「どーやらアタシの出番はなさそうだなぁ?シリウスぅ~」
ゴールドシップはシリウスシンボリと共に大会の中止と、希望者が非公式に飛ぶことは大会本部が支援する旨の通達を聞いた。飛距離も計測され、公式記録ではなく参考記録とすることも発表された。夜通し作業を続けたゴールドシップにとっては、最も望ましい結論が向こうから転がり込んできた形だ。
決定事項を達するシンボリルドルフが壇上からこちらに視線を寄越し、微笑みかけるような表情をちらりと見せたのは見間違いではないだろう。おそらく彼女たちにも事情はあり、どうにかしてウマ娘を飛ばすことで映像を撮影させる必要はあるし、利害と彼女たちの私心の一致を見た結果であろうことは推測ができた。
事態がこうなっては飛行順もなにもあったものじゃないから、ゴールドシップがいくつか用意していた時間稼ぎプランも必要なくなっており、あとはこちらが段取りを整えて大会本部と調整をするだけだ。
ゴールドシップはそれらの事情を瞬時に見抜き、少し構えていた心積もりを意図的に緩めた。
「カイチョーも話が分かるようになってきたじゃねーか、なぁ」
ゴールドシップが肩を組んでシリウスを揺さぶる。
シリウスシンボリほどの頭脳であれば、先ほど自分が考えたようなことは概ね似たような理解に達したであろうと推測したから、きっと一緒に喜んでくれると考えたのだ。
しかし、彼女の表情は硬かった。
「…昨夜から私だけ仲間外れってのはちょっと酷くねえか?」
今までの寂しさを押し隠しながら、シリウスシンボリは抑え気味に抗議の意図を伝えてくる。先ほど、装蹄師の男から簡潔に状況を伝える電話がシリウス宛てに来たためにこれまでの経緯を把握したが、それだけで気分が晴れるものではない。
ましてや悶々とした気持ちをのまま夜を過ごしたシリウスとしては、如何に自分のためとはいえ自らも関わっていることであり、そこから一時的にせよ疎外されたことに嫌味のひとつも口にせねば気が済まなかった。
「まぁ…それはゴルシちゃん悪かった!謝る!」
ゴールドシップは素直に手を合わせてシリウスに詫びる。
誰しもが認める天邪鬼であるゴールドシップが自分に向かって両手を合わせて素直に頭を下げる様はさすがにシリウスも驚いたが、彼女の謝罪の言葉を聞いて尚、気が収まらない。
シリウスは、頭を下げているゴールドシップの頬を両手の指でつまみ、むにっと引っ張って顔を上げさせた。
「あぁぁぅ……そのぶん、おっちゃんとすんごいのつくったからよ、それでカンベンしてくれよぉ…」
チッと舌打ちしてゴールドシップの頬を解放する。
頬が少し赤くなって涙目になっているゴールドシップを見て、シリウスシンボリは自分の八つ当たりに罪悪感を覚えた。
「…主翼を付け替えるなら、準備しておかないとな」
ゴールドシップはシリウスの言葉を聞いて、赤い頬のまま、にっこりと笑いかけた。
◆
完成した主翼を現地まで運ぶためにレーシングチームのトレーラーへ積み込む間、その作業を見守りつつ一服していた装蹄師の男。
もう何時間ぶりかわからないほど久しぶりのニコチンが、疲労した脳に安らぎを与えていくさまがわかる。
「なぜこんな突貫作業しようと思ったんだ?」
ニコチンで脳が融けかけた男に話しかけてきたのは、ファクトリーの人間たちを号令一下動かしてくれた矍鑠とした老人であった。
「…まぁ無茶ですよね。でも、やれることをやらずに後悔するのも御免ですから」
装蹄師の男は苦笑しながら答えた。頭の片隅でこの老人に関する記憶の扉が開きそうな気がしていた。
老人は男の言葉を聞いてにやりと古狸のような笑みを浮かべ、そして何かを懐かしむように目を細めた。
「いいねぇ兄ちゃん。最近はそういう奴が少なくなっちまってな。今回の無茶な仕事はココの奴らにもいい刺激になったろう」
そう言うと古狸老人は装蹄師の男から差し出された煙草をありがたそうに受け取り、火をつけてやるとうまそうに一服、紫煙を立ち昇らせた。
銜え煙草が妙に様になる老人の姿を暫し眺め、装蹄師の男の脳は相手にしている人物が何者か、閃くように思い出した。
