「………だから、無理強いをしているなら、謝る。はっきり断ってもらって構わないが…………駄目だろうか?」
オヅマはヴァルナルが母に向かって、まるで何か許しを乞うかのように尋ねている姿を見て、胸が詰まった。
同時に、オリヴェルの言っていたように、ヴァルナルが母のことを好いているのだとはっきり認識する。
だが、母は以前に言っていた。
「そんなことは有り得ない」と。
だから、きっと断るだろうと思ったのに。―――――
「私などはただ話を聞くだけでございますが…領主様の助けとなるのであれば、喜んで話し相手ぐらいは承ります」
オヅマから見て、母は後ろを向いていたが、笑っているようだった。
随分と打ち解けた様子の二人を見て、オヅマはひどく動揺した。
呆然としている間にも、二人は楽しそうに喋って、母は背伸びしてヴァルナルの肩にショールなんて掛けている。
オヅマはそれ以上見ていられなくて、足早にその場を立ち去った。一旦、建物の中に入ってから、宿舎に戻ってくる二人と鉢合わせすることを避けて、元々向かっていた本殿の方へと多少遠回りしながら黙々と歩いていく。
何だか…裏切られた気分だった。
母にも、ヴァルナルにも。
さっき剣舞を舞った境内には、夜半に少し降った雪が積もっていた。
オヅマは柔らかな新雪を蹴った。苛立ちのまま無茶苦茶にに蹴りつけて、境内を歩き回っていると、不格好な木剣が落ちていた。見物客が忘れていったのだろうか。
オヅマはその木剣を手に取ると、ブン、ブンと素振りを何度かしたが、一向に脳裏から先程の光景が消えない。いや、嫌なのはあの二人の仲良さそうな姿ではなく、それを見ている自分の気持ちだ。どうしてもモヤモヤする…。
ギリリと歯軋りして、オヅマは苛立ちと一緒にザクリと木剣を地面に刺した。そのまましゃがみ込んで、静かに息を潜める。
自分が何をしようとしているのか…オヅマにはわかっていなかった。
シンと冷えた夜の静寂に溶け込んで、オヅマは自分を追い払いたかった。何も考えたくなかった。
首を項垂れて、内へ内へと意識を沈めていく。
うなじがピリピリしてきて、ゆっくりと神経が伸びていく感覚。
背に、肩に、足の裏からも、神経の根が周囲に張り巡らされてゆく。………
急にオヅマは木剣を掴んで跳躍した。
なんの気配もなくそこにいたヴァルナルめがけて、木剣を突きつける。
「……………眠れないか?」
ヴァルナルはいきなり自分に向けられた切先に、驚いたようではあったが、それでも悠然と笑って問うてきた。
「…………」
オヅマは黙っていた。
何を言えばいいのかわからない。なぜか体が固まってしまって、剣をヴァルナルに向けたままだ。
「オヅマ…?」
ヴァルナルは硬直したオヅマをしばらく見つめてから、やれやれと笑った。
「武者震いならぬ、武者
ヴァルナルはオヅマの持つ木剣をバシリと手刀で打った。
元々木剣に適さない木で作られていたのだろう。あっけなく折れてモロモロと崩れていく。
オヅマは手の中で形を失った木剣の屑を凝視していた。まだ、体の強張りがとれない。
ヴァルナルはオヅマの両肩をガシリと掴むと、「ハッ!」と気合を入れた。途端に力が抜けて、オヅマはヘニョリと雪の上に膝をつく。
ヴァルナルは倒れそうになったオヅマの腕を掴んだ。
「無茶をするからだ…一体、誰に聞いた?」
「………え?」
「全方位の
「
オヅマがつぶやくと、ヴァルナルはふっと笑った。
「そうだな。だが、まだお前には無理だ。今、立ってもいられないのだから」
「領主様はできるんですか?」
「私か? 私は…多少は使えるが、稀能と呼べるほどのものでない。達人ともなれば、そう…この森一つ分程度であれば、すべての敵を感知して全滅させることも可能だろうな。『千の目・
