昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第六十九話 ずっと友達

「マリーが…話せないんです」

 

 夕食後、オリヴェルの部屋を訪れたヴァルナルは、まだ少し顔色の悪い息子から告げられた。

 

「話せない?」

「声が出ないみたいで…」

 

 ヴァルナルは息をのみこんだまま固まった。

 マリーの方を見ると、起き上がってはいるが、いつもの元気は失せて、ぼんやりと、見ているのかわからない本を眺めている。

 その傍らで痛ましげに娘を見つめるミーナを見ると、気付いて目が合った。

 

「ビョルネ医師が来たら、マリーも診てもらおう」

「お気遣い頂き、有難うございます。申し訳ございません。本当に……」

 

 頭を下げるミーナに、ヴァルナルは「当然のことだ」と元気づける。

 

「おそらく一時的なものだろう。幼い子どもが見るには、少々…なまぐさすぎるモノであったからな」

 

 アドリアンから一部始終を聞いているヴァルナルは、ダニエルの首を見たマリーが、あの倉庫中に響き渡る叫び声を上げたと知って、心底気の毒に思った。生首など、大人であっても見れば相当に衝撃を受けるものだろう。

 

 ヴァルナルは痛ましげにマリーを見てから、そばに座っているミーナに視線を移す。

 無理をしないようにと言ったが、やはりミーナはこの数日、まともに眠っていないのだろう。ひっつめた髪はところどころ髪が垂れ、マリーを優しく見守る目の下にはクマが濃かった。

 

 ヴァルナルはしばし考えてから、ミーナに呼びかけた。

 

「ミーナ、前も言ったが…少し話がある」

 

 ミーナは顔を上げてヴァルナルを見て、何を訊かれるのか察したのだろう。口を引き結んで、コクリと頷く。

 

「オリヴェル、しばらくミーナを連れて行っても構わないか?」

 

 ヴァルナルが尋ねると、オリヴェルは当然のように了承した。

 

「大丈夫だよ。何かあったらナンヌに言うから」

「うむ。マリーのことも、頼むぞ」

 

 ヴァルナルとミーナが連れ立って出て行き、しばらくすると、そうっと扉が開いてアドリアンが顔を出した。

 

「アドル!」

 

 オリヴェルが声を上げると、マリーは扉の前に立つアドリアンの姿を見るなり、ベッドから降りて、裸足のまま走って飛びついた。

 

「あぁ…マリー。元気になったみたいだね」

 

 アドルは突然のことに驚きつつも、マリーを優しく抱き止めた。

 

「……元気は元気なんだけど…」

 

 オリヴェルは浮かない顔で口籠る。

 

「どうした?」

「マリー…今、しゃべれないんだ」

「えっ?」

 

 アドリアンが聞き返すと同時に、マリーの手に力が加わる。アドリアンは腰にしがみつくマリーの背をやさしく撫でた。

 

「本当に? マリー。僕の名前を呼べる?」

 

 マリーはアドリアンのお腹に埋めていた顔を上げると、懸命に名前を呼ぼうとしたが、息が漏れた音がかすかに聞こえただけだった。

 

「……なんてことだ」

 

 アドリアンが頭をおさえると、マリーの唇はプルプルと震え、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 アドリアンはあわててしゃがみ込むと、マリーの手を握って、やさしく話しかけた。

 

「ごめんよ、マリー。君に怒ったんじゃあないんだ。僕は……僕が、悪いんだ。君たちを巻き込んで…怖い思いをさせて、ごめん。本当に…」

 

 アドリアンは言いながら自分も泣きそうになって、唇を噛み締めた。

 

 どうして自分は守りたいと思った人を傷つけるんだろう…。

 生まれた時から、まるで宿命づけられたかのように、いつも自分にとって優しく愛しい人達は、自分のせいで傷ついて去ってしまう。

 

 暗い表情になるアドリアンを、マリーは濡れた瞳で見ていたが、ギュッと手を握り返した。

 

「……大丈夫だよ」

 

 隣でオリヴェルが言った。

 

「マリーも、そう言ってる。そんなこと考えなくていいって」

「でも…僕は…」

「君は、僕たちを助けたんだよ、アドル。あの男から……大人相手に立ち向かってくれたんだ。僕たちを逃がすために。それがどれだけ勇気のあることか、君は自分でわかってないだろう?」

 

 マリーはオリヴェルの言葉を聞いて頷くと、隅にある机まで行って、そこに置いてある紙にせわしなく何かを書いた。

 持ってきた紙を見たアドリアンは、(とび)色の瞳に涙を浮かべた。

 

 

 ―――――ありがとう、アドル。

 

 

 紫色のインクで書かれた幼い文字。

 自分のせいで声まで失ったのに、どうしてお礼なんて言うのだろう。自分よりも小さくて、ひどく怖い思いをしたに違いないのに、どうして…?

 

「まだ……僕と友達でいてくれるのか?」

 

 アドリアンが涙声で尋ねると、オリヴェルはニコリと笑った。

 

「ずっと友達だよ、僕たちは」

 

 マリーもアドリアンの手を握って、何度も頷いた。

 笑った顔にはいつもの向日葵(ひまわり)のような温かさと明るさが戻ってきている。

 

 アドリアンは立ち上がると、手で涙を拭って笑った。

 

「ありがとう」

 




次回は2022.08.17.更新予定です。

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