昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第八十二話 アドリアンに灯った希望

「あぁ、ヴァルナル。よく来てくれた」

 

 ヴァルナルがアドリアンの部屋をノックすると、現れたのは本人だった。普通は従僕が取り次ぐものなのに…とヴァルナルは少し不思議に思いつつも、招かれるままに部屋へと入った。 

 

「従僕はどうしたのです?」

「あぁ。ちょっと他に頼みごとがあって…」

「授業はないのですか?」

 

 通常であれば、この時間は学習しているはずだ。

 

「朝のうちに済ませてある。昼にはお前が来ると聞いていたから」

「わざわざ申し訳ございません」

「いいんだ。父上のところで茶を飲んだか?」

「いえ…」

 

 言えば出してくれたかもしれないが、赤くなったり青くなったりして、それどころではなかった。 

 

「じゃあ、用意しよう」

 

 アドリアンがチリンと慣れた様子でベルを鳴らす。

 しばらくして茶器の乗ったワゴンを運んできた若い従僕を見て、ヴァルナルはあっと声を上げた。

 

「サビエル! お前、何をしているんだ?」

「何って、見ての通りお茶の用意です」

 

 淡墨色の髪に、父親譲りの真っ青な瞳の青年は澄まして言ってから、クスリと悪戯(いたずら)っぽく笑ってヴァルナルに挨拶した。

 

「お久しぶりです、クランツ男爵」

「なーにがクランツ男爵だ。いつも通り呼べ、いつも通り」

 

 本人からの許可があっても、サビエルは慎重だった。チラとアドリアンを見て、小公爵が頷くのを確認してから親しげに呼びかけた。

 

「久しぶり、ヴァルナルおじさん」

 

 ヴァルナルは懐かしそうにサビエルの肩やら腕やらをペチペチ叩いた。

 

 サビエル・ラルドン。

 彼はルーカスの息子だった。

 一番目の妻が、ルーカスと別れた後に出産したのだが、彼女は事実を知ったルーカスとよりを戻すことも、ベントソン家の跡継ぎにすることも拒否した。

 

 ルーカスは元妻の意志を尊重して、サビエルを息子として認知はしなかったが、彼が成人するまでの援助を行い、頻繁に会いにも行っていたので、ヴァルナルも幼い頃から見知った仲だった。

 

「いつの間に小公爵様の従僕なんて…お前、いくつになったんだ?」

 

 ヴァルナルはいつの間にか自分と同じ目の高さになっているサビエルに驚くしかない。

 

「十八です」

「えぇ?! もう成人過ぎてたのか? すまん、何の祝いもせず」

「いいですよ。この二、三年はあちこち回って修行中みたいなものでしたからね。この前、急に小公爵様の従僕に空きができたとかで、面談があって…有り難いことに雇い入れてもらえました」

 

 公爵家においては、従僕をはじめとする使用人達ですらそう簡単には働けない。

 多くは各地の屋敷において実績を積み、主人からの推薦状を持った上で、公爵家での面接の機会を得る。そこで家令や執事などから認められて、ようやく働くことを許されるのだ。

 

 無論、公爵家に特別の伝手などがあれば、面接を免除されて、主人からの直接指示による雇用も可能であるが……

 

「ルーカスに頼まなかったのか?」

 

 サビエルには強力な縁故(コネ)があるのだから、ルーカスから公爵本人に頼めば、従僕になることはさほどに難しいことではない。

 だが、ヴァルナルの質問にサビエルは当然のように答えた。

 

「父が僕に便宜など図るわけがないでしょう。なんだったら、下手こいてオロオロするのを楽しんで見ているような人ですよ」

「……違いない」

 

 ヴァルナルは頷きながらも、ルーカスであれば息子が望むのなら、口添えするだろうと思った。もし、しないのであれば、それはきっとサビエルが望まなかったからだ。こういうところは母親譲りの潔癖さだ。

 

「それでは私はこれで。御用の際にはいつでもお呼び下さい」

 

 サビエルは用意を整えると、早々に立ち去った。

 

「サビエルはとても気がつくんだ。色々と助けてくれる」

 

