装蹄師の男は工房のハイエースを駆り、久方ぶりに都心方面へ向かっていた。
頭の傷はまだ癒えておらず、包帯を巻かれた痛々しい見かけではあったが、首から下はいつものような作業着ではなく、スーツを着用している。
怪我をしてからというもの、装蹄師の男の生活はすっかりウマ娘たちに支配されてしまっており、今日の外出もその一環であった。
とはいえ今のハイエースは男のほかには同乗者はいない。後部にも何の荷物も載せていないために設計された前後重量配分よりリヤが大幅に軽く、そのため高速道路の継ぎ目を通過するたびにややナーバスな動きをしている。もっとも天下のトヨタが本気で作った商用車であり、動き出しは至極ゆっくりでコントロール不能になるような恐怖感を感じさせるものではない。
首都高四号線の途中で後ろからパッシングされ、同乗者に気を遣う必要のない状況でその気になった男は、トヨタご自慢の頑丈極まりない1GDを容赦なく責め立て、無事ぶっちぎってからC1に入り、ぐるっと半周して汐留へ。
あらかじめ渡されていた車両進入許可書を用いてテレビ局の地下駐車場に滑り込む。
黒塗りのミニバンやセダン、ところどころに所謂スーパーカーや高級車に分類される外車があり、ただの地下駐車場ではなくタレントが利用するようなエリアのようだ。型落ちの作業感あふれるハイエースでは見劣りどころか出入りの業者が迷い込んだ風情であるが、装蹄師の男は意に介さず事前に指定されていた駐車ナンバーの枠内へ収めた。
通路を挟んだ対面にはマルゼンスキーの真っ赤なLP400、その隣にはエアグルーヴの落ち着いた雰囲気の濃紺のBMW・X5、そしてシンボリルドルフの愛車である深緑のレクサスRCF。錚々たる彼女たちの愛車が仲良く並んでいるということは、彼女たちは既に先着していることが知れる。
全く、みんなして元気なものだ、と溜息交じりに煙草に火をつける。
エアグルーヴは昨夜、目の前のX5で工房に乗りつけ、今日は私の当番日なのだと告げて装蹄師の男の頭に巻かれていた包帯をほどき、丁寧に傷を消毒をして、ゴールドシップの用意した晩飯をかきこんだのち、慌ただしく帰っていた。
その前の日はシンボリルドルフが、さらにその前はアグネスタキオンが同じように夜、当番だと言って工房に現れた。
おっさんの傷の消毒の為だけにわざわざ山奥の工房まで来て、とんぼ返りで帰っていく。
一体どんな罰ゲームだ、と言いたくなるような夜のルーティンがここのところ常態化されている。
彼女たちの心持ちは正直嬉しくもあるが、彼女たちなりにいろいろな要素が駆け引きされて渦巻いており、さらには装蹄師の男自身の監視という目的も含まれていて、その目的の達成としての日替わり消毒当番だということは装蹄師の男にもうっすらと伺うことはできた。
些かオモチャにされている気がしないでもなかったが、彼女たちを心配させてしまった咎ある身でもあり、好きなようにさせているのが現状だった。
とりとめのない考えとともに一本の煙草を吸い終えて車外に出ようと思ったところで、白のトヨタ2000GTが横切り、調子のよさそうな低音を響かせながら男の隣の駐車枠に納まる。
博物館クラスの代物の突然の登場にあっけに取られていると、サングラスをかけたスーツ姿の栗毛のウマ娘が、耳を後ろに引き倒して降りてきた。
そのウマ娘はこちらに視線をくれると、サングラスを外す。
恨めしそうな瞳でこちらを見つめていたのはアグネスタキオンだった。
汐留にあるテレビ局の上層階へ向かうエレベーターの中で、アグネスタキオンは先ほどの恨めしそうな視線の訳を告げた。
「全く…ここまで道案内代わりに君に誘導してもらおうと思ってパッシングしたのに、その私を千切るような暴走…君もまだまだ若いんだねぇ」
そう言って不機嫌そうに男の頭の傷をピンポイントでつついてくる。どうやら先ほどの首都高でパッシングをくれたのはタキオンらしい。
「いってぇ…悪かったよ。気付かなかったんだ。ってかお前、エラいクルマ乗ってるのな…」
タキオンが工房に来るときはいつも目立たぬ国産SUVで来ている。
「あぁ…誰かさんに影響されて手に入れたまではよかったんだが、なにせああいうクルマだろう?コンディションを維持するのも一苦労でねぇ…昨夜久しぶりに整備先からもどってきたんだよ」
確かにあの博物館級のクルマを普段使いにするのは骨が折れそうではある。工房にたどり着くためには山の峠道を登り、最後は未舗装路も通らなければならないため、あのようなクルマで来るには少しハードルが高い。
