「なんか一気に老け込んじまいましたね…」
「うるせぇ」
山奥の蹄鉄工房の横に建てられた2階建ての母屋の一室で、ゆったりとしたロッキングチェアに座って煙草を銜えている装蹄師の男を見た後輩の男は、表面上は気の毒そうに、それでいてどこか笑いをこらえたような様子で口火を切った。
「これで、腰やらかした原因がどなたかと頑張り過ぎたせいとかなら血の雨が降ろうとも、先輩も人間だったんだなって思えるんですが…」
「うるせぇ」
「…勤勉すぎるのもどうかと思うっスね、本当に」
いよいよ笑いをこらえきれずに、銜え煙草でくつくつと笑う後輩の男は、装蹄師の男には悪魔かなにかのように見えた。
「まぁ一週間くらいすればとりあえずは動けるでしょ」
「今もまぁ動けなくはないんだが…」
「やめといたほうがいいっスよ。これでさらにやらかしたら目も当てられないっス。介護人員をさらに集めたいなら止めはしないスけど」
笑いながらもどこか哀れむような目線で辛辣に述べた後輩の男は、ちらりと部屋の入口方面に視線をやる。
今の時間帯は装蹄師の男の介護兼監視人員としてアグネスタキオンが控えており、自らの仕事をPCで行いながらそれとなく、しかし確実に片側の耳を器用にこちらに向けて様子を窺っていた。
「まぁ…そうだな…」
装蹄師の男は後輩の無意識な視線の送り先についての意図を理解して、苦々しい表情を浮かべた後、立ち上がろうとして正した姿勢を元のくつろいだ形に戻した。
装蹄師の男が魔女の一撃によって病臥したという報せはシリウスシンボリにお姫様抱っこされる装蹄師の男、というある種のセンセーショナルな写真をゴールドシップがバラ撒いたことにより、ほとんどタイムラグなく各方面へ伝わった。
それによって惹起されたのは装蹄師の男を慕うウマ娘とヒト娘がこの辺鄙な山奥に大集合してしまうという事態であった。
元々ここに居を構えていた(というと語弊があるが)シリウスシンボリとゴールドシップはともかく、比較的行動が自由であるアグネスタキオンがまず怪しげな薬を大量に積み込んだ車で乗り付けることから始まった。
その後続々と、東条ハナやシンボリルドルフ、エアグルーヴ、樫本理子…と、いつもの面々が駆け付け、なんなら様子を見に行ってほしいとサイレンススズカに頼まれた沖野まで現れた。尤も、沖野は缶ビール片手に冷やかしに来た、といった風体ではあった。
ただのぎっくり腰でここまでされては収拾がつかないということで、装蹄師の男は後輩を頼り、頼られた後輩は工房に向かう道すがらにメジロの主治医を借り出してきて装蹄師の男の診断と治療を施させた。
メジロの主治医は、かのトウカイテイオーの復活への関与やメジロマックイーンへの適切な加療で現役を全うさせたという実績を以てその勇名をウマ娘界に轟かせており、その名医が装蹄師の男の治療を買って出たという事実の前に、山奥の工房に集まった名だたるウマ娘たちも沈黙せざるを得ず、事態は収束へ向かったのである。
「まぁメジロの主治医の先生も安静にするしかないって言ってましたし、無理は禁物ですよ」
「あの人はウマ娘専門だと思ってたんだけどなぁ」
「ウマ娘でもヒトでもスポーツ医学の第一人者ですよ、あのヒトは。まったくメジロ財閥はどれだけの人材抱えてるんだか…底が知れないっス」
後輩の男を以てしても、メジロ財閥やシンボリ家といったウマ娘名門一族に関してはビジネス上でも一目も二目も置かざるを得ない。
「うちみたいなポッと出の会社は、うまく手のひらの上で転がされてる気さえする時があるっスからね。まぁだからこそ、こういう時にはいろんな融通もきいてもらいやすいってのはありますかね」
後輩が必死にURAでのビジネスで稼いだ得点を、装蹄師の男は個人的なトラブルで貸し借りのタネとさせてしまうことにやや罪悪感を感じる。
しかしそこは後輩の男もしっかりと皮算用が済んでいる。装蹄師の男の微妙な表情を読み取った後輩の男は、言葉を続けた。
「なぁに、先輩が気にするほどのこともないっスよ。メジロ財閥も先輩の装蹄技術は高く評価してるっスから。そうでなければあの無表情で不愛想な主治医サンが無理やり時間をこじ開けてここに来るはずもないっス。例の樹脂蹄鉄関係のプロジェクトにはメジロさんも一枚どころか二枚か三枚、噛んでるっス」
利権の分配というほど腐敗したものではないが、ウマ娘のレース界をより良い方向にしていくという志のもと、大枠の利害は一致しているということなのだろう、と装蹄師の男は理解する。
「まぁ、そういうことなんで、ボチボチ先輩には正業に戻ってもらわないといけないんスけどね」
後輩の男は言外に含みを持たせ、装蹄師の男は仕方ない、というように頷いた。
「本当は本番をしっかり飛ばしてからと思っていたが、どうもそう思い通りにはいかねぇみたいだな。ままならないねぇ、どうにも…」
装蹄師の男の言葉を聞いた後輩の男は、意図するところが通じたことを認識し、傍らに置いていた仕事用の鞄から厚みのある封筒を取り出し、その中に仕舞われていた書類を装蹄師の男に手渡した。
◆
「…ったく、オッサンよぉ…そんな絵図描いてやがったのか」
夕食後、装蹄師の男が静養する部屋に呼び出されたシリウスシンボリは、そう毒づいた。
目の前には後輩の男が残していった書類が拡げられている。装蹄師の男はバツが悪そうに煙草を片手に苦笑いしている。
「機体一式の権利譲渡と会社設立の段取り…随分と段取りがいいじゃねえかオッサン」
