モチベーションにさせていただいております。
長く間を開けてしまい申し訳ありませんでした。
今日のテスト飛行プログラムを無事にこなし、夕飯も食べた後の自由時間。ゴールドシップはこちらに来ているらしいメジロマックイーンに構ってもらいに行ったようで、姿が見えない。
合宿のような日々を過ごす中でも自由時間であるこの時間帯。
格納庫の隅では、ここメジロ別邸にある軽トラックに装蹄師の男が背板に載って潜り込んで整備しており、シリウスシンボリは手持無沙汰にその姿を眺めている。
「なぁ、オッサンよ…」
「…ん?」
シリウスの問いかけに男は反応するが、それは声だけのことで、軽トラックの下で工具を振るい続ける男の手が止まることはない。
シリウスは軽トラックに食われたように足先だけ外に放り投げている男をぼんやりと眺めながら、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「…なんで装蹄師になったんだ?」
「何を言うかと思えば…まぁ偶然だな、偶然。きっかけがあって、あとは流されるままに。運も良かったんだろう」
シリウスもなんとなくは男の経歴を知っていた。それは彼のビジネスパートナーたる、大学の部活の後輩だとかいう些か軽薄な印象すらある杖をついている男から断片的に聞いたことだ。
具体的なことはよくわからないが、何等か大学で大きな事故を起こすか巻き込まれるかしたこと、それに責任を感じて一時行方をくらましていたこと、装蹄師に弟子入りし、その後学園所属の装蹄師になったこと…等。
その後輩から得た情報や、シンボリルドルフやエアグルーヴから伝え聞く話に、装蹄師になって以降の彼が運の良い人生を送ってきたとは思えない。
それは、装蹄師として類稀れなる腕を持ちながら、不幸にも近年のURAにおける蹄鉄に関するレギュレーションの変遷の起点となってしまい、彼の境遇自体は学園お抱え装蹄師からの追放、強制的に独立せざるを得なかった流れと相俟って、不幸とすら形容すべきことに思えた。
「今でも自分の運は良いと思ってるのか?」
シリウスの内部で形成される男のイメージから、その質問は当然のように繰り出された。
「こんなに運のいい人間も珍しいと思うくらいには、自分のことは幸運なヤツだって思ってるけどね」
当然のように答える男の言葉は淀みない。
「だってそうだろう?自分の好きなレースに関わる仕事で、収入はまぁ、よくわからないが住むにも食うにも困らないし、思い付きでこんなもん作ったりだってできる」
背板に載って仰向けのまま器用に軽トラの下から這い出ながら語った男は、こんなもん、というときに傍らにあるゴールドシップ号とシリウスシンボリ号の機体を工具を持ったままの手で指し示した。
「なんの取柄もない…というと卑下が過ぎるが、まぁ社会性のない人間が生きていく環境としては恵まれすぎてるな」
男は起き上がると、嵌めていた作業用グローブを取ると作業着の胸ポケットから煙草を取り出して銜えた。
「なんか不思議そうな顔してんなシリウス。そんなに俺は不幸に見えるか?」
いつもあまり表情がわかりやすいとは言えない男にしては珍しく、シリウスにもはっきりと男が微笑んでいることが見て取れた。
「…そういうわけではないんだがな。欲がないというのかなんというのか」
「欲ねぇ……ま、個人的な夢はあるが」
「個人的な夢?」
聞き返すシリウスに応じることなく、男は火のついていない煙草を銜えたまま軽トラに乗り込む。
「試運転行くけど、どうする?」
「…行く」
「ちゃんとシートベルトしてな」
シリウスはおいていかれぬように少し慌てるように乗り込み、薄っぺらい音を立てるドアを閉める。
シリウスが言い付け通りシートベルトを締めたことを確認して、男はセルを回しエンジンを始動した。
■
メジロ別邸の敷地を出て、少し走ればドライブを楽しむにはうってつけの峠道が無数にあるのがこの地のいいところだ、と装蹄師の男は思っていた。
シリウスを隣に乗せた軽トラックは、男が思いつくままにトコトコと峠道を登っていく。
少し街を外れれば街灯も人家もほぼなく、ただヘッドライトに照らされたどこかへ続く道と、軽快なエンジン音、どことなく埃っぽい車内の空気、あとは夜の闇に満たされた世界。
特に何を話すこともなく、男はただ、この何でもない軽トラックとコミュニケーションを図るようにクラッチを踏み、神経を通わせるように巧みにギアを入れ替えながら山道を登る。ダッシュボード上に配されたいくつかの後付けのメーターが、男の運転操作の結果として控えめに光りながらピコピコと踊る様は、飛行機ほどにはクルマのことを理解していないシリウスには不思議に映る。
シリウスシンボリは視覚では車窓を追いつつ、男の気配を感じながらただ助手席で揺らていた。昼間のテスト飛行の疲労もあったのか、いつのまにやらうつらうつらと夢と現を行き来している。
その様子を察した装蹄師の男は、峠を登り切ったあたりの広い路肩にクルマを止め、サイドブレーキをしっかりかけてエンジンを掛けたままそっとクルマを降りた。
薄っぺらいドアを閉じた軽い音で意識を覚醒させたシリウスは、男を追うようにクルマを降りる。
「起こしちまったか」
降りるなり煙草を銜え火をつけかけていた装蹄師の男はシリウスを気遣う一言を寄越した。
