昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第九十話 軽くなった心

 あの男が何者で、どこに消えたのか……今も騎士団の捜索は続いていた。

 

 オヅマにはその二つともに心当たりがあった。だが、説明するのはひどく難しい。

 ()で見たのだ、などという理由が信じられるわけもない。下手をすれば、まだ治ってないのかと病人扱いされそうだ。

 それによくよく考えれば、オヅマにだってよくわかっていなかった。

 本当に()の中のエラルドジェイと、あの男が同一人物なのか……?

 

 いいや。

 

 オヅマは内心で首を振る。

 彼が()()エラルドジェイであることは明白だった。たまたま夢に出て来ただけの、よく似た男などではない。

 それは一年前に見た、母が父を殺して絞首刑になる()と同じく確信に近いものだった。

 それにあの時、あの男だって認めていたではないか。

 

 

 ―――― 奇妙なこと、この上もないな。今日会ったばかりの子供(ガキ)が俺の秘名(ハーメイ)を知っている上……

 

 

 エラルドジェイという名前が秘名(ハーメイ)であることなど、本人以外にわかるはずもない。

 そういえば妙なことも言っていた。

 目が何とか、とか? なんと言っていたっけ? 金の……目…?

 

 ぼんやりと考えていると、ヴァルナルが声をかけてきた。

 

「オヅマ? 聞いているか?」

「あ、はい! あの…戦いました」

 

 ヴァルナルは腕を組み、探るようにオヅマを見てくる。

 オヅマは目を伏せた。

 

 あの時、あふれる感情に押し流されて、エラルドジェイを逃してしまった。

 確実に裏切りとも取られかねない行為だ。

 だが、エラルドジェイをあのままヴァルナルに引き渡せば、厳しい尋問が待っている。

 普段は軽口ばかり叩いているが、あれでエラルドジェイは口の堅い人間だった。いつまでも白状しなければ、拷問されることだって有り得るだろう。

 

 奴は仕事として請け負っただけだ。

 きっと、それだけのことなんだ……。

 

「強かったか?」

 

 ヴァルナルに尋ねられて、オヅマは「え?」と聞き返す。再びヴァルナルが繰り返した。

 

「強かったのか、その雀の面の男は?」

 

 オヅマは質問の意図が理解できず戸惑ったが、頷いた。

 

「はい。俊敏で、無駄に思えるような動きで翻弄したかと思ったら、確実に隙をついてきて…相当に場数を踏んでいるんだろうと思いました。それに爪鎌(ダ・ルソー)っていう、見慣れない西方の武器を使いこなしていました」

 

 倉庫での戦闘時は初めて見る武器に驚いたが、()の中ではエラルドジェイはあの武器をほぼ常時身につけていた。

 

 爪鎌(ダ・ルソー)と呼ばれるその武器は西方で生み出されたもので、長く伸びた爪のような鋭い刃を、腕にある装着具に取り付ける。普段は幅広の袖の中に仕舞われているのだが、いざ攻撃のときには長い刃が袖口から現れる。

 基本的には一撃必殺の暗殺用で、エラルドジェイのように戦いのために使うことはない。

 それに()でいつもエラルドジェイがつけていたのは一本爪の爪鎌(ダ・ルソー)だった。四本爪など、重いだろうし、普段使いするには少々扱いづらい。

 

 そこまで考えた時に、オヅマは軽く息を呑んだ。

 そう、重さ。あの重さの爪鎌(ダ・ルソー)を軽々と振り回していた。その一つをとってもエラルドジェイの驚異的な身体能力がわかる。

 

 よくも自分などが太刀打ちできたものだ。

 稀能(キノウ)が発現できていなかったら、どうなっていたのだろう…。

 

「相当に強かった…それで『千の目』を使ったわけだな」

 

 ヴァルナルはまるでオヅマの心を見透かしたかのように言う。その声は少しだけ怒っているようだった。

 

「無茶をする」

 

