「ふむ……君の毒の印は爪と……
一度見れば強烈な印象を与えるに違いない、奇天烈な髪型をした医者が、オヅマを診察しながらつぶやく。最初に紹介されたときには、彼が医者であるという話が耳に入ってこなかった。
赤や茶、金、白、藍、紫、緑など、種々に染められた髪をそれぞれの色で細かく三つ編みで結い、何百本という三つ編みが束になって太いリボンで結ばれている。あまりにも珍奇すぎる髪型であるので、最初は大道芸人か何かかと思ったほどだ。
だがその奇妙な風体に似合わず、彼は医者であった。
医者といえば、オヅマの認識では相当に頭が良く、自分のような身分の低い者に対しては偉そうであるか、あるいは路傍の石の如く無視する者がほとんどであったが、この医者に限っていえば、まったく偉ぶったところもなく、終始明るく穏やかであった。
医者だと聞き最初は緊張していたオヅマにも屈託なく話しかけてきて、問診も丁寧にしてくれる。城内の人々に対し警戒することの多いオヅマも、彼には割合と心を許していた。
「閣下とは違うのですか?」
「そうだね。閣下も爪の色が変わるところは同じだけど、あとは髪の色が変化していたようだよ。昔は」
「髪の色?」
数度の手術によって、ランヴァルトは禿頭となっている。髪の色が変化していたとしてもわかりようがない。
「閣下も最初から禿げていたわけじゃない……あぁ、いやいや。赤ん坊はそうか。いや、でもたまにとてーも毛むくじゃらに産まれてくる赤ん坊もいるしなぁ。この前ミョーリが産んだ子も、僕より髪が長かったくらい……」
また始まった。
この医者は若い割には有能であるらしいし、それらしい片鱗を見せることもあるのだが、何せ話が脱線しがちなのだ。
オヅマは早々に話を元に戻した。
「閣下の髪の色は……亜麻色だと聞いていますけど」
「そうそう。シモン公子と同じ。っていうか、君とも同じだね」
「…………」
オヅマは返事をしなかった。
胸の奥がキリリと痛む。
ガルデンティアに来てから……ランヴァルトに出会ってから抱いてきた疑問が、また鈍く疼き始める。…………
***
最初にガルデンティアを訪れたとき、門番は面倒そうに硬いパンを投げつけてきて、オヅマらを追い払った。汚い乞食が物をもらいにきたのだと思ったのだろう。それから何度行っても門前払いされ、オヅマはこの城の
紋章のついた立派な馬車が入る時を狙って、オヅマは飛び出すと、母からもらった笛を振って呼びかけた。
「お願いします! ここに行けと母さんに言われたんです! お願いします!! お目通りを! お願いします!!」
それでも馬車はオヅマの前を通り過ぎて中に入り、門は閉じられた。
オヅマは悄然として、トボトボとマリーの待つところに帰ろうとしたが、門の中から男が一人出てきた。その時は知る由もなかったが、その男はベネディクト・アンブロシュだったようだ。後にオヅマが彼の養父となったとき、当人から聞いた。
「その笛を閣下が見たいと
ベネディクトは乞食のような姿のオヅマを見ても、顔をしかめることもなく、嘲りを浮かべることもなかった。誠実そうな彼の態度に、オヅマは一瞬迷ったものの、思いきって笛を預けた。
「母さんが、これを見せたらわかるから……って。ここで昔、働いていたみたいなんです。あ、母さんの名前はミーナといいます」
「そうか。わかった。そのように伝えよう。しばし借り受ける」
丁重に受け取って、ベネディクトはまた門の中に入っていった。止まっている馬車まで駆けていって、中にいる誰かと話しているようだ。
どうなっているのかと、少しばかり心配になりだした頃合いで、ベネディクトが急に
頭を下げる彼の前に、美しい衣を纏った人物が降り立つ。
オヅマはその人物を見た瞬間に、彼こそ、このガルデンティアの
