
ヴァルナルもその辺りを気にしたために、今、こうしてマッケネンに探らせるに留めたのだ。
「茶葉が突然、腐ってしまったことについては……まぁ、いくつかの要因が考えられるけども、正確なところはわかりようもないね。ここの設備ですべてを解明しろと言われても難しい」
トーマスが嘆くように言うと、マッケネンは苦虫を噛み潰したような渋い顔で問うた。
「
「ロビンが説明できなかった? 要は、まー、そうだね。目にも見えないような、小さな小さな虫みたいなものさ。それがくっさーい息を吐いて、物を腐らせると思いなよ」
「……聞いたことがない。お前、研究とか適当なこと言ってるんじゃないだろうな?」
マッケネンが半信半疑で問うと、トーマスはさすがに気分を害したのか、ムッと口をとがらせた。
「ひっどいなぁ。そもそもこの微小体について、最初に言及したのは、リーディエ・グレヴィリウスだっていうのに」
トーマスの口からいきなり出てきた意外すぎる名前に、マッケネンは一瞬、
リーディエ・グレヴィリウスがグレヴィリウス公爵の亡くなった奥方であり、現在ここにいるアドリアン小公爵の母親であることは周知の事実だ。その公爵夫人の名前が、この尋問においてトーマスの口から出てきたことにマッケネンは驚き、敬称を略されていた不敬を指摘するのも忘れてしまった。
「彼女が作物の品種改良なんかにも取り組んでいたのは有名だろう? そのお陰で、このサフェナ=レーゲンブルトでの収穫量も増えたし。彼女、なにげに色々とすごい発見というか、提言をしていてね。この微小体についても、他の人は馬鹿にして ―― 今の君みたいにね ―― 放っておいたんだけど、僕は僕で別のことを探っている間に、彼女の言葉に辿り着いたんだよ。それで今、研究してるってわけ。元々、
トーマスの話が突飛であるのはいつものことであったが、まさかのところからの、意外な人物の登場に、マッケネンは色々と訊きたいことがありすぎて、最終的に初歩的な質問になってしまった。
「お前……公爵夫人のことを知っているのか?」
「知っているも何も、何度も会ってるよ。彼女が厄介な案件 ―― あぁ、頭の固い師匠連中が言っていたんだよ ―― まぁ、正直、面倒な話を持ってくるたびに、小僧だった僕が案内を仰せつかってね。色々とお話させてもらったさ。なにせ僕は他と比べて格段に頭がいい上に、頑固ジジィどもと違って、彼女の荒唐無稽な話にもつき合えるだけの柔軟性を持ち合わせていたんでね。そろそろ研究室が与えられるかも……って話をしているときに彼女が死んでしまったんで、共同で研究予定だったものが、いくつか立ち消えてしまったけど、微小体については、研究を続けてたんだよ」
マッケネンは言葉もなかった。
グレヴィリウス公爵家に連なる家門の騎士ではあったが、マッケネンは公爵夫人リーディエに会ったことはない。
最後と思って臨んだアカデミーの試験に落ちたあと、グレヴィリウス公爵家騎士団の従騎士となったときには、既に公爵夫人は故人となっていた。
その後レーゲンブルト騎士団に入ってからは、南部戦役に駆り出されるなどして、ますます公爵家から遠ざかったのもあって、故公爵夫人については、ただの噂としてしか聞いたことがなかった。それも公爵閣下がいたく愛しておられた……という正直、興味もない事柄だ。
トーマスは話して喉が渇いたのか、冷めた紅茶をゴクゴクと飲み干すと、「さて」と本来の話に戻した。
「僕がどうしてストゥグリの実を持っていたのか、というのがリュリュには疑問なワケだね」
マッケネンはピリッと眉を寄せつつも、その呼び方について咎めるのは今は控え、頷いた。
「そうだ。あまりにも出来すぎてるからな」
「確かにね。偶然というには、重なりすぎたかもしれない。でも、偶然だよ」
「根拠は?」
「説明してもいいけど……そうだな。じゃあ、ここに隠れてもらえる?」
言いながら、トーマスは壁近くにある机の下を示す。
「は?」
「今から人を呼ぶから、そこで黙って、話を聞いておいてもらえる? あ、気配ぐらい消せるよね? 騎士だし」
反論する間もなく、トーマスはマッケネンを机の下に無理矢理押し込んだ。そのままドアに向かい、開くとピュイーッと鋭い口笛を吹く。すぐに女中が飛んできて、何かを言伝すると再びドアを閉じた。
戻ってきたトーマスに、マッケネンは机上に積み重なった本の間から呼びかけた。
「おい、どういうことだ?」
「もうすぐ来るから、来たら黙っておいてくれよ」