「勝手についてきたのにうとうとしちまったな…」
今少し眠たげな表情のまま、シリウスが応じる。
「気にすんな。眠たかったら寝ててもいいぞ」
「いや、もう大丈夫だ」
「そうかい」
男は煙草に火をつけて深く吸い込んだ。
シリウスは男の隣に並んで夜空を見上げている。
「…なぁ、もっとオッサンの話、聞かせてくれよ。」
唐突にシリウスは訊いた。
「…さっきの続きか…うーん…」
「…聞かせてくれよ。ルドルフやエアグルーヴ、ゴールドシップなんかも知ってるんだろう?」
「そりゃあまぁ、あいつらとは長い付き合いだからな」
男は軽トラックの荷台にもたれ掛かり、天に向けて煙をひとつ吐くと、話し始めた。
「…俺が昔、レースやってたってのは聞いたことあるか?」
「レース?」
意外な答えにシリウスはオウム返しに問う。
「あぁ。大学の時な。今のビジネスパートナーの後輩はその時からの付き合いだ」
学生時代の付き合いというのはわかっていたが、それがレースという単語はシリウスにとって意外そのものだった。
「もちろん、ウマ娘みたいに足で走るレースじゃないけどな。クルマでやるレースだ。しかもまぁ、学生のやることだからアマチュア丸出し」
男は苦笑しながら続ける。
「結果、勝つためにギリギリ攻めすぎてレース中のマシントラブルでクラッシュ、その時ドライブしてたのが後輩のアイツで、生死の境をさまよった結果が今のあの姿な訳だ」
「…そんなことが…」
装蹄師の男と後輩の男の関係性にはシリウスシンボリ自身も不思議に感じることが多かったが、ただの旧友の域と勝手に納得していた。
しかしそのような修羅場を乗り越えた仲となれば見方も変わるし、そのような経験があるからこそ、蹄鉄に向き合う男の姿勢も頷ける。
男は静かに煙草を吸いながら話を続ける。
「後輩はウマ娘のレースが好きで、自分でもレースがしたいと思ってクルマのレースの世界に入ってきたヤツでな。怪我したあとは行き来が絶えていたんだが、俺が装蹄師になってしばらくした後、再会してな。まぁなんやかんやあって今に至るわけだが、そのなんやかんやのところであいつに相当世話になった」
男の話を聞いて、後輩の男がシリウスシンボリだけでなく、すべてのウマ娘に対してある種の畏敬の念すら感じられる態度であることの意味が理解できた。
「…ここまでの自分語りは蛇足だな。とはいえこの前提がなければ正確に伝えられる気がしないのも確かなんだが」
「いや…これまで不思議に思っていたオッサンに関する疑問が氷解していく気がする」
形の良い瞳を見開いて、眠気もどこかに吹き飛んだ様子のシリウスシンボリの視線を他所に、装蹄師の男はふぅーっと長く煙を吐く。
「なんのかんの言ってもレースが好きなんだよ、俺は。ウマ娘のレースもそうだし、自分たちでやるレースも。今回の鳥ニンゲンカーニバルだって、競技会みたいなもんだろう。だからゴールドシップの話に乗ったんだ。まぁ半ば以上趣味だが」
北海道の大地、その夜に溶けた峠道を往く車は多くなく、時折風に吹かれた木々が囁き、エンジンをかけたままの軽トラックが小さくリズムを刻む以外はほとんど静寂といっていい空間。
お互いの表情も良く見えぬほどの闇の中で、装蹄師の男はいつになく雄弁だった。
「それにな…ゴールドシップの奴にも思うところはあるんだ」
「ゴールドシップに?」
男は短くなった煙草を揉み消して、些か几帳面な手付きで携帯灰皿に仕舞うと、続けた。
「あいつはいつでも、着かず離れず、俺の傍に居てくれたんだ。あいつのおかげで乗り越えられた難題だってあるくらいにな。あれはホンモノの天才だし、心の底から優しいヤツだ。ま、ちょっと奇人の類ではあるが。シリウスもわかるだろう?」
「…ああ。それには同意するしかないな」
正直、シリウス自身、ゴールドシップと装蹄師の男が進めていた話に横入りするような自らの行いが、果たして許されるものかどうか悩んだ時期もあった。
た。
しかし思い切ってみた結果は今の状況だ。ゴールドシップには嫌がるどころか逆に大歓迎されてしまった。
「G1を6勝も掻っ攫った天才、といえばそれはその通りなんだが、それはあいつの光の部分を要約したに過ぎない。アイツの引退レースとその前のレース、見たことあるか?」
男の意外な問いにシリウスは戸惑う。
「見たことがなければ別にいい。だが、ウマ娘の誰もが望む結果を得られるわけではないという原則は、アイツでも例外じゃなかった、という訳だ」
「………」
シリウスは沈黙したまま男の話を聞いていた。
「…俺にはなんだか、お前もゴルシも同じような悩みを抱えてる気がしてな」
「……?」
シリウスシンボリはその言葉にぞくりとした。
心の中を見透かされた気がしたのだ。
「いや、これはただの憶測だな。気にしないでくれ」
装蹄師の男はそう言うと、話は終いだとでもいうように軽トラックに乗り込んだ。
「あ、ちょ…まてよ!」
シリウスシンボリは男の後を追うように助手席に乗り込んだ。
大変ご無沙汰しております。
書かねば書かねばと思いつつ、なかなか進まず…。
忙しさにかまけて一度流れが切れてしまうと、再起動するのってエラい大変ですね…。
今後も淡々と進めてまいりますので、引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いします。