昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第六十六話 皮肉の連鎖

 前夜。

 

 ネストリはオッケを置いて領主館内にある私室に戻った後、靴も脱がずにベッドに潜り込んだ。

 

 ガタガタと震えが止まらない。

 また、これで考えねばならないことが増えた。

 

 オッケの死体は朝には見つかる。死因についてはすぐにわかるだろう。転んで頭を打った。それだけだ。実際にその通りなのだから。自分は一緒に転んだだけだ。殺してはいない。殺してはいない。……

 それでも死体を探って金貨が見つかれば不審に思われる。あんなものを下男が持っているはずがないのだから。

 

「ふ…ふ……ふふ…」

 

 ネストリは震えながら笑った。

 

 あれは天啓だった。

 

 ネストリはあの時、思いついた自分を褒めたかった。うまくいけば…うまくやれば、ヴァルナルに火事の犯人をオッケと思わせることができる。

 

 つまり、筋書きとしてはこうだ。

 オッケは謎の人物から金を受け取って、領主館で火事を起こせと頼まれた。その通りに実行し、金を貰って浮かれたオッケは大酒をくらい、運悪く足を滑らせて頭を打って死んだ。

 

 見事だ。

 我ながら見事なくらい、単純で隙のない理由ではないか。

 こうしたことは複雑にしてはいけない。簡単であるほうが、襤褸(ボロ)は出にくいものだ。これはかつての同僚であるアルビンの言葉だった。

 

 アルビンはまたこうも言っていた。

 

「すべてを嘘で固める必要はない。嘘は最小限でいい。さもないと、後々厄介になる。大事なのは、認めても良いことと、絶対に認めてはならないことを、きっちり自分の中で分別すること。認めるべきことは認める」

 

 その上でもっとも肝となることは…

 

「聞かれたことだけに答えることだ。言葉が足りないことは、嘘にならない」

 

 自分をこんな窮地に落としてくれたことは恨むが、彼の助言は非常に有益だ。

 

 ネストリは布団にくるまりながら、一晩中考えた。

 明日の朝になって、ヴァルナルに呼ばれた自分がどういう行動をすればいいのか。どういう態度であれば、疑われずに済むのかを。

 

 早朝にドアを激しく叩く音にビクリと起き上がったネストリは、しばらく放心していた。とても眠れるとは思えなかったのに、案外と自分は寝ていたらしい。

 

「ネストリさん! ネストリさん! 起きて下さい、大変です!!」

 

 ドアを叩きながら叫んでいるのはロジオーノだろう。

 ネストリはテーブルにあった水差しの水をコップに入れて一口含んでから、フラフラ歩いてドアを開けた。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 ロジオーノはようやくドアを開けて現れたネストリの顔色の悪さに、思わず尋ねた。

 ネストリは暗い顔で、眉を寄せる。

 

「なんだ?」

「あ、あの…オッケが…死んでて」

 

 ネストリは寝ぼけたようにも見える、鈍い反応だった。しばらく間を空けて、問い返す。

 

「オッケが…死んでる?」

「はい。庭で…あのオヅマの小屋のあった場所です」

「庭?」

「はい。今、領主様達が何か調査してるみたいです」

 

 ネストリはロジオーノに気付かれぬよう、ゴクリと生唾を飲み下す。それからあわてた様子で叫んだ。

 

「何だと!? 領主様が? もう起きておられるのか?」

「はい。イーヴァリが騎士達に話したみたいで、そこから伝えられたみたいです」

「すぐに行く!」

 

 ネストリは一度戻って、鏡の前に立つと、乱れた髪を丁寧に梳《す》いた。

 深呼吸して、じっと鏡の中の自分を見つめる。

 ひどい顔だった。目の下にクマもできているし、ここのところ食べることすら削って仕事をしているせいか、頬もゲッソリこけている。

 昨夜汚れた衣服をあわてて着替えると、ネストリは部屋を飛び出した。

 

 ロジオーノに案内されて、昨日のあの場所に向かうと、気付いたヴァルナルとカールの冷たい視線が自分を射てくる。

 

 ネストリは一気に緊張した。震えを止めるのが精一杯だ。

 久しぶりに走って息切れしながら、ヴァルナルの元まで辿り着くと、その向こうに見えるオッケの死体に青くなった。

 

「お…なんという…こと」

 

 愕然とするネストリを、ヴァルナルはじっと観察する。今のところ、驚いている姿に不審な素振りはない。

 

「随分と、遅かったですね。執事殿」

 

 カールは明らかに疑わしい様子で言ってくる。ネストリは「すみません」と謝ってから、一応言い訳した。

 

「例の帝都からの学者や職人らの逗留の為の予算組みなどが山積しておりまして…加えて、館の仮予算編成の時期でもございますので、少々寝不足気味でございました故、申し訳ございません」

「あぁ、そうだな。色々と無理させておる。すまぬな、ネストリ」

 

 ヴァルナルもそれはわかっていた。

 確かにここ数日…いや、帝都から黒角馬の研究者が来ると知らされてからは、その準備のための館の改築や、兵舎に隣接する研究施設の増築のことで雑務に追われている。  

 

「それでオッケのことだ。そなた、この事態をどう思う?」

「……それ…は…」

 

 ヴァルナルの問いかけに、ネストリは詰まった。

 聞かれたことだけを答えればいい…というアルビンからの助言も、こうした曖昧な質問ではどう答えれば正解なのかわからない。下手なことを喋れば、自ら墓穴を掘ることになりかねない。

 ヴァルナルの手には金貨の入った袋があるが、あの袋の中身が金貨であることを言えば、即座に終了だ。

 

