昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

37 / 201
第三十三話 ライバル

 少し離れた場所から二人の様子を見ていたヴァルナルは、クックッと肩を震わせた。小公爵があそこまでコロコロと表情を変えるのは、初めて見た気がする。

 

「小公爵様……アドリアンも、やはり同じ年頃の少年相手であれば、素が出るようですね」

 

 カールが言うと、ヴァルナルは頷いた。

 

「あぁ。おそらくそうだろうと思って、連れてきてよかった。オヅマはあれで何だかんだ言いながら、面倒見がいい」

「そうですね。ま、兄の性分でしょうかね」

 

 カールは相槌をうちながら、チラと隣にいる図体ばかりデカくなった(アルベルト)を見て、あきれた吐息をもらす。

 

「そうか。じゃあ、ルーカスもお前の面倒を見ていたんだろうな」

 

 ヴァルナルがもう一人の厄介者のことを口に出すと、カールの眉間に皺が寄った。

 

「あの人は面倒を見てたんじゃなくて、僕らを家来にして遊んでただけですけどね」

「ハッハハハ!」

 

 ヴァルナルが大笑いすると、アドリアンは驚いたようにそちらを見た。

 

「なに?」

 

 オヅマは、狸の毛皮のチョッキに、手ぬぐいを押し当てて、水を吸い取りながら尋ねる。

 

「いや……ヴァル……男爵があんなふうに笑うのだと思って」

「はぁ? いつもあんな感じだろ。気さくで、豪快で」

「公爵邸にいる時は緊張しているのかな?」

「公爵邸?」

 

 オヅマが聞き返すと、アドリアンはハッとして固まった。周囲でそれとなく聞いていた騎士達もピタリと動きを止める。

 

「あ…いや……その…僕は…その…公爵様の従僕なんだ!」

 

 アドリアンは咄嗟に言ったが、オヅマはさほどに興味もないようだった。

 

「ふぅん。オイお前、そのシャツも濡れてるんだろ。脱げ。これ、着とけ」

 

 オヅマが腰にある小さな鞄から、皺くちゃのシャツを取り出すと、アドリアンは目を丸くした。

 

「君、シャツを持ち歩いているのか?」

「朝駆けの時は、いつもだったら汗かくから着替える用に持ってんだ。今日は、寒かったからな。思ったより汗かかなかった」

「やっぱり寒かったんじゃないか…」

 

 アドリアンはシャツを受け取って着替えながらブツブツつぶやいたが、それでも乾いたシャツはありがたかった。正直、あの濡れたシャツのまま、またあの速さで帰るとなると、風邪をひきそうだ。シャツは乾くかもしれないが……と思っていたら。

 

「………君、なにをやってるんだ?」

 

 オヅマがシャツを木の枝にくくりつけている。

 

「あ? これ持って走りゃ帰った頃には乾くだろ」

 

 アドリアンは押し黙った。

 なんとなく、同じようなことを考えていたのが……微妙に嫌だ。

 

「なんだよお前、その顔」

 

 渋い顔になったアドリアンを見て、オヅマは眉を寄せる。

 

「いや……何も…」

「っとに、塩漬けキュウリみたいな顔しやがって…」

「な…っ…だ、誰が塩漬けキュウリだ! だいたい、どういう意味だ、それ!」

「うわ、面倒くせ、コイツ。そんなの適当にわかるだろ」

 

 オヅマはいかにも鬱陶しそうにアドリアンに吐き捨てる。

 その様子を見ていた騎士達は半ばあきれつつ、オヅマの言葉に思わずプッと笑う者もいた。

 厳しく躾けられて、滅多と表情を変えることのない小公爵様を、『塩漬けキュウリ』とは。

 

 

 基本的にはこんな調子の二人であったが、領主館に戻ってから本格的な修練が始まると、はっきりと好敵手(ライバル)として互いを意識した。

 

 特にそれが際立ったのは剣撃の稽古においてだった。

 

 

 

 

 オヅマはアドリアンよりも一歳年上ということもあり、力勝負では負けなかったが、その分アドリアンはヴァルナル仕込みの剣捌きで、オヅマの攻撃を時にいなし、素早い身のこなしで(かわ)し、そう簡単に降参しない。

 正直、開始十秒で終わらせるつもりだったオヅマには誤算だった。

 

「チッ……こうなりゃ本気だすぞ」

 

 オヅマが間合いをとってつぶやくと、アドリアンもニヤリと笑う。

 

