昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第八十四話 ヴァルナルの教え

 オヅマが完全に目を覚ました三日後、ヴァルナルが領主館に帰ってきた。

 公爵からの処分があった翌日にアールリンデンを発ったヴァルナルは、その足で領地視察を行い、十日ほどかけて領府(レーゲンブルト)に戻ってきたのだ。

 

 夕暮れ間近に帰ってきた領主様を出迎えた一同の中で、特にニコニコと笑って中央にいたのがオリヴェルとマリーだった。

 二人の嬉しそうな様子に、ヴァルナルは疲れがふっと弛んだ。

 

「どうした二人とも。えらくご機嫌だね?」

 

 ヴァルナルが尋ねると、オリヴェルとマリーは目を見合わせてから、また笑った。

 

「実は……」

 

 オリヴェルが話そうとすると、マリーはヴァルナルの手を掴んだ。

 

「駄目よ、オリー。領主様、こっちに来て!」

 

 マリーがヴァルナルを引っ張って行こうとするのを、ミーナはあわてて制止しようとしたが、ヴァルナルが手で止めた。

 

「いや、構わない。マリー、どこに連れて行ってくれるんだい?」

「こっち!」

 

 マリーだけでなく、オリヴェルももう片方の手を掴んで、ヴァルナルを引っ張っていく。

 ヴァルナルは案外と強い力で引っ張るオリヴェルに成長を感じた。今では階段を登るのも、息切れする様子もない。あるいは病が治癒したのではないか…と密かな希望を持ってしまう。

 無論、病が治ろうが治るまいが、オリヴェルが愛すべき息子であることに変わりはないが。

 

 二人が引っ張っていく先が、療養しているオヅマの部屋だと気付くと、ヴァルナルは思わず問いかけた。

 

「オヅマの意識が戻ったのか?」

 

 二人はニコと笑って答えず、扉を開く。

 

「お兄ちゃん! 領主様が帰ってきたよ!」

 

 マリーがヴァルナルと手を繋ぎながら入って行くと、オヅマはしばらくその光景に固まった。背後からはオリヴェルと母であるミーナの姿も見える。

 

 オヅマは読んでいた本をかたわらに置くと、キッとヴァルナルを睨んだ。

 

「オヅマ…戻ったか」

 

 ヴァルナルはオヅマの剣呑とした様子に少し驚きつつも、鷹揚に微笑んだ。

 

「………戻ったのは、領主様の方じゃないんですか?」

「それもそうだな」 

 

 オヅマはニコニコと笑っているヴァルナルと、同じように笑顔の母を見て、ムスっと仏頂面になった。

 兄の不機嫌な様子に、マリーが小首をかしげる。

 

「どうしたの? お兄ちゃん。なんで怒ってるの?」

「……なんでもねぇよ」

「お腹すいた?」

「違う」

「じゃあ、なんで怒ってるの?」

「怒ってんじゃなくて! その……なんか……仲良さそう…だな…って」

「え?」

 

 聞き返したのはマリーだけではなかった。その場にいた全員が、揃って訳がわからないような顔になるのも、オヅマにはひどく落ち着かない。

 くしゃくしゃと頭を掻いてから、ヴァルナルに問いかけた。

 

「まさか、俺が寝てる間に勝手に家族になったんですか?」

 

 ヴァルナルとミーナは絶句し、オリヴェルとマリーはぽかんと口をあけた。

 

 一番最初に反応したのはミーナだった。真っ赤に上気した顔で、病み上がりの息子を怒鳴りつけた。

 

「何を馬鹿なこと言ってるの! まだ寝ぼけているの?!」

 

 下からマリーがあどけなく問うてくる。

 

「お母さん、私達、家族なの?」

 

 違います! と言いかけてミーナは口ごもった。

 オリヴェルがじっと見つめてくる。その瞳には微かな期待があった。

 

「…………」

 

 ミーナは困って、うつむいた。

 

 オリヴェルの世話をするようになってから、もう一年になる。

 長く淋しい境遇にあったオリヴェルに同情し、ミーナは誠心誠意、仕えてきた。時に、オリヴェルがあまりに自分を卑下して、投げやりなことを言うと、厳しく叱ることもあった。

 

 今では、息子同然に思っている。

 オリヴェルもまた、ミーナのことを母同然に思って打ち解けてくれている。

 

 その目の前で『家族ではない』と断言することは、ミーナを信じてくれているオリヴェルを失望させてしまうだろう。

 

 それに――――

 

 ミーナはチラっとヴァルナルを見た。

 マリーの質問に、戸惑いながらも朗らかな笑みを浮かべている。

 

 ミーナはなぜか胸がしめつけられた。

 

 さっきから無礼な態度の息子にも、寛容な領主様。

 彼の前で『家族ではない』と、はっきり言うのが正直、嫌だった。

 それに―――どこかで、ヴァルナル()きっぱり否定しないでいてくれることに、喜んでいる自分がいる……。

 

 ミーナは自分に湧き起こる、甘く、不穏な気持ちを静かに押し隠した。

 

「………オリヴェル様。そろそろ夕餉の時間でございますから、お召し替え致しましょう」

 

 ミーナが声をかけると、オリヴェルは頷いてから、ヴァルナルに尋ねた。

 

「じゃあ、父上…今日は一緒にお食事できますか?」

「あぁ、もちろんだ」

 

 ヴァルナルが頷くと、オリヴェルは嬉しそうに笑って、オヅマに声をかけた。

 

「オヅマも一緒にどう?」

「まさか…」

 

 ヴァルナルが帝都に行って留守の時には、オリヴェルが一人では寂しいからと、母やマリーも加えたみんなで一緒に食事することはあったが、さすがに領主様と一緒のテーブルにつくことなど考えられない。

