昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第二話 後編 領府・レーゲンブルトへの道

 ()が本当に夢になったのだとわかったのは、翌朝のことだった。

 

 ミーナに叩き起こされたオヅマは、父が死んだと伝えられた。

 

「誰に? 母さんじゃないよね!!」

 

 思わず尋ねてしまってから、不思議そうに首をかしげる母の姿が昨日までと変わりないのを見て、深呼吸して気を落ち着ける。

 

「どうして? 本当に?」

 

 問いかけると、ミーナは俯いて答えた。

 

「用水路に落ちて…酔っ払って足を踏み外したんだろう…って」

 

 父が飲んだくれて家に帰ってこないのはしょっちゅうだった。

 多くは飲み仲間の家にそのまま泊まり込んだが、昨日は珍しく飲み仲間の誘いを断って家に帰ろうとしていたらしい。

 

「オヅマよぅ……お前が一生懸命働いてたんだぞ…って、クノスの親爺から怒られてよぅ…アイツ…アイツ…アイツなりに情けなくなったんだ。白けちまって…それで、家に帰るってよぅ……」

 

 飲み仲間の一人であるテルホは赤くなった鼻を擦りながら、しんみり言ったが、その吐息は酒臭かった。

 

 オヅマは特に何も思わなかった。

 父が改心したとは思えないし、単純に自業自得で死んだに過ぎない。

 

 とりあえず、母が父を殺して絞首刑に処される()は消えたのだ。

 

 

 だが、悪夢の全てがなくなったわけでないのは、父の葬儀の翌朝に、母の提案を聞いたときだった。

 

「お父さんも亡くなってしまって…もう小作人はできないわ」

 

 あくまでもこの土地で小作人であったのは父だった。

 母は代理で手伝っていた…という(てい)になる。

 

 妻が夫の職業を継ぐことはできなかった。

 父の小作分は新たな人がもらうか、今いる人々で分けるかされるのだ。

 

 オヅマが成人していれば後を継ぐことは可能であったが、十歳では何の労働力の足しにもならぬ…とみなされ、成人まで待ってくれることもない。

 農作は毎年あるのだから、そんな悠長なことは言ってられないのだ。

 

「ここにはいられない。皆で帝都(キエル=ヤーヴェ)に行きましょう。あそこならば…伝手(つて)があるの」

 

 そう言う母の暗い顔を見た時に、オヅマは身震いした。

 反対に喜んだのはマリーだった。

 

「わぁ! 帝都に行ったら、毎日干しぶどうのパンが食べられるのかしら?」

「そうね。きっと…くださると思うわ」

 

 まるで誰かから何かを与えてもらえるかのような口振りだ。

 オヅマはその『誰か』がわからないのに、はっきりと恐怖していた。

 

 ミーナはオヅマをじっと見つめて言った。

 

「今度こそ…真実(ほんとう)だとわかって下さる。きっと…」

「駄目だ!」

 

 オヅマは大声で怒鳴るように叫ぶと、立ち上がった。

 

「オヅマ?」

「お兄ちゃん? どうしたの?」

 

 マリーはめずらしく怒っているように見える兄に怯えた。

 やっと父がいなくなったのに、今度は兄が父のように自分を(なぐ)ったりするのだろうか…と、長年の染み付いた恐怖が離れない。

 

「俺は、行かない! 絶対、行かない!!」

「オヅマ……わかって頂戴」

「駄目なんだよ! 行ったって、不幸になるだけだ!!」

 

 それ以上、ミーナの説得を聞かずにオヅマは飛び出した。

 

 

 村外れの丘の上まで来て、立ち止まる。

 

 振り返れば故郷の小さな村。

 まだ春浅い、雪の残る帝国の北の果ての村。

 

 絢爛たる帝都に比べてなんとわびしい村だろう。

 それなのに郷愁は、故郷を美しくあどけなく見せる。

 

 オヅマは首を振った。

 

 自分の気持ちがおかしくなりそうだった。

 こんな気持ちは自分にはない。ないはずなのに、胸の奥は泣きそうに震えている。

 

「…………」

 

 息を整えながら、オヅマは必死に考えた。

 

 このままでは駄目だ。

 このままではミーナはオヅマとマリーを連れて帝都に行ってしまう。

 

