気が付けば前回の投稿から1か月以上…
忙しかったとはいえお詫びの言葉もございません…
今掛かっている仕事の目途が立つ3月くらいまではこんな調子かもしれませんが、ちょくちょく書いてはいきますので引き続きよろしくお願いいたします。
「うぅーん…」
装蹄師の男は、唸り声を上げながら銜え煙草でノートパソコンに向かっている。
場所は工房のとなりに建立されたビジネスパートナーである男の後輩の忖度の賜物たる建物、装蹄師の男に懸想するウマ娘たちの執念の塊とも言える建立物の食堂である。
「おいシリウス、おっちゃん、ずーっとあんな感じなのか?」
「………」
この建物の管理人として住み込んでおり、すっかり管理人としての姿が板についているシリウスシンボリは、北海道以来しばらく行方不明になっていて久しぶりに姿を見せたゴールドシップの問いに、エプロン姿でこくりと頷いた。
装蹄師の男は北海道でのテストフライト合宿から戻ってからというもの、フライトで集めたデータの整理に勤しんでいた。
しかしデータの山を処理して傾向を見出し、改善案を積み重ねるうちに、それぞれの改善が全体としてどのようなバランスに落ち着くのかが推測困難となっていき、現在は完全に迷宮に嵌り込んでいた。
シリウスシンボリは彼の三食を作る管理人の身であるため、彼の苦悩が深まってゆく様を手に取るように理解していた。
彼は決して口数の多い男ではない。
見目や容姿が優れているわけでもない。
生活力があるわけでもなく、社会性にも乏しいことは語るまでもない。
それでも彼は、シンボリルドルフに言い付けられてここの管理人として嵌め込まれたシリウスシンボリを気遣い、三食の食事の時には感謝の言葉を欠かさない。
そのあまり変わり映えしない、それでもどこか暖かみのある日常は、ある種の根無し草としてこれまで過ごしてきたシリウスシンボリに不思議な感覚を芽生えさせていた。
ゆっくりと時間をかけて醸されていった不思議な感覚はいつしか、彼のようなパートナーが自分の傍にいたならば、自分の現役時代はどうなっていたであろうか、という問いになって彼女の中に燻った。
彼女自身、身の置き場をシンボリ家の中にも、レース界にも見出させなかった。
結果、学園生活においても引退後の生活においても異端として歩み続けてきた。
並み居る学園のウマ娘たちをおちょくったり面倒を見たりして過ごすのは面白く刺激的であったが、一方でどこか満たされないものを感じていたことも確かだ。
そして結局、自分の居所を定められなかったことについての理由を求めるならば、それは現役自体の戦績にあると彼女自身は感じていた。
名門シンボリ家の出で、幼少期から期待され、もてはやされていたという自覚はある。
しかしその出自ゆえに常にルドルフと較べられ、片や皇帝ともてはやされ、片やダービーこそ取ったものの、海外を転戦して結局その後一勝も出来ぬまま引退せざるを得なかった自分。
彼のようなパートナーが居たら、自分はもう少し活躍できたのではないか。
彼のようなパートナーが居たら、自分はもう少し素直な人間で居られたのではないか。
勿論それが意味のない問いであることは彼女自身理解しているし、それを掘り下げたところで何が変わるわけでもない。
しかしゴールドシップからある意味押し付けられたように見える飛行機製作という課題に、本業でもないのにこれほどまでに実直に打ち込む装蹄師の男の姿を見て、本業の彼に一人の現役競技ウマ娘として相対していたら、自分はどのようなことが成し得たであろうか、という興味は彼と過ごす日常を積み重ねるほどに募った。
「…なぁ」
食堂の隅、装蹄師の男が喫煙してもいいようにと特別に誂えられた換気扇の下で眉間に皺を寄せて煙草を吹かしながらPCを睨みつけている男に、シリウスは声を掛ける。
