昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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ヴァルナルとミーナの新婚事情 後編

 その日の夜。

 

 夕食後にもかかわらず、ヴァルナルはやはり「仕事が溜まっているから」と言って、執務室に籠もってしまった。ミーナはいつも通り、小休憩のためのお茶の用意をして、ヴァルナルの元へと向かった。

 

「お茶をお持ちしました」

「あぁ、ありがとう。もうそんな時間か」

 

 ヴァルナルは読んでいた書類から顔を上げて、時計をみやった。軽く背伸びをしてから、立ち上がるとソファの椅子に腰かける。

 ミーナがポットから茶を注いでヴァルナルの前にそっと置いた。

 

 そこまではいつも通りだった。

 だが、今日のミーナは何か違った。

 硬い表情でヴァルナルの向かいに腰を下ろすと、じっと二人を隔てるテーブルに視線を落とす。

 

「ん? ミーナ、君の分のお茶は? いいのか?」

 

 いつもなら二人でしばらくお茶を飲んで、今日あったことや子供たちのことを話すのが、ここひと月近くの日課となっている。しかし今日のミーナは自分の分のお茶を淹れず、無言であった。

 どうしたんだ? と問おうとすると、ミーナが強張った顔で切り出した。

 

「あの、領主様……いえ、ヴァルナル様。今日は、少しお訊きしたいことがございます」

 

 常になく切羽詰まった様子に、ヴァルナルは心中、ヒヤリとなった。

 

「うん? なんだ?」

 

 なるべく動揺を見せないようにと、さりげない感じで問い返しながら、お茶を含む。

 

「あの……今日もお一人でおやすみになるのでしょうか?」

「え?」

「夜になると、私を避けるのは、なにかご不満があってのことでしょうか?」

 

 ミーナが思いきって尋ねると、お茶を飲み下そうとしていたヴァルナルはぐっと詰まった。ゴホゴホと盛大に()せながら、どうにかカップを皿に戻す。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ミーナが立ち上がろうとするのを制して、ヴァルナルはひとまず気を落ち着けた。息を整えるのと一緒に、一瞬でこんがらがった頭の中も整理する。

 

「ミーナ」

 

 呼びかけてから、もう一度、咳をして大きく深呼吸した。

 

「その、私も一つ訊きたいんだが、君は……その、嫌じゃないのか?」

「はい?」

「いや。私はてっきり、君がそういうことを望んでいないのかと思っていたんだ。……来てくれないし」

「えっ? 私のほうから、行くべきだったんですか?」

「違うのか? そういうものだと聞いていたんだが」

 

 ヴァルナルは昔、前妻・エディットからそうした夜の営みは、妻から夫の部屋に行くので、行かない限りは行為の意思なしとして、無理強いしてこないようにと言われていた。あまり経験もなかったので、そういうものかと思って忠実に守り、ミーナにも同様に遠慮していたのだが。

 

「君がその……痛いのを我慢しているように見えたし……。正直言って、私はそういうことに手慣れてない。自分の欲ばかり押しつけて、君に無理強いさせたくないんだ」

 

 ミーナは赤くなってうつむいた。

 確かに痛みがあったのは事実だ。マリーを産んで以降、前の夫は暴飲などが重なって、そうした行為に及ぶことすらできなくなった。ミーナにとっては久しぶりで、しかも緊張していたので、気分に浸るというよりも、責任感に近い状態で受け入れた。それが自分でもわかっていたので、尚のこと、ヴァルナルにつまらないと感じさせたのではないかと、悶々と悩んでいたのだった。

 

 一方、ヴァルナルはヴァルナルで、このひと月近く悩んでいた。

 元々、ヴァルナルはこと、夜の生活についての自信が皆無であった。

 昔、ルーカスに無理矢理、娼館に連れられていったときにも、いかにも豊満で、いかにも手練(てだ)れといった感じの女に迫られたら怖くて逃げてしまったし、エディットには初夜で愛想をつかされた。(そのときに「乱暴者」「痛い」と散々にわめき立てられたことが、ますますヴァルナルの自信を喪失させたのは言うまでもない……)

 

