昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二十二話 ルーカス・ベントソン登場

「……頂きました髪留めは大事にしまっておきます。お帰りなられましたら、お返ししますので……」

 

 カールはそこで読むのを止めた。目の前には、わかりやすくガックリと落胆した主の姿がある。

 

「カール……」

「言いたいことはおおよそわかりますが、今ここで私に文句を言っても解決はしません」

「お前に文句を言う気はない。お前にも、ハンネ嬢にも随分と世話になったと思う」

 

 最終的にはカール一人の手に負えなくなってきたので、妹にも手伝ってもらって選んだのだが、結果は完敗…(何をもって負けたとするのか不明だが)…だった。

 やはり同じ女とはいえ、嫁入り前の若い娘よりは、既婚の姉に頼んだ方が良かったのかもしれない。

 カールは気楽に物言える妹に頼んでしまったことを後悔したが、姉の助言があったとしてもミーナの態度が変わることなどあるのだろうか……?

 

「しかし…こうまではっきりと断られたのであれば、潔く諦めた方がいいと思う」

 

 ヴァルナルは顔を上げて言ったものの、その表情を見る限り、未練が残っているのはありありと見えた。

 

「無論、そうできるのであれば、それが理想ですね」

「お前…どうしてそう意地の悪いことを言うのだ?」

「ヴァルナル様が娼館に入り浸ったり、昼日中から人妻と虚々実々の恋を楽しむような輩であれば、割り切って忘れることは可能でしょうが…そういうものでもないでしょう?」

「随分と…慣れた物言いだな」

「私も無骨者ですが、多少なりと、経験はあります。一番よろしいのは会わないことですが、そうなると領地に戻った時にミーナ殿を解雇することになりますね」

「そんなことできるか!」

「そうですね…私も、オヅマを手放すのはどうかと思います。ミーナ殿が出て行くとなれば、オヅマは必ず従うでしょうし」

 

 カールにとっては、正直ミーナとヴァルナルの事情そのものよりも、そのことが原因でオヅマの騎士としての道が絶たれることの方が問題だった。

 人材はそう簡単に手に入るものではない。まして逸材は。

 現状において帝国内は平和であるが、未だに周辺諸国において不穏な動きをする者達はいる。また、戦が始まる可能性はいつでも有り得るのだ。

 

 カールが考えていると、コンコンとノックの音がして、すぐさま扉が開いた。

 

「おぅ…ルーカス」

 

 ヴァルナルが入ってきた金髪碧眼の男に気軽に声をかける。

 カールはジロリと睨みつけた。

 

「ノックの後、こちらが開けるまで待てないのですか?」

「遅いからだ」

 

 ほとんど間をあけずに答えてくる男に、カールはますます渋面になった。

 

 ルーカス・ベントソン。

 カールの兄であり、ヴァルナルとは騎士時代からの友人である。

 今はグレヴィリウス公爵の護衛騎士であると同時に公爵家直属騎士団の団長代理となっている。(団長は公爵本人である為、実質の団長と言っていい)

 

「騎士団再編の件で来たが……お前、なんだ? そのくたびれた情けない顔は」

 

 ルーカスは細い眉の間に皺を寄せ、ヴァルナルを容赦なくこき下ろす。

 

「いや…ちょっと……どうにもできないこともあるのだと…今更ながらに考えていたんだ」

「当たり前だろう。世の中思いのままに動かすことなど、皇帝陛下ですら無理なんだぞ。お前みたいな、騎士として生きていくしか能のない朴念仁の無骨者に、何をできることがあるというんだ?」

「うん…そうだな」

 

 ヴァルナルが一層肩を落とす姿に、カールは苛々した。

 

「そこまで言うことないでしょう! ヴァルナル様も、ちょっとは怒ってください」

「部下に発破をかけられるとは、情けない上司だな」

 

 ルーカスはカールの方を見ようともしない。はなから相手する気もないらしい。部屋の主が勧める前に、当たり前のようにソファに腰を下ろす。

 

「だいたい…お前と似たりよったりの、この朴念仁の弟なんぞの意見を参考にするから、うまくいくものもいかないのだ」

 

 カールはヒクヒクと頬を引き攣らせた。思わず拳を握りしめている。

 

「なんでアンタがそれを知ってるんです?」

「ハンネになんぞ頼んで、口止めができると思うのか?」

 

 おしゃべりな妹から情報が伝わったのかと、カールは溜息をつく。

 一応、カールは余計なことを周囲に話すなと厳重に言い聞かせたのだが、この兄にかかって、あの単純な妹がうまく誘導されたのは間違いない。

 

