昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第三話 ヘルミ山の黒角馬

 ヘルミ山の黒角馬(くろつのうま)

 

 そのことを思い出したのは、武人であるクランツ男爵に取り入るための材料を頭の中で必死で考えているときだった。

 

 ふっと、帝都でその馬に騎乗した軍団が行進する光景が浮かび、それを群衆の中で見ていた()を思い出す。

 

 その馬は数年前に発見され、調教の末に皇軍の第一・二騎士団に配されたらしい…と誰かが訳知り顔に話しているのを、()の中でオヅマはぼんやり聞いていた。

 

 興味がないようだった。

 だが、今のオヅマにとって、それはとても重要な情報だった。

 

 オヅマは何度かヘルミ山に行ったことがあった。

 そこにはいくつかの貴重な薬草が生えていて、年をとって取りにいけなくなった薬師のお婆さんに採取を頼まれたからだ。

 

 その時に何度かこの一風変わった馬の群れを見ていた。

 角があるのは基本的には雄であるようだった。

 

 黒い捻れた角が左右に一本ずつ生えていて、毛並みは白や黒葦毛が多かった。

 馬といえば多くは栗毛だったが、不思議とこの黒角馬に関して栗毛を見たことはなかった。

 

 角以外に特徴的なのが縮れた長い(たてがみ)だった。

 首を覆うほどに長く、毛量も多い。

 

 これは山羊(ヤギ)からの血統なのだろうか。

 お婆さんによると、おそらく大昔に山に棲んでいた古代種の山羊と野生馬が交雑したのだろうとの話であったが、正確なところはわからない。

 

 古代種の山羊はとうの昔に姿を消したが、相当に大きかったというから有り得ない話でもない。

 

 いずれにしろオヅマにとって、その馬は多少風変わりなだけの馬であったのだが、おそらくそのうちに価値を見出す人間が現れ、この馬は軍馬として珍重されることになるのだろう。

 だが今はまだ誰もその価値に気付いていない。

 

 不思議なことに、あれは()なのだと思いつつ、それが()()()()()()()なのだという確信がオヅマにはあった。(そう。父の時と同じように…)

 

 であればこそ、丘の上で思い立ってそのままここまでやって来てしまったのだ。

 

 途中で村の大工のおじさんに会ったので、母への伝言は頼んでおいたのだが、きっと心配しているだろう。

 マリーを連れてここまで来ることはないだろうが、一言、話しておくべきだったかもしれない。

 

 急に心細くなって身を縮めていると、バタンとドアが乱暴に開いた。

 

「おい、メシだぞ」

 

 騎士にしては柔和な印象の、けれど額に生々しい傷跡のある男は、持ってきたスープ皿とパンを無造作に机に置く。

 

 少しだけスープが零れたのをオヅマは勿体なく思いつつ、おずおずと椅子に座った。

 

 ヴァルナルはオヅマを一応、小さな珍客として扱うように部下に命じたらしい。

 

 とりあえずオヅマは兵舎の物置小屋の一隅に案内され、家では考えられないような暖かそうな毛布と、やや埃っぽいもののシミひとつないシーツに覆われたベッドの上で寝るように指示された。

 

 オヅマの家全部よりも広いその物置小屋には、使わなくなった家具などが白い布に覆われて置かれていたり、古びた甲冑が並んでいたりした。

 

 オヅマはこんないい部屋に宿泊させてもらえることに、心底驚き、感謝した。

 マリーがここに来たら、隙間風が一切吹いてこない室内で喜び踊ることだろう。 

 

 今だって目の前に置かれたパンとスープを見て、オヅマは目を丸くする。

 

「あ、あの…これ…」

「なんだよ。文句言わずにとっとと食え」

「食べていいの?! 本当に?」

 

 思わず声が大きくなったオヅマを、男は訝しげに見た。

 

「お…あぁ……食え」

 

 オヅマはスプーンを取ると、スープに浮かんでいた茶色の欠片を掬って、おそるおそる口に運んだ。

 噛みしめて、ジュワリと溢れた肉の味に感動した。

 

「に、肉だぁ」

「は?」

 

 男はポカンとオヅマを見た。

 ゆっくりと食べて肉を飲み込むと、今度はオレンジ色の人参の欠片を食べる。

 

 それからパンを千切れば、外は固いが中はほんわりと柔らかい。

 必死になって咀嚼せずとも、パンがするすると飲み込めてしまう。

 

