空を飛びたいウマ娘と山奥の装蹄師の話   作:小松市古城

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9:泥酔者たち

 

 

 

 グラスに注がれた液体を半分ほど体内に注ぎ、コトリとテーブルに置く。融けきらぬ氷がからんと冷たい音を立てた。後輩氏の頼んだウイスキーと同じものをルドルフも注文したものだったが、これまでに味わったことのない、ウイスキーらしからぬ甘く爽やかな口当たりで、彼女自身も気に入った。

 

 シンボリルドルフは体内に流れていく液体の存在感を感じながら、テーブルを見回す。

 

 そこには騒いだ末に酔いつぶれ、屍と化した東条ハナ、エアグルーヴ、そして兄の後輩が思い思いの格好で寝息を立てていた。

 

 

 

 

 東条ハナが後輩氏を締めあげたことを皮切りに、彼に砲火が集中した。

 

 シンボリルドルフ自身も装蹄師の男の近況について聞きたいことは山ほどあったが、それらは低く冷たい、しかし明らかに怒気をはらんだ声音で行われる東条ハナとエアグルーヴの後輩氏への詰問で粗方解決してしまった。

 

 後輩氏は気の毒なことに、この事態の収拾の為にこの後、装蹄師の男の工房に向かわねばならなくなり、どこかで待たせているらしい自らの運転手に連絡をつけたあとに力尽きた。

 

 シンボリルドルフ自身は後輩氏が力尽きた後も続いた東条ハナとエアグルーヴのやりとりを眺めながら、自身はアルコールの酔いに身を任せ、今の装蹄師の男の生活に思いを巡らせていた。

 

 

 

 …きっとゴールドシップが転がり込んできたのは装蹄師の男の意図するところではなく、飛行機製作を請け負った行きがかり上のようなことなのだろう。人の良い兄さんのことだ、きっとゴールドシップの押しに負けてしまっただけに違いない。

 

 後輩氏の話からすれば、そう受け取り、解釈をすることは可能だ。

 

 勿論、兄とて健全な男である。

 だからこそ当然、兄の男としての部分を無視することはできない。

 

 ゴールドシップは学園でのイメージが強いが故に身近にいるとそう思えなくなってしまうが、客観的にみればモデルと見紛うような美貌とスタイルを備えている。そしてなにより、あの天才的な頭脳。

 

 彼女の武器の使い方さえ間違わなければ兄を落とすことも可能だろう。 

 

 しかし、だ。

 

 私は兄に問うたことがある。

 

 トレセン学園を卒業し、URAに一職員として就職するときに、あの工房に住んでも良いか、と問うた。

 

 兄は通勤に不便だろうから住むのではなく、別荘くらいのつもりなら構わない、という許可をしてくれた。

 

 つまり兄は私的な空間を私と共有することに厭いはないわけで、私が兄の住まいを別荘のように使ってよい、ということだ。これは、いつ訪ねてきてもかまわない、という意思表示と受け取ることができる。

 

 事実、私はいつでも兄の許を訪れることができるという安心感を心の支えに、日々過ごしていると言ってよい。

 

 ならば何を躊躇することがあろうか。

 

 気になるのならば現地現物を確認するに越したことはないし、今ここで酔いつぶれるまで舌戦を繰り広げても埒が明かない。

 

 そして幸いにも足は先ほど、確保されてもいる。 

 

 

 

 

 シンボリルドルフは悠然と、グラスに半分残っていた液体を干した。

 

 視線を伏せがちに、しかし心配そうな気配をこちらに向けてくるバーテンダーに目配せをし、チェックを頼むアイコンタクトを送る。

 

 持ち寄られた伝票の金額を確認もせずに、金属製の何も書かれていないクレジットカードを渡して決済させると、入れ違いに入ってきた後輩の運転手に手伝ってもらい、酔いつぶれた3人を後輩氏のクルマの後席に押し込めて、シンボリルドルフは助手席に収まる。

 

