昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第七話 けんかと紅熱病

 オヅマ達兄妹とオリヴェルは急速に仲良くなったのだが、そうして親しみが増すと、我儘を言うようにもなってくるものだ。

 

 ある日、オヅマが騎士団の訓練から帰ってくると、マリーが部屋でポツンと一人、肩を落としていた。

 

「どうした? オリヴェルと喧嘩でもしたか?」

 

 気軽に尋ねると、マリーは力なく首を振る。

 

 喧嘩なんぞあるわけもない。

 オリヴェルはマリーに対して怒ったことなど一度もないからだ。オヅマにはけっこう物言うが。

 

「なんだよ? あ…じゃあ、エッラか? またいじめてきたのか?」

 

 エッラは女中の一人だ。

 館の中でも領主様の寝室などを整頓したりする女中なので、ちょっとだけ女中の中でも地位が高い。それを鼻にかけていて、何かとミーナやマリーにキツく当たってくる。ネストリの女版だ。

 

「ううん。何も言われてない」

 

 マリーは俯いたまま小さな声で言った。

 

「じゃあ、何?」

 

 オヅマはシャツを脱ぎ、手拭いを濡らして絞るとゴシゴシと体を拭いた。

 だんだんと春の陽気で暖かくなって、訓練の後にはけっこう汗をかくようになってきた。

 

「オリヴェルが…楽しくないことを言うの」

「うん?」

「自分なんてどうせもうすぐ死ぬんだ、って。生きてても仕方ないんだ…って」

 

 オヅマは眉を寄せた。

 

 時々、オリヴェルは投げやりだった。

 小さい頃から病気がちで、長く生きられないと大人達が話すのを聞いていたからだろうか。

 

 オリヴェルが体が弱いのは同情するとしても、このオリヴェルのあきらめきった感じがオヅマにはどうにも気に入らなかった。

 

 翌日になってオヅマは朝駆けに騎士団が出かけた隙にオリヴェルの部屋に向かった。

 少しだけ開いたカーテンの間から、オリヴェルが見えた。ちょうど起きたところのようだ。女中のゾーラに顔を洗って拭いてもらっていた。

 

 オヅマは小鳥の真似をして口笛を吹いた。

 オリヴェルは途端に気難しい顔になって、ゾーラをドンと押す。

 

「痛いじゃないか。どうしてそんな拭き方をするんだ! もういい!! 出ていけ!」

 

 ゾーラは内心でやれやれと溜息をついた。

 最近は癇癪も少なくなってきた…などと言っていた無責任なヤツは誰だろうか。

 

 それでも一応頭を下げて謝ると、床に落ちた手拭いを取り上げ、盥《たらい》を持って出て行く。

 

「お前のせいで頭がまた痛くなった! しばらく誰も入ってくるな!」

 

 オリヴェルはゾーラに重ねて怒鳴りつけた。念には念を入れねばならない。

 

 彼女はあからさまな溜息をつくと、振り返ってお辞儀することもなく、バタンとドアを閉じて出て行った。

 

「……なんか、お前うまくなってきたね」

 

 入ってくると、オヅマはニヤと笑って言う。

 オリヴェルはさっきまでと打って変わって微笑んだ。

 

「そりゃあ、君達が追い出されないように僕だって必死だもの」

「申し訳ないことですね、若君」

 

 オヅマがおどけて言うと、オリヴェルは肩をすくめてソファに腰掛ける。

 

「どうしたの? こんな朝早い時間に。珍しいね」

「あぁ、ちょっとさ。言いたいことがあるんだよ」

「言いたいこと?」

「お前、マリーにまたどうしようもないこと言ったろ? どうせすぐ死ぬとか、何とか」

 

 オヅマが言った途端に、オリヴェルはふいと目を逸らした。

 気まずそうな顔になっている。

 

「だって…マリーが春になったらピクニックに行こうとか…大きくなったら帝都に行きたいとか…無理なことを言うから」

「帝都はともかく、ピクニックなんて、なにが無理なんだよ?」

「無理に決まってるだろ。僕はここから出るのは駄目だって言われてるんだ」

「………」

 

 オヅマは白けた顔だった。

 納得いっていない様子を見て、オリヴェルは苛立たしげに赤銅色の巻毛をわしゃわしゃと掻いた。

 

「君達にはわからないよ。外に出て風にあたって…少し歩いただけで息切れするんだ。君みたいに騎士達と一緒に走ったり…馬に乗ったりなんて、一生できないんだ」

「あー…お前が色々とやりたくても出来ないことがあるのはわかった」

 

