第八十八話 迷惑なる都人
帝都から来た黒角馬の研究班の中には、どうしてこんな人物が紛れ込んでいるのやら…と思われる人も少なからずいた。
ある学者の助手という名目の女性であったり、研究員らの統率をとるためと言いつつ、何らの指導力も発揮していない人物、馬の研究だというのに馬を怖がって近寄ることもできぬ者までいた。
「真面目に研究に取り組んで頂いている学者の方々はともかくとしても、なんだって、この胡散臭い人間の面倒まで見ないといけないんだ?」
ヴァルナルはすっかり閉口していた。
学者にクセの強い人間が多いのは、若い時分に一応アカデミーの一隅に籍を置いた者としてある程度免疫があったが、それ以外のやたら役職名だけは偉そうな人間については予想外もいいところだ。
「一応、皇室からの援助も頂いているので、その関係での目付役といったところでしょう」
カールは答えるが、それくらいのことをヴァルナルがわかっていないわけがない。わかっていて言うということは、つまり愚痴だ。
「…っとに、我儘放題だ。この前なんぞ、何を聞いてきたと思う? 『
「帝都と同じように過ごそうとされるのは困りものではありますね」
応対するカールも普段にはない不満を溜め込んでいる。
ヴァルナルは皇室からの回し者―――一応、正式な任官を受けてはいる―――に辟易しているようだが、カールの方はクセの強い学者たちに手を焼いていた。
彼らは良くも悪くも生粋の研究者であった。
騎士団の訓練中であっても、お構いなしに黒角馬の生態について尋ねてくる。
どういう指示をしてどう動くのか、それは通常の馬に比べてどうなのか、命令に従うようになるまでにどれくらいの時間がかかるのか、個体差は大きいか少ないか……次から次へとまくしたててくる。
そういう質問に「訓練中だ」と断っても、彼らは自分達の研究の方が高尚で意味があるのだと言わんばかりに無視して続けるし、少しばかり威嚇の意味を込めて腰に手をやれば、「力の行使に知性は負けんぞ!」と、かえって奮い立つほどだ。中には騎士
カールはそれでも忍耐強くしている…というか聞き流しているが、騎士達の中には我慢ならない面々も多く、この前も学者の門下生らと一触即発になりかけた。
「いつまでの予定なんですか?」
「ヘルミ山の調査などが終了したら、おそらく帝都に何頭か連れ帰るだろう。本格的な交雑などの研究はあちらでするだろうから、ここには一年ほどだと思うが……」
「長いですね…」
「長いな…」
主従二人が情けない顔で溜息をついていると、勢いよく扉が開いた。
「りょ、領主様ッ! 大変です!」
あわてた様子で入ってきたのは従僕のロジオーノだった。
彼と執事のネストリは、何かと要求の多い客人らへの対応を行う最前線にいるので、大変なことが毎日のように起こる。
「今度は何だ?」
ヴァルナルはもう耳にタコといった感じで、あきれ半分に問い返した。
「まさかヤーヴェ貝のオイル蒸しでも食べたいと言い出したか?」
ヤーヴェ貝とは、帝都のキエル=ヤーヴェにある湖で穫れる貝である。帝都人ならば誰でも一度は食べる馴染み深いものだったが、当然ながら北の辺境のレーゲンブルトではいっさい手に入らない。
「違います! オヅマがっ」
「オヅマ?」
「オヅマが副使のギョルム卿の部屋に乗り込んでいって…」
さすがにヴァルナルもカールも顔色を変えて、すぐさま部屋を飛び出した。
今回、黒角馬研究班の計画進行管理を担当する副使の名目でやってきたギョルム卿は、ヴァルナルの最も苦手とする人物だった。
彼自身は
彼もまた何のためにいるのかわからない部類の一人だった。
しかしなぜオヅマが…?
