昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第六十四話 下男オッケ

 領主館で勤める下男のオッケは、元は山に捨てられた孤児だった。

 その頃、飢饉がサフェナ一帯を襲い、親は山に子供を捨てることが珍しくなかった。

 山に猟をしに来ていた若き日のパウル爺が狐の集団に襲われているオッケを助け、連れ帰ったのだが、よほどに恐ろしい目にあったからなのか、あるいは元からなのか…オッケには著しい知能の遅れがみられた。

 狐達から助けたパウル爺(その頃はもちろん爺じゃない)が、

 

「お前、大丈夫か?」

 

と尋ねても、

 

(おで)はオッケ。七歳」

 

と、繰り返すばかり。

 それ以外の言葉も、簡単な挨拶も知らず、ひたすら、

 

(おで)はオッケ。七歳」

 

と言うだけ。

 

 山の中にどれくらいの期間いたのかわからないので、その七歳というのも本当なのか怪しい。ただ、パウル爺はオッケに出会ったその年に、彼が七歳であったのだと決めた。

 

 その時にはパウル爺は既に領主館の庭師として働いていた。当時、厨房下女であったヘルカ婆といい仲になって、数年後には結婚することも決めていた。だから、オッケを引き取ることを少しばかり迷ったのだが、かといって山に放って帰ることもできなかった。

 

 その後にヘルカ婆とちょっとした喧嘩になりつつも、パウル爺はオッケの親代わりとなった。

 幸い、当時の領代官が小柄で痩せっぽちのオッケを見て、

 

「おぉ。煙突掃除にちょうどいい」

 

と言ってくれたので、オッケは領主館での仕事にありつけた。

 

 大きくなるに従って煙突掃除ができなくなると、下男として使役されるようになった。体は大きくなったが、オッケの知能の方はさほどに向上しなかった。

 やはり元からのものだったようだ。あるいは、そのせいで親はオッケを山に捨てたのかもしれない。

 

 しかし考えなしで、難しい言葉を理解できないオッケではあったが、言われたことには素直に従ったし、皆が顔を顰めるような仕事(肥樽の糞尿集めなど)も嫌な顔することなく、教えれば言われた通りやるので、ひどく重宝がられた。

 いつしかオッケは領主館で最年長の下男になっていた。

 

 そんなオッケに困ったことが一つあった。それは酒好きなことだ。

 成人して酒を嗜むようになると、オッケはすっかり虜になってしまい、毎日呑むようになった。しかも呑むほどにひどく暴力的になった。ヘルカ婆がようやく見つけてきた嫁までも、オッケの酒乱に閉口して逃げてしまったほどだ。

 朝になって素面に戻ると、パウル爺の説教を平身低頭で聞き入るオッケだったが、その夜には飲んでいた。パウル爺は三度目でもうあきらめた。

 

 その日も、オッケはこっそり地下の酒の貯蔵庫から拝借したワインを一本まるごと空けてしまって、いい気分でフラフラ庭を歩いていた。

 すっかり焼け落ちたオヅマの小屋の前まで来て、ぼんやりとそこに佇むネストリを見つけて声をかける。

 

「おぉい…執事さん、どうしたんだい?」

 

 ネストリは突然声をかけられ、ビクッとなってから、そろりと振り返った。そこにいるのがオッケとわかると、途端に軽蔑した目になる。

 

「なんだ、お前か。また、くすねてきたな。いい加減にしないと、これまでの分も含めて領主様にご報告するぞ。お前なぞ、簡単に解雇できるのだからな」

 

 オッケは酔っていると、自分に対する侮蔑に過敏になった。

 

「なんだと? この野郎。カイコ? 難しい言葉使って、また(おで)を馬鹿にしてやがるな」

「……解雇というのは、お前をこの領主館から追い出すということだ」

 

 ネストリが丁寧に、ゆっくりと、(あざけ)って言うと、オッケはブンブンとワイン瓶を振り回す。途中で灌木の間に挟まって、手からすっぽ抜けたのにも気付かない。

 

「この野郎! この野郎!! お前だって、この前オヅマの小屋から出て来たじゃないか。あのあと火事になって大変だったんだぞ!」

 

 ネストリは一瞬、言葉を失くした。

 

 見られたのか? と、すぐに火事の時のことを思い出す。そういえば、この小屋の火事に一番最初に気付いたのはオッケだと言っていた……。

 

「見ていたのか?」

 

 呆然とつぶやいたネストリを見て、オッケはケラケラ笑った。

 

「おぉ…見てたよぉ。見た! 見た! キョロキョロしてたよな? (おで)と一緒だ。(おで)が酒盗む時と一緒!」

 

 ネストリはブルブルと唇を震わせると、オッケに近寄ってグイと襟を掴んだ。

 

「………オッケ、誰にも言うな」

「えぇ?」

「今のことを誰にも言うな。わかったな…!」

 

 素面(しらふ)であるなら、オッケは頷いたかもしれない。だが、日頃から自分に対して高圧的で、馬鹿にした態度もあらわなネストリに対して、オッケも不満が溜まっていた。ムン、と口を曲げて、

 

「やーだね」

 

と、襟を掴んだネストリの手を払う。

 

