昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第八十七話 家庭教師たち

 ミーナやヴァルナルの思惑は知らず、オヅマはひとまず言われたままにオリヴェルと一緒に勉強することになった。

 

 帝都から迎えられたのは三人の教師。

 

 一人はトーマス・ビョルネ。

 今年二十三歳になる比較的若い教師であったが、彼はアカデミーに十歳で入学したという俊英だった。通常は十五歳前後が入学する者の平均年齢であるので、これが相当な特別待遇であったのは間違いない。

 

 元々は黒角馬の研究員の一人として来ることになっていたが、オリヴェルの家庭教師を探していたヴァルナルの代理人が、彼が研究班に入っていることを知って白羽の矢を立てたのだった。

 

 だが何よりオヅマ達が驚いたのは、彼がオリヴェル付きの主治医でもあるビョルネ医師の双子の兄だということだった。

 

「すげぇ似てる」

 

 ビョルネ医師が兄と一緒に紹介に訪れた時、思わずオヅマがうなると、トーマスはケラケラ笑った。

 

「そりゃ、似てるだろうねぇ。双子だから」

「うわっ! 眉の上のホクロが左右対称だ。なんで?」

「それはだね、双子というのは産まれた時にさっくり真ん中で切って開くんだ」

「トーマス! 嘘を吹き込むんじゃありません!!」

 

 職業柄丁寧な言葉遣いが身に染み付いているロビン・ビョルネ医師に比べると、トーマスは学生からそのままアカデミーでの研究員となって長くいたせいか、くだけた物言いだった。

 

 彼の研究テーマは『生物の親子間特性が伝達する場合の相違あるいは突発異変要件についての考察』という意味不明(ふくざつ)なものであったが、オヅマ達に教えることになっているのは数学だった。

 学生であった頃にアカデミー主催の数学コンクールで何度も優勝したことがあり、数学分野での教師免状も持っていたからだ。

 

 だが天才であっても人を教える…まして貴族の令息の家庭教師などは初めての経験だったので、その授業内容はまったく型破りだった。

 教科書通りに進まないトーマスの独特な指導に、オリヴェルは四苦八苦したが、オヅマの方はどんどんのめりこんでいった。

 元々マッケンに教えてもらっている頃から、数学はオヅマの得意科目だった。矛盾のない答えが出ること、その筋道が明解であることが、オヅマには心地よかったからだ。

 

 トーマスはオヅマに数学的な好奇心が旺盛であるのをすぐに見抜くと、普段の数学の基礎的な学問の他に、自らが考えたパズル的なものや、一風変わった謎解き問題をやらせた。

 

「キミ、将来アカデミー目指したらどうだ?」

 

 トーマスはいつもの軽い口調の中に、少しばかりの真剣味を混ぜてオヅマに言ったが、オヅマはげんなりした。

 マッケネンから聞いているが、アカデミーに入るための勉強は相当に難しいらしい。数学だけではなく、広範囲な知識を求められるのだという。

 

「ムリムリ」

 

 即座に否定したオヅマにトーマスは少しばかり残念そうではあったが、授業は手を抜かなかった。

 もっとも「自然の中にある数式を発見しに行こう!」と言って、そのまま鱒釣りを始めたこともあって、これにはヴァルナルもやや苦言を呈していたが。

 

 トーマス・ビョルネ先生に対するオヅマの評は「変人。時々まとも」だった。

 

 

 次に帝国古語、帝国公用語と、主に西方諸国での主流言語であるルティルム語を教えるケレナ・ミドヴォア。

 年齢については特に言わなかったが、三十代前後であろう。

 

 彼女は特に教師免状などは持っていなかったが(そもそも帝国においては女子が通う教育機関そのものがなかった)、両親の都合で幼い頃に西部連合の一つであるラーナヤ王国で過ごし、そこで読み書きといった極めて初歩の教育を受けた。