ヴァルナルは走りながら疑問に思った。
ヴァルナルらであれば、彼と直接話すことで、苛立つことも多かったが、オヅマなどそもそも会うこともないはずだ。
体調が戻ってくるとオヅマは以前のように騎士見習いとしての仕事をするようになった。まだ貧血状態が解消していないので、訓練などは禁止されていたが、馬の世話については餌やりや馬房の掃除などを嬉々としてやっていた。
当然ながら厩舎に頻繁に訪れる学者達の相手もすることになり、騎士達の多くが面倒くさがってぞんざいな態度であるため、オヅマは両者の潤滑油的な役割を果たした。黒角馬を発見したヘルミ山の話などもしていて、学者達からのオヅマの評判は悪くなかった。
しかしギョルム卿は今回の黒角馬に関する生産計画の管理を担っている…と肩書があるにもかかわらず、厩舎を訪れたこともない。オヅマが会う機会など本来ないはずなのだ。
以前、
何人かの召使いが興味深そうに覗いては、ヒソヒソ言い合っている。
「何をしている?」
ヴァルナルが近づいていくと、皆があわてて頭を下げて散っていった。
やれやれ、と軽く溜息をついて、開きかけたドアの把手に手をかけると同時に。
「気持ち悪いんだよ! このぬっぺり頭!」
声変わり途中の、かすれかけたオヅマの怒鳴り声が聞こえてきて、ヴァルナルとカールは一瞬目を見合わせ、思わず吹きそうになった。
ぬっぺり頭…というのは、やたらと髪用油を塗りつけたギョルム卿の頭髪のことを言っているのだろうが、確かにその通り、特徴をよく捉えた言葉だった。
「一体何事だ?」
とりあえず顔を引き締めてギョルムの部屋に入ったヴァルナルは、そこでお茶のワゴン近くに立っているミーナの姿を見るなり固まった。
◆
時間は少しばかり戻る。
騎士団での朝の仕事をひとまず終えた後、オヅマは学習室へと向かっていた。途中、階段から降りてくる
「あら、オヅマ。今からお勉強の時間?」
「うん。母さんは?」
「私は、ちょっとお手伝いよ。お客様が沢山おみえだから、皆、色々と忙しいみたい」
オヅマは眉を寄せた。
東塔下に増築された別館で、黒角馬の研究の為にやってきた学者らが寝泊まりしているのは知っている。そのせいで、領主館の使用人たちがてんてこ舞いだということも。
だが本来、ミーナはオリヴェルの世話係だ。
最近、大勢の客が来て忙しいことにかこつけて、何かとミーナに仕事を頼んでくる人間が多い。ソニヤのように、本当に忙しいから頼んでくる者もいたが、中には元々厨房の下女であったミーナへの嫉みから、面倒を押し付けてくる者も多かった。
「誰に言われたの?」
「え? エッラからだけど」
「……無視しとけよ、そんなの」
領主の部屋付き下女のエッラは、オヅマら親子が領主館で働き始めた頃から、何かと意地悪をしてくる性悪女だとオヅマは思っている。
しかし、ミーナは首を振った。
「忙しいのよ、本当に。若君のお勉強の時間であれば、私の体は空いているから、その時ぐらいは手伝わないと」
「母さんが働いている間に、あの女はゆっくり茶でも飲んで悪口ばっかり言ってるさ」
「あの女、なんて言っては駄目でしょう! この前もジーモン先生に注意されていたじゃないの。気をつけなさい。じゃあ勉強、頑張ってね」
ミーナはそれ以上オヅマに止められる前に、東塔の方角へと向かっていく。
オヅマは釈然としないながらも、自分もまた授業の時間まで間もなかったので急いだ。
学習室に着くと、既にオリヴェルが来ていて、今日勉強するルティルム語の予習をしていた。
「あ、オヅマ。おはよう」
朗らかに朝の挨拶をしてくるオリヴェルの横に座りながら、オヅマは早口で尋ねた。
「オリヴェル。さっき母さんと会ったんだけどさ、エッラが何か言いに来たのか?」
