昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第三部 第一章
第二百二十九話 出立


 冬場には辺り一面を覆っていた雪がすっかり解け、春告鳥が空高く歌う種蒔(たねま)き月の半ばに、オヅマらはレーゲンブルトを出発することになった。新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)であれば、二ヶ月後の緑清(りょくせい)の月朔日(ついたち)に出発するものだが、今回は帝都への訪詣ではなくアカデミー入試が目的である。貴族子弟への入学試験は緑清の月廿日(はつか)頃に行われるため、早めに帝都で準備せねばならない。

 

「あーあ、明後日(あさって)には僕は一人か」

 

 荷造りするオヅマらの様子をボンヤリ見ながら、寂しそうにつぶやいたのはオリヴェルだった。

 

「なんだよ。マリーも、ティアも、カーリンもいるだろ」

 

 オヅマが言うと、オリヴェルはツンと口を尖らせた。

 

「この年になって、女の子三人とおままごとでもしろっての? だったら絵を描いているよ」

「オリヴェルも近侍になれればいいのにね……」

 

 テリィも寂しそうにつぶやく。

 別れの時が近付くにつれ、彼は幾度となくオリヴェルに言っていた。

 

「君も近侍になって、帝都に来なよ。紹介したいところが沢山あるんだ。まずは劇場。是非にも『流浪の騎士フォルトンと魔の山』は観てもらいたい。それとザーント伯爵のコレクション。あとは皇府で年に一度開かれる展覧会があって……」

 

 オリヴェルはテリィから聞く帝都での華やかな催しに興味津々ではあったが、自分の体が弱いことを知っているだけに嘆息するしかない。だがテリィは自分と共感できる貴重な友人を放っておけなかった。

 

「ビョルネ先生、オリヴェルは帝都にも行けないくらい体が悪いんですか? むしろ、こんな辺境の田舎にいるより、帝都に行けば治療法だって見つかるかもしれないじゃないですか」

 

 ビョルネ医師は困ってしまったが、それでもテリィの熱意を無視できなかった。それに医者として、患者に元気になってもらうのは、最も大事で基本的なことだ。

 

「確かに……ただ、現時点においてまだこれといったアテもなく、彼に無理をさせるわけにはいきません。出来得るならば、私自身、帝都でもう少し知人などにも意見を聞いて、この病気について調べたいところではあるのですが……」

 

と、迷っていたところに、手を上げたのは双子の兄のトーマス・ビョルネだった。

 

「現状のオリヴェルを診るくらいだったら、僕にも出来るよ、ロビン。処方箋だけ書いておいてくれれば、調剤は可能だし」

 

 ビョルネ医師は迷った。

 トーマスが医師免許を持っているのは知っていても、彼はそれまで臨床についたことはない。専ら研究に従事し、気長に問診して患者一人一人に合わせた薬の処方を考える、といった(彼に言わせると)()()なことは一切してこなかった。下手をすれば、患者ではなく『研究体』として扱われそうだ。

 しかしトーマスはそんな弟の不安を見抜いていた。

 

「さすがに僕だって、かのヴァルナル・クランツのお膝元のレーゲンブルトで、彼の息子相手にあれこれ実験しようなんて考えないよ。命は惜しいんでね。ちゃあんと、主治医様のお言いつけ通りに診察して、用法用量守って投薬もします」

「レーゲンブルトじゃなかったら、どうするつもりなんだ……」

 

 ビョルネ医師はどうも気になったが、一方で帝都行きはやはり魅力的だった。この数年、アールリンデンやレーゲンブルトといった北東のグレヴィリウス領内を巡るばかりで、最新の知識や手技などの習得は捗々(はかばか)しくない。黒角馬(くろつのうま)研究班が来たので、彼らから情報を聞く事は出来たが、やはり医師としては物足りなかった。彼らはトーマスと同じ研究者であって、医者ではなかったから。

 ビョルネ医師は思いあぐねた末に、ヴァルナルに(はか)った。

 

「先生がいらっしゃらないのは心許ないことではあるが……確かに、医師として技術の研鑽や新たな知識の習得は必要なことであろう。ましてオリヴェルの治療の一助となることも考えてのことであるならば、私が無理に引き止めることはできない。トーマス先生もまた医師免許をお持ちであるならば、心強いことではあるし、先生が彼に任せることを容認されるならば、私は反対しない」

 

 ロビン・ビョルネ医師は悩んだ末に、自分もまた近侍らと一緒に帝都に行くことを決めた。一度決めたあとの行動は素早く、しかも入念であった。常備薬と頓服薬の処方箋のほかにも、診察の際のチェック項目などの書き記した指示書の作成、それまでのオリヴェルの症状などを(まと)めた病診録(カルテ)の複写。