「…ん」
シリウスは彼のマグカップにコーヒーのおかわりを注いでやると、装蹄師の男の隣に腰を降ろす。
「…ありがとう。どうかしたか?」
装蹄師の男は今日も無精髭をそのままに、髪を切りに行くのも面倒らしく、伸びきった後ろ髪を縛っている。煙草を灰皿に差しつつ、シリウスの様子を窺ってくる。
「…蹄鉄、見てくんねぇかな」
「…?いいけど…」
突然のシリウスの依頼に、装蹄師の男はきょとんとしている。
「…そういや俺の本職はそれだな。最近こっちにかかりっきりですっかり忘れてたわ」
すっとぼけた顔でそう呟くと、コーヒーを一口、そして煙草を一服。細く吹き上げられる煙が換気扇に吸い込まれて消えていくのをじっと眺めた後、男は煙草を揉み消し、ぱたんとPCを閉じて立ち上がる。
「シューズごともっておいで、工房に」
男は食堂の出際、背中越しにシリウスにそう告げた。
◆
シリウスシンボリというウマ娘は現役時代よりそのルックスと荒っぽい言動のギャップで数多くのウマ娘たちを虜にし、生来のカリスマ性も相俟ってファンクラブのような組織さえあったほどだったという。
その時彼女に虜にされたウマ娘たちも今では現役を引退し、あるものはトレーナーに、あるものは学園の職員にとそれぞれの道を歩んでいる。
そうなると当然、ダービーウマ娘であるにもかかわらず根無し草のような生活をしているシリウスの許に、昔の誼で現役のウマ娘たちの指導をしてほしい、というような話も出てくるわけで。
普段の言動や態度とは裏腹に生来、面倒見の良いシリウスシンボリは、おそらく勿体ぶった態度を取りながらも嬉々としてそれを受け入れていた。
そういう経緯であるから、シリウスが持ってきたシューズは彼女のファンだった現トレセン学園の関係者に請われて週に一度、学園の生徒たちに稽古をつけてやるときに履く、ターフ用のトレーニングシューズだった。
装蹄師の男は作業机に一通りの道具を揃えると、まずは丁寧に蹄鉄を外し、洗浄を行っていく。
シリウスは作業机の横にパイプ椅子を持ってきて陣取ると、いつになく真剣な眼差しでその様子を見守る構えを取った。
シリウスの付けている蹄鉄は、最近流行り始めた樹脂と金属を組み合わせたハイブリッド素材の量産品ではなく、昔ながらの鉄によるものだった。
「…なんで今時、鉄のものを使ってるんだ?」
ブラシで丁寧に汚れを落としながら、装蹄師の男はシリウスに問う。
「特に理由はない。現役の頃から慣れ親しんだものを使い続けてるだけさ」
シリウスは足を組んで座り、机の端に置いておいた男の煙草を箱から勝手に一本取り出し、火をつけずに銜えつつ、男の作業を観察している。
男は蹄鉄から目を離すことなく、黙々とブラシとウエス、そして幾種類かのペースト状のメタルコンパウンドを使い分けながら、蹄鉄を磨き上げていく。
工房内は僅かな男の作業音だけに支配される。
やがてその音が止まり、男がことり、と手に持っていたものを作業机に置けば、そこにはこれまでに刻まれたキズはあるものの、新品のような冷たい光沢を湛えた一対の蹄鉄が出現していた。
男はそこで初めてシリウスを振り返り、彼女が口にしていた煙草を見咎めると、ひび割れた職人らしい指先で器用にそれを奪い、そのまま自分で銜えて火をつける。
呆気に取られているシリウスに構うことなく、代わりに机の引き出しから棒付きの飴を取り出し、片手で器用にフィルムを剥くとシリウスの口に突っ込んだ。
「…ガキじゃねえよ」
「戯れでもやめとけ。せっかくの綺麗な肺が台無しだ」
シリウスは抗議したが、男は苦笑いしながら煙草の煙を吹き上げるだけだった。
装蹄師の男は改めて、磨き上げられた蹄鉄を手に取って眺めた。