そう間を置かずして、コンコンとノックが響く。トーマスはマッケネンに静かにするよう目配せすると、扉を開いた。
「や、ケレナ。わざわざお呼び立てしてすまないね」
扉から入ってきたのは、オリヴェルの家庭教師であるケレナ・ミドヴォアだった。
マッケネンは頭の中で素早く人物についての記憶を繰った。
ケレナ・ミドヴォアは語学担当の家庭教師であるが、執事のネストリといい仲であるのは、この館において公認の事実となっている。
レーゲンブルトに二ヶ月ほど滞在していたハンネ・ベントソンの評によると、やや主観的傾向の強い、陶酔型のお喋りであるらしく、
「まぁ迷惑とまではいかないけど、なんだか彼女に引きずられると、そのうちとんでもないことになりそうだから、ある程度、距離感を持ってお付き合いすべき相手」
とのことだった。
公爵の懐刀である兄のルーカス・ベントソンの妹というだけあって、その人物眼はなかなかに鋭いものがある。
トーマスの部屋に入ったケレナは、二人以外誰もいない(実際にはマッケネンが隠れているが)のに、辺りを憚るかのようにヒソヒソと話した。
「……構いません。人のいる場所でもらうようなものでもございませんし」
「ま、子供らのいる前で渡して、なにもらってんのー? と聞かれて答えられるシロモノじゃないね。……どうぞ」
トーマスは話しながらさっきまでマッケネンが座っていた椅子を勧めたが、ケレナは断った。
「よろしいですわ。あまり男性の部屋に長居したくはございませんの」
「おや、まぁ……執事殿のお部屋には夜明けまでいらっしゃるのに?」
トーマスが皮肉っぽく言うと、ケレナは赤い顔になったが、面目を保つためにコホッと咳払いした。
「それで頼んでいたものは?」
「はいはい。出来ましたよ、どうにか」
言いながら、トーマスは作業机に置いてあった小さな銀色の容器を取り上げると、ケレナに差し出した。
ケレナはそうっと受け取ってから、中身を確認する。
マッケネンは本の間から、ケレナが確認しているのが何なのか見ようとしたが、さすがに無理だった。
トーマスがチラリとマッケネンを見遣ってから、ケレナに話しかける。
「行為の前に一粒、行為後にも一応念のため一粒
「あぁ……ありがとう、トーマス・ビョルネ。助かりますわ。ロビン先生にはとてもじゃないけど頼めないし」
「まぁ弟じゃ、君にそういうものを服まずに済む方法を勧めるだろうね。結婚とか。ネストリ氏にその気はないの?」
「彼に迷惑はかけられませんもの。姉だけじゃなく、叔父さんたちのことまで」
「大変だね、ケレナ。でも君は立派な女性だよ。いずれ自由に生きていけるさ」
トーマスの言葉にケレナは少し黙りこんでから、ふっと笑って言った。
「……どうかしら。でも、あなたにそんなふうに言われるとは思っていなかったわ。ありがとう、トーマス・ビョルネ」
砕けた口調になったのは、トーマスへのそこはかとない信頼が芽生えたからであろうか。
トーマスは早々に出て行こうとするケレナに注意した。
「体に異変を感じたら、すぐに服用は中止しておくれよ。まさかそれで君の体調が悪くなったんじゃ、意味ないからね。まぁ、大丈夫だとは思うけども」
「もちろんよ。大丈夫。昔はもっと怪しい薬売りの老婆から買っていたくらいなんですから。免許をもってるお医者様から処方されたものの方が、いくらか安心というものだわ」
ケレナは明るく言って去った。
トーマスはしばらく扉の前で、去りゆく足音が消えるのを確認してから、振り返った。
「さて、リュリュ。今の一連を見ての君の考察は?」
マッケネンはのっそりと机の下から這い出ると、縮こまっていた筋肉を伸ばしてから答えた。
「ミドヴォア先生は避妊薬でもお前に頼んでいたのか?」
「さすが。ご名答」
「ストゥグリの実はそれのためだと?」
ストゥグリの実は毒消しであるほかに、その葉を煎じて飲むと女性の月の症状が緩和される……というのは、トーマスがストゥグリの実を買ってきたときに不審に思い、あらかじめ調べて知ったことだった。
「葉を煎じて飲むのは書いてあったが」
「それは
トーマスは話しながら、ポットからすっかり冷めた紅茶をまたカップに注ぐ。おそらく苦かったのであろう。うぇと渋い顔になると、小さな楕円の容器から砂糖菓子を一つ取り出して食べた。
「僕も一応調べて作るには作ったけど、初めてだったし、念のため大目に材料を用意しておいたんだよ。そうしたら、今日の腐ったお茶事件だろ?