 出発する直前にこれらの文書を受け取ったトーマスは、内容を含めたその膨大な質量に目を丸くした。

 ()くして、オリヴェルの病診録(カルテ)を持ったビョルネ医師と共に、オヅマたちは旅立つことになった。

 

「夏の頃には我らも向かいますゆえ、あちらで吉報を聞けることを楽しみにしております」

 

 ヴァルナルからの激励に、アドリアンはそこはかとない自信を滲ませて頷いた。

 

「当然。公爵閣下の成績は超えるつもりだ」

「それは……大層なことにございますね」

 

 ヴァルナルの返事には苦いものが混じった。

 快活に言うアドリアンの顔には、父である公爵に対してのわだかまりはなくなっていたが、それが故に彼の中で、もはや父公爵に対して肉親としての情を捨て去ったのが明白であった。

 

「大丈夫? テリィ。ビョルネ先生も」

 

 オリヴェルが心配そうに尋ねた二人は、出発直前までオリヴェルの病診録(カルテ)の複写作業をしており、寝不足でフラフラだった。

 

「ハハ……大丈夫大丈夫。僕、馬車に乗って慣れるまでは気分が悪くなるから、いっそこのまま眠れそうなんでちょうどよかったよ」

 

 テリィは血走った目で笑ったが、どこか虚ろであった。隣に立つビョルネ医師はもう舟を漕いでいる。オリヴェルは申し訳なく思いつつも、自分のために頑張ってくれた二人の気持ちが嬉しかった。

 

「僕、頑張って薬飲んで、元気になるよ。テリィの言っていたお芝居も観に行きたい!」

「うん。今季の演目でいいのがあったら、手紙で教えてあげるね」

 

 名残惜しそうに別れの言葉を交わす二人を見て、オヅマがつぶやいた。

 

「テリィさん、そんなの観てる暇あんのかね……?」

「まったくだ。ルティルム語の小論文だって、結局まとめられていないっていうのに」

 

 マティアスも厳しい目を向けたが、仲良くなった二人の別離に割って入るのは控えた。オヅマもマティアスも、それまで泣き虫のお調子者だとばかり思っていたテリィが、意外に友情に篤いことを知って、驚くと同時に頼もしさも感じていたのだ。

 

「たまには手紙を書いて頂戴よ、お兄ちゃん」

 

 マリーに言われて、オヅマは「気が向いたらな」と返事してカイルに跨がる。

 

「あの……オヅマさん。お手紙、送ってもいいですか?」

 

 おずおずと尋ねるティアに、オヅマが返事するより早く、アドリアンが答えた。

 

「構わないけど、オヅマは筆無精だから滅多と返事も書かないし、書いたとしても三行で終わるよ」

 

 多少恨みがましい口調になってしまうのは、自分がそういう手紙をもらったせいだろう。マリーは隣で寂しそうにうつむくティアを見て、軽く息をついた。

 

「もう。アドルってば。ティアはお兄ちゃんに聞いていたんだから、ちゃんと話をさせてあげてよ」

「え?」

 

 アドリアンがキョトンとなり、オヅマは首をひねった。

 

「アドルの言う通りだぞ。俺、滅多と書かないからな。ま、詳しいことはアドルに聞いておいてくれ」

「そーいうことじゃないのッ! いい、お兄ちゃん! 私よりも先に、絶対に、いっちばん最初に、()()()()手紙を書いてあげてちょうだい!!」

 

 妹のいつにない剣幕に、オヅマはやや鼻白みつつ一応頷いた。それ以上、何か言われる前にカイルの手綱を掴んで、クルリと半回転して歩き出す。

 

「ちゃんと書いてよーッ!」

 

 まだ背後でわめいている妹にヒラヒラと手を振って、オヅマは帝都への道を進み出した。

 

 

***

 

 

 レーゲンブルトから帝都に向かうまでの間に、当然ながらアールリンデンにも立ち寄ったが、アドリアンはついぞ父親と会うことはなかった。向こうから来いと命令されれば行ったであろうが、言われない限りは特に挨拶する必要もないと考えていた。

 テリィ以外は荷造りもさほどになかったので、三日ほどの滞在の後、一行は出発しようとしたが、見送りにやって来た家令のルンビックがアドリアンに小さな箱を差し出した。

 

「なんだ?」

 

 アドリアンが(いぶか)しんで尋ねると、家令は少し言いにくそうに、

 

「公爵閣下からの贈り物にございます」

 

と答える。

 アドリアンは眉間に皺を寄せたが、なんらの装飾もないその箱を見て、それが店かどこかで買ったようなプレゼントの類でないのはすぐにわかった。もしそうなら丁重に受け取りを拒否したことだろう。

 老家令の真摯(しんし)な眼差しに負けて、アドリアンは箱を受け取った。すぐに中身を確認すると、青地の布の上にやや古ぼけたようなペンダントが入っている。何気なく取って、側面にあった小さな突起部分を押す。カパリとペンダントの蓋が開き、中には公爵夫人であるリーディエの細密画が嵌め込まれてあった。