自動車レース界の黎明期から国産のレーシングカーに拘り続け、自らの理想を追い続けた結果、ムラ社会であるモーターレーシング界隈で周囲との折り合いを欠いて表舞台から姿を消しつつあったレーシングカーデザイナーであり、このレーシングカーファクトリーの以前の主その人だった。
今は一線を退き、この会社も他の人物に任せてしまったと風の噂で聞いた記憶があった。
「…貴方が誰だか漸く思い出しましたよ。レースキチガイだった私の、神様みたいなお方ですね。こんなところでお目にかかれるとは」
今更ながらに狼狽しながら装蹄師の男は恐縮して肩を竦め、頭を下げた。
「なんだ兄ちゃん、俺のこと知ってるのか。まぁ、今は只の隠居だがな…お前さんみたいな弟子が居たら、俺ももう少し楽しい隠居生活ができたかもしれねぇなぁ。お前さんの仕事ぶりを見てると、そう思うよ」
正体が露見して尚、古狸のような態度を崩さない老人はそう言ってくっくと笑う。
「…私なんかにはもったいないお言葉ですね。昔の、何者でもなかった私なら一も二もなく飛びついたでしょうが…今は装蹄師という職業と、彼女たちが居ますんでね、私には」
装蹄師の視線の先には、自らの白衣が汚れることも厭わず主翼をトレーラーに積み込む手伝いをしているアグネスタキオンが居る。
今、自分が追いかけている夢は、自分一人のものではないことを、装蹄師の男は改めて自覚した。
一本の煙草が燃え尽きる頃、積み込みが完了した旨の声がかかる。
「もし気が変わったら相談に来い。クルマでレースしたくなったらいつでも手ぇ貸してやる」
まるで映画の悪役のようにどこか歪んだ笑みを浮かべる老人に装蹄師の男は一礼し、このファクトリーへ転職してしまいたい誘惑を振り切って、主翼の載せられたトレーラーへと駆け出した。
◆
「いってぇ!」
鈍い音とともに装蹄師の男がシリウスの見事なドロップキックで吹き飛ぶ。もちろんそのフォームはゴールドシップから直伝されたものだ。
そしてその蹴りが、シリウスシンボリと装蹄師の男が再会して最初のコミュニケーションであった。
首尾よく男の後ろに回り込んだゴールドシップに受け止められ、その豊かな胸のクッションにより装蹄師の男が気を失う事態は避けられる。
「…ったく、冷たいことしてくれるじゃねえか、私だけ除け者とはよ」
腕を組み、怒っていることをアピールしているシリウスだが、造りの良い顔の口角は上がっていた。態度とは裏腹に上機嫌であることが伺える。その証拠に、ゴールドシップ仕込みのドロップキックもかなり手加減されていた。
「…こいつはシリウスには必要なかったかな?」
装蹄師の男は後方の治具に立てかけられた、さきほどできたばかりの主翼を指し示す。尤もシリウスの答えは既に予想できていて、ドロップキックの意趣返し以上の意味はない。
「そんなわけあるか。その翼がなけりゃ今日のフライトは諦めるつもりだった」
シリウスシンボリは手を差し出し、その手を取った男を引き起こしながら答えた。
「さっさとやるぞ」
シリウスシンボリは頬を赤らめ、上がる口角を覆い隠すように背を向けて機体に向かう。
装蹄師の男は一息ついてその後を追った。
◆
湖岸に並んで設置された各チームのテントは、大会の中止と自由にフライトは可能という運営本部の決定を受けて、にわかに騒がしくなっていた。
車座になり今後の対応を検討する者たち、撤退を決めて機体の解体と撤収準備を始める団体、そしてフライトを決めて機体の最終調整に余念のないチームと、概ね三種類に分けられる。
その中でも異質であるのはやはりシリウスシンボリがチーム代表を務めるチームで、2機体制であるのも異様だというのに、完成状態だった1機をバラし始め、解体されていた1機にはどこからともなく持ち込まれた新しい翼が組み付けられつつある。
それを遠巻きにそれを眺めていた関係者たちにザワめきが起こり始め、テレビカメラもその様子を映像に残していく。
意を決して乙名史が突撃取材を仕掛けてくるが、ニヤニヤと笑うゴールドシップにあしらわれていた。
「…兄さんのところはゴールドシップは辞退、シリウスは翼の換装作業の上でフライトする、か…」
