昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二十話 神送り

 ようやく神殿に辿り着くと、すぐさまミーナは礼拝所に連れてゆかれた。

 あらかじめオリヴェルが行くことを言っていたので、神殿の方も領主様の若君が来るということで、万全の態勢を整えてくれていたらしい。オリヴェルとマリーらは、遠方からの参詣者用の宿舎へと案内されていった。

 

 一方、オヅマの方はというと早速、奉納の為の剣舞の用意をさせられる。

 

 藍色の軍礼服にシャラシャラ鳴る装身具、藍の房のついた肩章(エポーレット)とそこからヒラヒラ翻る藍のマントには、今年の神鳥であった(ヒタキ)の絵が染め抜かれている。

 

 当初、オヅマは新年を迎えるための参拝であると思っていたので、どうして今年の色である藍色の服なのか疑問であったが、マッケネンが丁寧に教えてくれた。

 

「まぁ、普通は新年を迎える祭りの方が一般的だものな。本来、虔礼(けんれい)の月に行われる礼拝は、この一年の安寧と豊穣に感謝して、その年の年神を天界へと送るものだ。今回、ミーナ殿が行う礼拝もそういうことだ」

「じゃあ、新しい年神様には参拝しなくていいの?」

「それはヴァルナル様が帰ってきてから直接されることになっている。いくらなんでも迎えも送りも他人任せでは、領主として神様に申し訳ないらしくてな」

 

 オヅマはヴァルナルの妙に真面目というか、ちょっと固くも思える性格が面白かった。貴族の中には一年中帝都にいて、領地に戻ることもない人間もいる。そんな人間は神事など気にもしていないだろう。

 

「ま、お前も領主様の代わりに舞を奉納するんだと思って、しっかりと務めろ」

「えっ? 領主様も剣舞とかするの?」

「………しない」

「それ代わりじゃねーだろ!」

 

 この調子だと子供という理由で来年もさせられそうで、オヅマは憂鬱だったが、それでも母やマリー、オリヴェルが楽しみにしているので、マッケネンの言う通り、しっかり務めねばならない。

 

 とはいえ。

 

 化粧なんかさせられるとは聞いてなかった。

 

「嫌だ! どうせ汗かいて落ちるだろ!」

「目の周りにちょっと金粉塗る程度のことだろうが!」

「じゃあ、なんで紅があるんだよ!」

「そりゃ、もちろん唇に塗るんだよ」

「い・や・だ!」

 

 オヅマは強硬に拒絶した。その様子を見ていた神官の一人が、鼻までの仮面を持ってきた。目の周りに金色の装飾が施されている。

 

「これであればよいでしょう? 口紅はまぁ、しなくてもいいのですし」

「そら見ろ! やっぱりしなくていいんじゃないか!」

「チッ! いい話のタネになると思ったのに」

 

 ゴアンが面白くなさそうに舌打ちするのを、周囲にいた神官と騎士達は肩を震わせてこらえた。

 さすがに隣の宮でミーナの祈祷の最中だというのに、大笑いが聞こえてきては、荘厳な儀式が乱されてしまう。 

 

 その後、剣舞を行う場所に案内され、最後の通し稽古を行って本番を待つ。

 

 祈祷が終わる頃には、空がうっすらと朱色になりつつあった。

 北国の夏の夜は短い。冬であればとっくに暗闇に包まれる時間であったが、まだ山の端に太陽は沈んでいなかった。

 

 薄暮の中、神官が松明を持って現れる。白砂の敷き詰められた境内の四隅に篝火が灯った。

 

「さ、行くぞ」

 

 オヅマに合わせて鼻までの仮面を被ったゴアンが軽く声をかける。

 ゴアンとオヅマの他に、二人が剣舞を奉納することになっていた。ゴアン以外は全員が未経験だ。

 

 ゴクリと唾をのみこんで、オヅマは背を伸ばして白砂の上を歩いて行った。

 

 

 

 

 オリヴェルは現れたオヅマの風体にまず目を奪われた。

 仮面をしているが、大人の中で一人だけ子供なのですぐにそれがオヅマとわかる。まして亜麻色の髪が黒の仮面と藍色の服にとても引き立っていた。

 

「うわぁ! お兄ちゃん、かっこいいじゃない」

 

 隣でマリーが素直な感想を述べると、ミーナも微笑んだ。

 