「え? あぁ…うん。来てたよ。何か呼ばれてるから行ってきて欲しいって」
「呼ばれてる?」
「僕もちゃんと聞こえなかったけど、誰かがミーナを呼んでるから行ってきてほしい、って。僕もちょうど授業の始まる時だったから、二人で一緒に部屋を出て、途中で別れたけど……」
オリヴェルは話しながら、どんどんオヅマの顔が険しくなっていくので、小さな声で尋ねた。
「なにか、いけなかった?」
「いや……」
オヅマはしばらく考えこんだ後、立ち上がった。
「ちょっと行ってくる」
「え? なに? どうしたの?」
「ミドヴォア先生には、罰は後で受けますって言っておいてくれ」
「えぇ?!」
オリヴェルが驚いている間に、オヅマは学習室を飛び出した。
すぐに向かったのはリネン室横にあるちょっとした物置部屋だった。
物置部屋といいながら、実のところ下女達の休憩室のようになっていて、中にはテーブルに椅子が四脚、仮眠用の
荒々しく扉を開けて入ってきたオヅマに、椅子に座ってのんびりお茶を飲んでいたエッラと、同じく下女のアグニがビクリと振り返った。
「ちょ…何よ、急に」
「母さんを呼んだのって、誰だ?」
オヅマが尋ねると、アグニは首をかしげ、エッラはフンと鼻をならしてそっぽを向いた。
オヅマはつかつかと中に入っていくと、エッラの前に立った。
「誰だ、って訊いてるんだよ」
エッラはジロリと横目でオヅマを睨んだ後、ハア~といかにも面倒そうに溜息をつく。
「なんでアンタにそんなこと言われなきゃなんないのよ。領主様に気に入られてるからって、調子に乗るんじゃないわ。ここじゃ、アンタも、アンタの母親も新参者なんですからね」
領主館に勤める地元の人間は概ねオヅマら親子に優しく、特にミーナの礼儀には見習うべきところが多かったので、好意的に接してくれていたが、中には例外もいる。エッラなどは、そうした者達の急先鋒とも言うべき存在で、日頃から何かと陰湿な嫌がらせをしてきた。
オヅマはギリと歯噛みしたが、赤くなった顔はすぐに冷たく無表情になった。以前であれば怒り狂って、エッラに掴みかかるくらいのことはしていたが、アドリアンの言葉を思い出したのだ。
まだアドリアンが領主館にいた頃、エッラがマリーの育てていた花をわざと枯らした―――無論、当人はそんなことは認めなかったが―――ことがあり、そのことでオヅマはエッラを責め立てた。
それこそ飛びかかって殴りそうになったのだが、アドリアンは止めてオヅマを諌め、エッラに静かに警告したのだ。
「非道なことをした人間を、領主様が許すと思いますか?」
結局、その後にエッラはネストリを通じてヴァルナルから譴責処分を受けた。
この時アドリアンはオヅマに一つ助言した。
「オヅマ。彼らみたいな手合いはね、大して悪いことをしたと思ってないんだ。だから、自分が何をしたのか自覚させる方がいい」
そのあとしばらくおとなしかったが、反省はしていなかったらしい。
オヅマは冷たくエッラを見据えた。
「今、オリヴェルが倒れて世話係の母さんがすぐに駆けつけることもできなかった場合、領主様は理由を尋ねるだろうな。その時に俺はオマエに仕事を押し付けられたんだと言うことになる。それでいいわけだな?」
「なんですって!? 勝手なことを」
「勝手をしているのは誰だ? 母さんがオリヴェルの…若君の世話係をしているのは、領主様からの命令だ。その命令を無視して、勝手を言っているのはオマエの方だろう」
エッラは真っ赤になってオヅマを睨みつけた。
オヅマはチラと隣で気配を消そうとしているアグニを見る。あわてて視線を逸らしたアグニにも、冷たく言った。
「母さんに仕事押し付けて、ここで二人でのんびり茶を飲んでいたと、報告するからな」
「ちょっと! 私は関係ないわよ!!」
