昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第三章
第二十八話 領主様の帰還


 領主館はあわただしかった。

 

 いつもであれば霜氷(そうひょう)の月半ば頃に帰ってくる領主様が、一ヶ月も早く帰ってきたからだ。

 

 しかも帰還を知らせる前触れの使いすらもなかった。

 いきなり土煙をあげて現れた一団に、町と外を隔てる古い城門を守っていた当番の騎士は、すわ山賊の急襲かと、色めきだった。

 

 先頭を進む黒角馬(くろつのうま)に気付いて、一人が飛び出して領主館へと知らせに走った。

 

「領主様だっ! 領主様がお帰りになったぞーっ」

 

 そこから領主館はそれこそ大騒ぎになった。

 嘘だろうと飛び出してきたネストリは、門番のジョスに留守の間の守衛を(ねぎら)っているヴァルナルを見るなり、すぐさま踵を返して使用人達に次々と指示を下した。

 

「エッラ、領主様の部屋の片付けは済んでいるのか? 風呂の用意をしておけ。オッケ、食料庫にソニヤを連れて行って、不足がないかを確認させろ。ロジオーノ、食器の準備を。私も後で行く…あぁ! 若君に知らせねば…アントンソン夫人! アントンソン夫人はどこか?! 何? 休暇だと? すぐに戻ってもらえ。領主様が帰還されたと伝えるのだ!」

 

 領主館を仕切るネストリ同様に、あわてまくったのは居残り騎士団の団長代理であったマッケネンだった。

 

「おい! 兵舎の掃除…副官宿舎の掃除の当番は誰だ? ゴアンらだと? あいつら絶対やってないぞ…フレデリク、お前すぐに行って、とりあえずシーツの皺だけでも伸ばしておけ! 風呂場の掃除はしてるんだろうな!? 誰かパウルさんかイーヴァリに言って、泉の水門を開けてもらえ! 食堂も片付けろ! 駒取り(チェス)盤だの何だの放り出してるだろう!!」

 

 マッケネンはよくやっていた方だった。

 居残り組は元は傭兵だった連中が多い。自分よりも年上の先輩相手に、うまくやっていた方ではあったが、それでも多少なりと風紀の緩みがあったのは否めない。

 

 ちょうどその時、早朝から昼過ぎまで行われた調練が終わり、午後の休憩時間であったのもある。

 それぞれが自由時間を楽しんでいて、中には午睡を貪っていた人間もいて、いきなり領主様を始めとする騎士団が帰還したのだと聞かされても、目を白黒させて呆然とするしかない。

 

「起きろ! 鬼が帰ってきたぞ!!」

 

 いつまでも起きないゴアンの耳元でサロモンが怒鳴る。ヒエッと声を上げて、ゴアンは飛び起きた。

 

「なんだッ!? 鬼ッ? 鬼って、鬼カールのことか?」

 

 副官の一人であるカール・ベントソン卿の容赦ないしごきに恐怖する騎士達は、陰で彼のことを『鬼カール』と呼んでいた。

 その場にいた騎士達の間に、その名称を聞いた途端にビリビリとした緊張感がはしった。

 

「ヤバイぞ!」

「宿舎の廊下の窓拭きなんざ、全然やってねぇぞ」

「ヤベェって…あの人、窓の桟の埃までチェックするんだぞ」

「おい! 出迎えするって招集かかったぞ」

「うわ…マズイ…どうすんだよ」

 

 オヅマはいい年した大人たちが右往左往するのをニヤニヤ笑って見ていたが、それを見咎めた騎士のサッチャが怒鳴りつけた。

 

「オイ、オヅマ! お前、兵舎の掃除してろ!」

「えぇ? なんでだよ?」

「お前は一人前の騎士じゃないからな、出迎えしなくたっていいんだ。見習いは、俺らの尻拭いするもんだ」

「堂々と言うことかよ、それ」

 

 オヅマが口をとがらせると、頭の禿げかかったゾダルが申し訳無さそうにオヅマの肩を叩く。

 