 ネストリは落ち着きなく目を動かしていたが、オッケの足元に転がったワイン瓶を見つけて、「ああっ!」と大声を上げた。

 

「どうした?」

「あぁ……領主様、申し訳ございません」

 

 ネストリは急に深く腰を折り曲げた。

 

「…なぜ、謝る?」

「私は、領主様に伝えるべきことを伝えておりませんでした。執事として許されざることです」

「なにをだ?」

 

 ヴァルナルが尋ねると、ネストリは深々と頭を下げたまま、かすかに肩を震わせながら言った。

 

「オッケが地下の貯蔵庫(セラー)から、時折、酒を盗み出しておるのを…実は存じておりました!」

「………」

 

 予想外の答えに、ヴァルナルもカールも、その場にいて聞いていた人々はポカンとなった。

 

「月に二、三本程度のことでしたので、長年勤めてきた実績のある下男ですし、ワインも手前にある安い物しか盗ってはいないようだったので、大目に見ていたのです。一応、本人には再三注意をしてはいたのですが……」

 

 ネストリは言葉を区切ると、これ見よがしに大きな溜息をつきながら首を振った。

 ヴァルナルはネストリをじっと見つめてから、手に持っていた袋を差し出した。ネストリは困惑しながらヴァルナルを見上げた。

 

「…これは…なんでしょうか?」

「中を見てみろ」

 

 ヴァルナルに無理やり袋を押し付けられ、ネストリは嫌々ながら受け取った。

 緊張した面持ちで中身を見れば、当然ながらそこには十ゼラ金貨が二枚入っている。

 

 ネストリはブルブル震えた。

 気付かれているのか? 自分がこれをオッケのポケットにねじ込んでいったことを? いいや、そんな筈はない。あそこには誰もいなかった。誰にも気付かれてはいない。誰も知らないはずだ……。

 

「こ、こ…これは……?」

「オッケが持っていたのだ」

「オッケが? そ、それは…まさか……」

 

 ネストリの頭の中が高速でぐるぐる回る。

 この場合の返事は? どう言えば正解だろうか? 火事を誰かに指示された、その対価だと言うべきか? 喉まで出かけてアルビンの言葉が甦る。

 

 

 ―――――絶対に認めてはならないことを、きっちり自分の中で分別すること。

 

 

 そうだ。火事のことは絶対に認めてはならない。ここで火事のことを一言でも自分から言い出せば、その時点で終わりなのだ。

 

「すっ…すぐに金庫を調べて参ります!」

 

 ネストリが言うと、ヴァルナルは眉をひそめた。

 

「金庫?」

「こ、この金貨はオッケが金庫からくすねたのではないのですか?」

「……オッケが…金庫の金をくすねるような機会があったと思うのか?」

 

 ヴァルナルが尋ねると、ネストリは項垂れた。

 

「申し訳ございません。ない、と言い切りたいのですが…絶対とは申せません。この数日は私も館の中を飛び回っていることもあって、時に執務室の鍵をかけずに行くこともございました。金庫の鍵はいつもしめていたと思うのですが、それもあるいは…もしかすると……」

 

 ヴァルナルはしばらく顎に手をあてて思案した。

 

 チラとネストリを見れば、ここ数日の過重労働で相当に疲れているようだ。目の下のクマは嘘でないだろう。その上でこの騒ぎだ。当人もかなり参っているのだろう。狼狽する様子にも不自然なところは見えない。

 

 ヴァルナルは領主館で火事が起きた時から、ネストリを疑ってはいた。おそらく火事だけであったなら、ヴァルナルはネストリを容疑者として尋問していただろう。

 だが、その後に立て続けに起こった誘拐や小公爵の失踪などを考えた場合、果たして彼にそこまで加担する度胸があるのかが疑問だった。

 

 ネストリは少々性格に難はあるが、仕事熱心で真面目な小心者だ。たとえ小公爵と敵対する勢力の代表とされるハヴェル公子の従僕であったとしても、ただそれだけの縁で、そこまでだいそれたことをする男に思えなかった。

 それにルーカスからの報告によると、彼がハヴェル公子の従僕であったのは確かだが、さほどに重用されていた訳でもなく、どうやら今はほとんど交流はないらしい。

 

 その上での、今回のオッケだ。

 

 領主館の使用人を疑うことはしたくなかったが、オッケという男の性質を考えると、イーヴァリの言うことも頷けるのだ。

 オッケは信頼した人間に対して盲目的に従うところがある。当人に何の悪気もなくとも、その人の為であると思ったならば短絡的な行動を起こしかねない。

 

 それに彼自身が残していった証言もある。

 

『火事の時には誰もいなかった』。

 

 正直者のオッケがそう言うのであれば、それはおそらく真実なのだろう。誰か、でなく自分がいただけなのだから。

 

 あるいはネストリが唆して、オッケに小屋に火をつけるように指示したのかとも考えたのだが………現在のところのネストリの言葉にも態度にも、そうした様子は微塵も窺えなかった。

 

「一応、金庫は調べておくように。ネストリ、君にもかなり無理をさせてすまなく思うが、睡眠はとることだ。記憶が曖昧になるほどに疲れているようでは、いい仕事もできまい」

「は……」

 

 ネストリが頭を下げると、カールが手を出してくる。

 

「その袋を返してもらおうか」

「は、はい。勿論」

 

 ネストリはカールに金貨の入った袋を返してから、ホゥと息をついた。

 

 どうやら…虎穴を脱したようだ。

 




次回は2022.08.13.更新予定です。

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