アグニが怒鳴ると、オヅマはバン! とテーブルを叩いた。
「誰だ? 母さんを呼んだのは!?」
「…………ギョルム様よ」
エッラは忌々しげに答えた。
腕を組んで、オヅマと目を合わせようともしない。
「またあの野郎か…」
オヅマは舌打ちした。
ギョルムとかいう都から来た役人は、新たに東塔に作られた食堂で偶然にも手伝いに来ていたミーナを見かけ、その姿に惹かれたのであろう。たびたび、ミーナを呼びつけては用事を言いつけたり、オリヴェルやマリーらと一緒に庭を散策しているのを尾けたりと、何とも気持ち悪い男だった。
呼ばれたと聞いた時からギョルムではないかと思っていたが、同じようにミーナの容姿に魅力を感じて言い寄ってくる男は少なくなかった。
特に、この黒角馬の研究班でロクに仕事らしい仕事をしていないような奴ほど、しつこかった。マリーにまで歓心を買おうとすり寄ってくる奴もいたほどだ。
まともに仕事している学者を除くこのテの奴らはとっとと帰ってほしい。
「ミーナ、やたらと気に入られてるみたいよ。この前にも呼ばれていたもの。淹れてくれるお茶が美味しいとかなんとか言って」
アグニがご丁寧に教えてくれる。
オヅマはすぐに出て行こうとしたが、エッラがフンと鼻を鳴らして蔑むように言った。
「アンタの母親も本当に大した女よね。領主様だけじゃなく、都のお役人連中にまで色目使って」
「…………」
オヅマの頭の中で、エッラは首を絞め上げられ、壁に投げつけられていた。実際にしなかったのは、エッラの誹謗した相手である母が、心の中で必死にオヅマを止めたからだ。
「今の言葉…忘れないからな」
オヅマは静かに言った。怒りを押し殺した声音に、エッラもアグニもゾクリと背筋が凍ったが、もはや弁解する暇は与えられなかった。
東塔まで走ってきて、オヅマは両手に書類をずっしり抱えたロジオーノに尋ねた。
「ギョルムっていう奴の部屋はどこだ?」
◆
「……なぜ、ミーナがここに?」
ヴァルナルが平坦な声で尋ねると、ギョルムは細い目でジロリと睨んでから答えた。
「
「ギョルム卿、彼女は東塔の召使いではありません。私の息子の世話係です」
「そのようなこと、身共の知ったことではありませぬな。私はただ、帝都にいた頃と同じく、朝のこの時間には美味なる茶を飲みたく思い、この館では一番上手に淹れる者として、彼女を指名したまでのこと。―――それより」
ギョルムはツイ、と小さな杖でオヅマを指した。
「そこな小僧。無礼なる小僧でございますな。勝手に人の部屋に入ってきた挙句、悪口雑言。かような卑しき者を雇わねばならぬとは、まことに北の辺境で領主など…大変でございましょうなぁ。クランツ男爵は」
「何が悪口雑言だ! テメェは母さんに手ぇ出そうとしてただろうが!」
オヅマが怒鳴ると、ミーナは赤い顔を俯ける。泣きそうに目が潤んでいた。
ヴァルナルは怒り狂いそうになった。
衝動を抑え込むために拳を握りしめる。
衝動―――つまり目の前で乱れた前髪に櫛をあて、胸ポケットから小さな鏡を取り出して、自分の姿をまじまじと眺めているぬっぺり頭の男を、半殺しにしてやりたいという―――衝動だ。
「ミーナは領主様の命を受けて、若君の世話係をしております。お茶の用意は東塔の召使いにお願いして下さい」
カールはヴァルナルの殺気を感じて、さりげなくその斜め前に立った。素早くオヅマに目配せする。
オヅマは気づいて頷くと、母の袖を引っ張った。ミーナは困ったように視線をさまよわせたが、ヴァルナルが軽く顎を引いて出て行くように示すと、深くお辞儀して、オヅマと一緒に部屋から出て行った。
ギョルムは出て行ったミーナを名残惜しそうに見送った後、ギロリとカールを睨みつける。
「ここの召使いはまともに茶を淹れることが出来ぬ。まずい」
