昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二百三十三話 グレヴィリウス寮の面々(1)

 レーゲンブルトからひと月以上かかってようやく帝都に着いた小公爵一行は、ひとまずは帝都の公爵邸で旅の疲れを癒したが、そこから更に引っ越しせねばならなかった。

 

 帝都はヤーヴェ湖の半島にある皇宮(こうぐう)を中心として、三日月型に大きく弧を描いた隔壁によって守られている。一番内側にある最も古い隔壁は、白剛石という硬石を積み上げて作られた外観から白楼壁とも呼ばれ、都市機能は概ねここに集中している。この白楼壁内がいわゆる都で、主立った貴族らの屋敷があるのもこの中だ。当然ながらグレヴィリウス公爵邸も郭内の、貴族区画であるメンセ川北岸に最も広大な邸宅を構えている。

 帝都の隔壁は、その都市の拡大に伴って二重、三重になっていったのだが、アカデミーは一番新しい三番目の壁 ―― 通称、赤楼壁を少し歪ませるような形で、ぎりぎり隔壁内に建っている。というのも元々アカデミーは帝都の郊外にあったのだが、先代のシェルスターゲ皇帝の時代に、猛威を振るう伝染病を堰き止めるためという理由で、新たな隔壁が作られることになり、無理やりアカデミーを郭内に入れ込む形で造成されたのだった。

 ちなみに白楼壁内を白郭(フェムト)、その次にある青楼壁内を青郭(ヴァーゼント)、赤楼壁内を赤郭(ミァント)と通称する。

 この赤郭(ミァント)の端にあるアカデミーに、白郭(フェムト)にあるグレヴィリウス公爵邸から通えないこともないが、直線距離でもおよそ七里近くあるため、毎日通学するのは難しい。そのためグレヴィリウス家では、公爵継嗣用の寮を特別にアカデミー内に作った。(無論、そのために莫大な寄付を行ったのは言うまでもない。)

 アドリアンを始めとする近侍らも、そのグレヴィリウス寮へ入らねばならない。

 

「でも、継嗣用だったとしたら……前に公爵閣下が卒業してからは、ずっと空き家だったってことか?」

 

 向かう途中、カイルに騎乗して進むオヅマの問いに、隣で馬に乗って歩いているマティアスがいつものように鹿爪らしく答えた。

 

「継嗣が不在の場合においても、グレヴィリウス家門の子弟であれば入寮できることになっている。公爵家から特別許可を受けた給費生などもいる」

「じゃあ、先客がいるってことか」

「客じゃないだろ。先輩だよ、どっちかというと……」

 

 アドリアンが背後から声をかける。

 今回は持ち馬を連れて行くこともあって、テリィ以外は全員騎乗して、寮に向かっていた。テリィも最初は騎乗していたのだが、振り落とされそうで危なっかしいという理由で、自分が持って行く大量の荷物と一緒に馬車に押し込められている。

 それはさておき。

 マティアスはアドリアンの言葉に頷いてから、説明を続けた。

 

「現在、グレヴィリウス寮を取り仕切っているのは、アルテアン侯爵の五男、ヘルフリッド・ペルヴォ・アルテアン公子だ。確か年は十七歳……」

「十七? え? 年明けて十七歳ってことか?」

「いや、来年には十八になられる……はずだ」

「成人してんじゃん。なんでいるんだよ、その人」

 

 通常、アカデミーに入る貴族子弟は十三歳で入学し、十七歳の成人を迎えるまでに、アカデミーを卒業することとされている。もちろん相応の成績を修めないと卒業できないので、中には落第する者もいたが、その場合はアカデミーから在籍証明書だけもらって自主退学するのが通常であった。

 ちなみにエーリクは来年で十七歳になるが、近侍として入学する場合、扱いは『学友待遇』となるため、アドリアンを基準として考えられる。この場合、成人で卒業という慣例は当てはまらない。

 要はヘルフリッド・アルテアンがまだアカデミーに残っている理由は……

 

