昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第七十八話 公爵閣下からの召喚状

 ヴァルナルがグレヴィリウス公爵からの召喚状を受け取ったのは、誘拐事件のあった日から一月と十日が過ぎた、雪解けの月の末日のことだった。

 

 既にいつでも行けるように準備を整えていたので、召喚状が届くやいなや、ヴァルナルはレーゲンブルトを出立した。

 通常であれば五日はかかる道程を、黒角馬を自ら駆って、三日で公爵家本領地・アールリンデンに辿り着いた。

 

 種撒きの月を迎えたアールリンデンは、春の陽気でアーモンドの花がほころびはじめていた。

 

 種々の春の花が咲き乱れる公爵邸の庭は、亡き公爵夫人が特に力を入れて造成されたものだった。庭師が夫人の想いを継いで今も丹精こめて世話しているらしい。青臭く甘い匂いが春風に乗って運ばれてくる。

 ヴァルナルは清新なその風を胸深く吸い込んだ。

 

 邸内に入って公爵の執務室に通じる大廊下を歩いていると、ファルミナ領主のセバスティアン・オルグレン男爵は待っていたのか、形式的な挨拶もそこそこに、痛烈な皮肉を浴びせてきた。

 

「小公爵様を守れぬばかりか、我が子を犠牲にするとは…黒杖が泣くことよな、ヴァルナル・クランツ」

 

 艶やかなルビーのような赤い髪が自慢のオルグレン男爵は、前髪に一房大きな巻髪をいつも作っているのだが、鷲鼻に垂れたその巻髪がフンと荒い鼻息で揺れるのが、ヴァルナルにはいつも滑稽だった。特に今回のように嫌味を言ってくる時には、なおのこと笑いそうになる。

 

「……勝手に息子を殺さないでもらえますか? オリヴェルは死んでおりません」

 

 あえてムッと怒ったのも、実のところは吹き出しそうになるのを堪えるためだった。しかし、オルグレン男爵は怒ったヴァルナルを見てかえって気をよくしたようで、またフンと鼻を鳴らした。

 

「ほぉ。よくも口答えなどできるものだ。私なら平身低頭して、ただひたすら謝るのみ。クランツ男爵は、此度のことをあまり大したことだと思っておらぬようだな。犯人を処分できたゆえ、失地回復できているとでもお思いかな?」

 

 普段、ヴァルナルに嫌味など言えることが滅多とないからなのか、オルグレン男爵は執拗だった。

 いきりたって言うほどに、鼻の上に垂れた巻髪がぶらんぶらん揺れて、まるで木にぶら下がる蓑虫のようだ。

 

「あれほどまでに公爵閣下の前で見栄を切っておきながら……」

 

 ぶらん、ぶらん。

 

「大事な小公爵様を危地に追い込むとは………」

 

 ぶらーん、ぶらーん。

 

「誠に騎士としての心がけ、その精神を鍛え直す必要がありましょうな!」

 

 ぶららーん。

 

「……………」

 

 ヴァルナルは顔を俯けて必死で笑いを堪える。

 その姿は一見すれば、反論できずに屈辱に震えているように映ったのだろう。

 

「……オルグレン男爵、さように追い詰めるものではありませんよ」

 

 柔らかく割って入る声に、ヴァルナルはピクッと眉を寄せた。

 顔を上げてみればオルグレン男爵の背後に、にっこりと柔和な笑みを浮かべた芥子(けし)色の髪の、小太りの男が立っている。

 

「……久しぶりですな、シャノル卿」

 

 ヴァルナルはすぐさま気を引き締めた。

 オルグレン男爵などよりも、もっとタチの悪いのがやってきたからだ。

 

 アルビン・シャノル。

 グレヴィリウス公爵の元養子であった、ハヴェル公子の乳兄弟だ。

 彼の母親は公子の乳母として、男爵夫人の称号をもらっているが、あくまでこれは一代名誉であるので、彼自身に爵位はない。一応、公子の執事兼補佐官として准騎士の位は与えられているものの、貴族として扱われる身分ではなかった。

 ヴァルナルとの関係性で一番近いものといえば、執事のネストリが昔ハヴェル公子の従僕であったので、彼と知見があるということだろうか。

 

「アールリンデンでお会いするとは思ってもみませんでした」

 

 まずヴァルナルが「なんでお前、こんなところに来てるんだ?」と遠回しに尋ねると、アルビンはそのふっくらしたマシュマロみたいな顔に、人の良い笑みを浮かべた。

 

「えぇ、それが嬉しいことに、此度ハヴェル様のご婚約がまとまりまして。まだ、内々のことではありますが、まずは一番に公爵閣下にご報告に上がりましてございます」

 