 そうしてきっと、ガルデンティアの屋敷へ向かう。

 そこで働かせてもらうか、働き口を紹介してもらうために。

 

 オヅマの脳裏には、帝都の様子も、重厚で壮麗なガルデンティアの屋敷もはっきりと浮かび上がった。

 

 ……行ったことなどないはずなのに。

 

 そうして次々に苦しい記憶が欠片となって閃き、その中には、マリーの死が見える。

 

「駄目だ…駄目だ…」

 

 オヅマは何度もつぶやいた。

 ぐるぐると考えが回る。

 

 とにかく帝都に行かないようにしなければならない。

 だが、親子三人で暮らしていかねばならない。

 その為には働く場所を見つけなければならない。

 

 この小さな村での働き口は限られている。

 オヅマが父の酒代を稼いだ時のように、時折、お駄賃程度のことであれば人手を必要とされるが、恒常的に働かせてもらえる場は村にはなかった。

 まして、この場合の働き手はオヅマではなく女であるミーナなのだ。

 

 オヅマは嘆息して、眼下の村をもう一度眺めた。

 

 グルリと村を囲む壁はところどころ崩れている。

 ここは昔、北東部にあった群国との戦争の前線基地だった。

 

 オヅマのいる小高い丘のような場所も元はその基地の要塞であったらしいが、帝国の治世が落ち着くに従って要塞の必要性がなくなり、むしろ反抗勢力の拠点になるなどの不安要素があるとして取り壊され、もはや跡形もない。

 

 村からは二つの道が続いていた。

 

 一つは、北の森へと続く道。

 一つは帝都へと続く道。

 

 帝都への道は、狭い山道を下って麓に辿り着くと、なだらかな丘陵の途中でその道は枝分かれし、領主館のある町へと続いている。

 

 帝都に行かないならば、領府・レーゲンブルトに行くしかない。

 

 あそこならば村よりは働き口は見つかりやすいだろう。

 だが、ミーナを説得するには『行けば何とかなる!』では弱い。

 帝都に行けば、既に就職先として有力視される場所が確実にあるのだから。

 

 つまりミーナに働いてもらう場所を用意する必要があるのだ。

 

 だがオヅマはレーゲンブルトに行ったことがなかった。

 ミーナもそうであろう。何一つとして伝手はない。

 

 オヅマがレーゲンブルトについて思い浮かぶのは領主のことだけだった。

 

 現レーゲンブルト領主のヴァルナル・クランツ男爵は、グレヴィリウス公爵の配下で元々は公爵家の騎士の一人だったという。

 

 南部の部族紛争などで武功を認められ、騎士団長に昇格した後、公爵の領地の一部を分け与えられた。

 それがこの北部地域のサフェナと呼ばれる一帯である。

 

 その後、領主としての格式に見合うように男爵位を送られたらしい。

 

 決して肥沃な土地とはいえないサフェナにおいて、寒さに強い作物を探したり改良したりして積極的に農業政策を指導し、今では他地域にも出荷できるほどにしたクランツ男爵の領民からの人望は厚かった。

 

 他の領主などのように搾取して私腹を肥やすこともなく、浪費にはしることもない。極めて堅実で実直な人柄と噂されている。

 

 だが、それでも武人である。

 今でも朝晩の遠駆や、騎士としての修練を怠ることはないのだという。

 

 オヅマの頭の中でいくつものピースが高速に行き交った。

 そうして一つの答えが浮かび上がる。

 

「よし!」

 

 オヅマは気合を入れると、丘を上ってきた道と反対側に降りていった。

 

 

 

 

「お願いします!」

 

 ヴァルナル・クランツは三日ぶりの演習から帰ってきて、奇妙な光景に遭遇していた。

 

 自分の屋敷の門の前で、門番に深く頭を下げている少年。

 

 緩やかな坂道の畝の上、馬上のヴァルナルから彼らの姿は遠く見えていたが、まだあちらは気付いていない。

 

「パシリコ、あれは何だ?」

 

 斜め後ろについてきた部下に尋ねると、パシリコ・ライル卿はヴァルナルの隣に馬を寄せて短く答えた。

 

「少年と門番のジョスです」

「それはわかってる。何をしているんだ?」

「もう少し近付けば判明するでしょう」

 

 鹿爪らしい顔ですげなく答える部下を見て、ヴァルナルは軽く嘆息する。

 