「なに、そのヘルフリッドとかっていう奴、馬鹿なの?」

 

 あけすけに尋ねられても、マティアスは迂闊に答えられなかった。

 四年の在籍で卒業要件を満たせず、まだアカデミーに居座っているというのは、いわば『馬鹿』だと自ら認めているようなものだ。マティアスにもヘルフリッド・アルテアンが何を考えているのかわからなかった。自分であれば、恥ずかしくて早々に退学願を出している。

 

「どういうつもりなんだろう? マティ、ヘルフリッド公子に会ったことは?」

 

 アドリアンも腑に落ちない様子でマティアスに尋ねた。

 

「いえ。それが、一度も見たことがありません。この数年、僕はグレヴィリウス家の夜会に参加しておりましたが、アルテアン侯爵の子息で見たことがあるのは、その五男以外です」

「単純に(パーティー)が嫌いなんじゃねぇの? 俺も行きたくないし。お前もそうだろ? アドル」

 

 オヅマの問いに、アドリアンも深く頷く。

 グレヴィリウスの夜会であろうが、他の貴族家の園遊会であろうが、なにせ出るとなれば準備に手間がかかる上に、(パーティー)そのものは退屈極まりないのだ。行かなくて済むなら、行きたくないというのが本音のところだが、グレヴィリウス公爵家の継嗣の立場上、すべての宴に欠席することもできない。今年はアカデミーの受験ということで特別に免除されたが、来年には参加を命じられるだろう。

 

「でも、もしそうなら、話が合わないこともない、のかな?」

 

 アドリアンがそこはかとない希望を滲ませて言うと、隣に並んでいたエーリクが固い声で進言した。

 

「しかし警戒はしておく必要はあります。アルテアン侯爵といえば、先年、小公爵様の命を狙ったダニエル・プリグルスと縁のあった者です」

「あの野郎と?」

 

 オヅマは思わず振り返ってエーリクを見た。

 剣呑たる光を帯びるのは、自らがその男の首を斬ったことよりも、マリーとオリヴェルを誘拐したことを思い出したからだ。

 だが当事者の一人であるアドリアンは冷静に言った。

 

「アルテアン侯爵自身があの事件と関わりのないことは、調査で明らかになってる。縁があったと言っても、娘の婚約者だったというだけのことだし、その娘も絶縁したという話だから、おそらくヘルフリッド公子に関わりはないだろう」

「わかるかよ。その娘ってのは、ヘルフリッドにとっちゃ姉だろ?」

「異母姉だよ。アルテアン侯爵は正妻の他に側室を三人持っておられるからね。子供の数は十人を下らなかったはずだ。愛人に生ませた庶子も含めたら、もっといるんじゃないかな?」

「…………ご熱心なことで」

 

 オヅマがあきれかえって溜息をつくと、マティアスがまた渋い顔で咎めた。

 

「そういう破廉恥なことを考えるんじゃない」

「破廉恥ってな……お前が、勝手に想像して赤くなってるだけだろ」

「なっ、だ、誰がッ……想像なんかしてないッ」

「耳まで真っ赤にしておいて、何言ってんだよ。っとに、このムッツリスケベが」

「おっ、おっ、オヅマあぁぁーッッ」

 

 アドリアンとエーリクはいつものごとく始まった喧嘩に、もはやいちいち反応しなかった。

 

「エーリクは、会ったことは?」

「ございません」

 

 目の前の騒がしい光景そっちのけで、話を続ける。

 アドリアンは軽く嘆息した。

 グレヴィリウス寮では継嗣のいない間、家門の中で一番高位の爵位を持つ家の子弟が、寮内の自治を監督することになっている。ヘルフリッドが通常の入学時期に入ったとすれば、およそ五年間は寮を取り仕切っていたことになる。

 

「反発されるかなぁ……?」

 