 ネストリはギリと奥歯を噛み締めて、オッケを睨みつけた。

 オッケごときが自分に対して傲慢に振る舞うこと、それ自体がネストリの自尊心を傷つけた。大声であらん限りの罵倒の言葉をぶつけてやりたかったが、今回は耐えるしかなかった。なにしろ、相手はネストリが一番見られたくなかったものを見ているのだ。

 オッケは馬鹿だが嘘はつかない。「誰か見たか?」と訊かれれば、必ずネストリの名前を出すに違いない。なんとしても、今、言いくるめておく必要がある。

 

「わかった。いいものをやろう」

 

 ネストリは金貨の使い道を見つけた。

 ポケットから取り出した二枚の十ゼラ金貨の入った袋を押し付ける。

 

「なんだい、これ?」

「見てみろ」

 

 オッケは袋をまさぐって金貨を一枚取り出すと、月に向かって掲げて目を丸くした。

 

「うわぁ…綺麗な石だなぁ。真ん丸のお月さんみたいだ」

 

 ネストリは苛々と歯噛みしたくなるのをこらえて、笑ってみせる。

 

「これは石じゃない。(きん)だ。お金だ。とても高価なものなんだ」

(カネ)ェ? 金なんて貰えるのかい? いいのかい?」

「あぁ。構わない。だから、さっき言ったこと…私がオヅマの小屋から出て来たことを…誰にも言わないでいてくれるか?」

「あぁいいよ」

 

 オッケは軽く請け負って、金貨を月にかざしながら上機嫌で鼻歌など歌い出す。そのままフラフラと歩いて行くオッケに、ネストリは付け加えた。

 

「その金のこともだぞ! 私からだと言っては駄目だ!」

「あーい」

 

 オッケは振り向きもせず、ヒラヒラと手を振って歩いて行く。

 

 ネストリは見送りながら、急にとてつもなく不安になった。

 あの男は本当に黙っておくのだろうか。酔いが醒めて、朝になればすっかり忘れているかもしれない。そうしてあの金を持っていることが発覚したら、確実にヴァルナルは奇妙に思って尋ねるだろう。

 

「この金貨はどこで手に入れた?」

 

と。

 そうなった時、オッケが酔いと一緒にネストリのことを忘れていてくれればいいが、下手に覚えていたら絶対に話すに違いない。

 

 

 ―――――駄目だ!

 

 

 ネストリはあわててオッケを追いかけた。

 

「待て、オッケ! やはりその金は返せ」

「ハアッ? 嫌だ」

「嫌じゃない。返せ、返すんだ。お前なんかが持っていても、仕方ないだろう!」

「なんだと!? コイツめ、やっぱり(おで)を馬鹿にしやがって」

「うるさい! いいから返せ!」

「嫌だ! これは(おで)んだ! (おで)んだぞ!!」

「大声を出すな、この馬鹿…ッ!」

 

 ネストリはオッケの口を塞いだが、もとより酔っていたせいで足元が覚束なかったオッケがよろけた。

 

「うわぁ!」

「うあっ」

 

 二人もろとも倒れて、ゴッ! と鈍い音がした。

 

 ネストリは顔を顰めながら起き上がると、オッケの持っていた袋を取り上げる。

 

「お前には意味もないものだ」

 

 鼻で嗤いながらネストリは立ち上がりかけて、ピタリと止まった。

 

 崩れた花壇の石に頭を打ちつけたオッケは、目を見開いたまま、虚ろにネストリを見ている。いや、見ていない。オッケはもう何も見ていなかった。

 

「…ッ…ヒィ…」

 

 ネストリは驚きのあまり、尻もちをつく。手から袋が落ちて、中から金貨が一つコロコロと地面を転がった。

 

 しばらくその態勢で見つめていたが、オッケが起き上がる気配はない。

 

「おい」

 

 ネストリは小さく呼びかけたが、返事はない。

 四つん這いになって、そろそろとオッケに近づく。そうっと心臓に耳をあてたが、鼓動は聞こえてこなかった。

 ネストリは反射的に飛び退(すさ)った。動きを止めたオッケの心臓と対照的に、ネストリの心臓は跳ね上がらんばかりの勢いで拍動する。

 

「あ…あ…」

 

 ネストリは(おのの)いた。

 震えながら、固まった首を無理に動かして辺りを見回す。

 

 誰もいない。誰もいない。誰も……見ていない。

 

 確認が済むと、ネストリは立ち上がった。

 肩で息をしながら、死んだオッケをしばらく見つめる。

 

 ヒュイィィ! と急に響いた獣の声にビクリと身を震わせると、我に返った。

 

「そ…そ……そう…だ」

 

 ネストリはガクガクと膝を震わせながらも、落ちた金貨を拾って袋に入れた。それをオッケのポケットにねじ込む。それから灌木の間に引っ掛かっていたワイン瓶を、オッケの足元に転がした。

 

「お前だ。お前がやったんだ、ぜんぶ」

 

 すべてをオッケに被せて、ネストリは足早にその場から立ち去った。

 

 

 

「ふ……ん」

 

 深夜のその出来事を、冬枯れの木立に隠れて見ていた人物は、興味深げな吐息をついて、ゆっくり来た道を帰っていった。

 




次回は2022.08.10.更新予定です。
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