鳥ニンゲンカーニバル ウマ娘部門大会当日、早朝。
大会本部テント前に集合時間より1時間と少し早く現れたシリウスシンボリは、まだ誰も来ていないその場所で、高い位置に掲げられた風を見るための吹き流しを仰ぎ見ていた。
吹き流しは時折姿勢を変えながらもほぼ水平にその身を風に預け、はためいている。
ただ無感動に暫し吹き流しを観察していたシリウスシンボリは、全く感情の入る隙のない、きわめて合理的なパイロットとしての常識的な感覚でもって心中で自らの判断を言語化してみた。
あぁ、今日の飛行は中止か。
自家用単発とはいえ航空機の免状を持っているのだ。
フライトできる気象条件は冷静に把握していた。
数日前からの気象予報も、外れてくれればと願っていたし、昨日のパーティーの時から一部の関係者の顔色が優れなかったことも察していた。
彼女の優秀で冷静な頭脳はそれが願望に過ぎぬことを理解し、心の準備は整えていたつもりである。
今年の鳥ニンゲンカーニバルは既に行われた人間部門のみ、ウマ娘部門は来年へ持ち越し。
それが運営が導く妥当な結論だろう。
まぁ今の風向であれば、風速はあるが無理をすれば飛べないこともないだろうが。
正直残念だ。
しかし、自分でも意外ながらも、冷静さを保てている。
それはきっと私には今、飛べる翼があるからだ。
最近授けられた、自由自在に走ることができる蹄鉄のように、私には今、飛ぶための自分だけの翼がある。
この大会に向けて鍛え、仕上げてきた翼をここに居るウマ娘たちに披瀝できないのは至極残念ではあるが、それはまた、別の機会でも良い。
誰もいない琵琶湖の岸壁で一人、シリウスシンボリは湖上の屹立する離陸プラットフォームを眺めながら、そう自らの心に整理をつけつつあった。
しかし、それはそれとして。
昨夜から装蹄師の男とゴールドシップの姿が見えないのはどういうわけだ。
今朝もロードワークに出るべくゴールドシップの部屋を訪ねたが、もぬけの殻だった。
装蹄師の男に電話をかけても、鳴りはするがつながらない。
昨夜は彼らの不在について、私はチーム代表という立場で行事を熟していたからそれほど気にはしていなかったが、今朝までともなれば事情が異なる。
私が手に入れたはずの、共に翼を鍛えた仲間たちは、今どこにいるのか。
私が久しく得ることができなかった本物の仲間たちは、何故私に姿を見せないのか。
これまで感じたことのない寂寞と、一抹の不安をシリウスシンボリは感じていた。
◆
「おいおっちゃん、そろそろマズいんじゃねーのか…!」
「…手を止めるな、今は寸暇が惜しい」
「…おぉいもう陽が昇ってきてしまっているよ…」
三者三様に焦りながらも、一時的に借り受けた工場で、本来は風洞のオペレーターをしている人間までも駆り出して主翼の表面へのフィルム張りを急いでいる。
装蹄師の男は、普段では考えられないほどの長い時間、煙草を吸う暇も惜しんで手を動かし続けていた。
既に外界は明るくなっており、大会当日の朝が来てしまっていることは採光の良い近代的な作業場でひしひしと感じ取ることができており、それがより焦燥を誘っていた。
昨夜、借り受けたレーシングチームのファクトリーに雪崩れ込んで以降、三人は、息をつく暇も無いほどの忙しさで作業に取り組んだ。
再設計した主翼を縮小したモデルを3Dプリンターで出力した後、アグネスタキオンは風洞をオペレーターに稼働させてデータ取りに勤しんで操縦特性を把握。
装蹄師の男とゴールドシップは図面に基づき主翼桁を量産、元々予備で持ってきていた主翼フレームへの組み付けも同時並行で行ってきた。
データを纏め終えたアグネスタキオンが合流するころには新主翼は桁自体は完成し動翼のワイヤーも張り終えていたが、全長にして10mを優に超える主翼はまだ揚力を発生させるためのフィルムが張られていなかった。
フィルムは無駄な空気抵抗を生まぬために滑らかに、そしてシリウスを浮き上がらせて支えるように強靭かつしなやかに張らねばならぬ。
細心の注意と最大限の集中力を注いで作業が行われている。