 半分まで食べたところで、オヅマは男に尋ねた。

 

「あの、このパンって持って帰っちゃ駄目かな?」

「あぁ? 持って帰ってどうするんだ?」

「妹に食べさせてやりたいんだ。こんな柔らかいパン初めてだから」

 

 男は唖然となると、深い溜息をついて目を閉じた。

 眉間を揉んでから、厳しい顔になってオヅマに言った。

 

「いいから、そのパンは食え。妹には明日焼いたのを持たせてやるから」

「本当? 本当に!?」

「あぁ。ちゃんと食って、明日には領主様をヘルミ山まで案内しろ」

「ありがとう!」

 

 オヅマは大きな声で礼を言うと、また一匙スープをすくう。

 このスープもまた、じゃがいもやブロッコリーなど大きな具がゴロゴロ入っている上に、汁そのものがしっかりと塩気があっておいしかった。

 

 男はしばらく立ったままでオヅマの様子を見ていたが、軽く溜息をつくとオヅマの寝る予定のベッドに腰掛けた。

 

「にしても…ヘルミ山に馬なんぞ本当にいるのか? お前、嘘だったら大変なことになるぞ」

「嘘なんてついてないよ。わざわざ領主様のところまで来て、嘘を言う理由ってなに?」

「しかしあんな何にもないところに…」

 

 男が言うのも無理はなかった。

 

 ヘルミ山はラディケ村から続く北の森を北西に抜けた先にある。

 年間通じて山頂から吹き下ろされる冷たく強い風によって、木々は大きく育たず、低灌木と岩の間にへばりつくような草がわずかに芽吹く程度だった。(その厳しい環境であればこそ、効能の高い貴重な薬草が育つのだと薬師のお婆さんは言っていたが)

 

 そのため動物もあまりいない。

 不毛の地とされていた。

 

「木樵だってあの山には行かないんだぞ。薪にできるだけの木もない…って」

 

 オヅマは頷きながら、パンを一生懸命、咀嚼する。

 男は片手を上げて言った。

 

「いいから、ゆっくり食え。わざわざ返事しなくていい。……そう、それにだ。裏崖って言ったら、岩場ばっかりの場所だろう? あんな場所に馬がいるのかねぇ……」

 

 裏崖と呼ばれるのは、ラディケ村からは見えない山の北側部分。

 まだ南向きの尾根には小さな草花が咲いていたりもするが、北向きはやはり太陽の日差しがあまり届かないのか、雪解けも遅く、草花もあまり成長しないのだ。

 

「裏崖の中腹に水飲み場があるんだ。その周辺には草もわりとあるから…」

「へぇ? そんな場所があったのか?」

「岩の影に隠れてて、普通の道だと見えないんだ」

「お前はなんでそんなところがあるって知ってるんだよ?」

「薬草を探してて、偶然。でも、上から見えただけだよ。実際にそこに行ったわけじゃない」

 

 最後の一匙を飲み干して、オヅマは満足気なゲップをする。

 男はフッと笑うと、皿を持って立ち上がった。

 

「すまないな。もっと食べさせてやりたいが、もう鍋が空になってるから…食堂で一緒に食べた方が良かったかもな」

 

 オヅマはブルブルと首を振った。

 

「ぜんぜん! お腹いっぱいだよ。久しぶりだよ、こんなに食べたの。おいしかった!」

 

 男は騎士達が「まーたシチューかよぉ」と不承不承に文句を言って食べている姿を思い出し、目の前の少年に申し訳なくなった。

 

 自分だって一時はその日の食べ物を確保するのも大変な境遇だったというのに、すっかり現状に慣れてしまって、まだしも十分な食事が食べられることに感謝することを忘れてしまっていた。

 

「じゃ、よく寝ろよ」

 

 立ち去りかけた男をオヅマは呼び止めた。

 

「ありがとう! …あ! 待って。名前は?」

「……マッケネンだ」

「ありがとう、マッケネンさん」

 

 オヅマが激しく手を振るのに負けて、マッケネンは扉が閉まる直前に軽く手を上げて振り返した。

 

 食堂へと歩いていきながら、久々に遠くで暮らす弟に手紙でも書こうかと思った。

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 オヅマはマッケネンに夜明け前に起こされた。

 井戸の水で顔を洗って、マッケネンの乗る馬に一緒に乗る。

 

「よく眠れたか?」

 

 既に用意を終えたヴァルナルが馬上から尋ねてきた。

 