 十歳年上の歴戦の勇士であるが、武人とはこうあるべきだ! という姿を見事に体現していて、余計なことは一切言うこともなく、当然ながら軽口を叩いたことなど一度もない。

 

「追い払いますか?」

 

 ヴァルナルの気持ちを斟酌して申し出たのは、もう一人の副官であるカール・ベントソン卿だったが、ヨゼフは肩を竦めると「(いや)」と答えた。

 

「とりあえず行ってみよう。但し、油断するな」

 

 ヴァルナルがそう言ったのは、まだ少年とはいえ時に敵方が小さな暗殺者を寄越すことを経験していたせいもある。

 

 もっとも、この領地において()というのは基本存在するはずもないのだが。

 

「お願いします! ご領主様にお取次ぎして下さい! 話を聞いてもらえば、きっと喜ばれるはずなんです!!」

 

 まだ声変わりする前の少年の甲高い声がハッキリと言うのが聞こえて、ヴァルナルはフンと鼻で嗤った。

 

 随分と大言壮語するではないか。この私が喜ぶと確信しているとは…。

 

 馬の嘶きに少年はハッとした様子でこちらを向いた。

 当数の騎馬が道を埋め尽くしていることに驚いているようだ。

 

 それは領主館の老門番であるジョスも同様であった。

 

「お、おお…お…ご領主様、お帰りなさいまし」

 

 あわてて出迎えてペコリと頭を下げてくる。

 

「ご苦労。で、その少年は?」

「は…はぁ…いきなり来てご領主様に会わせろと…かれこれ一刻(いっとき)*1以上」

「なかなか粘るな」

 

 ヴァルナルは馬から降りると、少年の前に立った。

 少年は驚いて固まっているようだった。

 

 薄汚れた亜麻色の髪に、浅黒い膚は西方の民の血が混ざっているのだろうか。

 淡い紫のライラック色の瞳が印象的だった。

 

(ひざまず)け!」

 

 カールが怒鳴りつけると、少年はあわてて膝を折り地面に頭をつけた。

 

「名は?」

 

 ヴァルナルが問いかけると、少年は平伏したままハッキリと答えた。

 

「オヅマです!」

「オヅマ…姓は持たぬか?」

「はい! ラディケ村から来ました!」

「……歩いてか?」

「はい! あ、いや…走って来ました!」

「村を出たのはいつだ?」

 

 オヅマはその質問の意図をはかりかねたのか、一瞬だけチラリとヴァルナルの方を見た。

 すかさずカールが怒鳴りつける。

 

「すぐに答えろ! 小僧!!」

「えっと……金五ツ刻(きんいつつ)*2の鐘の後だったと思うけど…」

「ほぉ…」

 

 ヴァルナルはニヤリと笑う。

 

 埃っぽい赤銅色の髪を掻き上げてから、思案するように髭の伸びた顎をボリボリと掻いた。

 パシリコとカールは互いに目配せする。

 これはヴァルナルが興味を持ったことを示す行動だった。

 

 その理由は明白だった。

 

 ラディケ村は馬で走れば三刻(みとき)*3ほどで辿り着く場所ではあるが、徒歩となれば険しい山道を通って、いくつもの丘陵を越えねばならず、大人の足でも半日はかかる。

 

 まして今は多少暖かくなってきたとはいえ、まだ山道には雪の残る季節だ。

 金五ツ刻(きんいつつとき)きっかりに出たとしても、普通であればこの時間には到着などしていないはずだ。

 しかも子供の足で。

 

「ジョス、この小僧がここに来たのはいつだ?」

 

 ヴァルナルが問うと、老門番はしばらく宙を見てから、

 

「太陽がまだこの辺りにあった頃にございます」

と、ほぼ頭の上を指差す。

 

 ヴァルナルはもう一度オヅマを見下ろした。

 

「ラディケ村のオヅマ、もう一度聞くぞ」

「はい」

「ここには走ってきたのか? 嘘をつくなよ。騎士に嘘をつけば、その首が飛ぶぞ」

「嘘じゃありません!」

 

 オヅマは思わず顔を上げて、ヴァルナルをじっと見つめた。

 口元は少し笑みを浮かべていたが、グレーの瞳は厳しくオヅマの様子を窺っていた。

 

「商人の荷馬車にでも乗せてもらって来たのではないのか?」

 

