昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第四十一話 小さな画伯

「あら」

 

 扉を開けて出てきた(ひと)に、アドリアンは思わず固まってしまった。

 

 決められた修練と雑用を終えて、いつものごとくオリヴェルの部屋へと向かったアドリアンとオヅマだったが、オヅマは途中で下男の一人に呼ばれて行ってしまった。

 

「先、行っといてくれよ。すぐ行くから」

 

 軽く言い置いて行ってしまったが、正直、オヅマがいないならアドリアンがオリヴェルの部屋に行く理由などほとんどないのだ。

 部屋の主は相変わらず、敵対心もあらわだし、アドリアンの方でも年下の子供の相手などしたことないので、どうすればいいのかわからない。

 

 ようやっと最近になって、三人で駒取り(チェス)の総当たり戦(現在、第二期節(セカンド・シーズン)第一期節(ファースト・シーズン)はアドリアンが優勝)をやったりするようになったが、対戦している間もオリヴェルがアドリアンに話しかけることは皆無だった。

 

 だから今も正直行きたくなかったが、行かないと行かないで今度はマリーがむくれるらしい。

 

「だって、三人だとお兄ちゃんとオリヴェルが駒取り(チェス)始めたら、私、やることないんだもん」

 

 マリーはあれでけっこうおしゃべりなのだが、話が激しく前後するので、かなり根気よく聞いてやらないと意味がわからない。

 オヅマはハナから聞く耳を持たないし、オリヴェルはいちいち指摘しては話が止まってしまうので、マリーとしては、とりあえず黙って、時々相槌をうってくれるアドリアンは格好の話し相手なのだった。

 

マリー(あいつ)が怒ったら一番始末が悪い」

 

と、オヅマは言う。

 もっともアドリアンからすると、オヅマもオリヴェルもマリーに滅法甘くて、ご機嫌を窺っているように見えるが。

 

 ということで、アドリアンはやや憂鬱になりつつオリヴェルの部屋の前まで来て、ノックした。

 そこで扉を開けてくれたのが、いつものマリーでなくミーナであったのだ。まともに薄紫色の瞳と目が合って、思わず騎士達の話を思い出す。

 

 

 ―――――男爵が…好意を寄せる相手がいるってことですか?

 

 ―――――ミーナだ…

 

 

 やっぱり、美しい。

 アドリアンは再確認する。

 

 相手に安心感を与えるふわりとした上品な微笑み。

 ヴァルナルはきっとミーナの容姿だけでなく、穏やかで優美な雰囲気に惹かれたのだろう。

 

 二人のことを考えると、アドリアンはどういう顔をしていいかわからず、下を向いた。ミーナは特に何か気にする様子もなく朗らかに尋ねてくる。

 

「いらっしゃい、アドル。珍しいのね、一人?」

「あ…オヅマはちょっと用があって呼ばれて…すぐに来ると思います」

 

「あら、そう。ごめんなさいね。若君とマリーも、今は温室に花を見に行っているのよ。なんでも珍しい花が咲いたらしくて…あなたも行ってみる?」

 

「いえ」

 

 アドリアンはすぐに断った。

 オリヴェルがマリーのことが好きなのは明らかなので、そんなところに行ったら、殺されそうな勢いで睨まれた挙句、嫌味の一つ二つじゃ済まない。

 

「そう? じゃあ、中で待ってて頂ける? すぐに戻ると思うわ。私はおやつの用意をしてきますね」

 

 ミーナは扉を大きく開いて、アドリアンを招き入れる。

 なんとなくアドリアンは断るきっかけを掴みそこねて、そのままおずおずと中に入った。

 

 いつもは四人で騒がしい部屋の中はシンとしている。

 曇り空が見える窓は差してくる日の光も弱く、昼間だったがランプが灯されていた。

 

 アドリアンはいったん、ソファに座ったものの、なんだか落ち着かなくて立ち上がる。

 ふと、隅の方に置かれた三脚が目に止まった。イーゼルようだが、なぜだか壁の方にむかってキャンバスが置かれて、上から布が被せられている。

 

 アドリアンは少し迷った。

 オリヴェルが、自分とオヅマの剣舞の絵を描いているらしいことは、マリーから聞かされていた。ただ、

 

「オリヴェルったら、絶対に誰にも見せないのよ。私はちょっとだけ見れるんだけど、お母さんにもお兄ちゃんにも絶対に見せないの。下手だからって。そんなこと全然ないの。すごく上手なのに……」

