駐機場に戻った装蹄師の男は、ゴールドシップに改めてヘルメット等の装備の着用を指示しつつ、カブに牽引用の金具を取り付けて機体ともワイヤーで連結させる作業を行う。
ゴールドシップの準備と機体の準備が整ったことを確認し、無線で臨時の管制塔と化している櫓に連絡を取った。
<<ゴールドシップ組、移動を許可する。誘導路を進んでナリタ家の機体の後ろに着けて滑走路進入許可を待て>>
ドライな口調のシリウスシンボリの声を無線越しに聴いて、男は思わず櫓に視線をやる。遠目にも彼女と視線が合うのが分かった。
「お勤めご苦労だな」
男は無線越しに工房での日常を想起させるような気安さでねぎらいの言葉を述べる。シリウスは親指を立ててこちらへの返事としたが、それと連動するように傍らに立つ2対の双眼鏡がギラリとこちらを射抜くような視線を寄越した気がした。それを男は意に介さず視線を手元に戻してインカムを切り替える。
ゴールドシップに移動する旨を告げ、カブのスロットルを少し開いて機体を牽引し、駐機場から誘導路を進んだ。
<<…ぉおおおっちゃん、アレだな…地上では乗り心地はいまいちだな…>>
ゴールドシップのぼやきがインカムに入る。
「ん、そいつの本来の居場所はここじゃねえからな…地上でのよちよち歩きは我慢してくれ」
地上用の脚はフレームから生やす形で主脚を左右に一つずつと、ノーズ先端にひとつの計3脚を備えてはいるが、重量の関係からごく簡素なものだ。
サスペンションやダンパーといった機構が一切備えられていないリジットな構造だから、地上走行時の振動吸収はタイヤくらいにしか期待できない。そしてそれすらごく小径のものしか備えておらず、必要最低限の効果しか得られない。
乗り心地の悪さはこの際、我慢してもらうしかなかった。
<<本来の居場所じゃないって…ならどこが本来の居場所だってんだ?>>
ガクガクと舌を噛みそうな振動が伝わる声でゴールドシップが問い返してくる。
「あん?本来の居場所は、あそこだよ」
装蹄師の男は、滑走路からふわりと浮かび上がり、並走者が歓声を上げている機体を指し示した。
◆
「まずは離陸速度ギリギリまで加速して走るだけだ。浮きそうになったら言ってくれ」
許可が降りて滑走路に入り、改めてワイヤーの張りや取り付け部が確実に締結されていることを確認したのち、装蹄師の男はカブに跨りゴールドシップに伝える。
<<おお…浮きそうになったらどうすればいいんだ?>>
「伝えてくれれば牽引スピードを少し緩める。一応、設計上の離陸速度は32km/hだ。風の具合によっても変わるから、目安にしかならん。こっちでもメーター読んでるけど風の影響はわからないから、そっちでも機体の挙動は感じといてくれ」
<<りょ、了解だぜ>>
いつものゴールドシップなら威勢のいい言葉が返ってきそうな状況なのだが、先ほど来の緊張なのか妙におとなしい。
しかし彼女はこれに備えて単発自家用の飛行訓練を積んできている。これから行っていくことに関して知悉しているし、そうであるが故の緊張ということもあるだろう。
男は滑走路がクリアなことを確認し、遠くに見える吹き流しも落ち着いていることを確認する。
「んじゃ、いくぞ」
装蹄師の男はカブのスロットルをゆっくりと開けた。
まず牽引ワイヤーが張り、続いて重いものを引っ張っているとき特有のリヤが少し沈みこむような感覚になる。
歩くようなスピードから徐々にスピードを上げ、まずは20km/h程度で一旦加速を緩める。
<<揺れがやべぇ!舌嚙みそうだ!>>
「機体の様子はどうだ」
<<主翼が少し反ってきてる!>>
設計通り、翼が揚力を生み出し始めているようで、男もちらりと後ろを見てその様子を確認する。
「もう少し速度上げるぞ」
男はさらにスロットルを開き、エンジンに送り込むガソリンの量を増やす。
<<おおおおおおっちゃん、振動が少し少なくなってきたぞ>>
25km/hに達し、普通の鳥ニンゲンカーニバル機なら離陸速度に差し掛かる。
男の機体もこのくらいからなら浮き上がる速度域であり、ゴールドシップの報告は翼の揚力により機体が浮き上がりかけ、主脚への負担が減ってきていることを示していた。
<<…このまま飛べちまいそうだぜぇおっちゃん!飛んでいいか?>>
「ダメだ我慢しろ―」
男は慎重にスロットルを開いていく。
◆
「…彼らは飛ばないのか?」
滑走路の様子を見てシンボリルドルフは呟く。
「…プロペラを回してませんし、曳いてるだけみたいですね…」
応じるのは双眼鏡を覗いたままのエアグルーヴ。
「ったく…本当に何も知らねェんだな、皇帝サマは」
そのやりとりを聞いていたシリウスシンボリが口を挟む。