 その後は前述の通り、前妻が来るまで待つしかない状態だったが、それはそれでヴァルナルには有難かった。エディットがヴァルナルを求めないのと同様に、ヴァルナルもまたエディットを求めなかったからだ。彼女が渋々、ヴァルナルの部屋にやって来るのは、あくまでも後継者を残さねばならない、という実家や周囲からの圧力による義務感からであった。

 

「あなたに嫁いだ以上、私はあなたの子を生まないといけないのです」

 

 だからオリヴェルの妊娠がわかって以降、妻がヴァルナルの寝室に来ることはなかった。

 ちょうどその頃になると戦の準備などに忙しく、ヴァルナルとしてもこれで義務から解放されると安堵したものだ。

 

 だからいつまでもミーナが寝室に来ないことも、我慢できるだろうと……思っていたが。

 相手が違うと、こうまでもつらいものだとは思わなかった。

 一週間続いたときには、いっそミーナの寝室のドアをぶち破ってやろうかと思ったくらいだ。もちろん、そんなことをして怖がらせては元も子もないので、必死で耐えたが。

 

 というわけで。

 

 このひと月近く、ミーナの前では朗らかな領主然として接していても、ことミーナのいない場所では、悶々とした日々をヴァルナルもまた送っていたのであった。

 日ごとにため息が増し、憔悴を深めるヴァルナルに、

 

「新婚ですからやかましくは言いませんが、仕事のことも考えて、ある程度は控えてくださいよ」

 

 などと思いきり勘違い発言をしてくるカールには、軽く殺意を抱いたものだ。

 それに、ヴァルナルは自分で自分の困った性分をよくわかっていた。

 

「正直、最初の日は君が痛そうだと思ったから諦めたが……もし、また……そういうことをするならば、多分、歯止めがきかない」

 

 ひどく悩ましげにつぶやくヴァルナルの言葉に、ミーナは「え?」と顔を上げた。

 自らを捕らえるかのように見つめてくるヴァルナルの灰色の瞳と目が合う。

 どこか自信なさげであるのに、自分を求める視線の熱さに、ミーナの下腹が疼いた。

 キュッと唇を噛みしめて、ミーナは立ち上がると、ヴァルナルの隣に座った。

 

「私は、構いません」

 

 つぶやくように言って、そっと、ヴァルナルの握りしめた拳を包みこむ。少し驚いた様子の夫に、ニコリと笑ってから囁いた。

 

「私は、あなたにもっと触れたいです……駄目ですか?」

「まさか……駄目なわけがない」

 

 ヴァルナルはうめくように言ってから、そっとミーナの頬に触れた。

 

「……いいのか? 触れても?」

「えぇ」

 

 ミーナは自分の頬を撫でるヴァルナルの手をそっと掴んだ。

 

「あなたに触れられたいです。もっと……」

 

 その言葉で、ヴァルナルの(たが)は外れた。

 求めるままに、口づけを交わす。約一ヶ月ぶりの熱い接吻に、二人は確かめ合うように一度離れてはお互いを見つめ、再び口を重ねた。

 何度か繰り返したあと、ヴァルナルはミーナを抱き上げた。

 そのまま寝室に向かった二人の先のコトを、言う必要はないだろう。

 

 

 

 蛇足の後日談。

 

 ようやく正常な(?)新婚生活を迎えた二人であったが、そこからひと月が過ぎた頃に、ミーナが眩暈を起こして倒れることがあった。診察にあたったビョルネ医師は、丁寧に時間をかけてミーナに問診したあと、心配するヴァルナルに告げた。

 

「領主様、ひとまず三日に一度は休みましょう」

「は?」

「奥様は領主様のように頑健な身体ではございませんので、毎日は厳しいようです」

「…………」

「それと、夜は基本的に寝てください。雲雀(ひばり)の声は眠る前に聞くものではなく、目覚めたときに聞くものです」

 

 ビョルネ医師の婉曲な言い回しは、明け方の空を飛び回る雲雀と、その美しい鳴き声で装飾されはしたが、伝えられた内容はある意味ストレートであった。

 要は『節度をもて』ということだ。

 

 ヴァルナルは真っ赤になった顔を隠すように額を押さえると、うめくように了承の意を伝えた。

 

 

【END】

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