「すまん、オヅマ。頼まれてくれ。便所に置きっぱなしにしてるんだ」

「何を?」

(エロ)本」

「なんでそんなモンそんな所に置いておくんだよ!」

「そりゃ、お前…いずれわかるよ」

「知るか、そんなの!」

「頼むから! マジでヤバイんだって!!」

 

 最初に頼んできた禿げのゾダル以外にも数名に頼まれて、オヅマは頬をヒクヒクさせながら彼らの言う通りにするしかなかった。サッチャの言う通り、自分はまだ見習いであるので、正式な騎士達と同列には扱われない。

 

 招集がかかって無人になった兵舎の中を、オヅマは雑巾を持って歩き回った。窓やら机やらを適当に拭いて、食堂に置きっぱなしになっていた駒取り(チェス)盤やら、絵札(トランプ)やら、雑多な遊興(ひまつぶし)道具を、とりあえず空の木箱に次々に入れていく。

 便所掃除をして、例のゾダルに頼まれていた(エロ)本を箱に放り込んだところで、懐かしい声に呼ばれた。

 

「オヅマ」

 

 顔を上げて、彼の姿を見た途端、オヅマは箱を持ったまま走った。

 

「領主様!」

「相変わらず、元気そうだな」

 

 ヴァルナルの優しい笑顔に、オヅマも自然と笑った。

 

「それしか取り柄ないから…あ…いや、取り柄ないです、から」

「ハハハ。そういえば、マッケネンから礼法なども学んでいるらしいな」

「はい。一人前の騎士になるために、頑張ります!」

「結構。それじゃ、一つ頼まれてくれるか?」

 

 ヴァルナルはそう言うと、体をひねって半身になった。

 そこにはオヅマとそう年の変わらなそうな少年が立っていた。

 

 黒髪で、何の感情もない(とび)色の瞳。

 

 オヅマは見た瞬間に、どうも合わなそうな気がした。

 

「なんです? そいつ?」

 

 思わずぶっきらぼうに尋ねると、少年の背後に控えたカールとパシリコの顔が微妙に引き攣ったが、オヅマは気付かない。

 

「彼は私の知人の息子だ。今回、この騎士団の見習いとしてしばらく参加することになった。お前と同じだな」

「はぁ……そうですか」

 

 気乗りしないオヅマに、ヴァルナルは笑って言った。

 

「騎士達が対番(ついばん)になっているのは知ってるな?」

 

 騎士達は基本的に二人一組で行動する。

 元々は戦場において、一人の敵に対峙するにも、二人で行うことで確実に殺傷すること以外に、互いに無防備になりがちな背を合わすことで、複数の敵からの攻撃に対処することを目的にしている。

 戦時においてだけでなく、普段から騎士達は二人で行動することで、阿吽(あうん)の呼吸を持つことが推奨された。

 まぁ、今回のようにお目付け役がいなくなると、大真面目に守るような奴はいなかったが。

 

 オヅマはヴァルナルの言葉を聞いた途端に嫌な予感がしたが、果たしてそれは当たった。

 

「この子は、しばらくお前の対番になる」

「えっ?」

 

 思わず声に嫌悪がこもる。ジロリと目の前の少年がオヅマを見上げた。

 ヴァルナルはハハハと笑ってから、オヅマの肩を叩く。

 

「まだ、見習いとしてはお前に一日(いちじつ)の長がある。しっかり面倒みてくれ。あぁ、もちろん寝る場所もお前の小屋でな」

「えっ? マジで?」

 

 つい、いつもの言葉遣いになる。

 

「オヅマ…」

 

 鬼カールが低く唸るように注意すると、オヅマは首をすぼめた。

 ヴァルナルは黒髪の少年の背を軽く押して、自己紹介するように促した。

 

「……アドリアン…です」

 

 オヅマはポリポリと頭を掻いてから、自分も名乗った。

 

「オヅマだ。よろしくな」

 

 アドリアンはご丁寧に深々と頭を下げてくる。

 その様子を見て、オヅマは彼がおそらく自分のような平民の出ではないのだろうと思った。まぁ、領主様の知り合いの息子であるなら、そうだろう。

 

「じゃあ、早速色々と慌ただしいようだから、頼んだぞ」

 

