「
ヴァルナルににっこり微笑まれて、オヅマは顔を引き攣らせた。
夏の参礼でのオヅマの剣舞は案外と評判になっており、伝え聞いたヴァルナルとしてはどうしても見たかったのだ。
「いや…もう忘れちゃって…」
「じゃあ、ゴアンにもう一度教えてもらうか?」
「いや! やっぱ覚えてます」
即座に否定する。またあのやる気満々のゴアンの熱血指導がされるかと思ったら、それだけで日々の労働が増える気がする。
「よし。アドルと二人で舞ってもらうからな」
「はい?」
「頼んだぞ」
ヴァルナルは否を言わせない。ニッコリと笑顔だけを残して去った。
「………君が剣舞を舞うとは意外だな」
しばらく間があって、アドリアンが言うと、オヅマはジロリと睨んだ後で、はあぁーっと長い長い溜息をついた。
「なんだってまた剣舞なんぞ…」
アドリアンは首を傾げた。
「君は時々、妙なことに
ちゃっちゃとやれ…というのはオヅマの口癖で、今やアドリアンの耳にこびりついて離れなくなっている。
「お前、やったことあんの?」
「そりゃあ…一応」
公爵邸で神殿に参拝する際には、他の親戚の子供らと一緒に舞うのが恒例行事になっていた。しかも自分は公爵家の継嗣であるため、一人で舞う部分もあるくらいだ。もっともそんなことをオヅマに言うわけにはいかない。
「とにかく、領主様のご命令なんだから仕方ない。さっさと流れを決めてしまおう」
珍しくこの件に関しては、アドリアンが主導権を握ることになった。
剣技は型が決まっているので、それさえマスターしていれば、あとは剣技と剣技の間を繋げる舞で流れを作ってしまえばよい。
適当に…とは思っていたものの、実際に任されるとアドリアンは手を抜かなかった。剣技の型についても、止めるところはピタリと止め、払う時の角度にまで文句をつける。
「ダーッ! 無理、もう無理!」
あまりに厳しい駄目出しにオヅマが匙を投げようとすると、アドリアンは憎たらしいほどに冷静な顔で訊いてくる。
「君、マッケネン卿に聞いたけど、ヴァルナ……男爵のようになりたいんだろう?」
「………」
「黒杖を授与された者は、皇帝陛下の御前で剣舞を披露することになってる。当然、男爵もしているんだ。その緊張感たるや、相当だったろうな」
実際にはヴァルナルは剣舞は下手だった。剣技の型は覚えているのだが、舞うとなると別物になるらしく、繋ぎの部分がどうしてもぎこちなくなってしまうらしい。
だから、ヴァルナルに比べればオヅマなど相当に上手と言っていいのだが、今はとにかくやる気を出させなければならない。
「ったく…どいつもこいつも、なにかっつーと
「
「領主様みたいになりたいって言ったけど、なれるかどうかなんてわかんないだろ!」
「そりゃそうだろうね。じゃ、諦める?」
「…………」
オヅマは文句は言うが、一旦引き受けたことは投げ出さない。いかなる時も。一ヶ月近く
「文句言い終わったんなら、次の型にいくよ」
アドリアンは手拭いで汗をふいてから、再び剣を持ってスタスタと歩いて行く。
オヅマは長い溜息をついてから、ヨイショと立ち上がった。
「だんだん生意気になってきやがった…」
「これで普通だけど」
「うるせぇ。
「…………君のその悪口はいまだに意味がわからないよ」
むっすりと言ってから、アドリアンの口の端に思わず笑みが浮かぶ。
オヅマとこういう軽口を叩き合うのも悪くない気がしてきていた。
◆
薄墨空の月、
朝に降っていた雪がやんだ頃合に、ヴァルナルは神殿へと馬橇を走らせた。
オリヴェルは今回も来ていた。
オヅマと一緒にアドリアンが剣舞を舞うというのが気に入らないが、またオヅマの舞が見れるのであれば無視などできるわけがない。
しかも、今回はちゃんと画板にスケッチ用の画用紙を数枚と、尖筆(*黒色顔料を細長く削って周囲に布を巻き付けたもの)も持ってきていた。
今度こそ目にも焼きつけて、できうる限りその姿を紙に描いて留めないと。
オヅマはオリヴェルが剣舞の絵を描いていると知ると、
「へぇ。見せてくれよ」
と気軽に言ってきたが、オリヴェルは絶対に見せなかった。ミーナにも見せていない。マリーだけが知っていた。
マリーは「せっかく上手なんだから、皆に見せればいいのに」と言ってくれたが、オリヴェルはとても人に見せられるものではないと思っていた。