 鴇色(ときいろ)の豊かな髪を胸に垂らし、やさしげな青い瞳が柔らかく微笑んでいる。

 アドリアンは無表情に見つめて、パチリと蓋を閉じた。

 

「これは、公爵閣下のものではないのか?」

「左様にございます」

「持っておけということか?」

「……左様に、ございます」

 

 冷たい顔で尋ねる小公爵に、ルンビックは苦い思いを噛み潰しながら同じ言葉を繰り返した。

 遡ること五ヶ月前。とうとう小公爵は父である公爵に対して、亡き母について言及した。後日になってから、このことを公爵の腹心であるルーカス・ベントソンから聞いた老家令は、自らもまた不甲斐ない大人の一人であったことに慚愧(ざんき)した。

 公爵夫人リーディエが死亡した頃は、ルンビックもまた大事な一人息子を亡くしたばかりであった為に、公爵の哀しみと自らの悲嘆を同一化していたのだろう。そのせいで、まだ幼かったアドリアンに対して無関心な公爵を(いさ)めることもせずにいた。やがて公爵の怒りが自分に及ぶことを恐れた日和見と、常態化したその状況に馴れて、奇異を感じることもなくなっていった……。

 

「あの小僧……大人のくせして、子供に甘えるなと言っていた。反論できないな」

 

 ルーカスからオヅマの言葉を伝え聞いた老家令は、それこそその時になって初めて、死んだ息子からガツンと叱られた気分になった。長く生きて経験を積み重ねたつもりでいても、老人もまた未熟者となり得るのだ。

 

「ルンビック」

 

 アドリアンに声をかけられて、ルンビックは下げていた頭を上げた。

 

「公爵閣下に確かに受け取りましたと、お伝えしておいてくれ」

「…………かしこまりました」

 

 短い言葉の中に、ルンビックはまだかろうじて父子の絆の可能性を感じた。じわりと涙が目の端で震えたが、スンと(はな)をすすって、いつものごとく鹿爪らしい顔に戻る。

 

 アドリアンは箱にペンダントを戻すと、馬車に乗り込んだ。

 少し遅れてマティアスとテリィが乗り込んでくる。騎乗して護衛するオヅマとエーリクを除いて、近侍は小公爵と一緒の馬車に乗ることになっていた。

 

「あれ? その箱はなんですか?」

 

 ヨイショとマティアスの隣に腰かけたテリィが、座席の隅に置いた箱を見て尋ねてくる。

 アドリアンは箱をしばらく物憂げに見てから、マティアスに預けた。

 

「鞄にしまっておいてくれ」

「よろしいのですか?」

 

 ルンビックとのやり取りを見ていたマティアスは尋ねたが、アドリアンはそれ以上何も言わなかった。言われた通りにマティアスがアドリアンの手持ち鞄に箱を入れたタイミングで、馬車が動き出す。

 

 レーゲンブルトを発つときには、それこそ馬車窓から名残惜しそうに手を振っていたアドリアンだが、このアールリンデンでは窓の外を見ることすらなかった。

 三日間、滞在しただけでも、アドリアンにはわかった。

 五ヶ月前にアールリンデンを出てレーゲンブルトに行くときには、公爵に対してアドリアンが物申したことが使用人達に伝わって、彼らの態度も少しは改まったように思えた。が、再び戻ってきたアドリアンに対し、彼らはやはり冷たかった。型通りの礼儀を示しながらも、些細な嫌がらせ ―― 寝室の部屋の灯りが質の悪い獣脂蝋燭になっていたり、用意してもらった靴がすでに小さくなっていたものだったり ―― は、相変わらず続いている。

 結局、何も変わらないのだ。この公爵邸の人間は。おそらく彼らの多くはハヴェルに懐柔されており、今後も彼のためにアドリアンを(おとし)めるのだろう。

 いつか自分が公爵となれば、彼らに解雇という制裁を与えることができる。だが、そのためには公爵にならねばならない。あの薄ら笑いを浮かべる従兄弟を、徹底的に追い落とさねばならない……。

 

 アドリアンは揺れる景色を見つめた。

 遠くグァルデリ山脈が霞んで見える。

 帝都のアカデミーで学ぶのも、よりよい成績を修めるのも、すべては公爵という力を得るためだ。父からただ与えられるだけでは、グレヴィリウスを治めることはできない。大公爵ベルンハルドのその時から決められたように、この公爵家において主となるためには、並び立つ者を粛清せねば認められないのだ。

 

 アドリアンは深く息を吸い、目を閉じた。

 瞼裏にさっき見た母の姿が浮かんだが、それを切り裂くようにアドリアンは目を開いた。陰鬱な目は、およそ十二歳の少年とは思えぬ冷たさを孕んで、故郷の空を見つめていた。

 

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