「…ロンシャンで走ってた時からこのモデルなのか?」
「そうだ。学園のバ場とのアンマッチはわかってるが、使い慣れたもののほうが良くてな」
フランス製で、日本ではあまり馴染みのないブランドのカスタム品だが、正直これがシリウスに合っているかというと、男は首を傾げざるを得ない。
現役時代の彼女を詳しく知っているわけではないし、現在の走りも見たことはないため、蹄鉄を検分した結果の推測にしか過ぎない。しかし男はこの蹄鉄の状態を見て、修正と補修だけをして彼女に引き渡すのは気が引けた。
「…次、学園に稽古をつけに行くのはいつだ?」
「明日の午後」
シリウスの言葉に、蹄鉄を舐めまわすように検分していた男の表情がほんの僅かに曇る。
「…時間がないなら、そのままでも何等問題はないぞ。全力で走るわけでもない」
何かを察したシリウスは、遠慮がちに男に告げる。
やや間が空き、装蹄師の男は静かに作業机に蹄鉄を置く。
煙草を揉み消して立ち上がり、倉庫の方向に足を一歩踏み出し、思い出したようにシリウスに顔だけ向けて言った。
「…今夜の夕食はカレーが良いな。あと、夜食におにぎりを2個。そんでな、お前は今日は早く寝ろ」
「…お、おう…」
シリウスは何の脈絡もない男のリクエストに面食らいつつ、倉庫に向かう男の後姿を見送った。
◆
「シリウス先輩!今日もよろしくお願いします!」
ジャージ姿で腕を組み、後輩たちを睥睨するシリウスシンボリの姿。 それを横目で眺めているのはこのチームのトレーナーであり、元・シリウスシンボリファンクラブ会員であった元競走ウマ娘だ。
今日もいつものように不敵な微笑を浮かべ、ウマ娘たちをたらし込む天賦の才を遺憾なく発揮しているシリウスシンボリ。その表情はいつもと変わらぬように一見、見える。
しかしトレーナーである元競走ウマ娘は、アップをする彼女の後姿になにか、言いようのない違和感を感じていた。
「…もう…無理…ですぅ……」
そう言って最後の一人がターフに倒れ込む。
トレーナーの周りには、シリウスとの並走で潰れたウマ娘たちがマグロのように横たわっていた。
「へっ…こんなもんでへばってちゃ、まだ先は長そうだな…」
そう宣うシリウスの額にも汗が光っているが、まだまだ走れそうな雰囲気を醸し出している。
トレーナーが見るに、今日のシリウスの走りは現役当時と遜色なく、ともすれば現役時代を超えているのではないかと思われるキレも随所に見られた。
何故、今日はそんなに気合が漲っているのか。
「シリウス先輩、一体今日はどうしたんですか…まさか…現役復帰とか…」
トレーナーが困惑の声を掛けると、シリウスはにやりと笑う。
「…ハッ…今なら、それも悪くないかもな…」
満更でもない表情でシリウスは呟いて、トレーナーと共にターフに腰を降ろす。
「一体何があったんです?今日の走り、現役時代並みのキレでしたよ。あんなコーナリングからの直線加速…お世辞抜きに今のGⅠでも通用するかもしれません」
元々はシリウスに憧れ、導かれたこのトレーナーも、GⅠで勝つことこそできなかったが掲示板には入るクラスであった。自身の夢を次世代に託すべく、血のにじむような努力を重ねてトレーナーになった。
その相マ眼には自信があったし、彼女の許に集っているウマ娘たちもGⅡクラスが数人いるのだ。
それが今日の並走ではまとめて撫で切られており、正直心中は穏やかではない。
「…手に入れちまったのさ、今頃」
シリウスはそう言うとシューズを脱いで、蹄鉄が嚙み込んだ土や草を払う。
「あ、蹄鉄変えたんですね」
蹄鉄に気づかれたシリウスは一息、溜息をつく。
「今さら、だなぁ…ほんとに」
シリウスは呟くと、彼女にしてはどこか陰のある笑みを浮かべ、どこか切なげに蹄鉄を撫でた。