「君の体、一体どうなっているんだ?」
アドリアンがすっかり困惑した様子で問い詰めてくる。
午後に起きた腐った茶葉による騒動後、オヅマは自室に戻って安静にしていたのだが、ビョルネ医師の診察を受ける頃にはすっかり悪寒も消え、熱も下がっていた。今、症状として残っているのは、前回の
「いやー、なんだろーなー?」
オヅマは首をかしげつつ、実のところ自分でも少々驚いてはいた。
特に今回のような飲食物に毒が含まれていた場合は、喉奥が熱くなる。それから爪が黒くなった。
これは毒に反応している証で、なれた後にも毒を服用すると、必ずこの二つの症状が表れた。他にも体に黒い痣が浮き出たりすることなどはあったが、髪の色が変わることなどあったろうか……?
確か主成分となる蝙蝠が何を食べていたかによっても、多少差異が生じると言っていたような気がする。
誰だったか、それを教えてくれたのは……あの医者は……。
思い出しそうになると、ズキリと頭が痛んだ。
額を押さえたオヅマに、アドリアンがあわてて声をかけてくる。
「大丈夫か、オヅマ」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと別のことで……」
「別のこと?」
「あ、いや。ホラ……あれだ。あの、トーマス先生への問題を考えないといけないからさ」
言いながら、枕の横に置いていた算術の本を取ろうとして、アドリアンに取り上げられた。
「今日は安静にしておけと言われただろう! 問題作成なんて、君なら本気でやれば一日で出来そうじゃないか」
「そりゃ買いかぶりすぎだよ、お前。あの人に出す問題なんだぜ。そうそう当たり前のものじゃ、絶対に許してもらえねぇよ」
「問題のことなんか、今は置いておけ。自分の体の心配をしろ。この前の狼狐のことといい、何か妙な病気に罹っているんじゃないのか、本当に。ビョルネ先生も初めての症例だって言って、すっかり困り果てていらっしゃったよ」
「ハハハ。ま、そう気にすんなって。俺は元気なんだし」
笑って言うオヅマが、アドリアンにはどこか白々しく思えた。じいぃと探るように見つめると、オヅマが負けじと睨み返してくる。
「なんだよ」
「君、まさかと思うけど、毒を慣らすために毒を
「へ?」
当たらずとも遠からずな質問に、オヅマは内心ギクリとなる。
アドリアンは強張った顔のオヅマをますます強く睨みつけた。
「前に読んだ本にあったんだよ。主人公の敵役の騎士が、毒をちょっとずつ摂取して毒の効かない体にしていくっていう……。言っておくけど、そんなの小説の中の、創作の、出鱈目な話なんだからな! 毒見のためとか言って、おかしなことしないでくれよ!」
アドリアンの顔は至極真面目で、怒っているのに、なぜか泣きそうに見える。
オヅマはジクリと心の奥が痛むのを感じた。
今更ながら、アドリアンに嘘をつく羽目になってしまったことが、申し訳なく思える。
もしそうであったとしても、他にやり過ごす道があったかもしれないのに。
どこかであの清毒になれた体に安心していたのかもしれない。
あれさえ手に入れて、体を作り変えてしまえば、少なくとも今後、毒に怯えることはない。近侍が毒見という役目を与えられることを知ったときに、咄嗟に思い浮かんでしまったのだ。それからは清毒さえ服んでしまえば、恐るるに足らずと高をくくっていたところがある。
それでも真実を告げることができなくて、オヅマは話を変えた。
「まぁ、でも不幸中の幸いだったよな。いつもだったら、
普段であれば、サビエルは夜半近くまで勉強するアドリアンのために、お茶と簡単な軽食を用意して持って行く。このときに例の茶葉のお茶を飲んでいたら、あるいはアドリアンが倒れている可能性がないこともなかったのだ。
「今日、マリーと祭りに行く約束をしていたからね。早めに寝たんだ。朝はあわただしくしていたから、ゆっくり飲む暇もなかったし」
二日前からマリーはアドリアンに何度も念押ししていた。
昨夜も「明日はお祭りに行くから、もう寝てください、小・公・爵・様!」と普段であれば絶対にしない呼び方までして迫ってこられたので、アドリアンとしても服さないわけにはいかなかった。
「サビエルは今回のことで、茶葉のキャニスターに番号を振ることにしたみたいだよ。開封した日と通し番号で管理するらしい。今後は廃棄も他人に頼まずに、自分がすると言っていた」
「サビエルさんも責任感強いもんなぁ」