 成人後に両親と共に帝国に戻って結婚したが、夫は一年ほどして事故で亡くなり、未亡人となった彼女は得意分野である語学経験を活かして家庭教師の職についた。

 数人の令嬢方の指導を行い実績を積み重ねる中、ヴァルナルが代理人を通じて語学堪能な人物を教師として迎えたいと募集し、ちょうど別家でそろそろ家庭教師を辞める予定であったケレナをその家の主人が推薦した。

 

 もっともケレナ自身は自分が男の子の家庭教師などになれると思っていなかった。女が男に物を教えるなど、傲慢極まりないと考える帝国人は男女問わず多数派だったからだ。

 しかし、ヴァルナルは緊張状態にある西部連合との、今後起こりうるかもしれない最悪の事態も考え、西方地域の言語、風俗、習慣も含めた知識の深い人物を望んでいたので、ケレナはまさしく最適の人物であった。

 

 彼女は教師としての自分に自負もあったし、教え方も丁寧で、温厚な人物であったが、自分の容姿についてはあまり自信がなかったようだ。

 痩せぎすで、女にしては背が高いことを嘆き、ひっつめるのも大変だというボリュームのある焦茶色の髪を、いつも手でギュウギュウと押さえつけるのが癖になっていた。

 

 一度、ヴァルナルが授業の様子を見に来た時には、緊張からか髪をやたらと触っていたせいで、最終的には髪留めが外れてしまって、ばっさり髪が落ちてしまった。

 いちばん見られたくない自分のみっともない姿を、よりによって雇い主である領主様に見られてしまったケレナは、真っ赤になって不浄場(トイレ)に籠もってしまった。

 オヅマやオリヴェルも含めて男性陣は呆然とするばかりで、ミーナがケレナをなだめてどうにか落ち着かせたものの、その日の授業は中止になってしまった。

 

 翌日になって自分の非礼を詫びた後、ケレナはいつも通りに授業を始めたものの、やはり髪を押さえる癖はそう簡単に治らないようだった。

 

「そんなに気になるなら、毎日髪の毛を濡らしておいたらいいんじゃないですか?」

 

 オヅマがあきれて言うと、ケレナは真面目な顔で答えた。

 

「それは一度やってみたけど、冬は駄目です。一日で風邪を引いてしまったので」

「えぇ? 本気でやったの?」

「えぇ。でも乾いてきたら、もっとひどい状態になってしまうし、あまりいい方法ではないのです」

 

 ケレナが嘆息するのを見ながら、オヅマも首をかしげた。

 隙間なくきつく編み込まれてびっちり後ろで纏めたケレナの髪はさほどに乱れているわけではなかった。本人だけが気にしているのだろうと思う。 

 

「……やっぱ先生って、ちょっとヘンだな」

 

 オヅマのケレナ・ミドヴォア先生に対する評価は真面目な変わり者だった。 

 

 

 残りの一人は歴史、哲学、礼法について教えてくれるジーモン・アウリディス教授。年齢は六十を越していることがわかるのみだ。

 

 この老教授は最初の挨拶から石像のような人であった。刻み込まれた皺はほとんど動くことがなく、表情はいつも無愛想なまま固まっていた。

 

 かつては帝都アカデミーの歴史学教授であったらしいが、神話体系に関しての激しい論争に敗れて、アカデミーを去ったらしい…ということは、トーマス・ビョルネが噂として聞いたのをオヅマ達に語ってくれた。

 

 礼法について詳しいのは、今は没落したが伯爵家の出で、その伯爵家は代々皇室に侍従を出すほどの名門であったので有職故実の知識が深く、そのこともあって選ばれたのだろう…とこれまたトーマスが教えてくれた。

 

 しかし彼もまた、他の二人とかわらず…いや、比較しても相当な変わり者であった。それは最初の歴史の授業ですぐにわかった。

 

「御二方とも既に歴史については学ばれておるようだが、今はどのあたりことについてご存知かな?」

 

