昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二十七話 白蛇と大公

「大公殿下の公子に向かっての狼藉(ろうぜき)の罰として、お前にはしばらく帝都並びにアールリンデンの公爵邸への立ち入りを禁じることとなった。クランツ男爵がお前の身を引き受けてくれる。彼と共にレーゲンブルトに向かい、しばらく騎士見習いとして生活するように。自分が公爵家の後嗣であることは、一切口外してはならぬ」

 

 疑問を差し挟む隙もなく、公爵はアドリアンに命令した。

 

「…はい」

 

「領主館の者達は若様のことを存じ上げませぬ。彼らに身分を伝えることのなきように、とクランツ男爵に申し伝えております故、少々の理不尽や無礼は許容なさいますように」

 

 家令のルンビックが補足すると、公爵が再び口を開く。

 

「此度の経緯(いきさつ)が何であるかはもはや聞かぬが、ヴァルナルはお前の意志を尊重して、私にも話さなかったのだ。彼の者の忠義を無駄にせぬよう、公爵家の後嗣として今後恥ずべき言動は控えよ」

 

 アドリアンは深く辞儀した後、顔を上げて言った。

 

「では、すぐにもレーゲンブルトに向かう用意をして参ります」

 

 執務室を出るなり、アドリアンは足取りも軽く自室へと向かう。

 

 少しだけ笑みがこぼれた。

 罰、とは言われたもののしばらくの間、自由になった気がする。

 窮屈で陰鬱な公爵邸を離れて、晴れやかな空の下で存分に空気が吸える。

 何度かヴァルナルから聞いていたレーゲンブルトに、こんなに早くに行けるとは。

 

 元々グレヴィリウス公爵家では、公爵位を継ぐ前に各地の公爵領を回って視察するという慣習がある。だからいずれ行けるだろうとは思っていたが……。

 

 アドリアンは途中から走り出していた。

 必死に隠していたが、楽しみで仕方ない。

 

 いつもは沈着冷静で、老成した小公爵様と呼ばれているアドリアンは、初めての長旅とこれから始まるであろう新生活に、すっかり浮かれていた。

 

 だからこの時は思いもしなかったのだ。

 確かに父は自分にとってひどく辛い罰を課したのだということを。

 

 

 

 

 

 

「……グレヴィリウス公はなんと?」

 

 ヴィンツェンツェ老人は、大公の身体に刺した鍼を一本一本、丁寧に抜きながら尋ねる。

 

 寝台にうつ伏せになりながら、ランヴァルト大公はグレヴィリウス公爵からの書翰(しょかん)―――こうした形式的なものであれば、それを起草したのも書き綴ったのも、おそらく補佐官あたりであろう―――を投げ捨てた。

 

「他愛も無い。此度の詫びと、息子を公爵邸からしばらく追い出すそうだ」

「………ほぉ?」

 

「北部の辺境の地で、しばらく騎士としての修行をさせるらしい。念のいったことだが…これは罰なのかな? ピクニックに行くのと変わらぬ気もするが…」

 

(いささ)かおかしな罰ではありますが、ひとまずこちらの顔は立てた…と、いうところでありましょう」

 

 ヴィンツェンツェ老は喉奥で笑みながら、慎重に鍼を抜いていく。

 

「それで、こちらの()鹿()はどうしている?」

 

 大公は枕の上でとぐろを巻いて眠る白蛇をゆっくりと撫でながら、煙管をふかせた。

 大公の言う()鹿()というのは、息子であるシモン公子のことだった。

 

「北の塔に閉じこめましたが、すぐに御方様(おんかたさま)の手の者によって()けられた由。今、あそこにいるのは替え玉として連れてこられた乞食にございます」

 

 大公は長く煙を吐いた。

 口元にはあきれた笑みが浮かんでいたが、紫紺の瞳は脳裏に浮かぶ息子と妻の姿を冷たく見ている。

 

「まったく母子(おやこ)揃って……ヴィンツェ」

「は?」

其方 (そなた)、あの阿呆共を多少なりと、まともにできる薬でも作れぬか?」

「ホッホホ!」

 

 ヴィンツェンツェ老は声を上げて笑った。ゆっくりと最後の鍼を抜いて、「終了致しましてござります」と静かに告げる。

 

 大公が起き上がり衣服を整えていると、寝ていた白蛇がゆっくりと動いてその背を這っていく。

 

「シモン公子もあれで、目端のきくところもございます。『割れた皿も使いよう』と、申すではありませぬか」

 

「フン…いつまでも母離れできぬ幼子のごとき男に、何の使い勝手があるのやら…。本当に我が息子かと疑いたくなる」

 

「残念ながら、公子様のご容貌は瞳の色を除けば、若き日の殿下によく似ておられます。御方(ビルギット)様の不貞は認められませぬな。……現在(いま)はともかく。先だっても、寝室にてホガニ子爵の令息とマルッケンダント伯爵が鉢合わせして、色々と騒がしかったようでございます」

 

「……男狂いが」

 

 大公は吐き捨てると、ヴィンツェンツェ老に命じる。

 

「その替え玉の乞食とやら、殺さずにおけ」

「おや? よろしいので?」

「割れた皿より使い道があるやもしれぬ」

「………かしこまりました」

 

 ヴィンツェンツェ老は深く辞儀をして、その場を去った。

 

 大公は煙を吐ききると、窓を開けてバルコニーに出た。

 既に夜は深く、ザザザと葉を渡る風の音と共に梟の啼声が聞こえてくる。

 

「つまらぬな……レーナ」

 

 大公はバルコニーの柵に手をついて、首元に絡まる白蛇に話しかけた。

 

「最近になって、やたらとお前の()のことを思い出す。お前が夢でも見せているのか?」

 

 チロチロと白蛇は赤い割れた舌を動かした。

 首から腕を伝って下りていくと、バルコニーの柵を這っていく。

 音もなくスルリスルリと端まで行き、そのまま闇に消えたかと思うと、キキキッと小さな鳴き声が聞こえてきた。

 しばらくすると、喉を太らせて戻ってくる。

 

 大公は満足気に微笑んだ。

 

美味(うま)いか? 皇居の鼠は」

 

 ビクビクと蛇の喉の中で、鼠が動いていた。

 

 





次回は2022年6月26日20:00に更新予定です。


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