昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第九十一話 不戦の墓標

 眠りから醒めて半月ほどが過ぎて、オヅマはようやく騎士の訓練を許された。

 それまでにも徐々に機能回復の一環として軽く走ったり、激しくない体操などは許されていたが、ようやくビョルネ医師によって完治を認められ、剣撃訓練も含めた全ての訓練の許可が出た。

 当初は剣の重さにややぎこちない動きだったが、以前の感覚を取り戻すのは早かった。

 

「おぅおぅ、よく動くな。豆猿かよ、小僧」

 

 相手したサロモンが忌々しそうに言いながら笑う。オヅマもニヤリと笑った。

 

「ふん。病み上がり相手に息が上がってんぜ、オッサン」

「このクソガキがっ」

 

 怒鳴りながらも、サロモンは楽しそうに木剣を振るう。

 見ているゴアンやマッケネンも、オヅマの変わりないすばしこさと、鋭い剣使いに安堵の表情を浮かべた。

 

「どうやら、忘れてないようだな」

 

 マッケネンが言うと、ゴアンが首をひねる。

 

「なにをだ?」

「数ヶ月、小公……アドルと学ぶ中で、正確な剣技を身に着けたのが、今回の空白期間で失われたら勿体ないと思っていたんだが…子供の吸収力というのは、大人には真似できないな」

「ハハハ。まぁ、最初はそれこそ猿真似だったが、真似も続ければ身に着くんだろうよ。――――ヨシ、終了!」

 

 砂時計の砂が全て下に落ちたのを確認して、ゴアンがパンと手を叩く。

 鍔迫り合いして睨み合っていたサロモンとオヅマは、オヅマが蹴りつけるのをサロモンが掠られつつも避けて終了した。

 

「小指一本分、足が短かったな」

 

 サロモンが嗤うと、

 

「じゃ、明日には蹴られてぶっ飛ばされるだろうな」

 

と、オヅマがしれっと言い返す。

 

 なんだと、この野郎…とサロモンはオヅマの首に腕を回し、絞め上げるようなマネをしながら嬉しそうだった。

 マッケネンはフッと笑った。

 実際、あの年頃の子供の成長は一夜で麻のごとく伸びる。明日にはサロモンは蹴られて転がっているかもしれない。

 

「しかし良かったよ、お前。倉庫からアルベルトに抱えられて出てきたのを見た時には、本当にもう死んだかと…」

 

 隣で同じように剣撃訓練をしていたゾダルがしみじみと泣きそうな声で言った。

 

「ホントにな。顔が血だらけで…拭いたら真っ白だし。マジで死んだと思った」

 

 ゾダルの相手をしていたサッチャは肩をすくめる。

 

「それでも、首魁の野郎をきっちり殺ったんだから、大したモンさ」

 

 サロモンはまるで自分のことのように誇らしそうに言って、オヅマの頭をガシガシと撫でた。

 

「いってぇな! 爪たてんな」

「オホッ! この威勢のいいこと! よっぽど溜まってたな」

「当たり前だろ! っとに、すぐにでも出来るっていうのに、大袈裟すぎるんだよ。カールさんだって、医者がいいというまでは駄目だ、っていつまでも許可してくんねーし」

 

 オヅマは口をとがらせた。

 目覚めてから七日ほどで体調は十分に戻っていたのに、ビョルネもカールも慎重で、なかなか訓練の参加許可がおりなかったのだ。

 

「それにしても、バッサリいったもんだ。斬口も鮮やかなもんだった」

 

 感嘆して言ったのは騎士団の長老トーケルだった。

 ダニエルの死体はあの後、騎士達によって運ばれて検分され、一振りで綺麗に首を断ち斬ったオヅマの腕前に皆が驚いた。

 

「斬られたこともわからなかっただろうな、あの男」

 

 その言葉にオヅマは無表情になると、冷たく言った。

 

「だったら、残念だな。もっと痛めつけてから殺せばよかった」

「…………」

 

 その場にいた騎士達は急に鼻白んだ。

 マッケネンは微妙な空気を察して、パンパンと手を打った。

 

「さて、そろそろ終了とするか。各位、道具の点検して問題なけりゃ夕飯だ」

 