「すまないな、運転手君。行先は先ほど後輩氏が電話で告げた通りで頼むよ」

 

 皇帝・シンボリルドルフを助手席に見て、緊張した面持ちで返事をした運転手。

 ルドルフは些か朱が差した面持ちで皇帝の態度を崩さずに微笑みを返すと、クルマは静かに走り出した。

 

 するすると水面を波紋も残さずに進むような乗り心地を味わいながら、遅れて酔いが回ってきたのかシンボリルドルフにも眠気が襲ってくる。

 

 私たちの気持ちを知りながら軽率なことをするのが悪いんだ、兄さん。

 

 意識を手放す前には先ほどこねまわした理屈など忘れた素直な言葉を思い浮かべながら、シンボリルドルフはゆっくりと眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 装蹄師の男は悪夢を見ていた。

 

 それははっきりと夢と認識できるほど荒唐無稽なもので、風邪をひき体温が上がった時にうなされながら見る典型のようなものだった。

 

 

 地獄を具体化したような赤黒く、灼熱した岩山のような空間に装蹄師の男は立ち尽くしていた。

 

 目を覚まさなければ、と意識を強く持ち始めたところで、夢の中にも関わらずふわりと香りを知覚する。

 

 甘く、それでいて爽やかな、どこか懐かしい感情を呼び起こす香り。

 

 この香り、どこかで…と周囲を見回し、記憶を辿るが、夢の中ではっきりとした意識を持てない装蹄師の男の頭脳は、思うように記憶を引き出すことができない。

 

 しかし、そのどこか懐かしい香りを確かに知っている男の本能は、その香りを護らなければいけないという思いだけを朦朧とする意識にもかかわらず強く主張してくる。

 

 刹那、足元が突如として揺れ出す。

 

 それは地震のように全身を揺さぶり、まるで大地が割れるかのような衝撃を伴っていた。

 

 目を覚まさなければ、と強く思い、夢の中で右腕を大きく動かそうとして動かず、絶望したところで目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

 いつも通りの天井を視界に捉え、目が覚めたことに気づく。

 

 しかし、右腕は動かない。それに、布団の中が妙に暑い。

 そして夢の中で感じた香りは間違いなく、目が覚めた今でも漂っている。

 

 これが夢なのか現なのか、渾然一体、夢との地続きのような感覚に混乱する。

 

 

 

 

「……んぅ…」

 

 

 装蹄師の男の右側で、静かに吐息を漏らす音が聞こえて思わずびくりとする。

 

 恐る恐るそちらを見やれば、これが現実であり、なぜあのような夢を見たのかの原因が明らかになった。

 

 妹のように扱ってきたシンボリルドルフが、懐かしい香りは昔のままに装蹄師の男の右腕をしっかり抱き込み、眠りこけている。

 

 暑いのはシンボリルドルフの発するウマ娘特有の高い体温のためで、しっかりと右腕に巻き付くように固められれば、さすがの装蹄師の男にも動かすことはままならい。

 

 何故シンボリルドルフがここにいるか、そして同衾しているかについては理由はわからない。

 

 しかし彼女には合鍵を渡しており、寝姿から見るにどうやら昨夜深酒をしてここに来訪し、そのまま眠り込んでしまったようだから、仕方のないことだろう。

 

 そして皇帝、シンボリルドルフについては睡眠に関して、あまり褒められない癖がある。とてつもなく寝起きが悪く、睡眠に貪欲なのだ。

 

 勿論装蹄師の男はそれを知っているから、今現在自分の寝床に潜り込まれたことも含めて 経緯を問いただすことも現状変更を試みることも諦めている。

 

 そうなるとひとつだけわからないことがある。

 夢の中で感じたあの地震のような揺れだ。

 あれだけはまさに夢だったのであろうか。

 

 外は既に明るく、日の高さからしても少し遅めの朝食によさそうな時間帯のようだ。

 

 さて、どうしたものかと思索を始めた時、部屋が地震の前触れの様にビリビリと震え始めた。

 