 

と言っていたので、オリヴェルがアドリアンに見せないであろうことは確実だった。

 

「…………」

 

 しばらく考えてから、アドリアンは布を取った。

 どうせ一生見せてもらえないなら、今見ておくしかないだろう。あのオリヴェルが自分をどう描いているのかも、実はかなり興味があった。

 

 イーゼルを持ち上げて、キャンバスをこちらに向けてから、アドリアンはその絵に言葉を失った。

 

 雪を蹴り上げて舞う二人の姿。

 白い月の光。

 篝火の炎。

 閃く剣の鋭さすらも、伝わってくる。

 

 九歳の子が描いたとは思えぬほど、上手な絵だった。自分(アドリアン)のことも、案外ちゃんと描いてくれている。手前のオヅマに比べると、細かな表情は描かれていないが。

 

 思っていた以上の完成度に、アドリアンはすっかり見入っていたのだろう。

 扉が開いたことにも気付かなかった。

 

「あーっ!!」

 

 大声で後ろから叫ばれて、アドリアンはビクリと肩を震わせると同時に、ここがオリヴェルの部屋であったことに気付く。

 おそるおそる振り向くと、オリヴェルが凄まじい憤怒の形相で、睨みつけていた。反対に隣で笑っていたのはマリーだ。

 

「あっ、見たんだ! ね、ね、上手でしょ? とっても上手でしょ?」

 

 オリヴェルが何かを言う前に、マリーはアドリアンのところに走ってきて、ニコニコ笑って早口に尋ねてくる。

 

「あ……」

 

 アドリアンは少しだけ気まずいながらも、オリヴェルをじっと見つめてから頷いた。

 

「うん。とても上手だと思う」

 

 途端にオリヴェルの顔が真っ赤になる。

 

「う、嘘つくなっ!」

「嘘じゃない」

「上手いわけないだろッ! 全然っ、全く、全然、見たことの半分だって描けてないんだッ」

「そんなことないってば!」

 

 マリーが同じように声を張り上げて言うが、珍しくオリヴェルはマリーの言葉にすら激しく首を振った。

 

「駄目なんだよ、こんなの!」

 

 言うなりオリヴェルがつかつかとこちらに歩いてきて、キャンバスを取り上げようとする。アドリアンは咄嗟に伸びてきたオリヴェルの手を掴んだ。

 

「何するんだ、離せ!」

「離したらどうする気だ? せっかくの絵を」

「どうしようが僕の勝手だ! お前に見られて、馬鹿にされるくらいなら、叩いて破って捨ててやる!」

 

 アドリアンはイラっとなった。右手でオリヴェルの手首を掴みながら、左手でキャンバスを取り上げた。

 

「返せ!」

 

 躍起になってオリヴェルは怒鳴る。

 アドリアンの頭上高くにキャンバスをもって行かれて、頭一つ分は身長差のあるオリヴェルには手を伸ばしても届かない。

 

 アドリアンはあきれたようにため息をついた。

 

「いい加減にしたまえ。勝手に僕の気持ちを決めつけないでもらいたい。さっきも言ったように、僕はこの絵が上手だと言っている。嘘じゃない」

 

 いつものようにアドリアンは冷静な物言いだったが、妙に迫力があって、オリヴェルは少し戸惑った。

 

「………そんなわけ…」

 

「嘘じゃない、と言っている。僕が君に嘘をつく必要があるのか? 領主様の息子であっても、オヅマ同様、今まで忌憚ない付き合い方をしてきたはずだ。それは君も重々承知だろう?」

 

「君に…何がわかるというのさ」

 

 オリヴェルはアドリアンの態度にやや圧倒されつつも、これまでの反感はそう消えない。ジロリと睨んで問うと、アドリアンはキャンバスを下ろして、まじまじと間近に眺めながらつぶやいた。

 

「マリ=エナ・ハルカム……」

「え?」

「だぁれ、それ?」

 

 マリーが尋ねると、アドリアンは絵を見たまま説明する。

 

「ただ見たままを捉えて絵にするのではなく、自分の心に感じたものも絵にする…そういう創作理論を提唱した画家だ。女の画家ということもあって、あまり知られてないけど、僕の母が後援者(パトロン)だったから家にいくつか絵があって……」

 

 言いかけてアドリアンはハッとなり、あわてて口を噤んだ。

 チラとオリヴェルとマリーを見る。オリヴェルの方は、怪訝な顔でアドリアンを見ていたが、マリーは訳がわからないようだった。

 