 オリヴェルは自主的な学習の他に、ロビン・ビョルネ医師からも時折話を聞いたりしてパルスナ帝国の中期に起きた内乱ぐらいまでは知識があったし、オヅマはマッケネンのスパルタ授業によって少なくともパルスナ帝国の成り立ちから草創期のあたりまでは習っていた。

 二人の説明を聞いた後、ジーモン教授はやはり無表情に顎髭をしごきながら、首を振った。

 

「つまらんですな」

「はい?」

 

 オリヴェルが思わず聞き返すと、ジーモン老教授は簡素なグレーの装丁の本を二冊、鞄から取り出し、オヅマとオリヴェルそれぞれの前に差し出した。

 

「当面の教科書はこちらになります」

 

 オヅマはその本の題名を読んで首をかしげた。

 

(スイ)戦役(せんえき) ~帝国における南部地域の研究~ イクセル・オーケンソン著』

 

「翠ノ戦役って、領主様が出ていたやつじゃないのか?」

 

 オヅマに言われて、オリヴェルは頭の中で今まで習った戦争の歴史について考えてみる。

 南部は紛争地帯なので、歴史上何度か戦場となっているのだが、翠ノ戦役と通常呼ばれるものは、ついこの間まで行われていた戦争のことだろう。終結したのは六年ほど前だ。

 オヅマの言う通り、この(いくさ)に父は参戦している。

 

「うん。父上は、この戦いで戦功をたてて領主になったんだって聞いた」

 

 オリヴェルが頷いて言うと、ジーモン教授はゆっくりと首を振った。

 

「間違いではないですが、正確ではございませんな」

「違うの?」

「翠ノ戦役は翠鴾(スイホウ)の年に始まり、間に何度かの休戦期間を経て、最終的には翠鴉(スイウ)の年に終結いたしました。ゆえにこれを『翠ノ戦役』と呼びます。

 大きくは二つの期間に分かれます。

 翠鴾の年に戦端が開かれ、その後に紫鷺(シロ)の年に休戦協定が結ばれるまでの翠鴾(スイホウ)(えき)。クランツ卿…あぁ、いや失敬……領主様の戦功はこの(えき)におけるものにございます。

 その後、二年の休戦の後に藍雀(ランジャク)の年に再び戦端が開かれました。こちらは藍雀(ランジャク)(えき)と呼びます。こちらにも領主様は出征なさって、武勲をたてられましたが、なぜか褒賞はさほどに与えられておりません。本人が固辞したと伝え聞いております」

 

「へぇ…なんでだろ? 今度聞いてみようかな?」

 

 オヅマが何気なく言うと、ジーモン教授は初めて表情らしい表情―――キッと鋭くオヅマを見据えた。

 

「そう! それこそが重要です」

「へ?」

「今、この時。いずれ歴史の中の人物となるであろう者に直接事由を聞くことができる…この時代こそが重要なのです。時の過ぎゆくは早く、人はあっという間に歴史に埋もれる。この時代に起きたことは、この時代に生きる人々が刻んだ歴史なのです。今であれば、歴史に埋もれそうな事柄であっても、当人に訊くことが可能であるのに、なぜわざわざ遠い遠い、もはや誰もその真実の姿を知ることもないエドヴァルドの話などを、必死に覚える必要がありましょうや」

 

 オヅマもオリヴェルも目を見合わせて、さすがにヒヤリとなった。

 エドヴァルド大帝を呼び捨てにするなど、子供であっても有り得ない。もしここが帝都の広場などであったら、警邏隊に捕まって、すぐさま牢屋行きだ。

 

「物事には因果というものがあるのです。すべての事象は繋がりの中にあります。歴史を学ぶというは、それらを丹念に追究することにあります。故にこそ、私の授業においては、因果が明らかなる現代のおけることから歴史の考察を行ってまいります。エドヴァルドの話は壮大なる因果の繋がりの果てに語られることです」