シンボリルドルフは本部テントから各チームの様子を眺めていた。
大会中止という報を発してから、辞退するチームとフライトを決行するチームを改めて募ったところ、おおよそ四分の一がフライトを決行を即断、撤退を決めたチームが半数、残りはまだ態度を決めかねている、といったところだった。
フライト決行を即断したチームはどこもお祭り的なノリで乗り込んできた集団ばかりで、機体の成りはどこもしっかりとはしているが、どこか勢いで走っている雰囲気があった。
風はだんだんと強まりつつある。風向きが変わりつつあり、離陸用のプラットフォームに対し向かい風となりつつあるところは離陸に際して有利に働くだろう。
「なにやら先生のところはにぎやかですね」
エアグルーヴが心配そうに呟く。
大会が普通に行われていればここまでドタバタしなくてもよかったのだろうが、ここにきてどこからともなく新たな主翼を持ち込んで換装作業を始めている様を見れば、エアグルーヴとて一抹の不安を感じざるを得ない。
「最後まで足掻くあたりが、らしいじゃないか」
シンボリルドルフはそう応じ、どこか羨ましそうな表情を浮かべている。
「本当に兄さんには足を向けて眠れないな。なにせあそこで必死に汗をかいているのは、シリウスなんだ」
シンボリ家でも難しい扱いをされているシリウスシンボリを、ああまでも必死にさせるものを、装蹄師の男は提供しているのだ。
これまでシリウスの扱いに手を焼いてきたシンボリ本家の面々が今の彼女の姿を見れば、きっと驚きと感謝で瞳を潤すことになるだろう。
「…しかし、先生のところの今取り付けている翼は、何やら他のチームとは趣が違うようですね」
エアグルーヴは作業中の彼らの翼を見て、不思議そうな表情だ。
「翼端に小さな垂直翼をつけて、横幅も少し控えめなような…下向きにやや反った形は…他のチームとは真逆のコンセプトのように思えます」
生来の生真面目さから、この大会を行うにあたり技術レギュレーションを読み込み、それを理解するために航空工学まで齧りながら知識を高めていたエアグルーヴは、彼らの組み立てつつある機体を訝しみながら観察している。
シンボリルドルフはそちらをちらりと一瞥し、口角を器用に片側だけ上げた。
「エアグルーヴ…私の認識違いなら指摘してほしいのだが、この大会が競うものは、飛行距離だったな?」
エアグルーヴは形の良い眉を顰め、シンボリルドルフを見返す。
「えぇ…もはやこの風では、距離がどうのというよりはいかにうまく離陸して、どれだけ空中に居られるか、というような雰囲気ではありますが…」
シンボリルドルフはエアグルーヴの言葉を聞き、我が意を得たりとばかりに頷いた。
「…兄さんの狙いは、たぶんそこだろう。どうなるか、見てみようじゃないか」
エアグルーヴは頭上にはてなマークを浮かべたまま、首を傾げた。
◆
シリウスシンボリは装蹄師の男の手によって主翼の換装が進んでいる間、アグネスタキオンからレクチャーを受けていた。
曰く、この翼はこれまでテストを積んできた飛行形態とは全く異なるものであること、低空の水面スレスレを飛行することで翼と水面で大気を圧縮し、その反発を利用して地面効果と呼ばれる揚力増加要素を利用して飛ぶためのものであるらしい。
もちろん地面効果そのものはパイロット訓練を受けるうえで学んでいることであるし、実際に愛機のフライトでも何度となく体感している。
しかしそれを積極的に利用して飛ぶ、という行為はさすがに経験がない。
アグネスタキオンが言うには、装蹄師の男が天候を読んだうえで、今日のようなコンディションでも比較的安全にフライトすることができる策として急遽用意したということのようだった。
シリウスシンボリ自身はその男の心意気そのものが嬉しかったし、過日自分に与えられた蹄鉄のように自らの為に誂えられた翼、という事実に気分は大いに高揚した。
アグネスタキオンといくらかの意見交換をして、フライトのイメージを掴んでいく。
タキオンから提示された風洞テストの映像は、空気の流れと翼の作用がはっきりと可視化されており、それにより自身の理解にとても貢献した。
