昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二十五話 思慮深き小公爵

 主な会場となっている広大な芝生の敷き詰められた園庭からは、少し離れた薔薇園の中での出来事であったようだ。

 

 グレヴィリウス公爵の長男であるアドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウス小公爵は、苦手な人混みを避けて、ひとり、人気のない薔薇園を散策していた。

 その姿を見かけたのが、ランヴァルト大公の息子であるシモン公子と、その取り巻きの少年達だった。

 

「おや、小公爵はこんなところで誰ぞと逢引でもするのかな?」

 

 シモンがおどけた口調で言うのを、アドリアンは無視した。

 正直なところ、そんな言葉を初対面の、しかも十歳(とお)の子供に言ってくる段階で、自分とは合わぬ部類の人間だということはわかる。見たところ自分よりは三つ、四つ年上のようだが、年上ということ以外での礼儀を必要とする相手ではない。

 

 シモンの方は、元々、初めて父である公爵に伴われて社交の場にやって来たアドリアンが、美男の父と瓜二つの容貌で、同じ年頃からやや年上の令嬢に至るまで、視線の的となっていることに猛烈な敵愾心を持っていたので、当初から仲良くするつもりもない。

 

「やれやれ…小公爵は初めてなので、僕が誰なのかもご存知ないらしい。挨拶もできぬとは、グレヴィリウス公爵家は、まともに息子の教育もしていないようだな」

「………存じ上げております」

 

 アドリアンは面倒に思いながら、シモンの胸元にあるブローチを見る。

 雄牛と鉤爪の鎖、椿の花の意匠は、モンテルソン大公家の紋章だ。

 

 実のところ、その時点でアドリアンは相手がどういう身分であるかを知った。内心では少々まずいことになったと思いつつも、表情は日頃からの鍛錬の成果で、平然としたものだった。

 

「シモン・レイナウト・シェルバリ・モンテルソン公子におかれましては、ご機嫌麗しく…」

「まったく麗しくない」

 

 シモンは憮然として言った。

 周囲の取り巻き達も、冷たくアドリアンを睨みつける。

 自分よりも明らかに年上の人間に囲まれながらも、アドリアンは無表情なままだった。

 

「ご不快にさせたのであれば、失礼します」

 

 素っ気なく言ってアドリアンはその場から立ち去ろうとしたが、その背に向かってシモンが明らかな侮蔑を含んで叫んだ。

 

「さすがは、あの母にしてこの息子だ! 罪人の娘などに(たぶら)かされて、グレヴィリウス公爵も落ちたものだな」

 

 静かに、アドリアンの怒りが沸騰した。

 踵を返すと、再びシモンの方へと歩き出す。

 

 目の前に立って、じっとりと見上げた。

 シモンは自分よりは年下であるはずのアドリアンの殺気を帯びた様相に、多少たじろいだが、フンと鼻で(わら)った。

 

「なんだ、小公爵。真実を言われて腹が立ったのか?」

「……撤回して下さい」

「なんだと?」

「あと一度しか言いません。撤回と謝罪を」

 

 言いながら、アドリアンは握りしめた拳の中で、爪が皮膚を破って血が流れてきたのを感じていた。

 

 しかし目の前のシモンと、その周囲の取り巻き達は変わらずヘラヘラ(わら)っている。

 

「謝罪だって? 僕が何を謝る必要があるというんだ? お前の母親が盗人の娘だというのは本当のことだし、お前が…」

 

 シモンが最後まで言う前に、アドリアンの握りしめていた拳が開いて、バシンとその頬を打った。

 まさか手を出されると思っていなかったシモンは、驚いたままよろけてその場に尻もちをついた。

 ぶたれた頬をそっと触ると、ぬるりと指に血がつく。

 

「ギャッ!」

 

 シモンは情けない声をあげた。

 

「シモン様!」

「大丈夫ですか?!」

 

 取り巻き達があわててシモンを取り囲み、血のついた頬をハンカチで押さえる。

 実際には、その血はアドリアンが拳を握りしめていた時のもので、シモンの頬から流れたものではなかったのだが、恐怖と驚愕で誰も冷静な判断ができなかった。

 

「貴様……」

 

 シモンは怒りのあまり、声が震え、言葉が出ない。

 

 アドリアンはみっともなく地面に座り込んだ年上の少年を、冷たく見つめていた。 

 その目には既に激昂は去っていた。だが、決して許すことのない強靭で冷徹な光が、静かにシモンを見据えている。

 

「亡くなった人を侮辱することは、最も恥ずべき行為です。シモン公子」

 

 アドリアンが静かに抗議すると、震えて声の出ないシモンの代わりに、取り巻き達が口々に文句を言った。

 

