昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第八十話 クランツ男爵への罰

「レーゲンブルト領主、ヴァルナル・クランツ男爵。今回の小公爵殺害未遂事件における目付け怠慢の罰として、そなたには新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)を禁じる」

「…………え?」

 

 ヴァルナルは聞き返した。

 新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)は、毎年、緑清の月朔日を境に帝国中の貴族が帝都へと向かう恒例行事である。

 帝都に赴いて、皇帝より新年の挨拶を賜ることは貴族にとって栄誉であり、それができない貴族―――つまり、帝都までの旅費を工面することもできぬほど貧乏であったり、何らかの理由によって皇家もしくは主家となる大貴族から帝都への訪詣(ほうけい)を禁止されることは、恥とされる。

 

 無論、戦時であったり、周辺地域との紛争を抱えている辺境伯などは特別に免除されていることもあるが、当然ながらヴァルナルはごくごく一般的な男爵位の貴族であった。通常の貴族の常識ならば、この罰は相当の恥辱をもって受け止められただろう。

 

 しかし、ヴァルナルの反応は違った。

 

「……あの、それで……いいんですか?」

 

 公爵はチラとルーカスと目を見合わせた。

 

「クランツ男爵、もう少し困るなり、驚くなり、嘆くなりしてもらいたいものだな。これは主が臣下に出す懲罰としては、なかなかに厳しいものだぞ」

 

 ルーカスがわざとしかつめらしく言うと、ヴァルナルはハッと顔を引き締めた。腕を曲げて謝意を示す。

 

「申し訳ございません。臣ヴァルナル・クランツ、謹んで公爵閣下の御意に従います」

 

 公爵はフ…と鳶色の瞳を細めたが、口元は皮肉げに歪んだ。

 

「殊勝なことだ。朝の騒がしい客人と違って」

「騒がしい客人?」

 

 ヴァルナルが首をひねると、ルーカスがあきれたように答えた。

 

「朝からアルテアン侯が乗り込んできてな。例の事件の首謀者がダニエル・プリグルスだとわかった途端に、しつこいくらいに公爵閣下に弁明に来る。来るのはいいが、毎度毎度、お涙頂戴の三文芝居を見せられるんで、正直、食傷気味だ」

「しかしアルテアン侯は、ご息女とダニエルとの婚約を破棄されたんじゃなかったか?」

「あぁ。だからこちらもアルテアン侯に文句を言う気はないというのに、何をトチ狂ったんだか、今日など、とうとうそのダニエルと婚約していた三女を勘当したなんて言ってきてな。そんなことされても、こちらはどうしようもないというのに…」

 

 そう言って、ルーカスは呆れ返った溜息をつく。

 

 実際、今日などは面会の許可もなくやって来て、たっぷり二刻(*二時間)近く居座った。公爵が一切会わないと言ったために、ルーカスが相手する羽目になったのだ。

 

「侯の目的は、借款の期限猶予だろう」

 

 公爵が煙を吐いてから静かに言った。「まだ、あの時の言葉を取り消していないからな」

 

「そういえば、そうでしたな。どうなさるおつもりで?」

「撤回する気はない。今回の事件と、あの時のことは別の話だ」

「しかしそうなると…また、やってきますよ」

「有能な騎士団長がいて助かる」

「代理ですよ、私は」

「あぁ、有能な団長代理だ。お陰で私は後顧の憂いなく仕事ができる」

 

 公爵は澄まして言い、ルーカスはげんなりした顔になる。

 

 相変わらずだなぁ…とヴァルナルはちょっと懐かしい気分になった。

 ヴァルナルからすれば、ルーカスの流暢で巧みな弁舌にはいつも圧倒されるくらいなのだが、さすがのルーカスも公爵閣下には敵わないのだ。決して口数が多い方ではないのに、不思議なことだ。

 

 それはさておき。

 

「あの、今回の帝都への禁足は私だけのものと考えてよろしいですか?」

 

