昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第四十九話 二の矢――掏摸、老婆

 ヴァルナルが火事の一報を受けて領主館に戻った後、オヅマ達は広場に連なる露天商を見回っていた。

 ミーナの思いつきで、ヴァルナルへの日頃の感謝を込めたプレゼントをすることになったが、なかなか子供達は決められない。

 

「わぁ! 見て見て! この飴細工、可愛い! 猫よ。あっ、お人形さんのもある! これだったら、領主様も喜ぶんじゃない?」

 

 マリーはどちらかというと自分の欲しいもの、自分が貰って喜ぶものに目がいく。

 

「馬鹿か。そんなモン、領主様が欲しがるわけあるか」

 

 オヅマが吐き捨てると、マリーはふくれっ面になりつつも、さすがに大の大人が飴細工の人形をペロペロ舐めるものでもない…と思ったのだろう。物欲しげに見つめた後、しょんぼりと肩を落として隣の店へと向かっていく。

 すかさずオリヴェルが店の親爺に1ガウラン銅貨を払って、その飴細工の人形を買った。

 

「はい、マリー。これ食べながら、もうちょっと探そう」

 

 手渡された人形の飴細工にマリーはすぐ笑顔になった。

 

「っとに…オリー、お前マリーに甘すぎだぞ」

 

 オヅマが注意すると、オリヴェルは笑った。

 

「だって、僕、買い物なんて初めてなんだもの。ちょっとした練習だよ」

「なんだそりゃ」

 

 アドリアンはそんなやり取りをしている三人の後ろから、露天商を見回ってヴァルナルにふさわしい贈り物はなんだろうかと考えていたが、そのせいで多少、ぼんやりしていたのかもしれない。

 

 目の前から雀の仮面を被り、頭に白い布を巻いた、西方民族衣装(ドリュ=アーズ)を着た男が歩いてきているのに気付かず、ドンとぶつかる。

 

「あ…っ」

「失礼」

 

 男は軽く言って、足早に群衆の中を縫うように歩き去った。

 

 アドリアンは男に謝罪する間もなかったな…と見送ってから、ふと違和感を感じた。腰に下げていた革袋(金入れ)が…ない。

 

掏摸(スリ)だ!」

 

 叫ぶなり、アドリアンは走り出した。

 その声を聞きつけたらしい雀の面の男がチラとこちらを見るなり、物凄い速さで駆け去っていく。

 オヅマも一緒に追いかけてきて、アドリアンを追い越しざま問うた。

 

「どんな奴だよ!?」

「あそこの西方民族衣装(ドリュ=アーズ)を着た奴だ! 雀の面を被って、白い布を頭に巻いた…!」

 

 聞いた途端、オヅマは前方にそれらしい男の姿を見つけて速度を上げる。

 祭りで賑わう人の間を縫って、目の前に立ち塞がろうとする荷車に足をかけて跳躍し、驚く人々の頭の上を飛ぶ。

 雀の面の男がまた振り返り、身軽なオヅマがどんどん距離を詰めてきているとわかると、いっそう足を早めた。

 アドリアンは必死でオヅマを追いかけ、アドリアンを追いかけて、パシリコ達騎士も走りながら声をかけた。

 

「お待ち下さい! アドリアン様!!」

 

 パシリコが思わずヴァルナルに厳命されていたことを忘れて、敬称をつけて呼んでしまったのは仕方ないだろう。彼らもいきなり走り出したアドリアンを追いかけるのに必死で、そこを気にしている暇はなかったのだ。

 ただ、その時、にわかのスリ騒ぎで、ややザワついた広場にミーナとマリー、オリヴェルを置いていってしまったことは、痛恨の過失となった。

 

「……スリって?」

 

 残されて呆然となっていたマリーが尋ねる。

 

「……こういう人の多い場所とかで、勝手に他人の財布とか取る人のことだよ」

「泥棒ってこと?」

「うーん……どちらかというと、盗っ人?」

「なにが違うの?」

 

 マリーがなおも尋ねてきて、オリヴェルは考え込む。

 