 それに身の危険を感じた装蹄師の男は、自らの右腕に絡みつくシンボリルドルフを本能的に庇うように上に覆いかぶさった。

 

 その直後、なにか大質量の物体が地面に叩きつけられるような轟音と衝撃、そして揺れが起こった。

 

 

 

 

「…ん…兄さん…」

 

 衝撃はすぐに収まった。

 

 シンボリルドルフを腕に抱いたまま、しばらくは警戒していた装蹄師の男だったが、とりあえずは落ち着いていると見て取ると、身を起こした。

 

 ルドルフは名残惜しそうにうにゃうにゃと口を動かしていたが覚醒には至らないようだったので、とりあえず掛け布団を身代わりに抱かせて部屋を出る。

 

 同じタイミングで目を覚ましたらしいゴールドシップもTシャツ姿で眠そうな表情のまま部屋から出てきた。

 

 とりあえず工房内を見回したが、特に変わったところはない…いや、あった。

 

 休憩用の畳の小上がりスペースに、やはり昨夜深酒したと思しい様相で東条ハナとエアグルーヴが行き倒れたように眠っている。

 

 ご丁寧に毛布がかけられているあたり、昨日深夜、装蹄師の男が眠り込んでいる時間帯に訪れて眠ったものらしい。

 

 とりあえず何事もなく、呼吸をしていることを遠目に確認して、装蹄師の男は工房の外に出た。

 

「…なんだ…一体何が始まるんだ…?」

 

 いつもなら広々と開けている工房の正面シャッター前には、ブルドーザーやショベルカーを積んだトレーラーが複数台と、すでに作業を始めつつある建設作業者が忙しく立ち働き、工房そばの山の斜面に立つ木を続々と切り倒さんとチェーンソーのエンジン音を響かせていた。

 

 

 

 

 

「あ、先輩おはようございまっス!」

 

 装蹄師の男に声をかけてきたのは妙にヨレたスーツに見栄とばかりにネクタイだけはしっかりと締めたビジネスパートナー、後輩の男だった 

 

「おい、一体何が始まるんだ?」

 

 さっぱり訳がわからない装蹄師の男は、アルコールを活発に分解させていることがわかる後輩の香りに何かを感じながら問うた。

 

「いえね、大きな倉庫と付帯設備をいくつかつくることになったんスよ。工房もそろそろ手狭になってきたでしょう?」

 

 朝っぱらから何を言ってるんだ、という表情で装蹄師の男は後輩を見る。

 

「そりゃまぁ…そもそもここはお前んとこの土地だし、何しようが構わねえけどな…」

 

 装蹄師の男はそう返すと、それだけじゃないだろう?という風に疑わし気な視線を後輩に送る。

 

 その視線の意味をくみ取った後輩の男は少し逡巡した後、口を開いた。 

 

「…いやぁ、昨夜、鳥ニンゲンカーニバルの件で東条サンと打ち合わせしたんですけどね…ゴールドシップさんがここで暮らし始めた件、バレちまいまして」

 

 バツが悪そうに視線を逸らしながら、後輩の男は昨夜の顛末を語った。

 

「…そういう訳で、ご希望の皆様方にここでの居場所をご提供しよう、という次第っス。先輩にも、いつまでもプレハブ暮らしさせとくわけにもいきませんしね」

 

 そりゃまぁ随分とスケールの大きな贖罪だなぁオイ、と装蹄師の男は努めて暢気に応じつつ、煙草に火をつけて茫然と、伐採されていく木々を眺めた。

 

 

 

 

 

「お、なんか楽しそーなことしてんじゃねぇか!温泉掘ろうぜ!」

 

「あ、それイイっスね!掘削許可取るっス!」

 

 茫然とする男の背後では、いつの間にか登場したゴールドシップが後輩をはじめとした作業員たちにいつの間にか作った握り飯を振舞いながら、なにやら悪企みを始めていた。    

 

 

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