シリウスシンボリの意気込みに応えるために、彼らは黙々と作業を遂行した。
「こういう突貫作業は昔を思い出すな」
現場にふらりと現れ、そう呟いたのは最早老境といって差し支えない年恰好の男。
その男は装蹄師たちの作業を遠巻きに眺めていたファクトリーの人員を一喝してかき集め、装蹄師の男に作業指示を請う。装蹄師の男たちはその支援を喜んで受けることにした。
流石はレーシングチームのメンバーだけあり、作業は格段にスピードアップすることになる。
アグネスタキオン曰く、あの矍鑠とした老人は風洞での実験時もどこからともなく現れ、あれやこれやと助言をくれたらしい。そしてその助言がやたらと的確であったとのこと。
装蹄師の男は、レーシングチームのメンバーを率いて嬉々として作業に加わる老人がどこかで見たことがある人物であることは気付いたが、翼を完成させるために忙殺されつくしている脳の片隅で検索を完遂することはできなかった。
しかしそこまでマンパワーを集結してもなお、時間は足りなかった。
外が完全に明るくなったころ、装蹄師の男は観念したようにため息をつき、言葉を発した。
「タキオン、悪いけど最後まで付き合ってくれるか」
装蹄師の男が時計をちらりと見て、そう呟く。
あと1時間もすれば大会の開会式、続いて大会前のミーティングが始まる。
「何を今さら。もちろん最後まで完遂するとも。そのかわり記録にはしっかり私の名前も刻んでくれたまえよ。あ、落ち着いたら私の特製薬も飲んでもらわないといけないねぇ」
アグネスタキオンは装蹄師の男の言葉を疲れた表情で受け止め、それでも笑みを浮かべて返す。最後はもちろん彼女なりの冗談でもあった。
タキオンのその表情に安心し、微笑み返した装蹄師の男は、次にゴールドシップに声をかける。
「ゴルシ、悪いけどひとっ走り、シリウスんとこ行ってくれ。んで、時間を稼いでくれないか」
飛行順はなんやかんや理由をつけて、出来るだけ後ろになれば助かるが、既に危惧していた風は吹き始めている。
大会を決行するなら辞退するチームも出るだろうし、大会運営がどう転ぶかわからない。こちらの事情が分かっていて時間稼ぎができる役回りの者が必要だった。
「いいけどよ、おっちゃんも一言シリウスに連絡してやれよ。ホラ、シリウスに電話しながら煙草1本吸うくらいは許してやっからよ。そのくらいの時間はゴルシちゃんが稼いでみせらぁ」
ゴールドシップは気風良くそう言い残すと、作業場の隅に置きっぱなしになっていた男の煙草とスマホを投げてよこした。既に数度、シリウスからの着信が残っていることがわかる。
二人のやりとりを目にしたアグネスタキオンはふぅ、とひとつ嘆息をする。
「…全く、ゴールドシップ君は息をするようにセンセイの正妻ぶりを発揮してくれるじゃないか…」
当てつけられるこちらはたまったもんじゃないねぇ、とアグネスタキオンはもうひとつ溜息を吐いたが、最後まで作業を手伝わせる程度には自分を信頼してくれている装蹄師の男に対して悪い気はしなかった。
◆
シンボリルドルフは思っていた。
大会本部前に募った数多のウマ娘たちを前にして。
あぁ、この熱量が、惜しい。
心底そう思っていた。
ここに並みいる輝かしき実績を持つウマ娘たち。
旧交を温め合いながらも、新たな競技に真摯に向き合う彼女たちに、大会の中止を告げねばならぬ立場というのは、これほどまでに辛いものかと今更ながらに噛みしめている。
「…来年がありますから、そうお気を落とさず」
様子を察したエアグルーヴが、そっと声をかけてくれる。
予定より早く早朝から始められた大会運営首脳部による打ち合わせは、天候悪化による開催可否を判断するために議論を行い、先ほど結論を出す前の休憩に入った。
議論は安全性を重視する方向でまとまりつつあり、安全規定に照らして、大会を決行しようと思えばできなくもないものの、大会実施中に安全規定を超えてしまう公算が高く、それであればいっそ中止してしまったほうがよいのでは、というものが全体的な趨勢である。