「何を言う!? 貴様こそ、公子様に謝れ!」

「そうだ! たとえグレヴィリウス公爵の息子であったとしても、大公の息子たる公子様に、何たる無礼だ!」

 

 騒ぎ立てる取り巻き達のお陰でか、シモン公子はようやく人心地がついたようだった。

 

「アドリアン・グレヴィリウス! 貴様、ただで済むと思うな!! お前ら、コイツの頭を下げさせろ!!」

 

 シモンが命令すると、取り巻き達は素早くアドリアンを囲んだ。

 

 背後にいた一人が肩を掴もうと手を伸ばしたところを、アドリアンはクルリと回転しながら蹴りつける。

 これまた、なぜだか彼らは反撃をくらうと思ってなかったらしい。薔薇の木を支える柱にぶち当たって、気を失った少年を見て、左右の少年達は顔を見合わせて青くなった。

 

 彼らにとって幸いだったのは、この時、割って入ってくれた大人がいたことだ。

 

「おやめください!」

 

 迷路のようになった薔薇園の隅でようやく、公爵の息子の姿を見つけたヴァルナルは、大声で少年達の喧嘩を止めながら、素早くアドリアンを守るように立ち塞がった。

 

「畏くも皇帝陛下の臨席される園遊会で、かような所行はお控え下さい」

 

 さっと見回し、尻もちをついたシモンの衿の紋章を見て、ヴァルナルは膝をつき頭を下げる。

 

「公子様。どうかこの場は寛大な心で…」

「そいつが先に手を出したのだぞ!」

 

 シモンは遮ってヴァルナルに怒鳴りつける。

 ヴァルナルは振り返って、アドリアンを見た。

 

 公爵の生き写しであるかのようなその面差しに動揺は見当たらない。鳶色の瞳は、じっとシモンを凝視したままだ。

 

「事情は存じ上げませぬが、ここは皇帝陛下の庭でございます。騒動があってはなりませぬ」

「知ったことか!」

 

 シモンはようやく立ち上がると、どうやら自分よりも目下であるらしいヴァルナルを蹴りつけようと足を上げた。

 しかし今度現れたのはグレヴィリウス公爵と、ランヴァルト大公の側用人であるヴィンツェンツェだった。

 

「足を下げられよ、公子…」

 

 年経た老人のしわがれた声に、シモンはビクリと止まった。

 

「う…ヴィンツェ…」

 

 強張った顔でつぶやきながら、ゆっくりと足を下ろす。

 

「そこの御仁の言う通りでありましょう。恐れ多くも皇帝陛下の御庭の、新年を祝う園遊会にて無粋な騒ぎを起こすものではありませぬ」

「っ…でも、コイツが先に手を……」

 

 シモンはすっかり意気消沈した様子で、ビクビクとヴィンツェンツェ老人に言い立てたが、皺の深い老人の表情は変わらない。濁った青灰色の瞳は斜視であるせいで目が合わないのだが、不気味な迫力があった。

 

「大公の公子であればこそ模範となるべき…と御父上からの忠告があったばかりというのに、まだ理解できぬようでございますな」

「……ち、父上には言わないでくれ!」

「…………」

 

 ヴィンツェンツェ老人は答えず、ギロリとシモンの取り巻き達を睥睨した。

 

「あそこでノビてる馬鹿を連れてくるように。―――公子、参りますぞ」

 

 そのまま立ち去ろうとして、グレヴィリウス公爵の隣を通り過ぎざま、ボソリとつぶやく。

 

「此度のことは、両成敗ということで」

 

 

 

 

 公子達が去った後、グレヴィリウス公爵は息子を冷たく見据えた。

 ツカツカと歩み寄り、無言でアドリアンの頬を平手で打つ。容赦ない打擲(ちょうちゃく)に、アドリアンは頬を地面に擦りつけて倒れた。

 

「公爵閣下!」

 

 ヴァルナルは叫んだが、ジロリと睨んでくる公爵の剣幕に口を閉ざす。

 

「立て」

 

 公爵は無情に告げる。

 アドリアンは口の端から流れる血を手の甲で拭いながら、立ち上がった。

 

「殴られる時に歯を食いしばることも知らぬのか?」

 

 淡々と言って、公爵は再び息子の頬を打った。

 アドリアンは今度は唇を噛み締めて、よろけつつも、立ったままだった。

 いつの間にか握りしめた拳は震え、またポタポタと血が落ちた。

 

「言い分があれば聞く」

 

 公爵は腰に下げていた小さな杖を持ちながら、息子に問いかけた。

 その声音には一片の感情も感じられない。

 

「……ありません」

 