反射的に地面の上に座り込んで、門向こうに立つ貴き人に、深く頭を下げる。
「入りなさい、少年」
門からベネディクトが出てきて、オヅマたちを招き入れた。
オヅマはマリーと手を繋いで歩きながらも、あまりにも畏れ多くて、顔を上げることができなかった。ベネディクトと主たる人の前に来て、再び地面にひれ伏す。
「この笛をミーナからもらったと?」
問うてくる声は、かすかに震えているような気がした。ベネディクトの声ではない。つまり、この城の主が自らオヅマに問いかけてきているのだ。
「あ、あ、あの……」
オヅマもまた緊張で喉が詰まって、なかなか言葉にならなかった。答えを待たず、主はさらに尋ねてくる。
「ミーナがお前の母だと?」
オヅマは一度、息を吐いた。それからはっきりと答えた。
「はい。俺の母さんはミーナという名です。その笛を持って、この城に行けと母さんに言われて来ました」
しばらく主は沈黙した。
オヅマは頭上から強い視線を感じて、ひどく重苦しかった。
やがて再び主は尋ねた。
「お前の名前は?」
「オヅマといいます」
「オヅマ……
小さくつぶやいた言葉の意味はオヅマにはわからなかった。
ただただ、頭を下げて祈った。
どうか母のことを覚えていてくれますように、と。
「顔を上げよ……オヅマ」
言われてオヅマはゴクリと唾をのんだ。
これで主の顔が不機嫌そうに歪んでいたら、もうこれで終わりだ。この場で叩き出されるのならばまだいい。下手をしたら、貴き人の馬車を止めた上に妄言を吐いて無礼を働いたと、腕を切られたりするかもしれない。そうなったら、せめてマリーだけでも助けなければ。エラルドジェイにマリーのことを頼もう。自分はそのまま腕を腐らせて死んでも構わない。
一瞬で覚悟を決めて、オヅマは顔を上げた。
目の前に立っている人の顔を、まっすぐ見つめる。
豪奢な頭巾を被ったその人の表情は、逆光でよく見えなかった。
ただ、顔がわからずとも、目の前に立つ人の威容があまりにも立派で、あまりにも強烈な存在感で迫ってきて、オヅマはただただ圧倒されるばかりだ。
呆然として言葉をなくすオヅマに、ふと主は笑った。
「…………汚いな」
そこに軽蔑や憐憫はなかった。
ただ見たままに言っただけ。
だからこそオヅマは急に自分のみすぼらしい格好が恥ずかしくなった。
顔を赤くしてうつむこうとするオヅマの顎を、
少し屈んでじっと見つめてこられ、そこでようやくオヅマはこの主の瞳の色が紫紺だとわかった。頭巾を被っているのは、おそらく禿頭で、額にまで伸びた傷痕を隠すためだろう。年齢はよくわからなかった。雰囲気は年経た者らしい成熟も感じさせるが、見た目には横に並ぶ男とそう変わりない気もする。
「……瞳の色が、ミーナと同じだな」
囁くように言った言葉は、ハッとなるほどに優しくて、愛しそうで、かなしく響いた。
オヅマはこの人が母を知っているのだとすぐにわかったが、尋ねることはできなかった。
主はオヅマから手を離すと、いつの間にか来ていた執事らしき人物に何か伝え、馬車に戻った。
「あの笛はしばらく閣下がお預かりになる。必ず返すから、少しだけ貸してほしいとのことだ。いいかな?」
ベネディクトは問いながらも、オヅマが拒否することは考えていないようだった。実際、オヅマはすぐに了承した。あの笛はおそらくオヅマよりも、主にとって意味あるものなのだ。
その後、オヅマは大公城ガルデンティアで働くようになった。
最初は大公家騎士団の下男として。
騎士らの宿舎の掃除や、汚れた服の洗濯、武具の手入れや、馬の世話。
気の荒い騎士らに怒鳴られ、こき使われ、足蹴にされることもあったが、オヅマは文句を言わず働いた。
懸命に働いて、再び主に会える日を待った。