 そんな二人の姿をミーナは微笑んで見ていたが、その時、自分の横を通り越した老婆が小さな袋を落とした。

 

「あ! 待って!」

 

 ミーナはあわてて老婆の落とした小袋を拾うと、大声で呼びかける。しかし老婆は耳が遠いのか、そのまま人の群れの中へと分け入ってしまう。

 

「あ…マリー、ちょっと待っててくれる?」

 

 ミーナが言うと、マリーはオリヴェルの椅子の傍らで頷いた。

 

「大丈夫。ここから動かないようにするから」

「ミーナも転ばないようにね」

 

 マリーとオリヴェルに見送られて、ミーナはあわてて老婆を追いかけた。幸い、老婆の足が遅いので、さほどに走ることもなく、すぐに追いついて声をかけた。

 

「あの…さっき、落とされましたよ」

 

 背後からやさしく肩を叩かれ、老婆は怪訝に振り向いてから、ミーナの手にある色あせた若草色の袋を見て、

 

「ありゃりゃりゃりゃ!」

と、ひどくびっくりした声を上げた。

 

「こりゃあ…すみませんねぇ…。うっかり落としたものをこうして正直に届けて下さるとは…なんとまぁ、よくできた御人だ」

 

「いえ…良かったです。それじゃあ」

 

 ミーナはそのまま踵を返して戻ろうとしたが、老婆はガシリと意外に強い力でミーナの腕を掴んだ。

 

「お噂は聞いております。領主館の方でしょう? 若君の世話係をされておられる…」

「は……はぁ…?」

「ご領主様もようやく()き方と巡り会えたようでございますねぇ。嬉しいことです」

 

 ミーナは老婆の言葉に戸惑った。

 一体、どうしてそんな噂が広がっているのだろうか?

 

 ほぼ領主館の外に出ることのないミーナは知らなかったが、地元民の多い領主館の使用人達がたまに実家に帰省すれば、領主館で起きた種々の出来事を家族達に話すのは当たり前だった。その中でも領主様の恋の行方については、多くの領民の関心事であったのだ。

 

 ただ、この時の老婆が本当にそんなことに興味があったのかどうかは、わからない。そもそも、フードを目深に被り、声の枯れた老婆が本当に()()であったのかすら。

 

「本当に、本当に、ありがとうございます」

 

 老婆は深々とお辞儀すると、そのままクルリと細い路地へと消えていった。

 ミーナは少し困惑しつつも、とりあえず老婆に小袋を渡せたことに満足して、人の群れの中を歩き出す。

 

 マリーとオリヴェルと別れた場所まで戻ってきて、二人の姿がないことに気付いた。キョロキョロと辺りを見回すが、どこにもいない。

 

「マリー?」

 

 少し大きな声で呼びかけたが、元気なマリーの声は返ってこない。

 あるいは人の多いこの場所で待つのが邪魔になると思って、二人が移動したのかもしれない…と、ミーナは広場の隅の方を見て回ったが、どこにもマリー達はいなかった。

 

 だんだんと心配が増してくる。

 

 あるいはオリヴェルの具合が悪くなって、マリーが領主館に連れ帰ったのかもしれない。

 ミーナは広場から出て、領主館に向かう道へと小走りに向かった。しかし途中で、建物の影に捨て置かれたオリヴェルの車椅子を見つけ、一気に顔面蒼白になった。

 

「………若君…オリヴェル様ッ!」

 

 大声で叫んで辺りを見回す。しかし、どこにも見慣れた人影はない。

 

「マリー! どこにいるの!?」

 

 恐怖が喉元を這い上ってくる。

 泣きそうになるのを必死でこらえながら、ミーナは必死で二人を呼んだ。それでも何の返事もない。

 

 広場から円舞の音楽が流れてくる。

 ミーナは膝をガクガク震わせつつ、広場へと向かった。

 

 お願い、頼むから…二人とも広場にいて。あきれるほど平和な笑顔で見物して手拍子をしていて…。

 

 絞めつけられる心臓を押さえながら歩くミーナに、穏やかに声をかけてきたのはヴァルナルだった。

 

「ミーナ、遅れたが…間に合ったかな?」

 


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