 息子の短い返答に、公爵は眉を寄せた。「ない……だと?」

 

 アドリアンは俯けていた顔を上げ、父をしっかり見た。

 

「はい。何もございません」

 

 公爵はヴァルナルをチラリと見たが、そもそもヴァルナルにも喧嘩の発端となることについてはわからない。

 

「私も詳しくは存じ上げませぬが、小公爵様は理由もなく手を上げるような方ではございません」

「………息子に甘いな、男爵」

 

 公爵は眉を寄せたまま、今度は杖を振り上げると、容赦なくアドリアンの背を(なぐ)った。

 

「うッ!」

 

 アドリアンはさすがに耐えきれず、膝を折って地面にしゃがみ込む。

 打たれたその時の痛みよりも、じわじわと後から効いてくる鈍い痛みに初めて顔を顰めた。

 

「公爵閣下、それ以上はおやめ下さい」

 

 ヴァルナルは耐えきれなくなって、アドリアンを庇うように公爵に向き合った。

 

「どけ……ヴァルナル」

「お許し下さい、公爵閣下。これ以上の詮議は無用です。おそらく小公爵様は決して口を開かれぬでしょう」

「ヴァルナル。私はお前に何もかもを許したわけではない。出過ぎた真似をするな」

「………」

 

 それでも動けぬヴァルナルの腕を掴んでアドリアンは立ち上がった。

 自ら進み出て、公爵の前に立つ。

 

 まだ齢十歳だが沈着な息子の、自分と同じ(とび)色の瞳に頑固なものを感じて、公爵は諦めの溜息をもらした。

 

「……もうよい。私は帰る」

 

 公爵が立ち去った後、ヴァルナルはそっとアドリアンの傷ついた右手をとった。

 手のひらの皮膚が爪で破かれ、溢れた血で真っ赤だった。

 

「……これほどまでにお怒りであるのなら、尋常のことではなかったのでしょう」

 

 ヴァルナルは事情を聞くことはしなかったが、汲み取った。

 さっきも言った通り、この沈着冷静な小公爵がそうそう激昂することなどあり得ないのだ。よほど腹に据えかねたのだろう。

 

 ハンカチをややキツめに巻いていくヴァルナルを、アドリアンは相変わらず無表情に見ていたが、不意にボソリとつぶやいた。

 

「……母上のことだ」

 

 ヴァルナルは一瞬手を止めた。

 アドリアンを見ると、懸命に泣くことを我慢し、見開いた瞳は真っ赤だった。唇はブルブルと震えている。

 

 ヴァルナルは結び終えてから、微笑んで言った。

 

「小公爵様は、お母上に似て、本当に思慮深い方でございます」

 

 公爵の亡き夫人への愛情は、その(ひと)を失ってもなお深い。いや、いっそ失ったからこそ、より深くなったと言ってもいい。

 エリアス・グレヴィリウスにとって、妻に関する侮辱は自分への侮辱である。もし、公爵がこの事を知れば、たとえ相手が大公家であろうと、ありとあらゆる方法で、シモン公子への報復を行うであろう。

 常軌を逸していると言われることも厭わぬほどに、公爵にとって妻は大事で、決して傷つけてはならぬ(ひと)なのだ。

 下手をすれば大公家と公爵家との争いになりかねない。

 

 アドリアンは考えた末に口を閉ざしたのだ。公爵が事実を知らねば、ただの子供の喧嘩で片付けられる。

 

「ヴァルナル」

 

 アドリアンは優しくされて、思わずこぼれた涙をすぐさま拭った。

 

「はい?」

 

 気づかぬふりをして、ヴァルナルは返事する。

 

「お前の黒角馬(くろつのうま)、乗ることはできるか?」

「さようですな…まだ調教が完全ではございませんので、私の馬に乗るのは難しいかもしれませんが……」

 

 話しながら、ヴァルナルはアドリアンと手をつなぐ。

 そのまま園遊会の会場を逸れて、馬車溜まりへと歩いていく。

 

 母親に似た聡明さを持った小公爵。

 だが、ヴァルナルの手をつかむ手はまだ小さく、震えている。

 

 常日頃からの教育の賜で、決して怯えや不安といった感情を表さぬようにしているアドリアンではあるが、自分よりも上背のある年上の少年達に囲まれて怖くなかったはずがない。

 無情な父からの打擲(ちょうちゃく)に心を痛めぬはずがないのだ。

 

 ヴァルナルは帰る道で、一つの提案を考えていた。

 アドリアンがグレヴィリウス公爵家の跡取りである以上、あの家から逃れることはできない。

 だったらせめて……

 




次回は2022年6月22日20:00の更新予定です。
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