「はい! 毛布も暖かかったし、ごはんもおいしかったです」

「それは良かった。すまないが、朝食は朝駆けが終わってからだ。お前の言う通りにヘルミ山で馬に会えたら、食わせてやろう」

 

 そう言うと、ヴァルナルは走り出す。

 続いて騎士達が我先にと馬に鞭を当てて走り出した。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

 マッケネンもオヅマに声をかけると、ピシリと鞭を打って走らせ始める。

 

 オヅマは初めて乗った騎士の馬に、最初は舌を噛みそうだった。

 

 今までロバや、荷馬車を引くおとなしい老馬に乗ったことはあったものの、こんなに大きくて速い馬に乗ったことはない。

 必死で(たてがみ)を掴んで振り落とされないようにするのが精一杯だったが、しばらくすると速いながらも一定のリズムがわかってきた。

 

「……慣れてきたか?」

 

 マッケネンが声をかけてきて、オヅマは一瞬だけ振り返ってニッと笑った。

 

 町を抜けて麦畑の間の道へと出る頃には、すっかり慣れていた。

 一定間隔で腹に響く振動を、なぜか()()()()()感覚があった。

 

 また、()だろうか。

 

 なんだか一昨日(おととい)に目が覚めてから、妙にべったりと絡みつく()の記憶に振り回されている気がするが、オヅマは深く考えないようにしていた。

 考えると頭が痛くなるし、どうせ何もわからない。

 

 なだらかな丘陵が続く平坦な光景が広がっていた。

 

 西の空には三日月が皓々と光り、星々もまだ夜の中で煌めいている。

 だが東の地平はうっすらと明け始めていた。

 

「総兵、止まれ!」

 

 急に鋭い声が響くと、騎士達は馬を止める。

 ヴァルナルが馬首を東に向けると、騎士達も一列に並んで東に向いた。

 

 整然と並んだ馬と、背筋を伸ばして夜明けの空に向かう騎士達の姿に、オヅマは驚き圧倒された。

 

 やがて濃紺の闇がはがれて橙と薄水色の空が東から広がっていった。

 遠くうっすら見える山の間から太陽が上り始めると、誰ともなく騎士たちは(こうべ)を垂れる。

 

 オヅマはその光景をポカンとして見ていた。

 

 彼らは無骨で屈強な騎士だというのに、なぜかとても美しく思えた。

 

「お前もちゃんと祈っておけ」

 

 マッケネンが小さな声で言ってくる。

 

「祈る?」

「ちゃんと馬が見つかりますように…ってな」

 

 オヅマはそんな心配はしていなかったが、何となく従った。

 自分も彼らの一人として、厳粛で神々しい朝の光景の中に加われると思うと、少し嬉しい気持ちにもなる。

 

 ヴァルナルが馬首を再び目的地へ向けると、騎士達も特に合図もなくまた再び走り出す。

 

 早朝でもあるので、騎士団は村の中を行進することは避けた。

 要塞跡をグルリと回って、一度帝都へと向かう道へ入ってから、側道に回り込み、北の森へと入っていった。

 

 牧童が滅多と来ることのない騎士団に目を丸くしていた。

 マッケネンと一緒に乗っていたオヅマと目が合ったので、もしかするとミーナに伝えに行ってくれるかもしれない。

 

 北の森はヴェッデンボリ山脈の(ふもと)一帯に広がる広大な森で、ヘルミ山はもっとも村に近い場所にあり、山脈の中では小さい山である。

 

 オヅマは山の中腹に来たところでマッケネンに言った。

 

「ここからは歩きでないと無理だと思うよ」

 

 マッケネンが手を上げて知らせると、ヴァルナルがこちらに向かってきた。

 

「では、案内してもらおうか」

「わかった」

 

 オヅマはぴょんと馬から飛び降りると、勝手知ったる山の獣道を進み始めた。

 

 ヴァルナルは一団の三分の一に自分と一緒についてくるように、残りは馬と待機するよう指示した。

 

 今日はまだ風はましな方であった。

 ひどい時には立って歩けないこともあるからだ。

 それでも裏崖に近づくに従って、風は冷たく強くなってきた。

 

 オヅマは先頭で岩場を時に這ったりよじ登ったりして、マッケネンに語った水場を目指していく。

 馬は移動しているので、当然見つける場所はいつも違っていたが、あの水場であればいる可能性は一番高い。

 

「……こいつはなかなか…面倒な」

 