「へぇ。じゃあ、僕もそろそろ本気になることにするよ」

「言ってろ、馬鹿野郎!」

 

 怒鳴るなり、オヅマは跳躍する。太陽を背にして、その姿は一瞬翳り、まともに見上げたアドリアンの目を強い太陽の光が射た。

 

「くっ!」

 

 アドリアンは目が眩んで、当てずっぽうに剣を振るう。

 ガツッ! と木剣が鈍い音をたてた。

 

 オヅマの振り下ろしてきた剣をまともに受けて、アドリアンの手首にビリッと痛みがはしった。

 構え直す隙も与えず、オヅマはすぐさま次の攻撃に移る。

 その切り返しの早さによけることができず、アドリアンはガチリと剣身(ブレード)を正面から受け止めた。

 

 木剣の交差した部分が拮抗した力でギギギと震える。

 オヅマは力で押してくる。このままでは勝てない。

 アドリアンは歯を食いしばって受け止めつつ、いなすタイミングを探っていたが、オヅマは本気といった言葉に嘘はないようで、その隙を見せなかった。

 

 手首が痛い。痺れてくる。

 アドリアンの額から汗が噴き出た。

 

 一方、オヅマはなかなか降参しないアドリアンに苛立った。木剣を持つ手に力をこめ、ますます追い込む。近く、近くへと間合いを詰めて、いきなりドンと腹を蹴った。

 アドリアンは軽く吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 

 周囲にいた騎士達が顔色を変えてアドリアンを見たが、ヴァルナルは動かなかった。

 パシリコが囁く。

 

「よろしいのですか?」

「………通常訓練だろう?」

 

 ヴァルナルは腕を組んだまま二人の様子を見ている。

 

「しかし……」

 

 パシリコが言う前に、アドリアンが声を荒げた。

 

「卑怯だぞ! 剣における勝負でいきなり腹を蹴るなんて!」

 

 アドリアンは公爵家を継ぐ者として、善性に基づいた騎士道の()()を習う。ヴァルナルもそのように指導するように言われているので、公爵邸においては剣の試合中に腹を蹴るなどという()()()行為は許されない。

 

 だが、レーゲンブルト騎士団はこれまで実際に戦を何度も行ってきた実戦部隊だ。本来の戦場においては、礼節を弁えた戦闘行為など行われない。相手によってはこちらの常識など通じないことも多いのだから。

 

 故にレーゲンブルト騎士団においては、()()ではなく()()の訓練が行われる。

 

 オヅマは木剣を肩にかつぎながら、地面に倒れたアドリアンを見下して、せせら笑った。

 

「知るか。そうしちゃ駄目なんて、誰が言ったんだよ」

「騎士として恥ずかしいと思わないのか?」

「騎士として為すべきことは、すべてを尽くして勝つことだ」

「な……」

「つまらねぇ矜持(こと)にこだわって、くたばって戦えなくなれば、結局意味がねぇだろうが」

 

 アドリアンはさっとヴァルナルの方に目を向けたが、グレーの瞳は冷厳としてアドリアンを見ていた。

 緊張が走って、騎士達が固唾をのむ中、ヴァルナルはゆっくりアドリアンのところまで歩いてくる。

 

「立て」

 

 太陽を戴いて、ヴァルナルの姿が暗く翳った。「いつまで座り込んでいるつもりだ?」

 

 アドリアンはいつも優しく接してくれたヴァルナルの冷徹な姿に、泣きそうになりながらも立ち上がる。

 ヴァルナルはニヤリと笑って、オヅマを見た。

 

「勉強しているようだな、オヅマ。さっきの台詞はオルガス大元帥の言葉か?」

 

『騎士として為すべきことは、すべてを尽くして勝つことだ』とは、実のところ先達の名言であった。

 

 オヅマは肩をすくめた。

 

「マッケネンさんが覚えておけ、って」

「あぁ、そうだ。力を尽くし、精神(こころ)を尽くす。それが私の騎士としての在り方だ。さ、続けろ」

 

 ヴァルナルがそう言って立ち去ると、騎士達は再び動き出す。

 あちこちで気合が上がる中、アドリアンは冷や汗をかきながら唇を噛み締めていた。

 手首が痛い。

 

「行くぞ」

 

 オヅマが構えるなり、土を蹴る。

 アドリアンは気を奮わせて集中した。ここではこれまでの修練など通用しない。

 

 痛みに耐えて剣撃訓練が終了した頃には、アドリアンの手首は赤く腫れていた。

 