 ピリピリとした兄弟のやり取りに、ヴァルナルが柔らかく割って入った。 

 

「まぁ、そう言うな。カールも色々と親身になって手伝ってくれたんだ」

「親身なって女にフラれて、一緒に青息吐息じゃ何の実りもないな」

 

 その通りだが、まったくもって同情というものが一欠片もない言い様である。

 

「だいたいのところは聞いたがな、ヴァルナル。お前、その女にちゃんと()()()()()のか?」

 

 心底あきれた口調で吐き捨てるようにルーカスが言うと、ヴァルナルは黙りこんだ。

 ルーカスは腕を組み、足を組んで、横柄な目線で旧友を見下す。

 

「そんなに眉間に皺寄せてるようじゃ、何もしてないな。せいぜい物を贈った程度だろ? 違うか?」

「一応、手紙は書いてる」

「何を? 息子についての礼と、帝都で起きたことの日報程度だろ?」

 

 ヴァルナルはチラとカールを見た。あわててカールは首を振る。

 冗談じゃない。どうしてこの兄に、ヴァルナルがミーナに送る手紙について話して聞かせる必要があるのだ?

 

「そんなことで弟を間諜に使うか。馬鹿馬鹿しい。お前の不器用をどれだけ()()()()()()()と思っているんだ?」

 

 カールは気づかれないように溜息をついた。

 こと、こうした色事について兄とヴァルナルでは、まったくもって勝負にならない。

 

「俺に言わせれば、今のお前はフラれてもいない。まったく相手にされてもいないんだからな」

 

 ルーカスに痛いところを確実に突かれて、ヴァルナルは額を押さえたが、しばらくしてフフッと笑った。

 

「まぁ、そういうことだよな」

「そうだ。一度や二度の失敗程度でやる気をなくすぐらいなら、最初から他人を巻き込んで悩むな。騎士だろうが、お前は。騎士の本分は?」

「行動あるのみ…だ」

「わかってるじゃないか。じゃ、再編の件だが……」

 

 結論が出ると、即座にルーカスは仕事の話を始める。

 その転換の早さにカールは内心で白旗を上げざるを得なかった。なんだかんだで、この兄には一生勝てない気がする。

 

 話が終わると、ヴァルナルは公爵に呼ばれて出て行った。

 

「さすがに…色々と手練(てだれ)であられる方の説得力は違いますね」

 

 立ち上がった兄に、カールは皮肉げに言った。

 ルーカスはまったく動じない。

 

「そうだな。少なくともお前よりは役に立ったろう」

「………ヴァルナル様は先の奥方のこともあって、慎重なのです。若君のこともあるし」

「その若君が一番に気に入っているのだろ、その女を」

「女…と呼び捨てにしないで下さい。しっかりした清廉な女性です」

「ほぉ。お前もぞっこんなのか? それで見合い話も断ったわけか」

 

 兄の笑えない冗談に、とうとうカールは敬語を忘れた。

 

「ふざけんな! ヴァルナル様の奥方にふさわしい女性ということだ!」

「フ…お前といいヴァルナルといい、最初の女が合わなかったからといって、いつまでも引きずり過ぎなんだ。ま、ヴァルナルの場合は、閣下の命令だからといって唯々諾々と結婚なんぞするからだ。あんなもの、補佐官が適当に選んできた女だったんだろうに…俺だったら上手く断ったろうな」

 

 だろうね! とカールは叫びたかったが、そんなことでこの兄は動揺などすまい。グッと抑え込んで、皮肉な口調で言ってやった。

 

「さすが三度も結婚された方の言うことは違いますねぇ~」

「迷惑だろうから、三度目は書類だけで済ませただろうが」

「それでも結局、離縁しただろうが!」

 

 いけしゃあしゃあと言う兄に、結局カールは怒鳴りつけた。

 ルーカスはにべなく答える。

 

「互いの自由を取っただけだ」

「物は言いようって…本当にアンタの為にある言葉だと思いますよ」

「それは光栄だ。今後とも大いに世話になるだろうからな」

 

 ニヤリと口の端を上げて出て行った兄を睨みつけて、チッとカールは舌打ちした。 

 これだから帝都に帰るのは嫌なのだ。

 あの兄はああやって楽しんでいる。

 いっそ、弟のアルベルトのように、教えてやらねば皮肉にも気づかないくらい鈍感であればこうも苛々しないのだろうが。

 





続けて更新します。

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