 アルビンは慇懃に言いながら、その苔緑(モスグリーン)の瞳は油断なくヴァルナルの様子を窺っている。

 ヴァルナルはアルビンの誘い水に乗った。

 

「それはめでたいことです。お相手はいずこのご令嬢です?」

「イェガ男爵のご長女でございます」

「ほぅ…」

 

 ヴァルナルはかろうじて笑みを保って相槌をうつと、素直に驚いてみせた。

 

「イェガ男爵に、そのような年頃のご令嬢がいたとは初耳です。私が知っている限り、イェガ男爵家は男の御子方三人の後に、ようやくご令嬢が誕生したと喜んでおられたのが、つい最近のことと思っておりましたが……」

「ハハハ、男爵。もうそのご令嬢も十一歳でいらっしゃいますよ。時は等しく流れても、人それぞれに早さは違うようですね」

 

 ヴァルナルは笑顔を浮かべたまま、顔が引き攣りそうになった。

 今年で十一歳ということは、ハヴェルとは八歳差ということだ。

 無論、そうした年齢差の結婚がないわけではないが、わざわざ侯爵家の令息が選ぶにしては、身分も年も離れすぎている。

 

 アルビンはヴァルナルの心の(うち)を見透かしたように、付け加えた。

 

「イェガ令嬢も六年もすれば十七歳。立派な婦女(レディ)となられます。その時には年の差もさほど気になるようなことでもないでしょう」

「なるほど。六年も前から婚約を急がれるとは、よほどに見込まれたものですね。イェガ令嬢も」

「えぇ。とてもお可愛らしい方でいらっしゃいますよ」

 

 腹の探り合いはそこまでだった。

 ヴァルナルが来たことを伝え聞いたアドリアンが走ってやって来たからだ。

 

「ヴァルナル!」

 

 アドリアンはヴァルナルの姿が廊下の中央に見えると、大声で呼びかけた。

 

 正面玄関から公爵執務室のある本館に通じる大廊下には、召使いや、公爵家に出入りの商人、職人、領地行政官など、多くの人々が忙しく行き交っていたが、普段はおとなしい小公爵の声が響くと、皆驚いたように立ち止まった。

 注目を浴びる中を、アドリアンはまったく気にも止めずに早足に歩いてくる。

 

 アルビンは一瞬、冷たい表情を見せてから、すぐにいつもの得体のしれぬ笑顔に戻って、近づいてくる小公爵に向かって恭しくお辞儀した。

 ヴァルナルも深く頭を下げる。

 その場にいて一人だけ昂然とアドリアンに立ちふさがったのが、オルグレン男爵だった。

 

「いけませんぞ、小公爵様! このような罪人と軽々に口をきくなど!!」

 

 アドリアンは足を止めると、巻髪を揺らすオルグレン男爵を見上げた。

 

「罪人?」

「左様。畏れ多くも小公爵様を守ることもせず、危機を招いたのです。今日、このアールリンデンに()ばれた理由も、公爵閣下からの厳しい叱責のうえ、何かしら処分が下されるのでありましょう。まさしく罪人も同様!」

 

 ヴァルナルは言われるがままにしておいた。実際、今日、ここに呼ばれたのはそういう理由であろうし、アドリアンを危地にやったことには間違いない。 

 

 しかしアドリアンは苛立たし気に眉を寄せると、静かにオルグレン男爵をたしなめた。

 

「危機を招いたのは僕自身の浅はかさによるものだ。ヴァルナルに罪はない。このことは父にも申し伝えてある。彼が罪人として罰を受けるのであれば、僕も同様に罰せられるべきだろう」

 

 いつもはどんな誹謗や中傷を受けても、黙って耐えているだけの小公爵が珍しく言い返してきたので、オルグレン男爵は目を白黒させた。

 滅多と表情を変えることのないアルビンまでもが、思わず顔を上げてアドリアンを見た。

 

 アドリアンはその二人を見上げつつも、公爵と同じ(とび)色の瞳に怒りを滲ませて問いかけた。

 

「ところでオルグレン男爵は、僕に対して礼を失することを気にしておられぬらしいな。シャノル卿も」

 

 婉曲な恫喝にオルグレン男爵は、あわてて胸に手をあてて頭を下げた。

 

「もっ…申し訳ございません。小公爵様」

「………失礼いたしました、()()()様」

 

 アルビンが再び頭を下げて謝ると、アドリアンは口元に微笑をひらめかせた。

 

「珍しいな。シャノル卿が僕を()()()と呼ぶのを初めて聞いた」

「……長く…不明であったことをお詫び致します」

 