納得した男はガラス張りのエレベーターからの眺望に目を移す。
「まぁ、今日の会議は私たちはほとんど傍観者だ。ゆっくりみんなの普段の仕事ぶりを観察しようじゃないか」
そう言うとタキオンはくくくっ、と含むように男に笑いかけた。
◆
「鳥ニンゲンカーニバル ウマ娘部門 開催に向けての予備会議」
なんとも長ったらしい会議名ではあったが、そうとしか名付けようのない会議であることは開始すぐに知れた。
テレビ局が主催としてその場の主導権を握っている風であったが、実際のイベントを主導する広告代理店、そして出演者を取りまとめるURAが三者で均衡したパワーバランスとなっている。
そうなっているのは内容に関して未だ確定している事項は少なく、企画そのものがまだまだこれから練られていく過程にあるからだ。
議題がウマ娘サイドの話になるとエアグルーヴが主導権を握って進行しながらルドルフの要所の締める。そのカウンターパートとして広告代理店とテレビ局側の責任者らしき人間たちもそれぞれ、会合の主人公として振舞いつつ、会議は進行した。
エアグルーヴもシンボリルドルフも、またどういう事情かは分からぬがマルゼンスキーも補佐に入っている。
彼女たちのチームワークは学生時代からさらに洗練されて、ビジネスウーマンならぬビジネスウマ娘として、いわゆるデキる社会人オーラと共に一観衆と化している装蹄師の男を圧倒していた。
「いやぁ、すごいもんだね…」
会議終了後、フロア端にある喫煙ルームで一人、煙草を燻らせながら茫然と、装蹄師の男は口にする。
「そりゃあそうでしょ。彼女たちもいっぱしの社会人っスから。しかも舞台度胸は俺らよりもはるかに上っス」
傍らにはどこからともなく現れた装蹄師の男の後輩。
会議には出席していなかったが、別室で会議の中継を見つつ、テレビ局幹部と商談していたらしい。
「しばらく見ないうちに大きくなって…ってヤツだな。あいつら工房に来るときは服装と移動手段以外は学生時代とそう変わらないトーンなもんだから、分からなかったよ」
後輩の男はやれやれといった表情をすると、不意に真剣な視線を装蹄師の男に向ける。
「…彼女たちもいつまでも子供じゃない、ってことっスよ。そろそろ先輩も彼女たちの意を汲んでやってもいい頃合いじゃないスかねぇ…」
後輩の言葉に、装蹄師の男は煙草の味が妙に苦く感じられた。
◆
装蹄師の男は会議の後、後輩の晩飯の誘いをやんわりと断り、早々にテレビ局を後にした。
普段の世捨て人のような生活環境から、文明の先端のような空間に引きずり出され、さらには人の多さに疲れを感じてしまったのもある。
ハイエースを転がして、気が付けばいつもゴールドシップが通っている飛行場に辿り着いていた。
飛行場全体を遠景に見渡せる丘で、ぼうっと離着陸するプロペラ機を眺める。
悠々と離陸していくセスナのような単発機をのんびりと眺めながら、ゴールドシップ自らの力で空を飛ばすという自らに課せられたミッションに、いくらかの緊張を感じる。
「…アンタ、見ねぇ顔だな。面白いか、そんなとこで見てて」
不意に声を掛けられ、振り向いたところに居たのは一人のウマ娘だった。
「まぁ…勉強にはなるかな」
装蹄師の男は言葉少なに、視線を飛行場に戻して呟いた。
「勉強…?オッサンがその歳でなんの勉強するってんだよ。飛行機でも作ろうてンのか?」
装蹄師の男は離陸滑走を始めているセスナから目を離さず、こくりと頷いた。
「…冗談だろ。見た目ほどカンタンなもんじゃねぇぜ」
その言葉にも、装蹄師の男は素直に頷く。
「…まぁ、造るって言ってもエンジンはウマ娘なんだけどな。頼まれちまって」
そう言って煙草に火をつける。
「…変わったオッサンだな、アンタ。その頭の包帯にしても、さてはどこぞのウマ娘に蹴り上げられてその姿か」
やや挑発的なウマ娘の声音は、からかうような雰囲気が混じる。
「ん…試作の駆動系をウマ娘に漕がせてみたら爆散してな」
事も無げに述べる装蹄師の男に、ウマ娘は思わず笑い声をあげる。
「おもしれ―オッサンだな。それでしょげてんのか」
しょげてるわけでもないのだが、こんなところで夕暮れに一人でスーツ姿で黄昏ていれば、そう見えるのかもな、と思う。少なくとも、今の自分の姿は草臥れてはいるのだろう。
ひとしきり笑ったウマ娘は、一息入れて言葉を繋いだ。
「…よしオッサン、ちょっと付き合え」
ウマ娘はそう言って装蹄師の男の手を取り、強引に立ち上がらせた。