 オヅマはとりあえずオリヴェルの怒りをなだめた。

 その上で、ジロリと睨むように見つめる。

 

「でも、マリーの前で『どうせ死ぬ』とか言わないでやってくれ」

「どうして?」

「どうして? 聞きたくないからだよ。友達が『生きてても仕方ない』なんて言ってるのを聞いて、いい気分になるもんか」

「…………」

 

 オリヴェルは俯いた。

 さすがに自分よりも幼いマリーを悲しませたのは、申し訳ないと思った。

 

 でも、物心ついてからずっと引きずってきた()()()()はそう簡単に取り払えない。

 

「君には…わからないよ」

 

 自分でも素直でないとわかっていたが、オリヴェルはつぶやく。

 オヅマはハアーッとわざとらしい溜息をついた。

 

「ああぁ…もう。そうやって不幸()()の、やめろよ」

「な……それ…なんだよ、その言い方!」

「わかってほしいから叫んでたんだろ、ずっと。マリーはお前が叫んでいる声が可哀想だって言ったんだ。聞いてて悲しくなるって。だからここに来たんだよ。望みどおりしてやったろうが!」

「うるさい! 君になんかわかるもんかっ!」

「わかってたまるか! お前みたいなひねくれ者!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 

 オヅマはバルコニーへと出ていくと、ほとんど落ちるようにミモザの木を降りていった。ちょうどその時にアントンソン夫人が顔を出したので、良かったのかもしれない。

 

「どうなさいました? 坊ちゃま」

 

 アントンソン夫人は怒鳴り声が、いつものオリヴェルの甲高い声と少し違ったような気がして、まさか誰かいるのかと、部屋を見回しながら尋ねた。

 オリヴェルはキッと睨みつける。

 

「なにもない! 入ってくるなと言っただろ!! 出てけ!」

「……はい。失礼致します」

 

 アントンソン夫人はこめかみに軽い痛みを感じながら、お辞儀をしてドアを閉めた。

 どうやら久しぶりに頭痛薬が必要なようだ。

 

 

 

 

 

 

 その日からオヅマはオリヴェルと絶交状態に陥った。

 マリーはそれでも顔を出して、兄とオリヴェルの間を一生懸命取り持とうとしたが、男子二人はこじれると厄介だった。

 

「うるせぇ、ほっとけ」

 

と言う兄の方は、それでも必ずマリーにそれとなくオリヴェルの様子を聞いてきたし、オリヴェルはたまに小鳥の啼声を聞いてはハッと必ずバルコニーを見るのだった。

 そのくせ二人に仲直りしよう、と言っても頑として聞き入れない。

 

「フン。どーせ俺なんざガサツで頭の悪ぃ小作人の(せがれ)だからな。大層お偉い若君の考えることなんざ、わからないさー」

 

 オヅマが口をとがらせて言う。

 本当はそんなこと思ってないくせに…。

 

 憎まれ口をきく兄をマリーは睨みつけた。

 

「オリヴェルは…偉そうなことは一回も言ったことないよ。俺は領主の息子なんだぞーって威張ったりしないよ」

「それは…そうだけど」

 

 オヅマはそこは認めつつも、やっぱり謝る気はないようだった。

 

 オリヴェルはオリヴェルですっかり悄気(しょげ)返っていた。

 

「オヅマは、やっぱり僕と遊ぶのは嫌だったんだ。最初から、嫌だって言ってたし」

「嫌だなんて言ってないよ。それにお兄ちゃん、オリヴェルは自分より年下なのに、とっても物知りだって…すごいって何回も言ってたよ」

 

 マリーは本当のことを言ったのだが、オリヴェルは力なく首を振った。

 

「僕はここで本を読むぐらいしかできないもの。オヅマみたいに騎士達と剣の練習や、馬に乗ったりすることなんてできないから…」

 

 マリーは途方に暮れた。

 どうして二人とも悪いと思っているなら、同時に謝って元に戻ることができないのかしら?

 

 そんなちょっとした喧嘩をしている間に、とうとうネストリが戻ってきた。

 

 久しぶりにネストリに会ったオリヴェルは、蛇に睨まれた蛙のような気分だった。

 ねっとりしたネストリの視線は、顔色が良くなって、多少肉付きも良くなったオリヴェルを注意深く見ていた。

 その場では何も言わずにいたが、疑っているのは明白だった。

 

 だが、領主館はそれどころでない事態が勃発した。

 

 使用人達が相次いで熱を出して倒れ始めたのである。

 

紅熱(こうねつ)(びょう)です」

 

 最初に倒れた馬丁を診察した医者は言った。

 

 紅熱病はこの十数年の間に、帝都とその近郊において度々流行した伝染病だった。

 