「本当ね。案外と似合ってるわ」

「まぁ、ミーナさんってば、案外だなんて。とっても似合ってますよ」

 

 ナンヌは初めて見る剣舞に少し興奮気味に言った。その横で興味津々とビョルネ医師が凝視している。

 

 さすがに十日間みっちり仕込まれただけあって、オヅマの舞は流麗であった。

 周囲で踊るのが大人ばかりであるせいか、華奢にも見えて、それが一層儚げで、神秘的に思えた。

 篝火と夕闇の中で、鋭く光るように薄紫の瞳がこちらを向く。

 オリヴェルはドキリとしてしまった。

 生きて動いているものなのに、そこには造形物としての美しさがある。これをただ見ているだけなのが勿体ないくらいだ。

 

「あぁ、残念。僕に絵の素養があれば…この神事を描いて記録するでしょうに」

 

 ビョルネ医師がつぶやいた。

 それを聞いて、オリヴェルは思いつく。

 

 今まで暇つぶし程度に絵を描いたことはあったが、確かにこのオヅマの姿は残したいものだ。館に戻ったら、必ずこの記憶を絵に残す。

 そう決めると、オリヴェルは尚の事熱心にオヅマの姿を凝視した。

 手の形も、足の動きも、剣の冴え、舞によって揺れるマントや、シャラリと鳴る装身具の音ですらも全て。

 

 一方のオヅマは途中から妙な視線を感じて落ち着かなかった。

 それは興奮したマリーやナンヌのものでもなく、失敗しやしないかと少し心配そうに見ているミーナのものでもない。神事として興味深く観察するビョルネ医師のものでもなく、すべてを記憶しようとするオリヴェルの熱っぽいものとも違う。

 

 何の感情もない瞳が、ただただオヅマを見ている。いや、少しだけ笑っているようでもある。

 剣舞に集中するほどに、その視線が気になった。全身の感覚が知らせてくる。この目は明らかに違う、と。

 

 オヅマはひたすらに舞った。

 不思議と頭に次の動作はまったく浮かんでこないのに、勝手に体が動く。

 舞うほどに神経が縒り合わされて、一つの束となり、新たなる感覚が生まれるかのようだ……。

 

 ―――――オヅマ…

 

 呼びかける声が直接頭に響く。

 ビクリとして、オヅマは手に持っていた剣を落とした。

 

 だが、ちょうど舞が終わったところだった。

 

「最後にトチったな」

 

 ゴアンが剣を拾って渡してくる。オヅマは肩をすくめて受け取ると、本殿に向かって頭を下げた。

 

 拍手が境内に響いた。

 領主館の人々の参拝を知った領民が来ていて、思っていたよりも多くの人間が見ていたらしい。

 

「…………」

 

 オヅマは辺りを見回した。あの声の主を探したい。だが、まったく見当がつかなかった。

 

「どうした? 行くぞ」

 

 ゴアンに声をかけられる。

 

「あ……うん」

 

 オヅマはボーッとしながら頷く。

 境内から立ち去りかけて、その背にマリーの声が飛んできた。

 

「お兄ちゃん、よかったよ!」

 

 嬉しそうなマリーの顔に、ようやく我に返る。軽く手をあげてから、オヅマはそそくさと走り去った。

 今更ながら、妹や母やオリヴェルに見せられたのが嬉しくもあり、少しばかり恥ずかしくもあった。 

 

 

 

 

 その夜、オヅマ達一行が領主館に帰ることはなかった。オリヴェルがやはり興奮して、少し熱を出したせいだ。

 しかし、ビョルネ医師は落ち着いて言った。

 

「まぁ、今日はこのままここでお世話になることにしましょう。一晩、ゆっくり眠れば体調も戻るでしょう。朝方に出れば、さほどに暑くもないでしょうし」

 

 ある程度、それは予測していたので、神殿側も快く宿泊を許可してくれた。

 

 簡素な夕食を頂いた後、朝からの忙しさで皆早々に眠りについたが、オヅマは目が冴えていた。

 

 まだ、あの声が残っている。女なのか男なのかもわからない、不思議に響く声。

 寝返りを何度か打ったあと、観念して起きあがった。

 どうせ眠れないなら、外に涼みに行こう。

 