キャニスターのラベル一つ一つに、それこそ筆写人のような精巧な字で年月日と番号を書くサビエルの姿が思い浮かぶ。こうした緻密な作業はサビエルの真骨頂と言えた。父親であるルーカスなどは公爵家騎士団の団長代理であるが、書類仕事などすぐに放り投げて副官任せにしていたりするので、このあたりは父親というよりは、叔父のカールに似たのかもしれない。
オヅマは二人を思い出して笑っていたが、ふと見ればアドリアンがどんより沈んだ顔になっている。
「おい、どうした?」
「ごめん」
アドリアンはうつむいたまま、ボソリと謝った。
「え? なにが?」
「君がいつも皆のこと……僕のことも含めて、全員のことを考えてくれているんだって、わかっているんだ。今日のことも、君が素早く対処してくれなかったら、エーリクだってどうなっていたかわからない。本当にありがとう」
礼を言いながらも、アドリアンの顔は暗いままだ。
オヅマは何となく重苦しい空気を払いたくて、バシリと強めにアドリアンの肩を叩いた。
「大袈裟だな! そんな大したことじゃねぇだろ」
「大したことだよ……君はあまりにも簡単にこなしてしまうから、自分ではそうは思わないんだろうけど」
「なんだよ……気味悪いな。今日の朝まで怒ってたってのに、今度はホメホメ攻撃か? まったく、この小公爵様ときたら、レーゲンブルトに来てからこっち、なーんかおかしいのな」
オヅマは明るくふざけてみせたが、アドリアンの顔はやはり浮かなかった。
「…………そうかもしれない」
つぶやくように言う声は、ひどく弱々しい。
オヅマはますます困惑した。
「おい! おいおい。どうした、どうした? お前、本当になんか悩みでもあんのか?」
「…………」
アドリアンは黙りこみ、フゥと息を吐いた。
ランヴァルトからの手紙で、自分も
オヅマは自分のことも、皆のことも守ろうとしてくれているのに、一方の自分ときたら彼とどんどん開いていく差に焦るばかり。
そのくせオヅマがまた、あの日シレントゥの倉庫で倒れたときの、あんな昏睡状態に陥ったら……と思うと、一気に足元が崩れていくような不安に襲われる。今も息苦しい……。
「なんだよ。言いたいことあるなら、言えよ。吐けるもんは吐いたほうがラクになるぞ」
あえて軽い調子で話しかけてくるオヅマに、ランヴァルトの言葉が重なった。
―――― 誰かに胸の内を知ってもらうことが、慰めとなる……
言葉は違えど、同じようなことを言うのは、やはり彼らの絆がそれだけ強いからなのだろうか。
そういえばランヴァルトと会っていたとき、彼の笑顔に時折懐かしさを感じていたが、その理由も今となればわかろうというものだ。
アドリアンはまた一つ溜息をついてから、思いきって問うた。
「君は……僕に対して羨ましいとか思ったことある?」
「は? なんだって?」
「僕が羨ましいと、思ったり、する?」
「俺が? お前を? なんで?」
「…………だろうね」
アドリアンは嘆息した。
オヅマの性格で、あれだけの才能も、行動力もあって、自分なんかに羨望を持つはずがない。
「お前を羨ましい、ねぇ。……うーん……」
ポリポリと頭を掻きながらオヅマは思案する。
正直、アドリアンの意図するものが何なのか、まったくわからないのだが、適当に流してしまうのは良くない気がした。なんだか、ここに来てからのアドリアンはどこか危うい感じがするのだ。
とりあえず思いつくことを話してみる。
「オリーから聞いたんだけどさ。テリィさんって、元々絵描きになりたかったらしいんだよな。
オヅマらしい率直な言いようにアドリアンはフッと笑みを浮かべた。
「まぁ、そうだね」
頷くアドリアンの表情が少し緩んだのを見て、オヅマはホッとしたように話を続ける。
「俺だって正直堅苦しいこともあるし、面倒くせーなー、ってマティに注意されるたびに思う。マティも本当はあいつ、わりとビビリだけど頑張ってるし。エーリクさんは……まぁ、よくわかんないけど。色々あるけど、俺らは全員、今の状況についておおむね満足してる、ってことさ。少なくとも居心地は悪くない。そういう居場所っていうか、雰囲気みたいなの? そういうのを、お前が作り上げてるんだよ」
「…………」
アドリアンはどう返事すればいいのかわからなかった。
オヅマは自分を褒めようとしてくれているのだろうが、そんなことはアドリアンにとって、大したことではなかった。
自分の近侍になるために親元を離れて来てくれた彼らに対して、ある程度の礼儀をもって接するのは当然のことだ。事によっては自分の我儘で振り回すこともあるし、正直、八つ当たりに近いような態度を取ることもある。決して主として十分な寛容や品格を備えているとも思えない。ランヴァルトのように……。
「納得してなさそーだなー」