「微妙なトコロっスけどねぇ…飛ぼうと思えば飛べなくもないですし。まぁ距離が出るかっていうと、ちょいと厳しそうですが。まぁ大人の事情で言えば、なんとか開催してほしいっスね」
装蹄師の男の後輩はそう呟く。
大会の利害関係を裏から操りつつ、シンボリルドルフやエアグルーヴの相談役として機能している彼は思案顔だ。
「…気象条件は大会開催規定ギリギリを行ったり来たりだ。安全面を考えれば無理はできん」
エアグルーヴは杓子定規に、後輩の男の言葉を諫める。
「…まぁそうっスね…ただ、このまま中止してお開き、ってのもまぁ、有体に言って勿体なくないスか?あの錚々たる面子のウマ娘たちをこのままなんもなしで解散ってのは…」
後輩の男は悪びれもせず、シンボリルドルフの心中を読んで弄ぶかのように言葉を紡ぐ。
「それは私も思うところではあるが…エアグルーヴの言う安全面こそが最も重要だと私は考える」
シンボリルドルフは皇帝と呼ばれた現役時代の様子からさらに凄みを増して、決断する者としての風格を備えつつあった。
「まぁ…真剣勝負ではありますが、元よりお祭りでもありますからね…では、こんな落としどころでどうっスか?」
装蹄師の男の後輩は、詐欺師のような笑みを浮かべながら口にした。
「大会は中止とするが、希望するチームのフライトはこれを拒否せず、非公式記録として記録する、ってトコで」
要は肩の力を抜いて、祭りで踊りたいものは踊れ、飛びたい者は飛べ、というところだった。
「これならばまぁ、公式順位をつけるわけでもありませんから、並みいる名家が参加しようが撤退しようが名前にキズは付きませんし、飛んでみて危ないと思えば無理せず着水することにも抵抗感は少ないんじゃないですかね」
元をただせば鳥ニンゲンカーニバルとは飛びそうもないものを飛ばそうとして、案の定落ちて笑いに変えてしまうエンターテイメント的な要素を多分に持った大会である。
今回のウマ娘部門にしても、いくらかそういった傾向は出ており、例えばタンデム二座の機体で挑んできたサクラ一族はそういった趣が見て取れた。
尤も人間の出力では二人分の体重を支えて飛ばす推力は得られぬかもしれないが、ウマ娘の体重出力比で言えば案外いい線を突いている可能性は否定できない。
加えて天候がこのような有様であれば、大会、競技という建付けを抜いてしまえば、無理をする必要はどこにもないのだ。
「競う以上勝ちたい、と思うのはヒトもウマ娘も変わりませんが、その為に必要以上の危険を冒すことはありませんしね。順位付けないってことにすれば、みんな無茶はしないっス」
後輩の男の言葉にせぬ目論見としても、せいぜい2~3チームが飛んでくれればテレビ局側の撮れ高としては十分であろうと考えていた。これぞ、三方良しというやつだろうと後輩の男は考えているし、もうひとつ抱えている個人的な好奇心にも利する答えだと思った。
「それに…見て見たくありません?先輩の…シリウスさんところがどんな奇策を弄してくるか」
後輩の男はそう言うと悪戯っぽく笑いかけてくる。
シンボリルドルフとエアグルーヴはその言葉に怪訝な表情を浮かべた。
「昨夜から先輩たちの姿が見えなかったでしょう?この天候に対応した新しい翼を夜通しこさえてるんですヨ、あの職人バカ先輩は。こういう競技のリスクにトラウマを持つ男が、この状況にどういう答えを持ってくるのか…ちょっと興味ありません?」
後輩の男は火のついていない煙草を横銜えにし、にやりと笑う。
シンボリルドルフは後輩の男の言葉を聞いて、己の内心を見透かされ、そのまま代弁されたようで複雑な感情を抱いた。
「…そうだな。折角皆集まっているし、衆目もある。妥協点としては悪くない…」
シンボリルドルフは少しの逡巡ののち、後輩の男の詐欺師的な提案に乗ることにした。
前回ととんでもなく間隔が開きまして大変申し訳ございませんでした。
ちょっと立て込んでおりまして、また期間が開いてしまうと書けなくなるがスパイラルでした。
次もちょっとどうなるかわかりませんが、本編の方ともどもなんとか最後まで書きたいとは常に思い続けておりますので、期待せずに気長にお付き合いいただけると幸いです。