 騎士達の中には帝都に家族を持つ者もいる。

 ヴァルナルは毎年帝都に帰ることを楽しみにしている彼らを、自分の懲罰に巻き込みたくなかった。

 

 公爵はすぐにヴァルナルの意図を理解した。

 

「無論そうだ。騎士らにまで罰が及ぶことはない」

「では、帝都に帰参希望の騎士については、例年通りに出立させてもよろしいですね?」

 

 その問いに答えたのは、ルーカスだった。

 

「あぁ。パシリコが責任者になればいい。カールには実務処理をがっつりやらせるからな。そうそう。来年は帝都結縁祭(ヤーヴェ=リアンドン)も開かれるからな。希望者は参加させてやれ」

 

 帝都結縁祭(ヤーヴェ=リアンドン)は新年の帝都で開かれるお見合いパーティーイベントだ。

 この祭りの期間中、大小のパーティーが帝都の各地―――それは裕福な商家の屋敷であったり、街の酒場であったり、中には公園であったり―――で開かれ、多くの男女が種々のパーティーに顔を出して、将来の伴侶を探すのだった。

 

 無論、親族間の取り決めによって婚姻が結ばれる上位貴族は、これらの宴に参加しない。

 祭りの参加者のほとんどは中産階級の商人や職人と、その娘、それから騎士といった下級貴族達だった。

 

 位を与えられながらも、基本的にはいずれかの貴族家の従属者である騎士は、普段の仕事で女性と知り合う機会もないので、毎年行われるこの祭りを心待ちにしている者が多かった。実際に結婚に至った者も少なくない。

 

「あぁ、そうか。今年はなかったんだったな」

 

 先年、皇太子であったシェルヴェステルの不予(ふよ)(*貴人の病気のこと)は、新年を心待ちにしている民の迷惑にならぬように…との故人の意思によって、新年のお祭り騒ぎが終了した頃に発表された。

 その後、数ヶ月に及ぶ闘病の末に逝去したが、その時は既に当年(藍鶲(ランオウ)の年)の結縁祭(リアンドン)は行われた後であった。皇帝は若くして(きさき)もないまま夭折(ようせつ)した皇太子を(いた)んで、今年(金雀(キンジャク)の年)の結縁祭(リアンドン)は全面的に禁止した。

 

 当然、それを楽しみにしていた多くの男達(おそらくは女達も)はガックリしたが、最期まで民衆に寄り添った優しい前皇太子のことを思うと、誰も文句は言えなかった。

 

 というわけで、来年の結縁祭(リアンドン)には相当闘志を燃やしている騎士は多いはずだ。

 

「わかった。希望者は帝都に行かせる。レーゲンブルトに家族がいる者はおそらく残ることに文句はないだろう」

 

 ヴァルナルが真面目くさった顔で言うと、ルーカスはややあきれたような、意味ありげな視線を送った。

 

「……なんだ?」

「いや……」

 

 ―――― お前もその一人か?

 

という言葉が喉元まで出かかったのを、ルーカスは飲み込んだ。そんなことを言ったところで、顔を赤らめる中年を見るだけだ。クソ面白くもない。

 

 公爵は二人の応酬を楽しげに見ながら、煙を吐ききると、灰皿に葉巻を置いた。

 

退()がれ」

 

 簡潔な言葉で、この一件についての終止符を打つ。

 ヴァルナルはペコリとお辞儀して、出て行こうとしたが、扉の前で足を止めた。

 

「……なんだ?」

 

 無表情に戻った公爵が尋ねる。ヴァルナルは振り返って、率直に尋ねた。

 

「あの…小公爵様は帝都に行かれるのでしょうか?」

「………無論だ」

「その…剣技の指導などは…?」

 

 奥歯に物の挟まったようなヴァルナルの問いかけに、公爵の眉は少し神経質な苛立ちを帯びたが、声は平静だった。

 