 

 オリヴェルは少し残念そうに笑って、無邪気に言った。

 

「これでみんなで食事できたら、本当に家族みたいなのにね」

 

 オヅマとミーナは固まり、ヴァルナルは苦笑し、マリーだけが楽しげに同意する。

 

「本当ね!」

「………さ、参りましょう」

 

 ミーナはぎこちなくオリヴェルを促し、マリーの手を取る。

 

「じゃあね」

 

 三人が去っていくと、部屋にはヴァルナルとオヅマ二人きりになった。

 

 

 

 ヴァルナルはコホンと咳払いすると、ベッドの横に置かれている椅子に腰掛けた。

 

「別に家族になったわけじゃない。お前が意識を失くしている間に、そんな勝手なことをするわけもないだろう」

「………」

 

 オヅマは眉を寄せた。

 母の反応を見る限り、勝手に結婚したとかいうのではないようだが、それにしても随分と仲良くなっている気がする。

 だがそれを認めるのも癪で、オヅマは話題を変えた。

 

「それで…俺、詳しいことあんまり聞いてないんですけど、もう大丈夫なんですか? アドルが帰ったのって、今回のことのせいですか?」

「あぁ…そうだな…」

 

 ヴァルナルはオヅマの様子を慎重に窺った。

 

 ほぼ昏睡状態となっている間も、オヅマは何度か意識を取り戻すことがあったのだが、その度に意味不明なことを口走ることが多かった。自分で自分の首を絞めるようなことまでしたくらいだ。

 おそらく初めて殺人をしたことによる衝撃なのだろうとヴァルナルは推測していたが、まだ引きずっていないだろうか?

 

 とりあえず一連の事件のあらましを説明すると、意外にもオヅマはダニエルの殺人についてあっさりと肯定した。

 

「じゃあ、俺があの男を殺したのは問題ないですね」

 

 冷淡な口調でオヅマが言うのを、ヴァルナルは違和感を抱きつつ頷いた。

 

「あぁ…あの状況で捕縛は難しかったのだろうと…アドリアンも言っていた」

「マリーを殺そうとしてたんだから…殺されたって当然だ」

 

 オヅマは固く組んだ自分の両手を見つめながら断じる。

 ヴァルナルの方を見ようとしないその目は暗かった。

 

「オヅマ…あの男が死んだのは自業自得だが、お前が殺すことは当然じゃない」

「………」

 

 オヅマはどんよりとした目でヴァルナルを見た。

 

「人を殺すことを、当たり前だと思わないでくれ。それでお前は苦しむかもしれんが、受け止めなければならない」

 

 オヅマはその言葉をゆっくり反芻してから、眉を寄せる。

 

「………戦で、何十人…何百人と殺してきた人が言うんですか?」

「あぁ…そうだ」

 

 オヅマの辛辣な問いに、ヴァルナルは苦しそうに頷く。オヅマは拳を握りしめながら、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「そんなの…おかしい。そんなの…自分を憐れんでるだけじゃないか。何の意味があるんだよ」

「オヅマ……」

 

 何か言いかけるヴァルナルを遮って、オヅマは話を打ち切った。

 

「事件がもう終わったんなら、俺から言うことは何もないです。マリーとオリヴェルが無事ならいいし。この部屋もお客様用だから、明日には兵舎か…下男部屋にでも移ります。オッケの部屋が空いてるでしょう?」

 

 オヅマの中であの事件はすっかり過去のものになっていた。

 首謀者は死に、騒動は終わった。それ以上のことを自分が考える必要はない。そう。考えなくていい。考えても、仕方ないのだから――――。

 

 ヴァルナルは無機質な表情になったオヅマを心配そうに見つめていたが、軽く息を吐いて気持ちを入れ替えた。

 

「いや。お前には別に部屋を用意する。それまではここにいればよい」

「は? なんで?」

 

 怪訝にオヅマが問うたが、ヴァルナルは答えず、さらにつけ加えた。

 

「下男の仕事もしなくてよい。それとこれからはオリヴェルと一緒に授業を受けてもらう」

「はい?」

「マッケネンから基礎的なことは学んでいたようだが、今後は礼法も含めて、専門の教師から教わるように。あぁ、それと今日はまだ歩くのも難しいようだからいいが、今後、食事は私達と一緒にとってもらう」

 

 次から次へと奇妙なことを言われて、オヅマはすっかり面食らった。

 

「何言ってんですか? 食事って…領主様と、ってことですか?」

「そうだ。礼儀作法も、実地で学ぶのが一番早いからな」

「なんで食事の礼儀作法なんて学ぶ必要があるんですか? 関係ないでしょう、騎士になるのに」

 

 ヴァルナルはフフっと意味深に笑って立ち上がると、オヅマに尋ねた。

 

「騎士になるのは、何の為だ?」

 

 あまりに基本的な質問だ。

 

「……強く…なるため?」

 

 オヅマは反射的に答えつつも、自信がなかった。

 案の定、ヴァルナルがゆるく首を振る。

 

「強くあろうとすることは騎士にとって必要だが、それが目的となってはいけない。オヅマ、お前はもう体現している。お前があの男を殺したのは、なぜだった?」

「それは…マリーを助けるために」

「そうだ。騎士は護るべきものの為に、騎士になる。そのために体も心も鍛えていくのだ。覚悟しろ、オヅマ。これまで以上に、厳しくてしていくつもりだからな」

 

 楽しそうに言ってヴァルナルが立ち去った後、オヅマは呆然とつぶやいた。

 

「嘘だろ…」

 

 




次回は2022.09.14.に更新予定です。
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