 アルビンは素直に自分の非礼を詫びた。

 彼はアドリアンの不在の時はもちろん、本人を目の前にしても「アドリアン()()」と呼んでいた。

 それは勿論間違いではない。だが、公爵の跡継ぎであることを認めまいとする明確な意志表示でもあったのだ。

 

 今までアドリアンはその無礼な態度を許してきた。

 自分よりも年上で、周囲からも認められ、父とも親しく話すことのあるハヴェルの方が小公爵たるに相応しいと思っていたからだ。

 だが、レーゲンブルトからの帰り道にアドリアンは決めた。もう小公爵であることから逃げないと。

 

「二人とも、既に用件は済んだように思うが、まだここにいる理由が?」

 

 アドリアンが暗に立ち去ることを求めると、アルビンはまたふくよかな顔に柔和な笑みを浮かべて如才なく言った。

 

「長々と居残って申し訳ございません。クランツ男爵がもうすぐ来着されるらしいと聞き及びまして、一言ご挨拶がしたくて留まっておりました」

「わ、私もそうでございます! 他意はございません」

 

 オルグレン男爵もあわてて調子を合わせると、アドリアンは二人を冷めた目で見た。

 

「では、これにて希望も叶いましたので、小公爵様のご意向に添いまして、臣は下がらせて頂きます」 

 

 慇懃無礼とはこの事なのかもしれない。

 アルビンは言葉だけは丁寧に、流暢に言って去ろうとしたが、アドリアンはその丸い背に呼びかけた。

 

「シャノル卿。叔母上に伝言を頼めるか?」

 

 アルビンは立ち止まり、しばし間をあけて振り返った。見事なくらいの笑顔だった。直前まで額に浮いていた青筋はどこに隠したのであろうか。

 

「ヨセフィーナ様に何か?」

「見舞いの品をありがとう、と。とても綺麗な白薔薇だった」

 

 その言葉にヴァルナルはむゥ…と、ほとんど聞こえない声で低く呻いた。

 周囲でそれとなく聞き耳を立てながら歩き回っていた人々も、ピタリと一瞬、動きを止めた者はそれが何を意味しているのかを知っているのであろう。

 

 白薔薇は亡き公爵夫人リーディエの最も好んだ花であった。

 彼女が若くして亡くなった時、その棺や祭壇、彼女が永遠に眠る墓地への道までもが、帝国中の白薔薇を集めたのではないかと思われるほどの、溢れんばかりの白薔薇で埋め尽くされた。

 

 その葬儀以来、このアールリンデンにおいても、帝都においても、公爵家の庭に白薔薇は一切植えられない。禁忌の花であった。

 そうした事情を侯爵夫人が知らぬ訳がないのだから、その見舞いとやらが純粋な同情や心配から来たものでないことは明白だ。

 

 アルビンは侯爵夫人の意図を承知しつつ、今この場でその事を持ち出したアドリアンに密かな苛立ちを覚えた。

 ずいぶんとこましゃくれたことをするようになったものだ……。

 

「お慰みになったのであれば、なによりでございます。ご伝言は(しか)と承りました」

 

 何も知らぬとばかりに、アルビンは笑顔で言ってその場から立ち去った。

 その後にオルグレン男爵がワタワタと追いかけていく。リボンで縛った巻き毛が揺れるのを見て、きっとあの蓑虫のような前髪も揺れているんだろうな…と、さっきの光景が思い浮かぶと、ヴァルナルはとうとう堪えられず噴き出した。

 

「どうした?」

 

 アドリアンが目を丸くする。

 

「いえ…なんでもありません」

 

 ヴァルナルは軽く咳払いして、どうにか笑いをおさめると、改めてアドリアンに挨拶した。

 

「失礼しました、小公爵様。お元気そうで何よりです」

「僕は大丈夫だ。それより、オヅマは? もう意識は戻ったのか?」

「………私が出る時にはまだ…」

 

 ヴァルナルが残念そうに言うと、アドリアンの顔は曇った。「そうか…」と力なくつぶやく。

 

「小公爵様、何か御用があおりだったのでは?」

「あぁ、実は…」

 

 アドリアンが言おうとしたときに、ヴァルナルを呼ぶ従僕の声が響く。

 

「クランツ男爵! 公爵閣下がお待ちですよ!!」

 

 アドリアンは一瞬口を噤んでから、早口で言った。

 

「父上との話が終わったら、僕の部屋に来てもらえるか? 頼みたいことがあるんだ」

「承知しました」

 

 その場でアドリアンと分かれると、ヴァルナルは公爵の待つ執務室に向かった。

 




遅くなってすみません。引き続き、投稿します。

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