「『千の目』……」
その言葉を聞いた途端、オヅマの胸がザワザワと蠢く。
また
「オヅマ?」
「……なんでもないです。離してください」
ヴァルナルは怪訝に思いながらも、オヅマの腕を離す。
オヅマはふらつきながら立ち上がると、ヴァルナルをチラとだけ見て、すぐに目を伏せた。
「オヅマ…お前は……」
ヴァルナルが言いかけると、オヅマは遮るように問うてきた。
「騎士は…気配を読むんだって…聞きました」
「あぁ。それは騎士としての修練を積めば、多少なりと身に入ることだ。その中で特に鋭敏な者であれば、より特殊な修練を積むことで
「覚知?」
「そうだ。稀能は特殊な人間が持つ力じゃない。皆、それ相応の能力を秘めている。自身でそれを覚知し、発現させ、制御できるかどうかだ。能力だけが突出して、使いこなせない者は悲劇的な末路を迎えるからな」
言いながら、ヴァルナルはオヅマの能力に密かな危惧を抱いた。
甚だ未完のものではあるが、今、オヅマは確実に全方位索敵術――通称『千の目』――を発現させようとしていた。その上、ヴァルナルの気配を感知して襲いかかってきた、あの速度。まさに『
まだ、騎士としての訓練を受け始めて一年にも満たず、わずか十一歳の子供が使用していい
明らかなる素質を認めながらも、ヴァルナルは喜べなかった。
まだ早い。早すぎる覚醒は、本人にも周囲にも害となりかねない。
目の前の無自覚なオヅマに、ヴァルナルの眉間の皺は深く憂いを帯びた。
「領主様の
ヴァルナルの心配も知らず、好奇心旺盛なオヅマは尋ねてくる。
「私か……」
ヴァルナルは一瞬迷った。言えば、きっとオヅマは教えてくれと言ってくるに違いない。しばしの躊躇の後に、ヴァルナルは結局話した。
「わたしの稀能は『
「『澄眼』? どんなものですか?」
「うーん…有り体に言えば、相手の動きを読むんだな」
「………どう動くかを予測するってこと?」
「そうとも言える。周りから見ると、そうなのかもしれない。だが、私からはただ相手が
「
「カールの千本突きを見たことがあるか?」
オヅマに剣を教えてくれているカールは、稀能とまではいかないが、凄まじく早い突き技を連続して行う千本突きの名手でもある。
オヅマ自身が相手をしたことは勿論ないが、何度かその技を他の騎士相手に繰り出しているのを見たことがあった。
目にも留まらぬとはあのことで、隣で暇な騎士達が何度突いているかを競って数えていたが、あまりの速さに誰もが途中で数えるのをあきらめた。
「あのカールさんの攻撃も、『澄眼』を使えば、
「あぁ。まるで蝶が舞ってるみたいにな」
「じゃあ、あの高速の攻撃をすべて凌げるってことですか?」
「そうだな。何度か立ち合ったが、今のところ突かれたことはないな」
オヅマは今更ながらヴァルナルの凄さに感嘆した後、やはり予想通りの行動をとった。
「教えて下さい!」
ヴァルナルはかすかなため息をついた。
「とりあえずは、体力だ。お前はまだまだ基礎体力が足りない。しっかりとした土台がないと、どんな技能も身につかないからな」
「もっと走れってことですか? もっと速く走れるようになって、剣の素振りを毎日二百回、いや三百回したら…」
焦ったように言うオヅマに、ヴァルナルは頭を振りながら笑って、ポン、と肩を叩く。
「今のお前に必要なのは、身体の成長だ。つまり、よく食べて、よく動き、よく眠る。そうすれば勝手に大きくなって、充実していく。ただし、一朝一夕には出来ない」
「………」
ヴァルナルの前でなければ、オヅマは舌打ちしたい気分だった。
結局、子供だから駄目なのだ。いつだってそうだ。子供であるから許され、子供であるから禁じられる。
自分はもっと早く、強く、大きくなりたいのに…!