 苦々しく言ったヴァルナルに、オヅマは抗議した。

 

「でも、そうしないとマリーを……オリヴェルやアドルも助けられないと思ったから」

「わかっている。オヅマ、私が訊きたいのは、お前が誰から『千の目』という稀能を習ったのか…ということだ」

「…………」

 

 それこそオヅマは沈黙するしかなかった。

 

 ()の中で男が囁く。

 

 

 ―――― 大丈夫だ、オヅマ。私は決してお前を見捨てたりはしない…

 

 ―――― 妹は…無事だ。今は、な。

 

 

 リヴァ=デルゼの禍々しい笑みが脳裡に閃いて、オヅマは頭を押さえた。

 

「大丈夫か?」

 

 ヴァルナルが気遣うようにオヅマを見てくる。

 

「大丈夫です」

 

 オヅマは答えてから、大きく深呼吸した。

 

「………特に誰からも習ってません。なんとなく…出来ただけで」

 

 ()の中で教わったなどと言って、誰が信じるだろう。

 あんな非道なことを訓練として強要される毎日。もう忘れたい。思い出したくもない。ただの夢として消えていってほしい。

 

 しかしヴァルナルは首を振って、ミーナにした説明と同じことを話した。

 

「お前が眠っている間に色々と私も『千の目』について調べたが、あれは()()()()()()()で出来るような生半可な代物ではない。適切な指導を受けなければ、発現することすら―――」

 

 何気ないヴァルナルの言葉に、オヅマはゾクリと背筋が冷えた。

 

 

 ――――適切な…教育だ

 

 

 まるであの男がヴァルナルの口を借りて言っているかのように聞こえる。

 

「………もう、使いません」

 

 オヅマは決心して言った。

 ヴァルナルが困惑したようにオヅマを見る。

 

「オヅマ…私は責めているのではない。不思議に思っただけだ。『千の目』が素晴らしい能力であることは間違いないのだから…」

 

 素晴らしい能力!

 あぁ…なんて気味悪く響くのだろう。

 そうやってあの男も褒めそやして、オヅマをいい気にさせた。

 

「いいえ。もう二度と使いません」

 

 耳障りなことを言われて、オヅマはますます頑なになった。

 

「……オヅマ…」

 

 ヴァルナルは意固地になって言い張るオヅマに当惑しつつも、しばし考えた。

 

 いずれにしろ『千の目』は、今のオヅマには扱えるものではない。この先、体格も大きくなって、順調に騎士として成長していけば、いずれ使いこなしていけるのかもしれない。

 それに以前、オヅマが望んでいた『澄眼(ちょうがん)』の修練を積めば、より体力や身体の強化にも繋がって、『千の目』の反作用も減じるだろう。

 誰に教わったのかは気になるところであるが、重要なことではない。

 オヅマが『千の目』という常人とかけ離れた御業を行うことによる、健康被害が問題なのだ。今回、当人がその危険性を自覚して、使わないことを決めたのであれば、それはそれで良い。

 将来『千の目』の遣い手として当代一の人物に紹介できる日もあるやもしれぬ。もし不完全なところがあれば、()の方が正しく導いてくださるであろう。……

 

「よかろう。では、今後はくれぐれも自重するように。今回のようなことが二度とあれば、さすがに今のように何の後遺症もない…という状態では済まないだろうからな」

「はい。それでは失礼します」

 

 頷いて立ち上がりかけたオヅマを、ヴァルナルはあわてて引き止めた。

 

「あっ、ちょっと待て。実はまだ一つ、言いたいことがある」

「はい?」

「その……」

 

 ヴァルナルは逡巡した。

 さっきまでは聞こえることもなかった心臓の鼓動が耳の裏で鳴っている気がする。

 ゴクリ、と唾を飲み下してから深呼吸する。

 

 オヅマは妙に緊張しているかのようなヴァルナルの様子に首をひねった。

 

「どうしたんですか?」

「いや…その、言いたいことがある」

「はい?」

 

 オヅマはキョトンとして座り直す。

 どうして同じことを繰り返すのだろう?