 ぞろぞろと騎士達が兵舎へと戻っていく。

 オヅマを囲んでいたサロモン達も、気を取り直すように背伸びしたり、軽口を叩きながら散っていった。

 

「オヅマ、一緒に行こう」

 

 マッケネンは木剣を入れた籠を持って小屋へと向かうオヅマに声をかけた。籠の持ち手の一つを取って、隣で一緒に歩き出す。

 オヅマは軽く息をついた。

 

「もう大丈夫だって、本当に」

「あぁ…わかってる。ちょっとだけ言いたいんだ」

「なんだ、説教か」

 

 オヅマはマッケネンの久しぶりに見せる教師としての顔に、やや面倒さを感じつつも、話を促した。

 

「なに?」

「お前があの男を殺したことは…まぁ、当然といえば当然だ。向こうがお前の妹を人質にとったんだから、あちらも覚悟の上のはずだ」

「………そうだよ。マリーを殺そうとしていやがったんだからな」

 

 オヅマは小屋の扉を肩で押し開けると、さっきと同じ冷たい声で肯定する。

 隅のいつもの場所に籠を放り出すように置くと、マッケネンに向き合った。

 

「それでマリーも、オリヴェルもアドルも助かったんだ。問題ないだろ?」

 

 マッケネンは頷かなかった。だが、オヅマの言うことは認めた。

 

「あぁ、そのことは問題ない。問題なのは、お前の精神(こころ)だ」

「はぁ? なにそれ」

「今だって、必死になってお前は思い込もうとしているだろう? 自分は悪くないんだと。当然のことをしたし、妹や大事な友達を救ってやったんだと」

「……だって、その通りだって…さっきマッケネンさんだって言ったじゃないか」

 

 マッケネンは苛立つオヅマを静かに見つめた。深い青の瞳は、いつも優しい。

 

「……昔、つっても六年ほど前のことだけどな」

 

 軽く息をついてからマッケネンが話し始めたのは、今、歴史の授業で習っている(スイ)の戦役での逸話の一つだった。

 

「…南部での紛争の時だ。俺達は勝って、後は意気揚々と引き揚げるだけだった。だが、ヴァルナル様が俺達に指示したんだ。

 敵味方関係なく、兵らの遺体を埋葬する…と。

 味方はまだわかる。どうして敵まで埋葬してやる必要があるのかと…俺も思った。だって、その中にはきっと俺の殺した奴もいるはずなんだ。殺し合った相手の遺体を埋葬なんて、馬鹿げていると…その時は思ったよ。

 不承不承に、ほとんどの騎士達は俺と同じように、ぶつくさ文句を言いながら穴を掘って遺体を埋めていった」

 

 オヅマはうんうんと頷いた。

 そりゃそうだろう。味方であればまだしも、なんだって敵の遺体まで埋めてやる必要があるのか。

 普通は放っておく。

 死者の装備品を身ぐるみ()っていく死体剥ぎが、荒稼ぎとばかりに跋扈した後には、狼や鴉、禿鷹に食われるままに任せておくものだ。

 

「ヴァルナル様も…捕虜の交換交渉や、野営地の引き払い、凱旋準備やらで、ほとんど寝てなかっただろうに、俺らと同じように穴を掘って遺体を埋めて、墓標代わりにそこらにある石を置いて…敵も味方も関係なく、同じように土に還ったんだ。

 ヴァルナル様は名も知れぬ敵か味方かもわからない兵士の墓に、かろうじてその場に残って咲いていたシオンの花を供えて帰路についた。俺は思ったよ。偽善だと」

 

 いつもはヴァルナルについて尊敬してやまないマッケネンですら、この時のヴァルナルの行動には首をひねった。死体を埋葬などをしても、喜ぶ者などいない。まして敵兵の家族が有難がるわけもない。

 

「でも、そこは象徴の地となった。何千という石が連なって置かれただけの粗末な墓地だったが、帝国側にとっても、南部の部族民にとっても、自らの同朋が傷つき果てた場所として認知された。

 ヴァルナル様がそこまで考えて、埋葬を行ったのかはわからない。でも、あの場所に行って戦の雄叫びを上げることは、誰もできないだろう。無数の死者が証人として足元に眠っているんだ…」

 

 オヅマは黙りこくった。

 

 反論はできた。

 歴史教師だって言っていたではないか。

 南部紛争は二年の休戦期間を経て、再度勃発したと。一度目の戦争の時にだって、人々は死んでいたはずだ。なぜその時に二度目を回避することができなかった?