オヅマは急に黙り込むと、一歩後ろに下がった。
今更になって、ベージュのショールが目に入ってくる。プイと、そっぽを向いて、冷たく尋ねた。
「どうしてこっちに来たんですか?」
「……来てはいけなかったか?」
「領主様に駄目なことなんてありません。でも、早く帰った方がいいんじゃないですか? せっかく風邪をひかないようにって……そのショール…」
ヴァルナルは苦笑した。
やはり見られていたか、と。なんとなくミーナとの会話の途中で視線を感じて、彼女が去った後に人の気配を辿って来たら、オヅマがいたのだ。
正直、多感な時期の少年には見たくないものだったかもしれない。
オヅマが母と妹のことを誰より、何より大切に思っていることは、ヴァルナルも承知している。家族思いの少年には、男女のことはあまりに異質だろう。ましてそれが自分の母であれば、尚の事、拒否反応が出ても不思議はない。
「オヅマ…誤解しないでくれ。ミーナには時々、話し相手になってほしいと頼んでいただけだ」
「嫌いだったら、そんなこと頼まないでしょう?」
「ま…それはそうだな」
オヅマのすげない態度にヴァルナルは少し戸惑った。
いつもは騎士見習いとして、可愛がっていた存在が、急にとてつもない壁になった気がする。
オヅマは真っ直ぐにヴァルナルを見つめて尋ねた。
「好きなんですか、母さんのこと」
「………ああ」
ヴァルナルは緊張しながらも目を逸らさなかった。
ミーナと同じ薄紫色の瞳は静かで、なんの感情も見えない。
しばし互いに見合ってから、ふっと、目線を下に向けたのはオヅマの方だった。
「……マリーとオリヴェルは……きょうだいになれるって喜んでました」
「きょうだい??」
ヴァルナルはいきなり話が飛躍して、思わず聞き返した。
オヅマは怪訝にヴァルナルを見る。
「だって、俺の母さんと結婚するなら、きょうだいになるんでしょう? 俺とマリーと、オリヴェルは」
「いや! 待て! まだ、その…結婚だとかは考えてない…というか…」
ヴァルナルは慌てて否定したが、それは余計な誤解を招いたようだ。
オヅマはギュッと眉間に皺を寄せてから、また視線を逸らせてどこか軽蔑を含んだため息をつく。
「あぁ、そうですね。領主様ぐらいのご身分の人が、母さんを
「馬鹿を言え! そんなつもりは毛頭ない!」
ヴァルナルはさすがに強硬に否定した。
しかしオヅマの顔は暗く翳ったままだ。
「俺は子供だから…大人のすることに口出しはできないけど……」
オヅマは少しかすれた声で低く言ってから、ギロリとヴァルナルを睨みつけた。
「マリーと、母さんを不幸にするなら、領主様であっても許しませんから」
ヴァルナルは真っ直ぐにその目と対峙しながら、ゴクリと唾を呑み込んだ。
この威圧感は何なんだろうか。ただの子供と思えぬ、暗く沈んだ迫力は。
ヴァルナルは軽く息を吐いて、やや強張りながら笑みを浮かべた。
「ミーナを不幸にするなど、絶対にあってはならないことだ。それはお前と同じ意見だよ、オヅマ」
「………」
オヅマはふと我に返ったようだった。急に瞳の力が弱くなって、項垂れるように頭を下げた。
「すみません。生意気なことを言いました…失礼します」
そのまま立ち去ろうとするオヅマに、ヴァルナルは思いきって呼びかけた。
「オヅマ! 私は………お前の父親にはなれないか?」
ピタリと歩みを止めて、オヅマはゆっくり振り返った。さっきと同じ暗い顔でボソリとつぶやく。
「俺は父親はいらない」
「…………」
ヴァルナルの胸に乾いた冷たい風が吹いた。
はっきりと、一線を引かれた。
騎士として、領主としてのヴァルナルへの敬意はありながらも、こと親子ということに関して、オヅマは明確に拒否した。
