アヤベさんとウマ娘になってしまったトレーナーさん 作:後藤深月
「あの…… アヤベ……さん?」
「何?どうかしたの?それと、名前じゃなくてちゃんと『お姉ちゃん』と呼んで』
さも当然かのように、アヤベ────アドマイヤベガは一人のウマ娘を布団の中で抱きしめていた。彼女の腕に捕らえられて動けないのか、困惑した表情を浮かべるばかりの小さなウマ娘。彼女がアドマイヤベガのトレーナーでついこの間までは人間の男であったということは、一体誰が信じるだろうか。
トレセン学園で起こっている、一部のトレーナーのウマ娘化現象。アドマイヤベガのトレーナーもこの現象に巻き込まれ、元々あった上背も縮んで担当の胸のあたり程となり、今こうして添い寝をされているのだ。
彼女の胸に顔を埋めながら、トレーナーは考えを巡らせる。自分がウマ娘となってから、担当のアヤベの様子がおかしくなったことを…。
「信じて貰えないかもしれないけど…俺が君の担当トレーナーです。」
「………………………………………」
「信じてない?」
「……いえ。信じるわ……貴女がね……そう」
彼がウマ娘となってから初めて彼が担当と顔を合わせた時のこと、アヤベは鈍器で殴られたようにハッと目を見開いて、動揺していた。彼はその時、人の性別がいきなり変わるなんて自分でも信じられないんだ、無理もないとアヤベの異変をスルーした。しかしその時、彼女の動揺の原因はそれだけではなかったのだ。
それから
「貴女、ウマ娘用の服なんか持ってないでしょう?私が一緒に選んであげるから」
やけに食い気味に買い物に着いてきたり、
「こんな時間までどこに行ってたの!心配したんだから……。……次からは先にどこに行くかちゃんと言ってね………お願い」
「怪我したの…?……隠さないでちゃんと見せて」
過保護になったり
「名前で呼ぶんじゃなくて、『お姉ちゃん』って呼んでくれないかしら」
『お姉ちゃん』呼びを強制したりと日に日に彼女の『お姉ちゃん』心はエスカレートしていき、そして今日、自分のトレーナーを抱きしめながら布団にくるまるという暴挙に出たのだった。ちなみに、彼女の同室のカレンチャンは自分の『お姉ちゃん』のところに泊まりに行っているため、トレーナーは助けを求めることすら出来ない。
「ううん…」
逃げられないと分かっていてもなお、トレーナーは諦めていなかった。今までなんとかごまかしていたけれど、これ以上こんなことが続くと、何かが変わってしまうそういう確信があった。アヤベに妹のように可愛がってもらえると、いつも胸が暖かくなってしまう。感じたことがないはずなのに、どこか懐かしい、甘い瞬間。このままでも良いと思ってしまう、そんな時間────
「アヤベ、あのさ」
そんなぬくもりを、トレーナーは自ら突き放した。これ以上はいけない。元に戻った時、自分の担当が立ち直れなくなるかもしれない。それだけは駄目だと強い意志を持って。
「俺は、君の妹さんじゃないよ。」
そう、彼女にとって辛い現実を突きつけた。これまでの彼女の行動から、トレーナーにはある確信があった。彼女はウマ娘となった自分と亡くなってしまった妹とを重ねてしまっているのだと。
「………………っ」
『妹』に爆弾を投げつけられて、彼女は目を見開いた。これからどんなにアヤベが落ち込んでも、どうにか彼女を支えなければ、そうトレーナーが決意した瞬間
「…ふふっ。そんなこと思ってたの。でも安心して。貴女とあの子とを、一緒にはしてないわよ」
「えっ?」
予想外の言葉が飛び出てきて、思わず間抜けな声をあげるトレーナー、それを『姉』は優しい笑顔で見つめて
「確かに初めて貴女を見た時は、あの子が生まれ変わった、なんてふとよぎったけど、貴女は貴女。あの子はあの子。一緒にしちゃうなんて、どっちにも失礼でしょ?」
「でっでも、じゃあ…なんで……」
「貴女を見てたら、本当に可愛くて…。つい姉心がでちゃった。それだけのこと。さっきも言ったけど、貴女とあの子を重ねたりなんかしてないから。安心して?」
でも、貴女も嫌じゃなかったでしょ?という彼女の声がどこか遠くに聞こえるほど、トレーナーはひどく動揺していた。胸も同じようにドクンドクン高鳴って、それでもなんとかトレーナーは自分は男なんだと、彼女の見方がどうであれ彼女の思いを拒絶しなければならないと
「そんなことない!!」
「あら、じゃあなんで服を買った時も口角が上がっていたのかしら?一人で出かける時も寂しそうに私を振り返ったのかしら?」
「そ、そんなこと…」
「じゃあなんで今も、私のお腹を貴女の心臓がドンドン叩いているのかしら?」
「それは…びっくりしたから…で……」
「………そう。ならいいわ。じゃあ、なんでこんなことになってもわたしから逃げないのかしら?」
「それは、アヤベが離してくれないからで」
「私、そんなに力入れてないけど?」
「えっ」
「………なら、こうしたら言い訳できないわよね」
抱擁が外れた。彼女は布団から出て引き出しからごそごそと何かを探し出した。今しかない。逃げなきゃ。そう頭ではわかっているのに、トレーナーの体はびくともしなかった。
「ウマ娘の耳飾りの噂、知ってるわよね。右耳に好んで飾り付けする子は魂が男で、左耳につける子は魂が女だって」
話しながら彼女が取り出したのは、二つの星が描かれた、可愛らしい耳飾り。
「貴女は元々人間だけど、これを左につけたら…どうなるのかしらね。魂が変わっちゃったりするのかしら?」
「やめて…わ…俺は……」
「なら、ここから出たら?私は止めないけど」
二人の距離が、縮まっていく。縮まっていくトレーナーは手を伸ばして彼女を止めようとするが、力が入っていないのか、片手で優しく受け止められた。
「あの子にも、今度紹介してあげなきゃね。新しい妹ができたって」
トレーナーはどうしようもなくなって、目を瞑った。心のドキドキはいつの間にか止まって、逆に落ち着いてきて、何故か安堵が体を埋め尽くして、訳がわからなくって、そんなドタバタも耳に布の感触を感じた瞬間に全て止んで、自分の大事なものが一瞬で崩れて、刹那に新しい形に戻って────
「貴女はウマ娘なんだから、人の名前のままじゃちょっと変よね。」
「これがいいわ。貴女の名前は───」