 高熱が出て、舌や喉が赤く腫れる。白い肌の人間などは、全身が赤くなることもあった。さほどに長引く病気ではなく、三日から五日間ほど適切な看護を受けて静養すれば、症状は落ち着いた。

 ただ、元から病弱であったり、年老いた人間が罹ると、時に死に至ることもあった。

 

 病名が判明した段階で、高熱を出していた者が四名。喉の痛みや咳などの症状を訴えた者が十名いた。

 

 ヴァルナルは早速、この病への対策を講じた。

 

「無症状の者は家に戻って休ませろ。ただし、体調の変化にはくれぐれも留意して、家族や周囲の人間との接触を極力減らし、伝染(うつ)すことのないように厳命しておけ」

 

 その上で、領内において流行が起きた場合に備えて、主家である公爵に医者の派遣を要請する。

 

 帝都から遠く離れたレーゲンブルトにおいて、この病はまだ未知のものだった。一気に広がる可能性がある。

 

 春の種植えの時期にかかってくれば、収穫量にも関わってくる。

 雪解けの豊富な栄養を含んだ水は、この短い期間にしか流れてこない。

 この時期に種を植えて、成長させることで、作物は十分な栄養によって強くなり、夏に突発的に起こる冷颪(ひやおろし)にも耐えうる力をつけるのだ。

 

「困ったことになりましたね」

 

 カールは執務室でヴァルナルと向き合っていた。

 ヴァルナルの命を受けて公爵本邸に赴き、先程、戻ってきたところだった。

 

 ヴァルナルは公爵からの手紙を読んで、ほっと一息つく。

 

「よかった。公爵様がすぐにも三名、医者を派遣して下さるようだ」

「えぇ。領主様からの手紙を読んでいる間にも、補佐官に直ちに医者を選出するように命じておられました」

「む。そうしたことでは、行動が早くて助かる」

「騎士団の人間はほとんど罹患したことがあるので、大丈夫だと思われます。ただ、オヅマはこちらの人間ですので、もし症状の出た場合には必ず休むように言っておきました」

 

 紅熱病は一度罹患すれば、罹ることはほとんどない。あっても症状は軽い。

 

「とりあえず領主館の中で収まればいいのだが…」

 

 ヴァルナルは溜息をついた。

 一年のうちの数ヶ月、領地に戻るこの時期は色々と仕事は忙しくとも、精神的にはゆっくりできる、ヴァルナルにとってはいい休養期間なのに、今年はそうでもなさそうだ。

 

 その上でますますヴァルナルを悩ますことになったのが、一人息子であるオリヴェルが紅熱病に感染したことだった。

 

 

 

 

 

 

 オリヴェルはその日、喉の痛みで目が覚めた。

 しかしそのことを言わなかったのは、その日に洗顔の盥を持ってきたのが見慣れない女中だったのもあるし、そうした体調の変化について毎日必ず聞いてくるアントンソン夫人がやって来なかったのもある。

 

 理由はマリーがやって来て教えてくれた。

 

「なんだか病気がいっぱい流行(はや)ってるんだって」

「病気が…? じゃあ、みんな病気になってしまったってこと?」

「みんなじゃないよ。私もお母さんもお兄ちゃんも元気だよ。それとえっとパウルお爺さんも、ヘルカお婆さんも元気だけど、もう年取ってるから、病気になったら大変だから、東の塔には行っちゃいけない…って」

「東塔に? どうして?」

「えっと、病気になった人達はそこで寝てるの」

「あぁ…そう」

 

 東塔は領主館から少し離れた場所にある。

 元は兵舎兼見張りの塔だったが、それは戦時のことで、当時に比べて領地における兵員は大幅に縮小され、必要がなくなって、ほぼ放置されている。

 今では時々、騎士達が最上部の見張り部屋までどれだけ早く行けるか競争するのに使用されるくらいだが、この事はオリヴェルも知らない。

 

「じゃあ、アントンソン夫人も病気なのか」

「うん。昨日はまだそんなに多くなかったのに、今日になったらあっという間に増えちゃったみたい。まだ病気になっていない人で、家に帰れる人は帰っちゃったし。だから、今とっても人が少なくなってるんだよ」

「そっか。でも、そのおかげで見つかりにくくなっていいや」

 

 オリヴェルはそう言っていたずらっぽく笑った。

 マリーもニコ、と笑う。

 

 二人は午後の時間を誰に邪魔されることもなくゆっくりと過ごしたのだが、そろそろ帰ろうという時間になって、マリーはオリヴェルの顔色が良くないことに気付いた。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