再び出会えたときに、主は多少身綺麗になったオヅマを見て満足げに笑った。
「確かにお前はミーナの息子だ。ここにいるとよい」
笛もそのときに返された。
それから騎士見習いになった。
ただの騎士見習いの小僧に、この城の主が気さくに声をかけることなど、まず有り得ないことであったので、騎士たちは様々な憶測を巡らせた。
多くの騎士たちは、オヅマの髪の色が昔の主と同じだと言って、まことしやかに「ご落胤か?」と噂した。
オヅマはその噂について積極的に否定することもなかったが、自分では有り得ないことだと思っていた。亜麻色の髪など珍しくもないし、北の辺境の村で育った自分に、大公殿下との関わりがあるわけがない。単純に母がここで昔、世話になった、それだけなのだろうと……
もし、少しでもそんな可能性を考えたら、きっと自分は期待してしまう。
いつの日かランヴァルトに息子として認められることを。
誰よりも尊敬する主君を『父』と呼ぶことを。
***
「ま、亜麻色の髪なんて珍しくもないものね。グレヴィリウス公爵や、それこそ次の
奇天烈頭の医者が、あっさりとオヅマの秘めた願望を打ち消したとき、オヅマはどこか落胆しつつも、ホッとした溜息をついた。
「黒い髪の人なんて、見たことないです」
「そりゃそうだ。
「まだ……です」
歴史を教えてくれていた老人は、自分の研究に没頭しているらしく、最近では滅多とガルデンティアを訪れることもない。
「そっかぁ。ま、追々習うだろうよ。今のところ、僕の知る限りじゃ、真っ当な黒髪は神女姫様だけだよ。グレヴィリウス公爵のは黒っぽいけど、よくよく見れば赤みがかっているんだよな。まぁ、あの家もベルンハルド公以来で、彼の出自は南方五国だったらしいからね。元々、エドヴァルド大帝の側近だったとかいう祖先は……」
また話が脱線する。
グレヴィリウス公爵云々については、まったく興味も何もないので、オヅマは早々に話を変えた。
「エドガー先生の髪の色も相当ですよ」
「えっ? そう? いい感じ?」
褒めたわけではなかったのに、医者は嬉しそうにクルリと回って、そのご自慢の頭を見せてくる。
「一応、メジャーな髪色を全部取り揃えてみたんだ」
「なんですか、それ」
オヅマは苦笑した。
医者がクルクル回るのに合わせて、種々の色を纏めた髪の束がブンと目の前を通り過ぎていく。
オヅマは軽く仰け反ってよけながら、半ばあきれたように言った。
「よくもそんな色に染められましたね」
「そりゃあ、染料から自分で試作して作ったからね。お陰で手がかぶれて大変だった……」
いかにも大変そうに言いつつも、自慢げに三つ編みの束を掻き上げる。
「本当にエドガー先生って、おかしな人ですね」
「えっ? そう? やっぱり? いやー、困っちゃうねぇ」
不思議なことにこの医者はおかしいと言うと喜ぶのだ。多くの人間は必要以上に他者との違いを強調しないものだが、彼は他人と違っていることが快いらしい。そんな奇抜な風体と軽薄そうな態度に相違して、能力は高いのだろう。ランヴァルトが無能な者をこの城で医者として雇うことなど有り得ないから。
「ま、身体は特に問題はないね。
「そうなんですか?」
「ら・し・い。だって、ヴィンツェのお爺ちゃんってば、詳しく教えてくれないんだもの。ズルこいよねぇ、あの人。秘密が多くってさ」
いかにも不満そうにぷぅと頬を膨らませると、大袈裟に肩をすくめ、ペロッと舌を出しおどけてくる。
オヅマは声を出して笑った。
あの醜い小人のような道化を、皆卑しい者と蔑みながらも、得体の知れぬ恐怖を感じて大っぴらに批判する者は少ない。
ランヴァルトの愛息シモン公子ですらも、
オヅマはシャツを着ると、医者に頭を下げて出て行った。
「ありがとうございました。エドガー・ビョルネ先生」
引き続き更新します。