 

 ヴァルナルはもう一度深呼吸してから、しっかりとオヅマを見据えて言った。

 

「まだ正式に申し込んではいないが、私はミーナと一緒になるつもりだ」

 

 急なヴァルナルの話に、オヅマは頭が真っ白になり、しばらく固まった。

 

 いったい、今日のヴァルナルはどうしてこうも立て続けにオヅマを驚かせ、気持ちをざわつかせるのだろうか。

 正直、これ以上聞きたくない。逃げ出したい衝動にかられた。 

 

「……オヅマ」

 

 呼びかける声に、あの冬の日の神殿のことを思い出す。

 

 母のことを好きなのだとヴァルナルに言われた時から、遅かれ早かれ、こういう状況が訪れるだろうとは覚悟していた。そのせいでこの数ヶ月は、ヴァルナルに対して以前のように親しく接することができなかった。認めたくないというより、どう話せばいいのかわからなかった。だから遠ざけて後回しにするしかなかったのだ。

 だが、もう逃げられない。

 

 オヅマはヴァルナルを睨みつけるように凝視して、問いかけた。

 

「………母さんに、言ったんですか?」

「あぁ。一応、了承もしてもらっている」

「母さんが? そんなの聞いてない……」

 

 オヅマはこの数日の母の様子を素早く思い返す。しかし、まったくそれらしい素振りはなかった。母の性格であれば、そんな重大事を息子である自分に隠しているだろうか…?

 だがヴァルナルはすぐに、その疑問に答えた。

 

「ミーナには私からお前に話すと言ってあったんだ」

「あぁ…」

 

 ヴァルナルから口止めを頼まれていたのであれば、わからなくもない。

 それでもオヅマは複雑だった。

 思わず溜息ともつかぬ吐息がもれる。

 

「オヅマ」

 

 俯いて黙り込んだオヅマに、ヴァルナルは言葉を選びつつ話しかけた。

 

「お前が、私を父親として認めないだろうとはわかっている。だが、私はお前達と家族になりたいと思っているんだ。さっき…ミーナに厳しい態度になったのも、正直、腹が立ったからだ。おそらく理由はお前と同じだ」

 

 オヅマはピクリと顔を上げる。厳しい顔のヴァルナルと目が合った。

 

「………あの野郎のこと、殴りたくなるくらい…ですか?」

 

 さっきまでの気持ちが再燃しかけて、思わず口汚くなる。

 しかしヴァルナルは咎めることもなく、頷いた。

 

「……誰もいなけりゃ半殺しにしてただろうな」

 

 ヴァルナルは口元に笑みをたたえつつ、グレーの瞳は剣呑な光を浮かべていた。

 さっきのことを思い出したのか、手の甲に筋が浮かぶほど強く肘置きを掴んでいる。

 

「………」

 

 不思議なもので、目の前で自分よりも怒り狂っている人間がいると、対照的に気持ちが落ち着くらしい。

 オヅマはさっきまで冷静に見えていたヴァルナルが、実は相当怒りを秘めていたことに、少々面食らっていた。しかもその理由はオヅマと同じだと聞いて、嬉しいような、よくわからない気分だった。

 

「俺は……変わりません」

 

 ようやく出てきたのは我ながら素っ気ない言葉だった。

 

「母さんが決めたなら、俺は反対はしません。でも、レーゲンブルト(ここ)に来た時からずっと、俺の目的は騎士になる、それだけです」

「あぁ…わかっている」

 

 ヴァルナルは少しだけ寂しく思いつつも、笑って頷いた。

 やはり、オヅマは『父親』を認めないらしい。根強い『父』への不信は、先年亡くなった養父からの虐待だけでなく、自分と母親に手を差し伸べることのなかった実父の薄情も含まれているのかもしれない。

 

 ヴァルナルはある程度予想していた。

 今は形式的なだけの関係でもよい。時間をかけて育てていくしかない。

 