 ただでさえグレヴィリウス家門の中で、アドリアンの地位は不安定だ。

 ハヴェルのように有力貴族の後ろ盾を持たない上、唯一の拠り所といっていい父公爵までもが息子を忌避しているのだから、当然(あなど)られる。まして母の実家の風聞(*外祖父が皇室費横領罪で逮捕)もあって、近侍らが来るまでの間、アドリアンと親しくなろうなどという貴族子弟は家門に限らず、ほぼ皆無だった。彼らは口さがない大人達の噂話を信じて、アドリアンを自分たちより下の人間と見做したのだ。

 しかし入寮すれば、当然ながらアドリアンが寮長となる。自分よりも年上の人間であろうと、時には注意もせねばならないだろう。果たして彼らがおとなしく言うことを聞くのかどうか……。

 アドリアンの懸念を見透かしたように、オヅマが振り返って言った。

 

「グダグダ言うようだったら、マティがそれこそネチネチと言い返してくれるさ。それでもうるせぇことホザくなら、俺とエーリクさんで()()()()()言い聞かせてやるよ」

「……刃傷(にんじょう)沙汰は御免なんだけど」

「あとが残らないようにすりゃいいんだろ」

「…………エーリク、オヅマをちゃんと見張っててくれ」

「御意」

「おいっ! なんでそうなるんだよ。俺は励ましてやってるってのに!」

 

 文句を言うオヅマに、またもマティアスが叱りつける。

 

「お前が不穏なことを言うからだろうが! だいたいネチネチとはなんだ!? 小公爵様に対して不敬に接していれば、注意するのは当たり前だろうが」

「なんだよ、皆して。あっ、そうだそうだ。こういうときこそブルッキネン方式だ。最初が肝心ってな。どうせ向こうについたら、寮の奴ら集めて挨拶するんだろ? そのときに一発カマしてやれ」

「一発……カマす?」

 

 アドリアンは聞き慣れないが、どうもあまりよろしくなさそうな気配のする言葉に眉をひそめた。同じようにマティアスも苦い顔になる。

 

「どうしてお前はそういう汚い表現を」

「うるせぇなぁ。お前がやってたことだろ、マティ。例のアレだ、アレ。『僕はマティアス・ブルッキネン。ブルッキネン伯爵の息子で、グレヴィリウスの鉄の(くわ)……』

「『グレヴィリウスの青い(ほこ)』だーッ! 一番大事な部分を間違えるなーッ、この馬鹿!!」

「あぁ、それそれ。そういうの。お前もやりゃいいんだよ、アドル。俺はグレヴィリウスの正統なる後継者だーっ、て」

「…………まぁ、普通にするよ」

 

 アドリアンは曖昧に笑って受け流した。

 一発カマすというのは措くにしろ、それなりに威厳を持って接さないと、おそらく途端にナメてかかってくるだろう。

 グレヴィリウス家門内で、侯爵家は二つ。

 ハヴェルのいるグルンデン侯爵家と、アルテアン侯爵家だ。

 公爵家に次ぐ威勢を誇る家門の人間であれば、公爵家の継嗣が相手であろうが、そう簡単に膝を屈することもないはずだ……。

 

 緊張と覚悟にアドリアンは身を固くして、いざアカデミー内のグレヴィリウス寮へと向かったが、待っていたのは予想外の事態だった。

 

 

***

 

 

「お願いします!!」

 

 扉を開けると、そこには床に這いつくばって頭を下げている男がいた。

 アドリアンもオヅマら近侍たちも言葉をなくし、しばしその男をまじまじ見つめた。

 

 一応、着ているものからすると、高い身分の人間なのだろう。絹のシャツに、首には艶やかな濃緑のクラバットを金のピンで留めてある。金糸の混じった上質な織の上着も着慣れた様子であった。

 だがなによりもオヅマたちの度肝を抜いたのは、彼の頭髪であった。

 つまり……丸刈り、なのだ。いわゆる毬栗(いがぐり)頭。

 剃ってからしばらく経っているのか、茶色の髪が伸び始めていて、まるで人足(にんそく)のようだった。(人足らは普段から汗をかくことが多いため、衛生面から丸刈りにする人間が多かった)