ギョルムが吐き捨てるように言うと、ヴァルナルはカールを押しのけてギョルムの前に立った。
「では、ご自分で淹れて下さい」
「なんですと?」
「私達はここで、黒角馬の研究の為にあなた方のお世話をするよう公爵閣下から命じられましたが、美味しいお茶を淹れることまで頼まれておりません。なにぶん北の隅にある小さな辺境の土地ゆえ、都のように洗練されたおもてなしなど、とても出来ません」
「なんと!」
ギョルムは杖を口元にあて、あきれたように叫んだ。
「自らの至らぬことを棚に上げて、客に茶の用意もせぬとは! 辺境の片田舎を理由にできるものではありませぬぞ」
「たとえ客であったとしても、この領主館にいて領主の私の許可なく、我が下僕《しもべ》に勝手をしていいという法はない。…ギョルム卿」
ヴァルナルは一歩、ギョルムに近寄るとその肩に手を置いた。
「このレーゲンブルトにおいての法は、領主である私だ。領地内での争議は領主の裁量に任せられている。それは皇帝陛下ですらも認めること」
徐々に肩に加えられる力にギョルムは少し眉を寄せながらも、まだ抗議した。
「きさ……くっ、クランツ男爵! 身共は皇帝陛下より任を受けてこの地に来ておるのだぞ! 無礼をして陛下より賜りしこの杖に
「…………」
ヴァルナルはふっと肩を掴む力を緩め、無表情にギョルムを見つめた。灰色の目には侮蔑が浮かんでいたが、ギョルムは気付かなかった。むしろ、沈黙して力を弱めたヴァルナルに、自らの権威が勝ったのだと思った。
ニヤリ、と口の端に卑しい笑みを浮かべる。
「身共の叔父が陛下の侍従であること…お忘れではあるまい? 勝手に陛下のご威光を笠に着るような真似をして、ご不興をかうのは男爵の方であろうぞ」
「………そうかな?」
ヴァルナルは不敵に問い返した。
再びギョルムの肩を鷲掴みにし、穴をあけそうなほどに強く、力をこめていく。
「陛下の威光を笠に着て、驕慢極まりない態度で我が領地の秩序を乱しているのは、
「…ッ、痛ッ! 痛いッ、痛いッ! 離せ! 離してくれ!!」
ギョルムはヴァルナルに掴まれた肩に激痛が走って喚き立てた。
ヴァルナルは手を離すと、冷たくギョルムを見下ろした。
「勘違いするな、ギョルム卿。私はレーゲンブルトの領主、グレヴィリウス公爵家の剣、有難くも皇帝陛下より黒杖を賜った帝国騎士クランツ男爵である。分を弁えるべきは私か、貴方か…どちらだ?」
普段は穏やかで寛容なヴァルナルの、今まで欠片も見せなかった領主としての威容に、ギョルムは圧倒された。ブルブルと震えながら謝る。
「……申し訳ございません」
「よろしい。今後、我が下僕への行き過ぎた饗応を求めた時には、領主館より退去願うことになる。重々、承知されよ」
ヴァルナルは極めて丁寧に礼節をもって警告したが、ギョルムを見る目は少しでも文句を言おうものなら、その場で首を捻り潰すくらいの殺気を帯びていた。
ギョルムが真っ青になって椅子からずり落ちそうになっているのを冷たく見下ろした後に、部屋を出て扉を閉める。
「………申し訳ございません」
廊下で待っていたミーナがすぐに謝ってくる。
ヴァルナルは眉を寄せた。言葉が出てこない。重くなりかけた空気を払うようにオヅマが怒鳴った。
「なんで母さんが謝るんだよ! 悪いのは、あのぬっぺり頭だろ!!」
「オヅマ!」
カールは鋭く諌めたあと、ヴァルナルに執務室に戻るように促した。
確かにここでは人目があり過ぎる。
ヴァルナルが歩き出すと、カールに合図されミーナも従う。当然のようにオヅマもミーナの後についてくる。
執務室に戻るまでの間、ヴァルナルは一言も話さなかった。
ひどく長い時間に思えた。
次回は2022.09.25.更新予定です。お楽しみに。