この風洞の段取りも装蹄師の男が付けたというのだから、シリウスの心はさらに熱を帯びてくる。
装蹄師の男が思いつくすべてを自分に注ぎ込んでくれているのがありありとわかるからだ。
早く装蹄師の男と言葉を交わしたい想いをどうにかして抑え込み、努めて冷静に、集中してアグネスタキオンとの打ち合わせを進め、フライトイメージを固めきる。
一息ついてのちに機体を振り返ってみれば、そこには既に、まるで最初からそのように作られていたかのような、新しい主翼を備えたシリウスシンボリの機体が鎮座していた。
「…ほわぁ…煙草が旨い……」
人込みから離れた湖面に沿った砂浜で、ひとり煙を燻らせる装蹄師の男を見つけるのにさほどの時間はかからなかった。
「…アンタは相変わらず旨そうに吸うな」
「仕事の後の一本は格別なんだよ…。タキオンからの説明、飲み込めたか?」
「私を誰だと思ってる。あのくらいのことは免許取るときに一通り学んでいる。ま、積極的に利用するとなると話は別だがな」
シリウスシンボリは装蹄師の男に並んで立ち、男の視線の先にある鳥ニンゲンカーニバルのプラットフォームを眺める。
「…まぁなぁ。天候を鑑みて作ってはみたが、テストもなしのぶっつけだしな。風の影響は受けにくいはずだが、どこまで飛べるのかは俺にもわからん。正直、自己満足だとも思う」
換装した翼の狙いとその特性、地面効果を最大に生かす翼である故、操縦は繊細どころの騒ぎではない。地面との距離が効能を左右するから、目標の高度に機体を留め続けなければいけないのだ。
「その割にはこの短時間で風洞実験まで仕込むとは、徹底してるな」
シリウスの声音は装蹄師の男の弱音ともとれる発言を揶揄うニュアンスになった。しかし内心は正反対の感情を抱いている。
シリウスは正直に感謝の言葉を口にできない自分に苛立ちを覚えた。
「まぁ、今できる最大限がそれだったってだけだ。勿論後輩の段取りがあってこそだが。風洞なんてあちこちにあるもんじゃねえし、ましてや飛び入りで使えるもんでもねぇ。運が良かった」
シリウスは装蹄師の男に違和感を抱き、そしてその違和感の正体に気付く。いつもよりも饒舌なのだ。
思わず振り向いて男の横顔を見る。
苦く、強い力で眉を顰めていて、ひとつ仕事を成し遂げた後だというのに何かに苛ついているよう。
決して煙草を楽しんでいる表情ではなかった。
「なんだ…?一仕事終えて達成感でも味わっていると思ったが、違うのか?」
シリウスの問いに応えはなく、しばしの沈黙が二人を包み、シリウスは身構えるように腕を組む。
装蹄師の男が二本目の煙草に火をつけ、それを吸い込んで吐き出すと、男は意を決したように口を開いた。
「正直に言うぞ。俺はお前を飛ばすべきかどうか悩みながら手を動かし続けた。お前が飛びたがると思い込んでいたから、少しでも危険性が減ると思ってな。でも、俺の思い込みを押し付けるつもりはない。大会は中止だ。危ないことをする必要はないんだ」
男が、らしくもなく一気にまくしたてた様を聞いて、シリウスはズキリと心が疼く。
この男は、自らの持ちうるすべてをこの私に与え、それでもなお、それを押し付けるでもなく、私の身を案じている。
組んでいる腕が、無意識に力む。
そしてシリウスシンボリは、己の内にある様々な感情が沸騰しそうになることをギリギリで抑え込む。
しかしにじり上がる口角は抑えることが出来ず、目の前にいる男の自分に対する誠実さと忠信に、改めて自分の感情とは別に、彼に対して成すべきことを思った。
シリウスは腕組みを解いて手を伸ばし、そっと男の顎に指を添えて優しく自分の方へ男の顔を向ける。
そして彼の子犬のように不安げな瞳と視線を合わせると、自分はついに笑みを隠し切れなくなった。
「…なんてツラしてんだよ、あれだけの仕事をした後だってのに」
シリウスは不敵ともいえる笑みを浮かべながら、男の瞳をじっと見据えたまま、言った。
「そこで見ていな、パピーちゃん。アンタの翼で、誰よりも長く飛んでやるよ」
シリウスは男の顎を指先で優しく撫でるようにしながら踵を返し、愛機の許へ歩み出した。