 おそらくグレヴィリウス寮にいて、こうして真っ先に出迎えるのであれば、まがりなりにも貴族子弟であるはずなのだが……肉を蓄えた貫禄のある姿もあいまって、もはや()()というよりも、通いの商人といった風貌であった。

 

 アドリアンは戸惑いながらも冷静に、目の前で土下座している男に呼びかけた。

 

「あの……ひとまず顔を上げてください」

「いえ! 一度では上げられませんので!」

 

 確かに自分よりも尊い人間に対して、一度の呼びかけで顔を上げるのは不敬とされるが、頭を下げる側の人間がこうして堂々と理由を言うのもおかしな話ではあった。そもそもアドリアンはこの風習を嫌っている。

 

「いいですから。僕はそういう意味のない礼儀を求めません。顔を上げて、きちんと自己紹介していただけますか?」

 

 男は許しを得た途端に、バッと顔を上げた。

 大柄な体つきを裏切らない、どこかもっさりした印象の、それこそ口周りの髭がうっすら伸びている姿からしても、ますます市場で忙しく働いている人足であった。口元に追従の笑みをたたえ、小さな茶色の瞳をパチパチ瞬かせて、アドリアンを見上げてくる。

 

「どうも! お初にお目にかかります!! 私はヘルフリッド・アルテアン。先だって公爵閣下の逆鱗に触れて、銀山を一個取られて大泣きに泣いてるアルテアン侯イゴールの五人目の息子。以後、お見知りおきを!」

 

 まるで芝居の文句のようにおどけた様子で語る姿は、それこそ今度は広場で聴衆相手に語り聞かせる巷談(こうだん)弁士(べんし)さながらだ。

 呆気にとられるアドリアンの横で、警戒していたオヅマはブッと吹いた。

 

「なんだよ、オッサンじゃん! ちょっと待って。アンタ、本当に十七歳? 二十ほどサバよんでない?」

 

 オッサンと呼ばれ、ヘルフリッドはいかにもしょぼくれたような顔になると、愚痴っぽく言った。

 

「自分でも鏡を見るたびに同じことを考えるんですがね。間違いなく、母は俺を二十旬節の藍梟(ランキョウ)の年、クソ寒い吹雪の冬の日に産んだと申しておりましたよ。十歳(とお)を一つ、二つも越した頃には、兄らの背に追いついて、客が私を見ては嫡男と間違えて挨拶してくるもんで、長男には恨まれるしで、なかなか大変だったんですよォ、オヅマ公子」

「ふぅん、なるほどね」

 

 オヅマは相槌を打ちながら、油断なくヘルフリッドを見た。

 おそらく既にヘルフリッドはこちらについて()()()()なのだろう。オヅマの顔を見ただけで、名前を言ってくるようであれば。しかもそれを隠そうともしていない。

 チラ、とアドリアンのほうを窺うと、目が合う。どうやらアドリアンも似た判断をしたようだ。

 ゆっくりと瞬きしてから、穏やかな口調でヘルフリッドに声をかけた。

 

「初めまして、ヘルフリッド公子。立ってください。あなたには寮内のことなど、伺いたいことが沢山あるので」

「おぉ! もちろんです!」

 

 ヘルフリッドはすぐさま立ち上がった。どっしりとした岩のような外見に反して、動きは敏捷だった。意外に背丈はそれほど高くなく、オヅマとそう変わらない。

 

「ようこそ、ようこそ! 小公爵様。いや、お待ちしておりました!! 早速、お部屋にご案内致しましょう!」

 

 揉み手せんばかりに愛想を振りまいて、ヘルフリッドはアドリアンを階上へと促す。

 アドリアンは内心、やりにくかった。

 あからさまな敵意であれば、いなすなり、やり返すなり、今後の付き合い方の方針も立てやすいが、ヘルフリッドのように本心の見えない歓待は、相手しつつも警戒をせねばならない。正直、アカデミーでの勉学のことだけでもいっぱいいっぱいであるのに、これ以上考えねばならないことが増えるのは御免蒙りたい……。