苦笑いを浮かべるオヅマに、アドリアンは困惑気味に答えた。
「だって、それこそ大したことじゃないし」
「大したことだよ……
さっき自分が言ったことをそのまま返され、アドリアンは唖然となった。ややあって、ハアァーと大きな溜息をつきながら首を振る。
「まったく……君が案外、弁術が得意なのを忘れていたよ。そう言われたら、否定できないじゃないか」
「否定する必要ないだろ。本当のことなんだから。お前はお前ですごいの。でもって、俺は俺ですごいんだよ」
「すごいとか……自分で言う?」
「なんだよ、お前もホメてるだろ」
「あぁ……確かに君はすごいよ。だから時々、君に守られてるだけの自分が、とても無力に思えるんだ」
アドリアンは少しだけ正直な気持ちを吐露した。そうでもしないと息が詰まりそうで。
「なんだ、お前」
オヅマはしょんぼり項垂れるアドリアンを見て、ハッと笑い飛ばした。
「また、くだらねぇことで悩んで
「勘違い? なにが?」
「俺は近侍だし、お前は小公爵様だし、守って守られる立場だろうけど、その前に俺らは
ふと出てきた言葉に、アドリアンはハッと顔を上げる。オヅマの薄紫の瞳と目が合って、脳裏に初めて会った日のことが思い出された。
―――― オヅマだ。よろしくな。
初対面から生意気そうな少年で、絶対に仲良くなれないと思っていた。それでも一緒に訓練を受けて、ケンカしながら互いに切磋琢磨した。そうしていつの間にか、アドリアンにとってオヅマは親友と呼ぶべき存在になっていた。
「対番の基本は、お互いの背を守り合うことだろ。お前が無力だとか言ってたら、俺が危ねぇじゃねぇか。しっかりしろよ。俺はお前に背中預けてるんだからな」
オヅマの力強い信頼に、アドリアンは言葉が出なかった。
じんわりと染みてくる温かさに泣きそうになる。
そうだった。あの頃だって、オヅマが強くなったと思ったら、自分も負けないようにと、より訓練に打ち込んで、次の日には一本取って、また取られて、また取り返して……そんなせめぎ合いの中で、成長してきたではないか。追いつかないなどと嘆いている暇があるならば、彼に負けないように頑張るしかない。
「っとに、お前は本ッ当に悩みたがりなんだからな。だいたいお前、俺の見舞いにきたんじゃなかったか? 病人に気を遣わせるなよー」
オヅマがフザけたように言うと、アドリアンはニコリと笑った。
「言ったね。じゃあ、病人さんには、こんなもの必要ないね」
言質を取ったとばかりに、ベッドの上にある本やら書き付けやらを纏めていく。
制止しようとしたオヅマの額をペチリと打って、無理矢理に寝かせた。
「病人はちゃんと寝ること! ……って、マリーからのお達しだ」
「チッ! コイツ、マリーの言うことばっか聞きやがるし!」
「当然だろう。このレーゲンブルトの最高権力者だぞ」
アドリアンは笑って言うと、本を書き物机に置き、ランプを持って扉へと向かった。
その背にオヅマが呼びかけてくる。
「アドル。言いたいことあったら、いつでも言えよ」
「うん、ありがとう。…………おやすみ」
「あぁ」
バタンと扉を閉じて出てから、アドリアンはホゥと吐息をもらした。
大丈夫……。きっと、大丈夫だ。
僕らは何も変わらない。
オヅマの身の上が変わることがあろうとも、このレーゲンブルトで芽生えた
薄暗い廊下を歩きながら、アドリアンはようやく深呼吸できた。
萎えかけていた自信が再び息を吹き返して、この先へと進む力を与えてくれていた。……
***
一方オヅマは、しばらくぼんやりと、暗い天井を見るともなしに見ていた。
アドリアンが扉を閉めて出て行ったあと訪れた静寂に、フゥーっと長い息を吐く。
このまま、あと二ヶ月もすれば帝都に向かう。
あれほどに嫌忌していた場所へ。
アドリアンの近侍になり、アカデミーへ通うと聞いてから、ある程度覚悟はしていたけれども、いよいよ現実的になってきた。あるいはもっと嫌でたまらなくなって、アドリアンに無理を言って、自分だけ免除してもらうことも考えていたが、今は不思議と落ち着いている。
大丈夫だ。きっと、大丈夫……。
たとえこの先、あの場所で、あの男に出会うとしても、アドリアンが側にいてくれる限り、自分を見失うことはない。
もし自分が愚かな道を選択しても、アドリアンならばきっと止めてくれる。
彼が間違うことはないのだから。
いつだって悩み抜きながら、自らに誠実であることから逃げなかった……
「そう……だ……そ…………奴だ……った」
とろける眠りの中に落ちてゆきながら、オヅマはつぶやいた。
その意味もわからぬまま。
次回は2024.12.8.更新予定です。