「男爵が領地に戻っている間は、いつもベントソン卿を始めとする騎士達によって指導されている。問題あるまい」

「そう…ですか……」

 

 ヴァルナルは頷くが、そこから動かない。

 公爵はジロリとヴァルナルを見た。

 

「なんだ? 言いたいことがあるなら言え」

 

 ヴァルナルは一度、深呼吸をし、怒られることを覚悟した。

 

「はい、あの…小公爵様を冬の間にまた、レーゲンブルトに迎えることは無理でしょうか?」

「なに?」

 

 公爵の鳶色の瞳がどんよりと不穏な気配を帯びる。すぐにヴァルナルは言い添えた。

 

「いえ…冬の間ずっとが無理であれば……その、来年の大帝生誕月だけでもよいので、いらして頂くことはできませんでしょうか?」

「男爵は、今、自分が罰を受けた身であることをわかっておられぬようだ」

 

 公爵が皮肉げに言うと、ヴァルナルの背中に一気に重くなった空気がのしかかる。低い姿勢からチラと見えたルーカスの顔も『余計なことを言いやがって』と言わんばかりに渋かった。

 

 ヴァルナルはより深く頭を下げながら言った。

 

「申し訳ございません、閣下。ただ、今回のことで小公爵様は対番(ついばん)となったオヅマにも、まともに挨拶できぬまま帰ったことを、大層、気にかけていらっしゃいます。どうか彼らに再会の機会を与えていただけませんでしょうか?」

「………僭越だぞ、ヴァルナル」

 

 再び葉巻を持った公爵の目は冷たかった。

 椅子から立ち上がると、ヴァルナルに背を向けて窓の外を見やる。

 

「………褒美が欲しければ、結果を出せ」

「褒美?」

 

 ヴァルナルは公爵の真意が理解できなかったが、目の前に迫ってきたルーカスがほとんど無理やりに部屋から押し出した。

 

「この馬鹿!」

 

 部屋から出るなり、ルーカスはヴァルナルの頭に拳骨を落とした。

 

「褒美をねだるには早いだろうが。時機を見ろ、時機を。今じゃないだろうが」

「褒美…って……別に俺は褒美がほしいわけじゃなくて」

「お前がどう思ってるかなんぞ、どうでもいいんだよ。いいか? 今回の罰をなんで出すことにしたのか、お前わかってるだろうな? 閣下がどういう結果をお望みなのかも」

「それは…」

 

 ヴァルナルはルーカスに拳骨された頭をさすりながら、少し顔を赤らめた。

 

「ミーナと多少なりと進展するようにと…」

 

 ルーカスはもう一度、同じ場所に拳骨を落とす。痛がるヴァルナルを青い目で睨みつけた。

 

「なんだってこの期に及んでこの男はまだ腑抜けたことを抜かしていやがるんだろうな。『多少の進展』? フザけんな、馬鹿。こっちはお前が来ないせいで、忙しくなることがほぼ決定なんだぞ。未亡人相手にチンタラと恋愛ごっこやってる場合か。とっととモノにしてこい!」

「そんな横暴な…」

「いいか、ヴァルナル」

 

 ルーカスは深呼吸して気を落ち着けると、ヴァルナルの耳元で囁く。

 

「閣下の望みは、例の小僧だ」

 

 ヴァルナルはゴクリと唾をのむ。

 

「オヅマを……小公爵様の近侍にしたい、という話か?」

 

 ルーカスは頷いた。そして付け加える。

 

「それも、ヴァルナル・クランツの息子としてな。出来得れば、今年中に」

「無茶な…!」

「無茶でもなんでも、やるんだよ! その為に上参訪詣(トルムレスタン)の随行禁止なんていう、御大層な名目の罰をクランツ男爵(おまえ)に与えたんだぞ。()()()は小公爵の最強の後盾がとうとう公爵閣下の怒りを招いたと、ラッパ吹いて大喜びだろうよ。それが一転、ヴァルナル・クランツの息子が小公爵の近侍になったとなれば、それこそ泡吹いて、目ン玉ひん剥くことだろうよ」