 カールが嘲るように言うと、オヅマはキッとその金髪の騎士を睨みつけた。

 

「嘘をつくなと言うから本当のことを言ってるんだ! ここに来るまで、ずっと走ってきた!! 止まったのは、途中で小川の水を飲んだ時だけだ」

 

 この時、オヅマはヴァルナルが自分を品定めしていることに気付いていなかった。

 

 生まれてこの方ラディケ村から出たこともないオヅマには、ラディケ村からレーゲンブルトまでの距離や時間がどれほどかかるかなど知りようもなかったのだ。

 

「いいだろう。ラディケ村のオヅマ。話を聞いてやる」

 

 ヴァルナルはそれでもさほどに期待していなかった。

 言っても子供の言うことである。大したことではあるまい。

 

「馬です」

 

 いきなりオヅマは言った。

 

 その場にいた大人達は首を傾げる。

 

「馬がいます。ヘルミ山の裏崖に。とてもいい馬ばかりです」

 

 そこはかとない自信を漂わせて言うオヅマに、ヴァルナルは鋭い視線を向けた。

 

「お前は…騎士にとって馬がどういうものかわかっていて言っているんだろうな?」

 

 それまで柔和だったヴァルナルが一気に騎士として豹変したのを目の当たりにして、オヅマは気圧されそうになった。

 

 ゴクリと唾を飲み込んで、必死でヴァルナルの視線を見返した。

 

「わかっているかどうかは…実際にご覧になってみて下さい」

「………」

 

 ヴァルナルは静かにオヅマを見据えていたが、内心で目の前の少年の度胸に少々驚いていた。

 

 見たところ八、九歳ほどに見えるが、年不相応に落ち着いた様子からすると、あるいはもう少し年をとっているのかもしれない。

 十分に食べられず、痩せて成長が遅い可能性もある。

 

「それで? お前の望みは?」

「へ?」

「私に馬のことを教えるのは、見返りを得るためだろう?」

「それは…」

 

 オヅマは言い淀み、首を振った。

 

「馬を見てもらって、納得されたら…願いをお聞き下さい」

「ほぉ…納得しない場合はどうする?」

「その時は仕方ないです」

 

 ヴァルナルはますます面白かった。

 なかなかに頭のいい少年だと思った。

 

 ここで願いを言って、それがヴァルナルにとってつまらなかったり、到底聞き入れることのできないことであれば、馬のことも興味をなくす可能性がある。

 

 あくまでも馬についての情報に集中させて、より期待値を上げている。

 その上で願いを聞き入れることも事前に了承させているわけだ。

 

 無論、この場合重要なのはヴァルナルが()()()()()()()()()()()()()()()が前提であるわけだが。

 

「もし、私が嘘を言ったらどうする?」

「はい?」

「お前が教えてくれた馬を見て、心の中では納得していても、私が嘘をついて要求を聞き入れないことも有り得るだろう?」

「そんなことはないと思ったから、ここまで来ました」

 

 オヅマは深く考えずに答えた。

 そこについてはあまり心配していなかった。

 

 クランツ男爵の噂については村でも時々聞いているが、そうした卑怯な行為を行うような人ではない。

 

 それにここに来るまでの間に、クランツ男爵のことを考えていたら、また()を思い出したのだ。

 

 ()の中でオヅマはただ黙って立っているだけだったのだが、その前で二人の人間が話していた。

 彼らはグレヴィリウス公爵がまだ幼い頃に、彼を身を挺して庇い命を落とした騎士について話していた。

 

 その騎士の名前はヴァルナル・クランツ。

 

 会話の細部まで思い出すことはできなかったが、その二人は卑しい笑みを浮かべて殉職したクランツ男爵について語っていた。

 

 ()の中のオヅマは顔には出さなかったが、その二人のことを忌み嫌っていたので、彼らが悪し様に話すクランツ男爵は非常に高潔な人間であったのだろうと……

 感情の記憶だけが生々しく残っている。………

 

「私を信頼するのか?」

「はい、信頼しています!」

 

 ヴァルナルは大笑いした。

 本当にいい度胸だ。見ていて気持ちがいい。

 

「いいだろう、オヅマ。明日、ヘルミ山に向かう。お前は案内しろ」

 

 

*1
1時間

*2
およそ午前9時頃

*3
3時間

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