「ふむ…よければどういうことか教えてくれないか、シリウス」
シリウスは溜息をつく。いつもならばここで対価としてルドルフのプライドを傷つけるような行為でも軽口として要求するところである。
しかし先日の装蹄師の男の怪我の件をうまく収めてくれた恩や、その後のシンボリ本家への対応、それにシリウス自身にとっての好ましい居場所を整えてくれたこともあり、実のところルドルフには感謝している側面もあった。
それらを無意識のうちに勘案した結果、いつもの彼女の悪態は鳴りを潜めた。
「実績がねえんだよ、あの機体には」
シリウスは一言で言葉を切り、自身も双眼鏡を手にして滑走中の機体の様子を観察する。
「他のチームは良くも悪くも実績のある機体をベースに製作しているから、ある程度特性も読めるし飛ばすこともまぁ、程度問題だが難しくない。だがあのオッサンの作った機体は見ての通り奇抜で、ベースもない」
「データが不足している、ということか?」
エアグルーヴが質問を挟む。
「それもあるだろうが…オッサンのことだからある程度シミュレーションで問題が出そうなところにはアタリをつけてるはずだ。それでも、地道なテストをひとつひとつこなして、積み重ねているのは…」
「安全には代えられない、か…」
ルドルフがたどり着いた結論を口にする。シリウスは茶化すことなく頷いて肯定した。
「ゴルシの慣らしも兼ねてんだろうけどな。あのオッサンの慎重な手順の踏み方は、多少簡略化されているが実際の飛行機の開発手順を踏襲して、万が一に備えてるカンジだよ。ったく、どんだけ慎重なんだか。ウマ娘はニンゲンよりは頑丈なんだがね…」
その時、櫓からは遠く離れた滑走路の端で、彼らの機体はつんのめるように急停止した。
◆
「おっちゃん…これ、スッゲェこええよ…」
駐機場に戻り輪止めをかけたところで、ゴールドシップが機体から這い出してきて、そう告げた。その表情はいつもの溌剌としたものは消え失せ、肌は青白く、純然たる恐怖心を発露させていた。
「…面目ない」
装蹄師の男は肩を落とし謝罪する。
先ほどの地上滑走テストにおいて離陸スピードギリギリで走行させた結果、機体前部の昇降舵の役割をしている先尾翼の効きが過敏過ぎ、離陸直前のスピード域で安定せず、機首を突如激しく上下動させて暴れ出すという現象が起きたのだ。
クルマのようにシートベルトで拘束されているわけではないペダル式飛行機のコクピットでゴールドシップは恐怖に慄きながら揺さぶられることとなり、彼女がパニックになりかけたところでブレーキを掛けさせて急停止した。
「…次はおっちゃんが乗ってくれよー…アタシがカブで引っ張るからさ~…お手本見せてくれよ~…」
男は火を着けずに煙草を銜えたまま、唸る。
しかしいつもほど騒ぎたてももせずに切々と恐怖を訴える、普段の陽気さからは想像もできないほどにしおらしく涙目のゴールドシップを前に、装蹄師の男は頷いた。
「わかった。ちゃんと飛ぶところ見せてやるよ」
フルフェイスのヘルメットに作業着という出で立ちで装蹄師の男はコクピットに納まり、ゴトゴトとゆったりしたペースで誘導路を往く。
機体を曳いているカブに跨っているゴールドシップは、後ろ姿だけでも上機嫌なのがわかる。
それを眺めながら思い浮かぶのは、後悔だった。
(怖い思いさせちまったなぁ…)
男は不快な乗り心地の中で、先ほどの現象を整理する。
先ほどの事象はある意味では予定通りの現象ではあった。
もともとこの機体はピッチ方向、つまり上下方向への安定性は高くない。さらに動力に余裕がないペダル式ということもあり軽量化の意味合いで胴体の長さも短めに切り詰めて設計されている。
結果、機体の安定性を司る先尾翼が生み出す揚力と、全体を浮き上がらせる揚力を生み出す主翼とのバランスが繊細となりすぎてしまっており、さらに微妙な速度域では昇降舵が失速と回復を小刻みに繰り返して、上下動を発生させてしまっていた。
(もうちょっとスピード上げれば安定するはずなんだがな…)
設計時に使用した大雑把なコンピューターシミュレーションではどうしても過渡特性に関しては曖昧になりがちで、今回はそれがモロに出た形だ。
(もう少し、気を遣うべきだった…)
目の前の物事に拘泥しすぎるのは悪い癖だな、と男は内心で自嘲する。
努めて明るく振舞うゴールドシップにはあとでしっかり詫びることにして、男は昇降舵のレバーを動かして反応を確認しながら、まずは機体を空に浮かせることについて集中することにした。
◆
「…ゴールドシップ組の機体、ゴールドシップが牽引してますね…」
双眼鏡を覗いて全体の監視に怠りないエアグルーヴが呟いた。
「…ということは、コクピットにいるのは兄さんかい?」