 

 

 

 一方、この二人の訓練風景を見ながら、悶々とした気分になっていたのは、修練場で見学していたオリヴェルだった。

 

 木剣が飛んでこないように、建物の陰になったところから見ていたのだが、正直、他の騎士達の訓練など一切、目に入ってこない。ただただオヅマとアドリアンの立合う様子を睨むように凝視している。

 

「わぁ、あの子も強いのね」

 

 隣でマリーが無邪気に新参の見習い少年を褒めるのも気に入らない。

 

「オヅマの方が強いよ、全然」

「でも、お兄ちゃん……ホラ! また空振りした」

「オヅマはちゃんと攻撃してるけど、あの子は逃げてばっかりだ」

 

 オリヴェルはアドリアンが小公爵だとは知らなかった。

 ただいきなり父が連れてきた、騎士見習いの少年であるとしか聞いてなかった。

 オヅマと対番(ついばん)になったと父が話していて、その時点からあまり彼に対していい印象を持てなかったが、こうして目の前でオヅマとまともにやりあっているのを見ると、否が応にも自分の脆弱な身体と比べてしまって、苛立たしい。

 

「あっ!」

 

 マリーが声を上げる。

 

 オヅマに蹴られて、アドリアンが吹っ飛ばされていた。

 

「ひどい、お兄ちゃんってば。あんな不意打ちして」

 

 マリーが同情して言うのも、オリヴェルには面白くなかった。

 

「仕方ないよ。戦うって、そういうことなんだから」

 

 マリーはチラとオリヴェルを振り返って、じっと見てからプンと膨れ面になって横を向く。

 

「なんだか、オリー…怖い」

「怖い? なにが?」

 

 オリヴェルが戸惑って尋ね返すと、マリーが反対に尋ねてくる。

 

「あの子のこと知ってるの?」

「うぅん、知らない」

「じゃあ、どうして嫌うの? 何も知らないのに」

「嫌ってなんか……」

「嘘。嫌いって顔して見てるもの。駄目よ、オリー。あの子だって、ここに初めて来たばっかりで、きっと困ってたりするのに、そんなに冷たくしちゃあ。私と初めて会った時みたいに、ちゃんと優しくしてあげて」

 

 年下の子に諭されて、オリヴェルは恥ずかしくなって俯いた。

 マリーの言うことはもっともだ。ミーナがここにいても、同じことを言われるだろう。そのミーナはオリヴェルを修練場まで連れてきた後に、少し用があるからと戻っていってしまった。

 

 オヅマとアドリアンの間に立って、父が何か言っているようだ。

 アドリアンは立ち上がった。オヅマと父が話している。

 父が二人に背を向けて歩きだすと、止まっていた騎士達が動き出した。

 オヅマとアドリアンも稽古を再開する。

 

「………いいな」

 

 オリヴェルはつぶやいた。

 自分にはあんなふうに体を動かすことはできないだろう。

 きっと、この先もずっと。

 新しくオリヴェルを診てくれているビョルネ医師に言われた。

 

「君は、おそらく完治する…ということはできません。本来、体を守るべき働きが非常に弱い。他の人であればかなり無理しないと症状として表れないことでも、君の場合は少しばかりの無理で、症状が出ます。それが熱であったり、眩暈であったり、失神であったりするわけです。これらのことは、それ以上君が無理をしないための体の防衛本能ですから、無視してはいけません。この状態の場合はおとなしく今まで通りに体を休めて下さい。元気になれば、散歩などして徐々に体力をつけていく…繰り返すうちに、多少は改善されていくはずです。ただ、まったく普通の人と同じようになるのか、と聞かれればそれは難しいでしょう…」

 

 寂しそうに二人を見つめるオリヴェルを見て、マリーは少しだけ申し訳なくなった。

 自由の利かない体をかかえて、一番もどかしい思いをしているのはオリヴェルだ。きっと、オリヴェルはあの黒髪の少年が羨ましいのだ。本当はあそこで兄とやりあっているのが自分だったら良かったのに…と思っているに違いない。

 

「オリー」

 

 マリーが呼びかけると、オリヴェルが振り向く。

 

「そろそろ戻ろっか。私、ちょっと寒くなってきちゃった」

 

 オリヴェルは冬が近いのに、相変わらず軽装のマリーを見て笑った。

 

「そうだね。戻ろう」

 

 




次回は2022年7月3日20:00に更新予定です。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。