目の前には、鳥ニンゲンカーニバル後に機体一式の知的財産も含めた権利をシリウスシンボリへ譲渡することと、それを管理・運用する会社の設立に関する段取りと法的に必要になる書類がまとめられていた。
それは今日の昼間に見舞いがてら訪れた後輩の男が置いていったものである。
その書類を前に、今後は仕事として、鳥ニンゲンカーニバルに参加したいというウマ娘たちの面倒を見てほしいという話を打ち明けられた。
「どおりで最近…人使いが荒いと思ってはいたがな」
シリウスは北海道から帰ってからのことを思い返していた。
これまでは装蹄師の男に助けが必要な時に作業補助として呼ばれ、機体の製作やら作業を手伝っていたが、北海道から帰ってきて以後、それが変わった。
作業自体を任されることが多くなり、加工から組み立てまでを一通りこなせるように指導され、さらには空いた時間に機体の設計や改良案の策定までを依頼されるようになった。
シリウス自身は機体についての一通りの知識はパイロット免許取得時に一通り学んでいたし、ましてや人力機であるから機構自体は動力機と較べれば簡素であり、さほど理解に苦労はなかった。
問題は機体設計や改良案であったが、これはそもそも装蹄師の男も素人である。シリウスも一緒に悩むことになったし、男と同じレベルでモノを考える時間というのは正直、楽しかった。
そんなシリウスシンボリの逡巡を窺い知ることもない装蹄師の男は話を続けた。
「まぁ本当は本番が終わってから話そうと思っていたんだ。だが、生憎腰をやらかしちまって、おまけに本業の方では追い込みをかけられて忙しい。正直鳥ニンゲンカーニバルの本番にきちんと向き合えるかわからん。だからこっちの都合でお前さんにゃ悪いが、このタイミングで話をさせてもらったってわけだ」
それは決してシリウスにとっても悪い話ではない。シリウス自身、そう感じていた。
確かに、自分に同意もなく方々への根回しが行われていたことに関してはいつもながらの反骨心が疼きもしたが、さりとてそれを剥き出しにするほど今のシリウスシンボリの人格が練れていないわけでもない。
おそらくこの計画には皇帝サマも関わっているだろうことは想像に難くないが、なによりも装蹄師の男が主導して描いた絵図であることは疑いようがなかった。
「なんで私なんだ?譲る先はゴールドシップでも構わなかっただろう。むしろ、アイツが言い出したことで、そっちが筋だろう」
とはいえこのプロジェクト自体はゴールドシップのものでもあるし、この申し出をそのまま受け止めてよいのかというところにシリウスは引っ掛かりを覚えたので、その旨を質問してみる。
「この話をゴールドシップにしたら、喜んでいたよ。シリウスはこれからも仲間でいてくれるんだな、ってな」
全くどうしてこうも手筈が良いのだろう、とシリウスシンボリは溜息を吐く。
最初に会ったときにはしょぼくれた精彩に欠けるおっさんだと思っていたのに。
尤も、今も普段の印象は特にそれと変わるところはない。
…変わるところはないのだが、地道に一歩ずつ、何かを積み上げているのがこのオッサンだ。その奥行を知れば知るほど、付き合いが長くなるほどに見えてくる印象が変わる。
このオッサンは気が付けばとんでもないものを創り上げていたり、様々なウマ娘の助けとなっていたり。
私利私欲のない神を信じろと言われても土台無理な話だ、と思うタイプのシリウスシンボリだが、この男に限っては神かそれに類する何かか、と思うことがあるほどだ。
そしてその神か何かかわからないオッサンは、これでもかというほどに私にとてつもないものを授けてくる。
「どうだろう。受けてもらえないかな。そうしてくれると俺は正直、助かるんだが」
現役引退からこれまで、無聊を慰めるように適当に過ごしていた自分に、仕事という芯を一本通させるような申し出は魅力的だ。
しかもそれが偶然に偶然を掛け合わせたような妙な出会い方をした、これまでに出会ったことのない、強く惹かれる要素を持った男からのモノであるならばさらに価値がある。
「……だ」
シリウスシンボリはぽつりと、いつもの強気が鳴りを潜めた、聞き取れぬような小声で何事かを呟いた。
「ん?」
装蹄師の男は聞き返す。
「会社の持ち分は私とオッサンで50:50。それ以上でもそれ以下でもダメだ。オッサンが手を引くことは許さねぇ」
「シリウスがそれで安心するならいいぞ」
装蹄師の男があっさり告げた一言は、シリウスの顔を柄にもなく赤くさせる。
思えば今まで、後輩には慕われてきたと思う。
しかし同世代や先輩など、目上には徹底的に反発してきた。疎まれていたり、生暖かい目で見られたり、反応は様々だった。もちろん中には波長の合う奴も少ないながらも居たが。シリウス自身はそれらの他人からの評価を意に介すことなく自分の道を貫いてきた。それに後悔はない。
しかしそれ故に同じ立場で仲間として認識された経験はあまりない。
さらに言えば、自らに「安心」を提供しようとした人間なぞ、初めてかもしれない。
それに絆されるなぞ、自分もヤキが回ったかと思う。
シリウスシンボリは、無意識に自分の口角が上がっていることに気が付かなかった。
「…フフ…共同所有か…悪くない…」
瞳にギラついた光を宿しながら芯のある低音美声で呟くシリウスの言葉が意図するところを、装蹄師の男が解することはなかった。
皆様ご無沙汰しております。
台風などありましたがご無事でしょうか。
まだまだ暑そうですが、くれぐれもご自愛ください。