 

 ヴァルナルはルーカスの言っていることを理解できても、それを実現することが途方もなく難しいことがわかっていたので、容易に頷くことができなかった。

 

 無論、本心ではミーナに受け入れてもらい彼女と結婚し、オヅマ達と家族になれればいいなと思っている。だが、ミーナやオヅマにこの状況を知られたくはなかった。

 ヴァルナルは純粋にミーナを愛している。

 彼女を自らの栄達の道具にするつもりもなければ、その息子を政争の具とすることも避けたかった。

 

 だが一方で、アドリアンもまたヴァルナルにとって、大事な人()の息子だった。

 ヴァルナルとオヅマが処分されるかもしれないと、必死になって叫んでいたアドリアンの姿が苦く思い浮かぶ。

 

 

 ―――― 僕を守ろうとしないでくれ、ヴァルナル。僕は平気だ。鞭打ちでも、幽閉でも…!

 

 

 あんなことを言わせてはいけないのに。

 アドリアンはまだ子供で、守られるべき存在であるのに。

 

 思い悩むヴァルナルに、ルーカスは苦い顔で言った。

 

「閣下はああ仰言(おっしゃ)るが、決してアドリアン様を見放しているわけじゃない。自分にとってのヴァルナル・クランツを息子にも持たせてやりたいと願うのは、おそらく偽らざる親心だ。閣下ご自身は認めないだろうがな」

「…………」

 

 ヴァルナルは痛ましげに眉を寄せる。

 

 公爵の複雑な胸の(うち)は、すべてをわかりようがなくとも、察することはできる。自らの感情の不均衡(アンビバレンス)に、一番悩み、持て余しているのは公爵自身だろう。

 

 困り果てたヴァルナル()の様子に、ルーカスは自分でも性急すぎたと反省し、軽く息をついた。

 ()()()と一緒になって焦ってはいけない。既に綱引きが始まっているのだから、慎重に、確実に、物事を進めなければ。

 

「一応言っておくがな…エシルからは、小公爵様の近侍として三男のエーリクがつくことになっている」

「イェガ男爵の息子が近侍に?」

「そうだ。だからこそ、あちらも大慌てで男爵家の、まだ子供相手に婚約なんぞと、トチ狂ったことを考えたわけだ。だからな、エシルが既にあちらについたなどと心配しなくていい。イェガ男爵には頭が痛いことだろうが……」

「そうか」

 

 ヴァルナルはホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら公爵も、アドリアンとハヴェル公子の後継者争いについて、まったくの無関心というわけではなないらしい。

 

「じゃ、俺は戻る。お前は? アドリアン様に会っていくのか?」

 

 ルーカスに尋ねられて、ヴァルナルはアドリアンに呼ばれていたことを思い出した。

 

「あぁ。さっき会った時に、閣下との面会後に来てほしいと言われている」

「そうか。じゃ、行ってくるといい。ずいぶん、しっかりされたよ。色々とあったが、俺は小公爵様がレーゲンブルトに行ったことは、収穫だったと思うぞ」

 

 快活に言うルーカスに、ヴァルナルはホッと安堵の笑みを浮かべる。

 

「ありがとう」

 

 素直に感謝すると、ルーカスはまた皮肉げな口調に戻った。

 

「ふん。誰かさんのせいで、俺があの荒くれ者どもの世話をする羽目になったんだ…いいブランデーを用意しておくことだな。再会の時に朗報と一緒に受け取ろう」

 

 ルーカスはニヤリと笑って、ヴァルナルの背をバンと叩く。

 少々強い力にヴァルナルは顔を顰めたが、「頑張るよ」とつぶやいて、友にしばしの別れを告げた。

 

 




引き続き更新します。


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