 

「小公爵様のお部屋はこの()()の間は開かずの間となっている、世嗣様用の部屋です。今回の入寮に合わせて、公爵邸から召使いどもが大勢やって来て、それはそれは綺麗にしていきましたよ」

 

 ヘルフリッドは話しながら暗い廊下を通ってゆき、グレヴィリウス家の紋章が彫刻された、重厚なオークの扉の前で止まった。ポケットから鍵を取り出して、ガチャガチャと回す。

 

「五年?」

 

 すぐさま違和感に気付いて、アドリアンは聞き返した。

 継嗣用の部屋であるならば、本来、父公爵が卒業してから二十六年間、空室でなければおかしい。

 しかしヘルフリッドは「えぇ」と快活に頷く。

 アドリアンが疑問について問う前に、その答えが目の前に示された。

 二枚の扉が大きく開いた途端に、公爵夫人・リーディエの肖像画が出迎えるように現れる。

 アドリアンの顔が一気に険しくなった。

 

「…………」

 

 こちらに向かって笑いかけるその肖像画を睨みつけながら、アドリアンは部屋へと入っていく。オヅマも後に続き、扉正面の壁にある、にこやかに微笑む公爵夫人の絵に首をひねった。

 

「なんだ、あれ? なんだって公爵夫人の肖像画なんか架けてるんだよ?」

「小公爵様のお部屋に、ご母堂の肖像画を飾ることの何がおかしい?!」

 

 鋭く断ち切るように言い返され、一同が振り返ると、そこには三人の少年が立っていた。

 

「おぅ、オットー。なんだ? 今日の授業は終了か?」

 

 ヘルフリッドが気安く声をかけると、オットーと呼ばれた薄茶色の髪の少年がフンと鼻をならした。

 

「畏れ多くも小公爵様がいらっしゃるのであれば、ご挨拶せぬわけにもいかないだろうからな」

「んーなこと言ってぇ。また提出物でも忘れて、先生にしこたま怒られてやる気なくして帰ってきたんじゃないのかぁ?」

 

 ヘルフリッドがニヤニヤ笑って言うと、オットーは気まずそうに黙りこんだ。どうやら図星らしい。

 ヘルフリッドはカラカラ笑って、アドリアンに紹介した。

 

「あぁ、小公爵様。こちら、サボリ常習犯のオットー・ニーバリ。ニーバリ伯爵の息子でございます。あとの二人はオットーの腰巾着として覚えておればよろしい」

「なっ、し、失礼なっ」

「いくらアルテアン侯の息子とはいえ、そのような言い草……!」

 

 オットーの背後で目立たぬようにしていた二人がムッと言い返すと、ヘルフリッドは面倒そうにヒラヒラ手を振った。

 

「そんなに言うなら、小公爵様にご挨拶すりゃいいじゃないか。ホレ、さっさとしろ。さっさと」

 

 二人は水を向けられると途端に気まずそうに譲り合ったが、チッと舌打ちするオットーに急かされるように、明るい茶色髪の一人が先に名乗った。

 

「ラドミール・オルグレン。父はセバスティアン・オルグレン男爵だ」

「オルグレン?!」

 

 アドリアンとオヅマ、マティアスとテリィもほぼ同時に聞き返す。

 エーリクがボソリと言った。

 

「……キャレの兄か」

 

 無表情の中に、そこはかとない圧力を滲ませたエーリクに、ラドミールは半歩後退(あとずさ)った。

 

「あぁ、そういえば小公爵様のところには、オルグレン家の()()が近侍として上がっておりましたね」

 

 オットーが揶揄(やゆ)もあらわに言うのを、アドリアンはすぐに訂正した。

 

「失礼ながら、オットー公子。キャレは近侍として上がるにあたって、きちんと正式な手続きを経て、嫡出認定されていました」

「フン。その庶子上がりの近侍にも逃げられるとは、小公爵様の器量を疑われる事態ですよ。ハヴェル公子であれば ――― 」

「オルグレン家の事情と、僕の器量のどちらがキャレの選択を左右したのかは、当人に問うしかないでしょうね。そう思いませんか、ラドミール公子?」

 