いかにも憐れっぽくトーマスは天を仰いで嘆く。
マッケネンは唇を噛みしめ、黙りこんだ。
確かにトーマスの言う通りであるならば、不審な点はない。
疑うマッケネンに対して不快感を持っても仕方ないだろう。
しかもトーマスは適当なようでいて、しっかりとケレナの秘密について、出来うる限り守れるように取り計らったのだ。
もし疑惑を持たれたことに対し、ケレナに証言を求めていたら、彼女はヴァルナルや執事、他にも多くの男の前で自らが避妊薬をもらっていたことを話さねばならない。それは女性側からすると、非常に恥となることだった。
ケレナの名誉を傷つけず、かつ自分への疑惑を解消する手段として、トーマスはマッケネンを机の下に隠れさせたうえで、こっそりと話を聞かせたのだ。
「普段はフザけてばかりのくせして、こういうときはちゃっかりしてるな」
むっすりと言うマッケネンに、トーマスは澄まし顔で答える。
「ちゃっかりとは言わないでしょ。僕はただただ世のため人のためにやってるだけだよ。これでも人には優しく、っていうのが信条でね」
「…………一応、信じておいてやる」
マッケネンは矛を収めて去ろうとしたが、その背にトーマスが呼びかけた。
「僕のことはさておき、オヅマについてはちょっと気にしておいたほうがいいかもしれないよ」
「オヅマが? 何か問題でも?」
マッケネンが不思議そうに問うと、トーマスはあきれ顔になる。
「おかしいと思わないの、君たちは。あの子、この前の
「まぁ……確かに」
「元気だから大丈夫、ってことで大して気にしてないんだろうけど、本来異常事態だよ。アレ」
やけに熱心に言い立てるトーマスに、マッケネンは少し妙な印象を受けた。まるで落とし穴があると、必死で吠え立てる犬みたいだ。
「なにか思い当たることがあるのか?」
マッケネンが尋ねると、トーマスは急に静かになり、フイと目を逸らした。
「…………さぁてね。じゃ、尋問は終了。ハイ、出た出た」
グイグイと廊下へと押し出され、バタンと扉が閉まった。
いつものことだった。
トーマスは問題を与えて、答えは自分で見つけろと突き放す。
「学者様の考えることはわからん……」
マッケネンは嘆息すると、ヴァルナルへの報告に向かった。
一方、トーマスは作業机に置いてあった白いキャニスターを手に取って、暖炉へと向かった。
火かき棒を動かして、小さくなった火に薪をくべてから、キャニスターの蓋を開ける。
途端に広がった臭気に顔をしかめた。
ゴホゴホと
「…………証拠隠滅、と」
ボソリ。つぶやいて炎を見つめる顔は白く、無表情だった。
ゆっくりと立ち上がり、机に放り出していたある本を取って読み始める。
その手はかすかに震えていた。……
次回は2024.12.1.更新予定です。