 ヴァルナルはオヅマにアドリアンを託すと、行ってしまった。

 オヅマは軽く溜息をついてから、アドリアンに尋ねた。

 

「年は?」

「十歳」

「じゃ、俺の一つ下か。アドリアンって長ったらしいから、アドルって呼ぶぞ。いいな?」

「………」

「返事!」

「……はい」

 

 オヅマは眉を寄せると、ハアァと厭味ったらしく大きな溜息をついた。

 

「お前さぁ、その小さい声だと通じねぇよ。ここじゃ」

「………」

「だからぁ、返事っ」

「はい」

 

 アドリアンはいつもより大きな声で返事したものの、オヅマは首を振った。

 

「お前にゃ、発声練習からだな」

「発声練習?」

「いいから、とりあえず…これ持て」

 

 オヅマは片手で持っていた箱をアドリアンに差し出す。アドリアンは何気なく受け取って、思っていた以上の重さに、箱を落とした。

 

「あ~っ! なにやってんだよ、お前!」

「……すまない」

「すまないとか言う前に動け! 拾え!」

 

 アドリアンはあわててしゃがみ込んで、チェスの駒や絵札や、見慣れぬ赤い棒を拾う。これが、重さの理由だったようだ。

 

「これは…なんですか?」

 

 七寸(20センチ)ほどの長さの赤い棒。一体何で作られているのか、やたらと重い。

 

「何って…棒亜鈴(アレイ)だよ。これで指を鍛えたりするんだ」

「指?」

 

 オヅマは人差し指だけで棒を掴む。しばらくして今度は中指。薬指、小指はさすがにプルプル震えてすぐに落ちた。

 アドリアンも他に散らばっていた棒でやってみようとしたが、中指で持ち上げることすら無理だった。重い。

 

 オヅマはアドリアンの白く細い指を見て、せせら笑った。

 

「無理だな」

 

 アドリアンはさすがにムッとなった。

 最初からいい印象でないのはお互い様だ。だいたい馬車の中で、ヴァルナルから同じ年頃の少年を騎士として養育していることを聞いた時から、アドリアンは少しばかり心が波立った。日頃の鍛錬で顔には出さなかったが。

 

 ヴァルナルはこの少年―――オヅマと自分が仲良くなってくれるだろうと思っているようだが、今のところそうなる兆候は皆無だ。

 

「この棒、いただいても構わないだろうか?」

「ハァ? お前、これで練習すんの?」

「あぁ」

「ムリムリ。やめとけやめとけ。素人が最初(ハナ)っから赤棒なんて」

 

 あからさまに馬鹿にしたオヅマの言い方も態度もいちいち気に障ったが、アドリアンはぐっとこらえて反論した。

 

「今日すぐには無理でも、毎日の努力が成果に繋がるとヴァルナルは言っていたぞ」

「オイ!」

 

 オヅマは厳しくアドリアンを見据えた。急に雰囲気が変わり、アドリアンは内心でヒヤリとなる。

 

「領主様のことを、呼び捨てにすんな!」

 

 あっとなって、アドリアンは俯いた。

 あれほど行く道で小公爵であることは忘れるように、と言い聞かせられたのに。

 

「申し訳ありません」

 

 アドリアンが消沈して謝ると、オヅマはフンと鼻息をならして腕組みする。

 

「お前さぁ、領主様の知り合いの息子だから、近所のおじさんくらいの気持ちでいるんだろうけど、ここで騎士見習いとしてやっていく以上、領主様はおじさんじゃなくて、騎士団長だし、ご領主様だし、男爵様なんだ。ちゃんとわきまえろよ」

 

 そういう自分はいまだに時々気安い口調で話すし、なんであればそのご領主様の息子になど、さんざん無礼な口をきいているのは棚に上げて、オヅマは鹿爪らしい顔で言う。

 アドリアンは拳を握りしめながら、もう一度謝った。

 

「はい。すみません」

「も、いいから。拾えよ」

 

 オヅマは赤棒を手早く拾って箱に入れていく。

 アドリアンは近くに落ちていた本を拾って、表紙の題名に首を傾げた。

 

『侯爵夫人の蜜の誘惑』――――?