 アドリアンは軽く咳払いしてから続けた。

 

「つまり、君は彼女と同じような考え方なんだろう。僕やマリーからすれば、君の絵は十分に上手だ。おそらく誰の目から見てもそうだ。でも君は、君の目で見て、君の感じた全てを絵にこめたいのに、それができないから下手だと思うし、全然できてないと思ってしまうんだ」

 

「…………」

 

 オリヴェルはポカンとなった。

 今まで自分の中にあった形にできないモヤモヤしたものが、アドリアンの言葉によって、ようやく目の前に現れたかのようだ。

 

「実際に、マリ=エナ・ハルカムの絵を見れば、君なら何か感じるところがあるのかもしれないけど…」

 

 アドリアンは話しながら、公爵邸に頼んで一枚、送ってもらおうかと思案する。

 おそらく飾ってあるものの他に、彼女が残していった絵が倉庫にあるはずだ。

 しかしすぐに無理だと諦めた。今は自分は罰を受けている身だ。父が許すはずがない。

 

 フッと暗い顔になって俯いたアドリアンを見て、マリーがそっと袖を引っ張った。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

 

 心配そうに自分を見上げる緑の瞳。

 アドリアンは思わず微笑んだ。

 いつもマリーにやり込められてブツブツ文句言いながらも、妹の言う事を聞くオヅマの気持ちが少しだけわかった。

 

 そうか…()という存在は、可愛いものなのか…。

 

 話にだけ聞いたことのある異母妹のことを思い出す。彼女も確かマリーと同じ年頃ではなかったろうか…?

 

「アドル…君は…一体…?」

 

 オリヴェルは今になってようやく、アドリアンの正体について考えていた。

 父の知り合いの息子だと聞いていたが、話の内容や、アドリアン自身の持つ妙に落ち着いた振る舞いといい、およそそこらの貴族の若君とも思えない。

 

 アドリアンはオリヴェルの質問には答えず、キャンバスを差し出した。

 

「この絵が完成したら、僕が貰いたいくらいだ」

 

 オリヴェルはキャンバスを受け取って、まじまじと眺める。

 やっぱり、自分ではまだまだ下手だ。あの時の感動の半分も、この絵からは感じ取れない。

 

「あら、駄目よ。アドル。この絵は私が貰うの。これの前に描いてた絵はお兄ちゃんにあげる予定なのよね? オリー」

 

 マリーが言うと、アドリアンはクスリと笑みを浮かべた。

 

「なんだ、オリヴェル。君、まだ一枚も発表していないのに、信奉者(ファン)が三人もいるんだな」

「三人?」

「マリーと、オヅマと、僕と」

 

 オリヴェルは真っ赤になった。

 素直に言えば嬉しいのだが、今までの経緯もあって、アドリアンにどういう顔をすればいいのかわからない。

 

 隣で二人の様子を見ていたマリーは満面の笑みを浮かべて言った。

 

「やっぱり私の言った通りだったでしょ、オリー。アドルは素直で物知りだから、ちゃんと見て、ちゃんとしたこと言ってくれるって」

「え…」

 

 アドリアンはマリーの言葉に驚いた。素直? 自分が? 一度もそんなことを言われたことがない。

 

 一方、オリヴェルは絵とアドリアンを見比べてから、小さな声でようやく勇気を出す。

 

「あ………あり…がとう」

 

 アドリアンはまさか礼を言われるとも思わず、その事にも目を丸くした。

 しかし、こちらの反応を窺うように下から見上げてくるオリヴェルに、ニコと微笑みかける。

 別に大したことを言ったわけでもないが、オリヴェルの自信に繋がったのならば何よりだ。

 

 オリヴェルの方も、オヅマ以外にはいつも無表情なアドリアンにいきなり微笑まれて、びっくりしながらドキリとなった。

 今まで冷たさすら感じていた赤っぽい鳶色の瞳が、急に優しい物柔らかな印象に変わる。

 整った顔立ちのせいもあって大人びた印象だったが、笑った顔は同じ年頃の少年らしい屈託のないものだった。

 

「アドル…君って……」

 

 オリヴェルが胸の奥で考えていたことを尋ねようとした時、ドアが勢いよく開いて、オヅマの無遠慮な大声が響いた。

 

「おーい、チビ共。今日はイチジクのパイだぞ。早い者勝ちだからな~」





次回は2022.07.16.に更新予定です。


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