 アドリアンはお茶を飲みながら穏やかな笑みを浮かべる。

 ヴァルナルはホッとした。

 前の従僕はアドリアンに対して時に不敬極まりない態度を取ることもあったが、サビエルであればそんなこともないだろう。

 それは今、このアドリアンの穏やかな様子を見てもわかる。

 

「ようございました。しかし…まさかサビエルが従僕になっているとは思いもよりませんでした。最初にベントソン卿から紹介がありましたか?」

「いいや。ベントソン卿だって知らなかったみたいなんだよ。僕が反対に紹介したんだ。今後は色々と剣術の稽古の事とかで連絡を頼むこともあるだろうから、見知っておいてもらったほうがいいと思って」

「ほぅ」

 

 ヴァルナルは思わず身を乗り出した。

 その時のルーカスの顔は見ものだったはずだ。

 

「どうでしたか? ベントソン卿の反応は?」

「サビエルはとても礼儀正しくお辞儀して、自己紹介をしたよ」

 

 言いながらアドリアンもヴァルナルの求めることがわかったのか、少し悪戯(いたずら)っぽい目になる。

 

「それで僕はベントソン卿も同じように挨拶して済むと思っていたら、いつまでたってもベントソン卿が何も言わないんだ。どうしたのかと思って見たら、顎が外れちゃったのかと思うくらい口をぱっくり開けたまま、呆然自失ってああいう状態なのかな…? なにせ、しばらくの間、サビエルを穴が開くくらい見つめていたよ」

 

 ヴァルナルは大笑いした後、残念そうに言った。

 

「いやぁ…是非にも、その場に同席したかったですね。ベントソン卿が本気で驚く姿など、そうそう見られるものではない」

「僕も一体どうしたのかと思ったよ。それから事情を聞いたら二人が親子だっていうから、今度は僕が顎が外れるくらい驚いてしまった。サビエルだけが平然としていたな。ヴァルナルはベントソン卿から聞いてなかったのか?」

「まったく聞いてません。まぁ、おそらく私が驚くだろうと思って黙っていたのでしょう」

 

 実際には、それどころでない話が続いたせいで、ルーカスが忘失したのだろうが。 

 

 アドリアンはクスリと笑ってから、話を変えた。

 

「父上との話はどうなった?」

 

 アドリアンは父に何度もヴァルナルに非がないことを訴えてはいたが、父がどこまで自分の言葉をきいてくれているのかはわからなかった。

 

 レーゲンブルトより戻ってから、毅然とした態度をとることで、以前に比べ、公爵家の使用人達からは侮られることもなくなってきたが、巌のごとく冷淡な父の前では、アドリアンはまだまだ無力だった。

 

「あぁ…新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)の随行禁止になりました」

 

 ヴァルナルがあっさり言うと、アドリアンは愕然とした。

 思わず聞き返す。

 

新年の上参訪詣(クリュ・トルムレスタン)の随行禁止…って、帝都に行けないってこと? 本当に?」

「えぇ、まぁ仕方ないです」

 

 ヴァルナルは肩をすくめてお茶を口に含んだが、アドリアンは立ち上がった。

 

「……父上に意見してくる」

 

 足早に扉へと向かうアドリアンを、ヴァルナルはあわてて止めた。

 

「待って下さい! 大丈夫です。大した罰じゃないです」

「なにが!? 新年の帝都への出入りを禁止されるなんて、まるで罪人じゃないか!」

「いや、まぁ…一応、罰ですから」

「撤回してもらう!」

 

 いきりたつアドリアンをヴァルナルはなだめつつ少しばかり嬉しかった。思わず顔がほころぶ。

 

「……笑っている場合か?」

「いえいえ。小公爵様がこうまで怒って下さることが嬉しいのです。ですが、本当に大丈夫です。私はこの罰に納得しておりますし……その…なんでしたら……ありがたくもある話…ではあるので」

 

 アドリアンは、急に声が小さくなって、気恥ずかしそうに言うヴァルナルを怪訝に見た。

 

「ありがたい?」

「はぁ…まぁ……色々と大変ではあると思うのですが、こうまで尻を叩かれるのであれば、とりあえず全力を尽くす…といっても、向こうが嫌がるようであれば無理強いはできませんが…」

 