「大丈夫だよ。いつものことで…少し寝ればすぐに戻るから」

 

 言っている間にも、オリヴェルは頭痛がひどくなってきていた。

 本当はマリーと遊び始めたときから、喉の痛みが朝よりもはっきりと痛くなってきていたし、手や首を動かすのもだるかった。

 それでもネストリが帰ってきてから、ここまでゆったりできることも少なかったので、久しぶりに満喫したかったのだ。

 

「大丈夫だから、行って」

 

 オリヴェルはバルコニーを開けてマリーを押し出そうとしたが、窓を開けた途端に吹き付けた冷たい風にゾクリと悪寒が走った途端、目が霞んで倒れた。

 

「オリヴェル!」

 

 マリーは叫んだが、オリヴェルはその時には蒼白の顔になって震えるばかりだった。

 

「オリヴェル! オリヴェル!!」

 

 マリーは何度も叫んだ。けれどオリヴェルは気を失ったままだ。

 

「誰か……」

 

 言いかけてマリーはためらった。

 誰かを呼べば、自分がオリヴェルの部屋に無断で来ていたことがバレてしまう。そうなれば、領主館から追い出される。

 

 ―――――いいな。俺らだけの秘密だからな。

 

 オヅマの言葉が脳裏によぎる。

 しかし、マリーの選択は早かった。

 

 立ち上がって、オリヴェルの部屋の扉を開ける。

 廊下に出て、階下に向かって大声で叫んだ。

 

「誰かッ! 誰か来てーっ! オリヴェルが死んじゃう!」

 

 

 

 

 その声を聞きつけてやって来た女中のナンヌと従僕のロジオーノは、マリーの襟首を鷲掴みして、容赦なく何度も頬を()つネストリの姿に言葉をなくした。

 

「あ…ど、どうしたんです?」

 

 ロジオーノが声をかけると、ネストリは苛立たしそうに睨みつけた後、マリーを襤褸(ボロ)布のように壁に向かって放り投げた。

 ナンヌが駆け寄ると、マリーは真っ赤に頬を腫らし、涙を流す緑の瞳はどこか虚ろだった。

 

「そのガキを折檻(せっかん)部屋に入れておけ!」

 

 ネストリが怒りもあらわに命令する。

 ロジオーノはマリーとネストリの間に割って入り、おろおろと問いかける。

 

「一体、何があったのです? さっき、叫んでいたのはマリーでは?」

「そうだ! このガキ、やっぱり若君の部屋に入り込んでいたのだ。まったく、思った通りだ! だから私はこんな紹介状もない小作風情の親子を館に雇い入れるなど反対していたのに!」

「しかし…あの、さっきマリーはその…お坊ちゃんのことを…」

 

 ネストリは乱れた前髪と、襟を整えながら、ロジオーノがそれ以上言うのを制止した。

 

「若君には私が()()()()と言い含めておく。お前達はとっとと、この汚らしいガキを折檻部屋へ連れて行って、牢に()()()()閉じ籠めておくように。いいな、ロジオーノ!」

 

 ナンヌはロジオーノをじっと見つめた。

 ロジオーノは肩をすくめて軽く首を振ると、マリーを抱き上げる。

 何があったのかは定かでないが、執事の言うことにはとりあえず従わねばならない。

 

 ネストリは二人が去った後で、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 ようやくあの親子を排除できそうだ。まったく、自分の許可もなく雇う人間など、やはり礼儀もなっていない愚蒙の輩だ。

 

 ドアをコツコツとノックする。

 返事はない。

 

 ネストリはフン、と鼻をならして、

 

「ネストリでございます。入らせていただきますよ」

とドアを開けた。

 

 開け放たれたバルコニーの窓際で倒れているオリヴェルを見つけて、驚嘆したネストリが腰を抜かすのに数秒もかからなかった。

 

 館は一気に騒然となった。

 

 医者によってオリヴェルが紅熱病に罹患したことが診断されると、その看護を誰がするのかということが問題になった。

 

 普段からオリヴェル付きの女中やアントンソン夫人は既に発症して東塔で療養中であった。その他の女中といっても、レーゲンブルトから出たことのない、紅熱病に罹ったことのない者では、いずれ発症して世話できない可能性がある。

 

 ヴァルナルは屋敷にいた使用人に過去に紅熱病に罹患した者がいないかを調べさせた。

 一人だけ見つかった。

 彼女はかつて帝都にいたらしく、罹患した経験があったのだ。

 

 ヴァルナルはその者を執務室に呼んで話をしていたが、ちょうどその時に飛び込んできたのがオヅマだった。

 

「領主様ッ」

 

 

 

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