 ブツブツと文句を言う騎士達に、副官であるパシリコが檄を飛ばした。

 

「これも訓練だぞ!」

 

 そう言われてしまうと誰も文句は言えない。

 騎士達は寒さに身を震わせながらも、必死に岩を這い登った。

 

「オヅマ、お前寒くないのか?」

 

 ヴァルナルは先頭を行くオヅマに問いかけた。

 

 ツギハギだらけのシャツとズボン、それにせいぜい防寒具といえば狸の毛皮のチョッキだけだ。

 足も底が剥がれそうなのを布切れでグルグル巻いたような粗末で萎びた革靴で、当然靴下など履いてない。

 

 見ているこっちが寒くなるくらい軽装だが、オヅマは平気な顔をして岩場を飛び跳ねていく。

 

「寒いけど、慣れてるから。それに…」

 

 オヅマは言いかけてやめた。

 

 正直、その重そうな甲冑を脱いだらもうちょっと身軽に動けるのに…と思ったのだが、甲冑は騎士にとって大事なものであろうから、下手なことを言って怒らせたくはない。

 

 大きな岩を半周して、ようやく水場の見える場所にたどり着いた。

 灌木(かんぼく)の間からそっと顔を出せば、何頭かの馬が水を飲んでいた。

 

 その中に一際目立って大きな、黒葦毛に黒い角を持った馬がいる。

 長い銀の鬣は、まるでこの地を統べる王の威容だった。

 

「……あれは」

 

 ヴァルナルはオヅマと同じように見て言葉を失った。

 

 見事な馬である。

 角がある馬など初めて見たが、隆々とした筋肉質の、今乗っている馬に比べても明らかに一回り大きい体格の馬であった。

 足は太く、蹄はガッチリと大きい。

 早さはわからないが、少なくとも重い鎧をつけた騎士を乗せてもそうそうくたびれることはないだろう。

 

「さて…どうするか」

 

 ヴァルナルは灌木の影に身を潜めて小さな声で言った。

 

「この距離で縄を飛ばしても避けられる可能性があるな」

 

 その言葉を聞いて、オヅマはホッとした。

 どうやらヴァルナルはあの馬に興味を持ってくれたようだ。

 

 副官達とコソコソと話しているのを、黙って見つめていると、ヴァルナルが悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべて言った。

 

「お前は、あの馬を手懐けることができるか?」

 

 オヅマは灌木の隙間からチラと馬を窺った。

 

 まだ、こちらには気付いていないようだ。

 この辺りは風の音が岩場に反響して、音が聞こえづらい。

 それにそもそもヘルミ山には滅多と人が来ないので、警戒心が薄いのかもしれない。

 

「できたら、領主様の館で雇ってもらえますか?」

「なに?」

「母さんと俺と、妹…妹は働けないかもしれないけど、邪魔しないようにさせます」

「……それがお前の希望なのか?」

「はい」

 

 ヴァルナルは思っていたよりも簡単な申し出に気が抜けた。

 何であればオヅマに関しては騎士団で面倒みようかとも思案していたので、むしろ有り難いくらいだ。 

 

「勝算があるなら、やってみろ」

 

 ヴァルナルは言ってみてから、自分の気持ちをはかりかねた。

 どうもこの少年には不思議な魅力がある。

 ()()()()()()と、思わせるのだ。

 

 オヅマは静かに立ち上がると、そうっと岩場に向かった。

 スゥと息を吸い込む。

 

 正直なところ、勝算などない。

 

 もし、あの馬の前に立って、角で突かれたりなんかすれば、大怪我を負うかもしれない。どうにか背に乗れたとしても、振り落とされれば岩場を転げ落ちて死ぬかもしれない。

 どっちにしろ、とんでもない難事であることは間違いない。

 

 ゆっくり歩きながら、オヅマは必死に手立てを考えた。

 

 とりあえず静かに近寄るのだ。

 あの馬の後ろの岩場に行って、飛んで、馬の背に乗る。それから角を掴んで、絶対離さないようにして……

 

 考えるうちに、また不意に()が訪れる。

 

 

 ―――――あいつらを言い聞かせるのは簡単さ…

 

 

 細かな幾何学模様が織り込まれたアイボリーの長衣…頭に巻かれた白い布から伸びた紺の髪。

 異国の格好をした男が笑う。

 ジャラリと首から垂れたネックレスが音をたてる。

 

 掌の中にある胡桃(くるみ)をゴリゴリと弄びながら、訛りのある言葉で話してくる。

 

 そう…確か、元々は、この男が黒角馬を見つけ、名付けたのだ………

 

 

 オヅマは混乱した。

 

 自分は一体、何を見て何を考えているのだろう?