だって、頭にこびりついた映像の十分の一も写し取れていないのだから。
今回もビョルネ医師が同行していた。
オリヴェルに何かあった時のため…ということもあったが、当人としては珍しい冬の参拝ということで「大変、興味深いです」と、むしろ嬉々として随行している。
ヴァルナルは神殿に辿り着くと、すぐさま本殿で礼拝を行う。
その間にオヅマとアドリアンは剣舞を舞う予定の境内を確認しに行った。夏には白砂が敷き詰められていた境内は、今は真っ白な雪に覆われていた。
「とりあえず、踏み固めておこう」
アドリアンが言う。
新雪は柔らかく、しっかり踏み固めておかないと、まともに剣舞などできたものじゃない。やってきた騎士団員総出で境内を踏み固めてから、簡単な流れの確認を行う。
今回は見物に回ったゴアンは感嘆した。
「いやぁ…なんとも見事だな。アドルが構成考えたのか?」
「あ…はい」
「大したもんだ。流麗っていうのか…淀みがないのに、決まるとこ決まってるしな」
「…ありがとうございます」
アドリアンは素直に頭を下げながら、なんだか恥ずかしかった。こんなにあけすけに褒められたことがないので、慣れない。
「良かったな。この人、嘘だけは言えないから」
オヅマが言うと、ゴアンは「この野郎」と捕まえにかかる。オヅマはペロと舌を出して逃げた。ケラケラ笑って走り回るのをアドリアンはやや呆れて見ていた。
雪道を二刻(約二時間)近く歩いてきたというのに、元気なことだ。
「じゃあ、
アドリアンが声をかけると、「おぅ」と返事したオヅマがゴアンに捕まって雪の中に埋もれた。
まったく…戦場においては鬼の集団と、味方からすら恐れられるレーゲンブルト騎士団の実体がこんなのだと知ったら、帝都の近衛騎士団などひっくり返ることだろう。………
◆
夏は夕闇の頃に始まったが、冬の夕暮れはあっという間に過ぎ去った。
昼頃に少しだけちらついていた雪も止み、今は綺麗に晴れて月がくっきりと濃紺の空に浮かんでいる。
雪上の四隅の篝火からは、パチパチと木の
だが、それより何より夏との違いで一番オヅマが驚いたのが……
「なんだって、こんなに人が来てるんだよ!?」
予想外の観衆に戸惑うオヅマに、ゴアンが言った。
「夏にお前の剣舞見た奴が教えたんだろ。かっこいい
雪深い田舎においては、こうしたことですら数少ない娯楽の一つだった。
サフェナに住まう人々の多くが、帝都から帰還した領主様の立派な姿を拝見することと、二人の子供が舞う剣舞を楽しみにしていた。
これから先、大帝生誕月までは祭りらしい祭りもない。雪籠りの前の、ささやかともいえる話のタネだった。
「皆、少し遅くなったが、新年をつつがなく迎え、明るき年に幸多いことを願う。今年の収穫も例年と変わらず、これも皆の精励恪勤によるものと有難く思っている。今年の実りをもたらしてくれた
ヴァルナルは領主らしい威厳を持ちながら、快活な弁舌で領民達を労い、オヅマ達の登場を盛り上げた。
オヅマがその大袈裟な紹介に辟易していると、見物人の中から声がかかる。
「オヅマー!」
「オヅマ親ぶーんッ!」
オヅマはゲッとなって見物人の中をざっと見渡した。おそらくラディケ村でよく遊んでいた子供達だろう。親分、と呼ぶのは特にオヅマについて回っていた粉屋のティボだ。
「親分なのか、君?」
ざわめきの中で聞こえにくいはずなのに、アドリアンがしっかり聞きつけて尋ねてくる。
オヅマは渋い顔になった。
「……村にいた時の
「そんなに遠いところからも来ているのか?」
「いいとこ見せないとなぁ、オヅマ」
ゴアンが笑って、背中を叩く。
「冗談じゃねぇよ…ったく」
オヅマはくしゃくしゃと前髪を掻いた。
急になんだか落ち着かない。
その様子を見たアドリアンは、クスリと笑って仮面をつけた。
「珍しいな、君が緊張するなんて」
「うるせぇや」
オヅマはイライラと言い返した。正直なところ、昔の知り合いに見物されるなんて考えてもみなかった。小っ恥ずかしいし、失敗もできない。
眉間に神経質な皺が寄って唇が乾いた。ハァ、と何度もため息をつく。
本当に珍しいオヅマの緊張した様子に、アドリアンは目を丸くした。ふと、昔、ある人にしてもらったことを思い出す。