 宿泊所から出ると、月が皓々と冴えていた。さっきまで舞っていた境内は月光に白く照らされながら、シンと静まり返っていた。

 

 

 ―――――オヅマ…

 

 

 また、声がする。

 

 

 ―――――オヅマ…

 

 

 オヅマは歩き出した。

 

 声は自分を呼んでいる。さっきのようにあらゆる場所から見つめるのではなく、明らかに一定方向から聞こえてくる。こちらへ来いと招くように。

 何者ともしれぬ声であるのに、オヅマはなぜか恐怖を感じなかった。

 

 灌木の間を抜け、鬱蒼とした木々の間を抜けると、そこには小さな(ほこら)があった。手前にはたっぷりと水をたたえた水甕(みずがめ)があり、その中に月が浮かんでいた。

 何気なしにその水甕の中を覗く。ゆらゆら揺れる水面に、自分の仏頂面が浮かんでいるのをボンヤリ見ていると、

 

 

 ―――――オヅマ…

 

 

 再び声が響き、波紋が揺らめいて水甕の中に現れたのは少女だった。

 オヅマよりも少し年上くらいだろうか。まっすぐな黒髪は胸まで伸びて、眉のところで前髪はキッチリ切り揃えられている。

 

 

 ―――――オヅマ…

 

 

 呼びかけた声のままに赤い唇が動き、うっすらと目を開ける。

 オヅマは息を呑んだ。

 

 それは闇と太陽と蒼天を持った瞳だった。

 黒い瞳孔の周囲に閃くような金色が縁取り、瑠璃、藍、青、水色に変化していく虹彩。

 まるで目の中で花が開いているかのようだ。

 

「………誰だ、あんた」

 

 しばらく見つめてから、オヅマは普通に尋ねていた。

 見も知らぬ少女であるのだが、なぜか彼女に対する警戒心はなかった。水面に映っていることも、さほどにおかしいと思えない。むしろ当たり前のように受け入れる自分に違和感があった。

 

 水の中で少女は微笑んだ。片頬に笑窪ができる。

 

 

 ―――――どうやら…成功のようね……

 

 

「成功? なにが?」

 

 

 ―――――あなたが、私を覚えていないからよ……

 

 

「……何言ってんだ?」

 

 オヅマは頭が混乱した。

 自分はこの水甕の中の少女のことなど知らない。全く覚えがない。

 最近滅多と見ることのない()の中ですら、会ったことはない。

 

「あんた、誰だ?」

 

 少女は微笑むのみで答えない。

 スゥと細めた目が金色に光り三日月のようだ。

 

 

 ―――――忘れていなさい。それでいいの…

 

 

 オヅマは苛ついた。バシャリ、と水を叩く。

 

「だったら、なんで呼んだ!?」

 

 波紋が激しく揺らいで、少女の姿をかき消す。ゆっくりと水面に平穏が戻ると、再び月が浮かんでいた。

 

「おい!」

 

 オヅマは叫んだ。

 水甕の中に少女の姿はもうなかった。

 

 ギリ、と歯噛みしてオヅマは水甕に顔を突っ込んだ。息が続かなくなる寸前まで水の中で目を開いて少女の姿を探したが、当然ながら彼女は現れなかった。

 耐えきれず、プハッと水から顔を出す。ポタポタと雫が落ちて、水面に幾つもの波紋が浮かぶ。

 

「……何なんだよ……」

 

 オヅマはつぶやいてから、ブンと首を振って水気を払った。

 ますます苛立つ。いきなり声をかけてきておいて、忘れろとか……何なんだ。勝手すぎる。

 

「やめたやーめた!」

 

 オヅマは叫んで少女の残像を頭から追い払った。

 こうしたことをいつまでも気にしていたらロクなことがない。

 

 いわゆる狐憑きの類なのだ。

 昔、薬師の老婆が言っていた。不思議なことは起こるものなのだと。ただ、それに心を持っていかれてはいけない。魔物や妖精などに取り憑かれるということは、そういうことなのだと。

 

 祠に背を向けて歩きだすと、森の奥から鹿の啼声が聞こえてきた。

 何かを求める切実な声―――。

 

 

 ―――――オヅマ………幸せ?

 

 

 かすかに問いかけた少女の声は、オヅマに聞こえなかった。

 

 

 

 





次回は2022年6月8日20:00頃の更新予定です。

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