 

 騎士団にあるのだから、用兵の本か何かかと思っていたのだが、違うのだろうか?

 まじまじ眺めてしまっていると、オヅマが尋ねてくる。

 

「なに、お前。そんなの興味あんの?」

「興味があるというか…何の本かと思って…」

「見たらいいだろ」

「いいのか? 勝手に人の本を…」

「本なんざ回し読みだよ。誰のなんてことねぇ」

 

 言いながら、オヅマは遠くまで転がっていた駒を取りに行く。

 アドリアンは中を開いた。ペラペラめくって、いきなり女の裸が描かれた挿絵が現れてバサリと本を落とす。

 

「ハハハハハッ!」

 

 オヅマはそれまで耐えていたのが弾けて大笑いした。

 アドリアンは青い顔をしていたが、一気に赤くなってペタリと座り込んだ。

 

「な、なんだ! それ!」

 

 恥ずかしさを隠すように、アドリアンは大声で怒鳴った。

 しかし、オヅマは平然として、アドリアンの落とした本を拾う。

 

(エロ)本。騎士団の必須アイテムだろ」

「なんで必須なんだ! そんな訳ないだろう!!」

「そうかぁ? どこでもこんなモンだろ。男所帯なんだから」

「レーゲンブルト騎士団は帝国において、皇家の騎士団にも並ぶ勇猛果敢な騎士団と聞いていたのに……」

 

 アドリアンが信じられないようにつぶやくと、オヅマは肩をすくめた。

 

「おとぎ話じゃあるまいし、貴族のお坊ちゃんばっかが集まったような近衛騎士と違って、傭兵上がりの騎士なんざこんなもんだよ。まぁ、やることやってりゃ文句もないだろ。ホラ、いつまで腰抜かしてんだよ。それとも、別の理由か?」

 

「別の理由?」

「なんかよくわかんねぇけど、ああいうの読んだら、股の間が熱くなるんだろ?」

「ちっ…違うっ!」

 

 アドリアンはすぐに立ち上がった。実際、多少は…少しばかり熱い……ような気はしたが。

 

 オヅマはすべて拾ったのを確認すると、再びアドリアンに箱を差し出す。

 

「両手でしっかり持てよ。お前、力ないから」

 

 不本意ではあったが、アドリアンは両腕でしっかりと箱を持った。

 この重さのものを片手で、なんであれば差し出す時などは中指でつまむように持って渡すなど…どういう指の力なんだろうか。

 

 無言で歩き出したオヅマの後を追いながら、アドリアンは沈黙がひどく気になって、思わず問いかけた。

 

「君も…読むのか?」

「は?」

「さっきの…あの…ああいうの」

「俺は興味ない。本とか読むの嫌いだし。読むんだったら、まだ算術の謎解き本とかやってる方がいいな。解いた時にスッキリするから」

「そうか…」

 

 アドリアンはホッとした。あんなものを始終見せられたら、まともに騎士の訓練などやってられない。

 

「なに? お前、興味あんの? 詳しい人教えてやろうか?」

「ない! まったくない!」

 

 大声で即答すると、オヅマはニヤリと笑った。

 

「声出てきたな。その調子だ」

「…………」

 

 アドリアンは眉間に皺を寄せた。

 それから仏頂面になっている自分に気付いて、困惑した。

 いつもは平常心でいることを心がけて、決して表情を崩すことのないようにしているのに、どうにも調子が狂う。

 

 目の前で楽しげに口笛を吹いて歩いて行くオヅマの亜麻色の髪を見て、ここに来る元凶となった大公の息子のことを思い出した。

 そういえば彼も同じ亜麻色の髪だった。さほどに珍しい髪色ではないが、こうして背を向けていると、妙に似通ってみえる。

 

 アドリアンは嘆息した。

 

 亜麻色の髪の公子と喧嘩して放逐された先で、同じ亜麻色の髪の少年にこき使われるとは……よほど自分は亜麻色の髪の人間と相性が悪いらしい。……

 





引き続き、更新します。

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