「それでいい。私もお前が騎士になることを望んでいる。今は座学ばかりでつまらぬこともあるだろうが、上級騎士になるなら、そうした勉強も必須だからな。頑張ってくれ」

 

 マッケネンからオヅマが騎士としての爵号を与えられる上級騎士を目指していることは聞いていた。最初は嫌々だった勉強も案外と真面目に取り組んでいて、物覚えもよく、なにより知識を増やすことに貪欲だと。

 これまで教育の機会が与えられず、本人も必要ないからと遠ざけていただけで、実は知能としては同年代の少年らに比べて高いだろう…とは、新たに雇った数学教師トーマス・ビョルネの評価だった。

 

 オヅマはヴァルナルからの激励に無言で頭を下げた。

 

「お話は、それだけですか?」

 

 固い表情のまま尋ねると、ヴァルナルが頷く。

 

「あぁ。呼び止めて済まなかったな」

 

 オヅマは立ち上がると、ピシリと姿勢を正した。右手を握りしめて拳をつくると、その腕を直角に曲げて胸の前に突き出し、軽く顔を俯ける。上位者への騎士礼だ。まだ子供ながら、一年の成果で所作はなかなか様になっている。

 そのまま半回転して出て行くのかと思ったが、扉の前でオヅマの足が止まった。

 

「……どうした?」

 

 ヴァルナルが問いかける。

 オヅマはしばらく逡巡してから向き直った。

 

「あの……」

「なんだ?」

「母さんのことなんですけど…」

 

 オヅマの暗い表情にヴァルナルは一瞬、不穏な予感がした。

 やはり反対なのだろうか…と、顔が強張りそうになりながら、それでも鷹揚に促す。

 

「うん? どうした?」

「母さんは…自分さえ我慢すればいい、って思っちゃうんです」

「………」

「いつも、そんなふうに我慢ばっかりしてるから、時々、見てるこっちが腹が立ってくるんだけど…だから……あの」

 

 オヅマはうまく言葉が出てこなかった。

 口籠る少年の姿に、ヴァルナルはフッと微笑んだ。 

 

「あぁ…そうだな。そういうところは大いにある。お前はよくわかっているな、オヅマ。だから、ずっと母親を支えてきたんだな」

 

 何気ないヴァルナルの言葉に、オヅマは不意に泣きそうになった。

 

 ずっとコスタス()の暴力から母と妹を守ってきた。

 父が死んで、レーゲンブルト(ここ)に来ることに決めてからも、自分の選択は合っていたのかと…何度も自問自答した。

 いつも母と妹の幸せを願いながら、自分が母達の人生の行き先を決めてしまったという後ろめたさがあった。だからこそ自分には、絶対に母達を幸せにする責任があるのだと…ずっと思ってきた。

 

「これからは、私も一緒に支えていきたいんだ。お前一人では、少々荷が重かろう?」

 

 不思議なことに、ヴァルナルに言われて初めて、オヅマは自分が背負っていたものが重かったのだと実感した。

 軽くなった心がじんわりと温かい。

 涙が浮かび上がってくるのを感じて、オヅマはグッと唇を噛みしめた。

 

「…………失礼します」

 

 そのまま返事ができずに、頭を下げて執務室から出た。

 

 我ながら素直じゃないとは、わかっている。

 ヴァルナルは一方的にオヅマらから母を取り上げようとしているのではない。一緒に歩もうとしてくれているのだ。

 その心遣いをオヅマは十分に感じ取りながらも、単純に喜べなかった。

 

 一方、ヴァルナルはオヅマが出て行った途端に、ヘタリと背もたれに体を投げ出してホゥと息を吐いた。

 相当に緊張していたらしい。

 それでも顔は自然と緩む。

 

 思っていたよりも強硬な反対はなかった。

 少なくとも嫌われてはいないようだから、まだ望みはあるだろう。……

 




次回は2022.10.02.更新予定となります。


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