 

「……あの、先生」

 

 さすがにオリヴェルは二度にわたる教授の不敬を見逃すことができなかった。

 

「エドヴァルド大帝のことを呼び捨てになさるのは…いけないと思います」

 

 老教授はしばしオリヴェルを見つめた後、またゆるゆると首を振った。

 

「エドヴァルドが、なぜ大帝と成り得たのか、なぜこの帝国を創ることができたのか、若君はどう考えておられる?」

「それは…神聖帝国を滅ぼして、人々が彼に従ったから……?」

「ふむ。そちらの小童(こわっぱ)はどう思うか?」

 

 小童、という言葉にオヅマはムッとしつつも、マッケネンから教わったことをそのままに話す。

 

「周辺諸国を平定した後に、神聖帝国と戦争して勝ったからだろ。それでヤーヴェ湖の近くに帝国を築いたって……」

 

 ジーモン教授はあきれた鼻息をついた。

 

「やはり肝心なことは何も知らぬ」

「はぁ?」

 

 オヅマはこの風変わりな老人に苛立った。 

 

「さっきからなんなんだよ、爺さん。意味のわかんねぇことばっか言いやがって」

 

「吾輩からすれば、君らのような者達ばかりであることこそ意味がわからぬ。エドヴァルドがあの強大にして永世不可侵とまで呼ばれた神聖帝国に立ち向かうためには、『名も知れぬ神女(みこ)姫』の存在は必要不可欠であったのに。それは数々の文献を精査に読み、一つ一つの事象を丹念に拾い集めれば、歴然たることであるのに、誰も彼女を知らぬのだ」

 

 ジーモン老教授は一気に言ってから、ポカンとした少年達の顔を見てすぐに反省した。

 

「失敬。ひとまずエドヴァルド大帝の事蹟については、またいずれの日にか、因果考証の果てに行うことと致しましょう。今はこの本…吾輩の弟子の書いたものです…この本を読み、分からないことがあれば質問するように。そうして互いの考察を深めていくのが私の授業です。おわかりいただけますかな?」

 

 つまりジーモン教授の歴史の授業は帝国創建からの時代を下るのではなく、現在から遡っていくらしい。

 だが、老教授にとって常識的な歴史認識の上で説明されることも多く、そうなるとオリヴェルはある程度わかっても、オヅマにはちんぷんかんぷんだった。

 そのためオヅマは否応なく歴史の授業について予習が欠かせなかったし、この初めての授業の時に早速、宿題まで出されてしまったのだった。

 

 オヅマは三人の教師の中で、この老教授こそ「一番の変人」と評した。

 

 無愛想で冗談の通じない、質問に対する答えが少しでもあやふやだとフン、と鼻を鳴らして授業を中断してしまうこともあるような、気難しい性格だった。

 

 そんな老教授に対して一つだけオヅマが楽しみにしていることは、彼が授業の中盤で淹れてくれるアップルティーだった。

 見た目とは裏腹に、この老教授はなかなかの甘党で、途中でマリーが運んでくるお菓子を心待ちにしているようだった。

 彼にとっておいしいアップルティーとお菓子は、思索を深めるために必要であるらしい。……

 

 この三人の他にもう一人、領府の行政官が十日に一度訪れて、領地の地理や特産物などのことについて教えてくれた。

 領地経営などオヅマには関係ないだろうと思ったが、これもまたヴァルナルの意向で授業を受けるように命じられた。

 

 騎士見習いでしかないのに、どうして自分がここまで勉強しなくてはいけないのかとオヅマは疑問であった。そのうえ、本来の騎士となるための訓練に参加できないこともあって、日に日に鬱屈がたまっていった。

 

 だからこそ、事件は起きてしまったのかもしれない。

 




遅くなりまして、申し訳ございません。
次回は2022.09.21.更新予定です。

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