アドリアンは人差し指と中指を伸ばして軽く自分の唇に触れた後に、オヅマの額にその二本の指を当てた。
オヅマが首を傾げる。
「なんだよ、今の?」
「おまじないだよ。知らないか?」
「………」
オヅマはなんとなく知っているような気もしたが、結局思い出せなかった。
一方、そばでその様子を見ていたゴアンは息を呑む。
『なんと…小公爵様はオヅマに
盟誓を刻む…それは自分に忠誠と服従を誓った騎士に対し、主が騎士たるの承認を与えることを意味するものだ。
本来の儀式においては、主が二本の指で唇に触れ、その指で剣身を撫でるような仕草をした後に、頭を垂れた騎士の後背部にその剣をそっと当てるのだが、時に簡略化してアドリアンのように指で行うものもある。
公爵家配下の騎士達はすべて、皆、公爵に対し忠誠を誓い、公爵からの盟誓を刻まれる。
確かにまだ見習いでしかないオヅマと小公爵では、おまじない程度の意味しかなさないものではあるが、将来的にオヅマが小公爵によって騎士に叙任されることを約束した…と、取れないこともない。
呆然としているゴアンを置いて、アドリアンとオヅマは月明りに照らされた境内へと出て行く。
わあっと歓声が上がった。
二人が中央で半眼を閉じて佇立していると、徐々に興奮を帯びた静けさがその場を覆っていく。
ドン、と太鼓の音が響くと同時に、剣舞が始まった。
◆
それは夏のものとはまた違っていた。
二人は互いに剣を交わらせて、戦っているかのような動きを見せたかと思うと、次には指の先までもピタリと合わせてまったく同じ舞を見せる。
蹴り上げて宙を飛ぶ雪ですらも、彼らの舞の一部であるかのようだった。
カキンと剣を打ち鳴らし、クルリと回って位置が入れ替わると急にザクリと剣を雪に突き立てる。そのまま二人とも、まるで精巧に仕組まれた人形かのように、ピッタリ同時に後ろに宙返りした。
見物客から「オオォ!」とどよめきのような喝采が上がる。
雪の上に降り立って、格闘術の技の型を二つほど披露した後、今度はその場で剣の方へむかって体をひねりつつ横向きにまた跳躍して回転する。同時に雪に突き立った剣をとって、再び剣技の型を次々に見せていく。これが恐ろしいほどピッタリ息があっていた。
「すごいな…」
オリヴェルは横で父がつぶやくのを聞いた。同じように聞こえていたカールが、隣でそっと囁くように話す。
「小…アドルが相当にしごいていたようですよ。さすがというべきか…」
「そうだな。私も教えてもらいたいくらいだ」
「アドルの負担が増えるからやめて下さい」
「……ひどいな…」
ヴァルナルが拗ねたように言うのを、オリヴェルはポカンと見ていた。
視線に気付いたヴァルナルがオリヴェルの方を振り返る。少し気まずそうな…なんとも言えない顔で見つめた後、ぎこちなく笑って尋ねてきた。
「…描けているか?」
「あ…はい」
オリヴェルはあわててまたオヅマ達に視線を戻す。
「できたら見せてくれ」
オリヴェルは尖筆を走らせながら、チラとヴァルナルを見た。やさしい目と目が合って、またあわててオヅマ達の剣舞を必死で見ているフリをした。
ミーナがオリヴェルの世話をするようになってから、父との距離はどんどん近くなってきてはいたが、帝都から帰ってきてからというもの、話しかけてくることが多くなった。
以前は、一緒に食事していてもほとんど黙々と食べているだけだったのに、最近はミーナやマリーから色々と教えてもらうのか、オリヴェルの読んだ本の話や、オヅマの話をしているうちに、自分の見習い騎士時代の話までしてくれるようになった。
オリヴェルは父の変化が嬉しくもあったが、同時に子供っぽく喜ぶのもなんとなく気恥ずかしくて、時に素っ気ない態度になってしまうことが申し訳なかった。
ある意味、この親子はそろって不器用なのだろう。
境内ではオヅマ達の舞が終わりを迎えていた。
最後に再び剣を交わすと、剣技の型を一つ行ってから、最初に立っていた位置で静止して佇立する。
ゆっくりと剣を胸の前にまっすぐに降ろしてゆき、
おぉぉ、と観衆が感嘆と称賛の声をあげる。
鳴り止まぬ拍手と歓声の中を、アドルとオヅマは粛々と歩き去った。
次回は2022年7月9日20:00に更新予定です。