シンボリルドルフは視線をコクピットに向けるが、陽光の反射で中の様子はよくわからない。
「…らしいな。さっき無線で連絡があった」
シリウスシンボリはルドルフの疑問を自らの情報で裏付ける。
「一体何をする気だ?兄さんは」
「さあ。自分で試したくなったんじゃないか?」
シリウスは愉快そうな笑みを浮かべながら受け答えると、ルドルフの表情は対照的に曇りを浮かべる。
「…ああ見えて兄さんは身体は強くないんだ。危ないことは止めたいが…」
「おいおい。ルナカーチャンかよ」
「せめて心配性な妹くらいにしておいてくれ、シリウス」
そう言いながら、エアグルーヴも心配そうな視線を機体に向ける。
「また無茶しなければいいけれど…」
東条ハナまでもがそう呟く管制塔の面々の視線は、滑走路に進入する機体に釘付けになっていた。
◆
「なあおっちゃん、カブで曳くんじゃなくてアタシが曳いてやるよ」
滑走路端で機体をいったん止めて、ゴールドシップが駆け寄ってきてそう告げてきた。
「…は?」
フルフェイスのヘルメットから、装蹄師の男は間の抜けた声を上げる。
「これでも現役時代はバカみてぇに重いタイヤ曳いて鍛えてたんだぜ?タイヤついてるモンならよゆーよゆー」
確かに考えてみればその通りではある。
道路にあるウマ娘レーンの制限速度は50km/h。
この機体の設計巡航速度は優に超えている。
「まぁ、デカイ凧揚げみたいなもんっていえばそうだがなぁ…」
唐突なゴールドシップの申し出に困惑したが、機体にかかる空力的な抵抗を体感するにはいい機会かもしれない、とも思う。
「んじゃあまぁそれでやってみっか。スピードはメーターないから、こっちから指示しする。あと、こっちから切り離したら、すぐに避けて機体の後ろに逃げるんだぞ」
「あいよー」
話は決まったとばかりにゴールドシップは手際よくカブと機体の締結を解除し、かわりに勝負服のポーチの中から取り出したロープを華麗な手さばきで自らの胴体に巻き付ける。
装蹄師の男はシートに座り直し、昇降舵に手を添え姿勢を正した。
「そんじゃ、いっちょ頼むわ」
男の声を合図に、返事の代わりに勝負服姿のゴールドシップが蹄鉄の火花を散らして一歩、踏み出した。
ぐん、とロープが張ると機体が一気に加速する。
ストライドの大きなゴールドシップのフォームに合わせ、機体がミシリと軋む。主翼を貫くCFRPのパイプとフレームの取り付け部が彼女の一歩と呼応している。
本番は高さ10mのプラットフォームからの離陸で、十分に加速しきらない機体は一瞬、急降下する。その急降下に耐えられるよう設計されている機体は、軋みこそすれ破綻することはない。
「よーしゴルシそのまま…加速!」
ゴールドシップは男の言葉に応えてさらに脚を蹴り上げる。
<<意外と重てぇな…でも、おっちゃんの岩場用蹄鉄は滑走路でもご機嫌なグリップだぜぇ!>>
「おまっ…いつのまに…そんなもんもってきてたんだ…」
ゴールドシップが装着している蹄鉄は、彼女が学生の時分に男が誂えた海の岩場で遊ぶ用の蹄鉄だ。足場の悪いところでも彼女が怪我をすることがないように工夫を凝らしたスパイクが打たれてる。
スパイクから派手に火花を散らしながら機体を曳いて走るゴールドシップは、コクピットの振動と相まって神々しさすら感じる。
やや下がり気味だった主翼端が反り上がりはじめ、カーボンパイプとこれまでと違う軋みを上げる。いよいよ揚力が生まれ始め、機体の揺れた方が徐々に変化する。
装蹄師の男は昇降舵のレバーを右手でしっかりと握り、あくまで地面と水平になるようにがっちりとロックする。
「もうちょい…あと少し速度をくれ!」
ゴールドシップは返事を返す代わりに、さらに加速した。
「切り離すぞ…3、2、1、今!」
リリースペダルを蹴っ飛ばし、ゴールドシップとの締結を切り離す。突如身軽になった彼女は2歩ほど加速して離れたのち、滑走路の中心から外れて装蹄師の男に進路を譲るように減速を始める。
男は少しだけ昇降舵のレバーを引いて機種を上げ、主翼に風をはらませた。
ゴールドシップの後ろから響いていた機体のタイヤが滑走路を走る音がふっと消える。
減速しつつある彼女が横に目をやれば、勢いをつけた機体が彼女に追いつき、見上げる高さに前をまっすぐ見つめる装蹄師の男。
そのまま僅かな風切り音とともに、翼が彼女の頭上を過ぎていく。
「と…飛んだぞ…!おっちゃん!」
ゴールドシップの声が届いたのか、コクピットのフルフェイスヘルメットが一瞬、こちらを向く。
バイザー越しに見える目が、にやりと笑ったように見えた。
ゴールドシップは機体と並走しながら、こぶしを天に突き上げて飛び跳ねた。
ようやっと飛んだ…