 けれど足が止まらない。

 さっきまでどうしようかと悩んでいたのに、今はもう()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヒラリと岩場からオヅマが飛び降りると、ヴァルナルは思わず立ち上がった。

 水場にいた馬達がいきなり現れた人影に驚いて(いなな)く。

 

 ほぼ同時に、オヅマは目をつけていた最も大きな黒葦毛の馬の背に乗っていた。

 馬は突然のことに驚いて、前足を大きく上げた。

 

「オヅマ!」

 

 ヴァルナルは叫んだが、オヅマは馬の角を掴むのに必死だった。

 

 ねじれた二本の角は縞のような溝があってザラザラしていた。

 一度しっかり掴めば落ちることはなさそうだ。

 

 だが馬にとっては角を持たれることこそ嫌でたまらぬであろう。

 遮二無二暴れまわって、どうにかオヅマを振り落とそうとする。

 

 オヅマはさっき馬に乗ってきて良かったと思った。三刻*1近く騎乗していたお陰で、馬の動きに対してある程度反応できる。

 

 グッと歯を食いしばって、跳ね回る馬にしがみつきながら、角と耳の間を探る。

 

 

 ―――――耳と角の間にな、毛に隠れて見えないけど、()()があるんだ。指先ぐらいの窪みさ。

 

 

 左側の耳と角の間にポッコリと窪んだその場所を見つけると、親指でグイと押し込んだ。

 馬はそれでも落ち着かない。

 右側も左と対称となっている場所辺りを探ると、やはり小さな窪みがあった。そこも親指で押さえる。

 

 

 ―――――ツボを押さえるとな、中に何かコリコリした玉みたいなのがあるんだ。それを動かすように指先でグリグリと回してやるのさ。

 

 

 夢の記憶にある男の言葉を頼りに、オヅマはとにかく指先に感じた皮下の(こぶ)のようなものをグリグリと刺激した。

 

 それを続けるうちに、黒角馬は徐々に落ち着いていった。

 

 今になって気付いたが、さっきまで赤く光っていた馬の目が、今は黒に戻っていた。どうやら興奮すると赤くなるようだ。

 馬はその大きな黒い瞳でチラとオヅマを見てから、もういいと言いたげにブルンと首を振った。

 

 オヅマは()()から指を離すと、長く伸びた銀の鬣を掴んだ。

 

 オオォとまるで狼の遠吠えのように馬が啼く。

 崖の下の方から三頭の馬が駆けてきた。

 

 三頭のうち二頭は仔馬らしく、体も小さく角がわずかに生えかけていた。

 残りの一頭は普通の馬よりやや大きい程度の大きさで、こちらは角もなく鬣もさほどに長くもない。だが、淡く光を帯びたような真珠色の毛並みが見事だった。

 この馬は(メス)なのだろう。オヅマの乗る馬に鼻をこすりつけてきた。どうやら(つがい)らしい。

 ということは、この馬達は家族だろうか?

 詳しい生態はわからないが、仔馬は一頭ずつ両親の容姿をそのままに受け継いでいる。

 

 オヅマが見上げると、ヴァルナルは満足そうな笑みを浮かべていた。

 

 まだまだ手懐けたとまではいかないが、とりあえず合図を送ってみると、よほどに()()を押したのが効いたのか、馬はオヅマの指示に従って、岩場を軽々と飛び跳ね、ヴァルナル達の待つ場所まで連れて行ってくれた。

 後ろから家族の馬達も()いてくる。

 

「……大したものだな」

 

 ヴァルナルは心底から感嘆していた。

 

 自分はもしかするととんでもない拾い物をしたかもしれない。

 

 馬と、少年と…。

 

 だが褒めるのはそこまでにしておいた。せっかくの才能の片鱗を曇らせるようなことになってはいけない。

 

「お前の家はラディケ村にあるのか?」

「はい」

「じゃあ、このまま向かおう。お前の親に会わねばならない」

「………はい!」

 

 オヅマは大きな声で返事する。

 満面の笑みはとても晴れやかで、嬉しくてたまらぬようだった。

 

 

 これでもう帝都に行く必要もない。

 

 あの()も消えてなくなるはずだ。……

 

 

*1
三時間


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