ヴァルナルは言葉が出なかった。
しかしすぐに、オヅマ達家族が、父親を失ってまだ間もないことに気付く。
「あ…いや……そうだな。すまない。まだ父親を失って一年も過ぎていない内から…無神経だった」
ミーナから聞く限りひどい父親であったと思うが、子供の思いはまた他人にはわかりえぬものだろう。
オリヴェルとて、何年も実の息子を放任してきた不人情な父親であっても、父として慕ってくれているのだから。
しかし、オヅマはヴァルナルの言葉に、フッと皮肉げに頬を歪ませた。
「あんな野郎が父親? 冗談でしょ。あんなのは父親じゃない。だいたい血も繋がってないんだから」
ヴァルナルはオヅマが既に自分の出生について知っていたことに驚いた。思わず問いかける。
「オヅマ…お前、知ってたのか?」
「何を? あのクソ親父が自分の父親じゃないってことをですか? そりゃ、本人に嫌ってほど聞かされたんだから、知ってますよ」
オヅマは話しながら、ヴァルナルがその事実を知っていたことこそ驚きだった。あの口の堅い母が教えたのだとしたら…つまり、そこまで親密だということか。
さっき二人を見た時の苦い気持ちがまた甦る。
生まれた時からずっと一緒にいて、いつも自分とマリーを見ていてくれた母。
オヅマの決断を受け入れ、新たな生活を与えてくれた尊敬する領主様。
どちらも大好きな存在なのに、二人が二人だけの世界にいることが、オヅマにはひどく落ち着かない。
「母さんからも聞いてます。はっきりと言われたわけじゃないけど、否定しなかったんで。本当の父親のことも聞いたけど、教えてくれなかった。いっそ、死んだって言ってくれればいいのに、迂闊に『死んだ』なんて話して、そいつが言霊に触れて死んだりしたらいけないって…迷信信じて、いまだにそのロクデナシを守ろうとしているのが、本ッ当に……」
ギリ、とオヅマは奥歯を噛みしめる。
幼い頃のやり取りが脳裏に浮かんだ。
―――――母さん、俺の本当の父さんはどんな人なの?
―――――それは…教えられないの。ごめんね、オヅマ。
―――――…ううん。いいよ。だって母さんを捨てた奴だもの。悪い奴だよ。
―――――オヅマ、そうじゃないの。母さんが愚かだったの。物知らずだったのよ。だから恨まないで…
虫酸が走る。
そう思ってから、オヅマは少し混乱した。
一方、ヴァルナルは嫌悪感もあらわなオヅマの顔に、この少年のまだ短い半生を思った。
一体、どれほどの虐待によって、この根強い不信が植え付けられたのだろうか…。
「悪かった」
ヴァルナルが頭を下げると、オヅマは戸惑ったように見た。
「なんで領主様が謝るんですか?」
「いや。言葉足らずでいらぬ誤解をさせた。しかし、安心してくれ…というのも変だが、ミーナにはしっかり断られてるんだ」
「え?」
「一度、正直な気持ちを打ち明けたが…断られた。きっぱりとな」
オヅマはまじまじとヴァルナルを見た後に、またボソリとつぶやいた。
「馬鹿だな…」
ズバリと言われ、ヴァルナルは情けない笑みを浮かべる。
「いや…ま、その通り…馬鹿な男だ。きっぱりフラれてるのに…いつまでも
「違うよ」
オヅマはやや大きな声で否定した後に、伏し目がちに言った。
「馬鹿なのは、母さんだよ。どう考えたって、あのクソオヤジより領主様の方が絶対いいに決ま……」
語尾はかすれ、喉に何かが引っ掛かったのか、それとも照れ隠しにか、オヅマはゴホゴホと咳き込んだ。
「………失礼します」
ヴァルナルがポカンと口を開けている間に、オヅマは走って部屋に戻っていった。
次回は2022年7月13日20:00に更新予定です。