 口の中でブツブツ言っているヴァルナルを見て、アドリアンは首をかしげる。

 

「ヴァルナル? 何を言ってるんだ?」

 

 不思議そうに問われて、ヴァルナルはハッと顔を上げた。

 

「申し訳ございません」

「いや…レーゲンブルトでなにか大変なことがあるのか?」 

 

 アドリアンの問いかけに、ヴァルナルは溜息をついた。

 確かに大変なことだ。自分にとっては。

 

 嘆息するヴァルナルをアドリアンは心配そうに見つめた。

 ヴァルナルもじっと見返しながら、小さな声で尋ねた。

 

「あの、小公爵様。例えば…例えばですが、もし、オヅマが小公爵様の近侍となる……なんてことがあれば……」

 

 ヴァルナルの話が終わる前にアドリアンの顔がパッと輝いた。

 

「本当か!?」

「…………」

 

 ヴァルナルはアドリアンのその顔を見た途端に、自分の言葉を否定することが出来なくなった。

 

「オヅマがここに来るってことか?」

 

 アドリアンの心は一気にわきたった。

 レーゲンブルトでろくに話すこともできずに別れてしまい、また再会できるかどうかもわからない。何であれば二度と会うこともないかもしれないと覚悟していたので、ヴァルナルの話はアドリアンとって雲間に差した光明だった。

 

 ヴァルナルはあまりに嬉しそうなアドリアンの様子に、困りつつも喜んだ。

 グレヴィリウス家の少々特殊と言える教育方針によって、常に表情を崩すことのない、異様に大人びた少年であった小公爵様が、こうまで感情豊かに見せるようになったのは、オヅマのお陰だろう。

 

「えぇ…条件が整えば可能かもしれません」

 

 ヴァルナルが認めると、アドリアンは「条件?」と聞き返す。

 ヴァルナルはポリポリと頬を掻いて、言いにくそうに話した。

 

「その…私が……オヅマの父になれば…ということです」

「ヴァルナルが、オヅマの父?」

 

 アドリアンは鸚鵡返しにたずねてから、しばし黙考した。

 真っ赤な顔の師匠をまじまじと見つめる。

 

「あぁ……」

 

 さほど時間もかからずアドリアンは事情を汲み取ると、椅子に戻った。

 

「そういうことか」

 

 言いながら、父がヴァルナルに与えた罰の意味もわかって、内心でホッとした。

 文字通りの処罰ではないようだ。

 一年の半分をアールリンデンと帝都で過ごすヴァルナルでは、いつまでたっても進展しないだろうから、という…ある意味、温情だ。

 

「ヴァルナル」

 

 アドリアンはにっこり笑って言った。「がんばって」

 

 ヴァルナルはハハと力なく笑いつつも、「善処します」と答えるしかなかった。

 

 斯くして―――――

 

 ヴァルナルは覚悟を決めるしかなかった。

 オヅマをアドリアンの近侍にする。そのためには今のままのオヅマを公爵家に上げるわけにはいかない。最低限の教養と礼儀作法を身につけてもらう必要がある。

 

 それにこれはオヅマにとっても有用なことだった。

『千の目』などという稀能(キノウ)をむやみに発現して、その度に吐血などしていればそのうちに命を落とす。

 オヅマには適切な指導を行える師が必要だ。

 アドリアンの近侍となれば、ゆくゆくは帝都にも行くことになるだろう。そこで大公殿下に指導をお願いすることもできるやもしれぬ。………

 

 むろんこれらのことは全て、オヅマが意識を取り戻して、順調に回復していけば、の話だ。

 ビョルネ医師の診察では、特に身体の異常は見られない、とのことだった。「おそらく数日中には目を覚ますでしょう」とも。

 

 小公爵の近侍に求められるのは、健康と知力、体力だ。

 意識さえ戻れば、おそらく健康と体力については申し分ない。

 問題は知力。マッケネンの話だと、頭は悪くないようだが、ムラッ気があるので、なかなか教えるのには難儀しているらしい。……

 

 

 

 ゆっくりと……錯綜する思いが、オヅマの人生を動かしていく。

 なにも知らぬオヅマが目を覚ますのは、それから十日後のことだった。

 




次回は2022.09.11.更新予定です。

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