 

 人は何度も繰り返す。

 失敗を。成功を。

 成功だと思っていたことが、時を経て失敗であったと気付くこともあるし、気付かぬままに過ごすこともある。逆もまた然り。

 

 人の紡ぐ歴史に明確な答えなどない。

 現在を基準に過去の優劣や善悪を評価するのは意味がない。なぜなら、現在ですらもいずれの未来において過去となるからだ。……

 

 先日、歴史の授業で話していたジーモン老の言葉が蘇る。

 聞いた時には何を言っているのかと思っていたが、今、なんとなく意味がわかるような気がする。

 

 マッケネンの話は続いていた。

 

「一度、ヴァルナル様に伺ったことがあるんだ。どうしてあの時、埋葬したのか、と。そうしたら―――」

 

 

 ―――― 自分の心の安寧のためさ。ただの、独り善がりだ。

 

 

 苦味を含んだその言葉を、空虚な諦観を浮かべた灰色の瞳を、マッケネンは忘れられなかった。

 帝国で一二を争う騎士であっても、歴戦をくぐり抜けた勇者であっても、彼もまた人であった。自分と同じ、人の死に心を痛める人間だった。

 

「俺は、ヴァルナル様ほどに秀でた人間じゃない。ただの凡人だ。だからこそ、本来であれば人を殺した経験は後になるほどに重荷になったはずだ。俺が殺した人間、ひとりひとりに、自分と同じように家族がいたのだろうと、当たり前のことを考えるほど、つらく感じて…下手すれば精神(こころ)を病んでいたかもしれない。

 だから、今は有難く思っている。あの場で、あの時に、敵味方関係なく埋葬したことが、今の俺を救ってくれている。あの行為は俺にとって必要な贖罪だったんだ」

 

 言いきってから、マッケネンは自分の長広舌が恥ずかしくなって、胡麻化すように笑って物置小屋から出て行く。

 オヅマは後に続きながら、ヴァルナルに言われたことを思い出していた。

 

 

 ―――― オヅマ、人を殺すことを、当たり前だと思わないでくれ。それでお前は苦しむかもしれんが、受け止めなければならない

 

 

 哀しそうに言ったヴァルナル。

 あの日オヅマが言ったように、自分を憐れんでいるだけだと、ただの偽善に過ぎないと、きっと非難されることも多かったろう。

 それも含めてヴァルナルは受け止めた。

 自らが行った殺戮への嫌悪も、矛盾も、虚しさも。

 

 いっそ…ただ、命令されるままに人を殺し、何の痛痒も感じぬほどであれば、ずっと楽に生きられるのだ。

 仕方がないと、自分には選択肢はなかったのだと、必死に言い繕って言い訳して、精神(こころ)を摩耗し鈍麻させてゆけば。

 

「………」

 

 不意に頭が痛む。

 閃光のように脳裡をかすめたのは、反吐が出そうなほどに平然と人を殺していく無情な男の姿だった。

 

 顰め面になって立ち止まったオヅマを振り返り、マッケネンは苦笑して謝った。

 

「すまんすまん。オッサンの説教なんぞ、若いモンには有害でしかなかったな」

 

 オヅマは軽く吐息をついた。

 顔を上げると、肩をすくめて重苦しい雰囲気を払う。

 

「ホントだよ。オッサンはいちいち話が長い」

「オッサン言うな!」

「マッケネンさんが自分で言ったんじゃねーか」

「自分で言うのはいいが、人から言われると腹が立つんだよ!」

 

 オヅマは笑った。

 心から笑えた。

 

 大丈夫だ。

 ここの人は、誰もオヅマに殺人を強制したりはしない。

 誰もオヅマを脅したりはしない。

 彼らと一緒にいる限り、自分は()()でいられるはずだ……。

 





次回は2022.10.09.更新予定です。

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