 アドリアンはにこやかに、オットーの嫌味をラドミールに差し向ける。微笑みつつも冷たく自分を睨む鳶色(とびいろ)の瞳に、ラドミールはさっと目を伏せた。

 

「それで、隣のは?」

 

 オヅマが先を促すと、ラドミールの隣にいる金髪の男がおずおずと挨拶した。

 

「は、初めまして。私はリヒャルト・フリーデル。父はハンス・フリーデル子爵です」

 

 自己紹介が済んだところで、アドリアンはオットーらに背を向け、ヘルフリッドに問いかけた。

 

「公爵閣下の後、この部屋にいたのは?」

「ハヴェル・グルンデン公子です」

 

 ヘルフリッドの言葉にかぶせるように、オットーが背後から大声で叫んだ。

 

「当然のことでしょう! ハヴェル公子は、グレヴィリウス公爵家の後継者の資格があるのですから!」

「えぇ。ここを使うことを公爵閣下が認めたのであれば、僕から言うべきことはありません」

 

 アドリアンは公爵夫人の肖像画を見上げたまま、つぶやくように言うと、クルリと振り返る。先程までのにこやかな表情と打って変わって、現公爵を彷彿とさせる冷厳な表情に、オットーはゴクリと唾をのんだ。

 

「しかし部屋の内装は、僕の自由にしてもよいでしょう。公爵夫人の肖像画は必要ありません。すぐに取り外してください。丁度良い。オットー公子らに頼みます」

「な、なんで僕らがそんなことを! 召使いのすることだろう!?」

「ハヴェル公子にとって、大事な公爵夫人の肖像画であれば、従僕などに任せて手荒に扱われるのは、我慢ならぬことでしょう。オットー公子であれば、きっと迂闊に落とすような真似はなさいませんよね?」

 

 柔らかく問いかけるアドリアンの圧力にオットーはうろたえつつも、必死になって言い返した。

 

「ふ、フン! ハヴェル公子は血の繋がらぬ仲であっても、公爵夫人への恩義を忘れぬためにこうして絵を飾っていらっしゃったというのに! 実の息子の小公爵が、ご自分の母上を敬われぬとは……薄情な息子に、公爵夫人もあの世で泣いておられることでしょう!!」

 

 しかしオットーの嫌味に、アドリアンの表情が揺らぐことはなかった。冷気を孕んだ眼差しが、静かにオットーを見据える。

 

「心配なさらずとも、我が母も覚えている息子はハヴェル公子だけでしょう。抱くこともなかった息子のことなど、知りもしない。僕も同様です」

 

 オットーだけでなく、その場にいた全員が押し黙った。自分の母に対して苛烈ともいうべき無関心を示したアドリアンに、皆が圧倒され、気まずく目を伏せる。

 

 ふぅと溜息をついて、重苦しい沈黙を解いたのはオヅマだった。スタスタと肖像画の前まで歩いて行くと、壁から絵を外し、扉近くに控えていたサビエルに渡した。

 

「公爵邸に送ってくれ」

「畏まりました」

 

 サビエルが肖像画を受け取って出て行くと、オットーは唖然としていた自分を誤魔化すかのようにフンと鼻息も荒く言い放った。

 

「小公爵様は親不孝を隠しもせぬらしい。公爵夫人もお可哀想なことだ!」

 

 そのまま出て行くオットーらを、アドリアンは無言で見送った。

 

 また気まずく落ち込みそうな空気をかき回すように、ヘルフリッドがハッハッと大袈裟に笑った。

 

「いやぁー、どうにも(しょ)(ぱな)からピリピリしてしまいましたね! さっ、残りの寮生は授業を終えたら随時紹介するとして、ひとまずは小公爵様と近侍さんたちの部屋をご案内しましょう!」

 

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