『アイリスへ。
まず初めに謝っておく。ごめん。
この手紙を読む頃には多分、俺は死んでいて、そして全ての決着が着いていると思う。
それを知った君は、責任感の強い人だから、きっと自分を責めると思う。でも、それはどうかやめて欲しい。
君をちょっと強引な方法で寝かし付けたのは俺だ。他でもない、俺自身がこの状況を望んで生み出した。
このまま2人で魔王に挑めば、もちろん魔王は倒せるけれど、2人とも死ぬ。でも俺が1人で行けば、死ぬのは俺1人だけだ。そうなる経緯は詳しくは言えないけど、聖剣からの情報だから、間違いない。
それを知ったから俺は、君を眠らせて1人で行く事にした。
だからどうか、自分を責めないで。俺が勝手に、相談もせずに選んだ事なんだから。寧ろ俺を恨んでくれていい。俺の最期の頼みだ。
……頼みと言うと、君には随分と迷惑を掛けた。
俺が「勇者」として旅に出た頃から、君はずっと、俺と共に来てくれていた。
きっと最初の方の俺は情けなくて、頼りなくて、それでいて鬱陶しくて。君には嫌な思いを散々させたと思う。
それでも君は、俺の傍でずっと戦ってくれた。
俺を癒して、俺に加護を与えて、時には俺の隙を埋めてくれて。君が居なかったらきっと、命があと幾つあっても足りなかった。感謝してる。君は文字通り、俺の命の恩人だ。
だから、そんな君を安心させる事が、俺の唯一のモチベーションだった。
正直、俺は君と違って優しくも無いし責任感も無いから、「世界の危機だ」なんて理由で死地に送り込まれて、期待と責任を背負わされて。そんな状況でここまで折れずに進み続ける事なんて、ひとりじゃきっと出来なかった。
それが出来たのは偏に、君のお陰だった。
義務と使命による戦いが、君を守る為、君を生かして帰る為、君が末永く生きられる世界を作る為の、俺の戦いへと変わった。そしたら不思議なもので、俺はどこまでだってやれる気がした。実際、我ながらそこからの実力の伸びようは凄かったと思う。
君が居たから、頑張れたんだ。
さて。まだまだ語り足りないけれど、あんまり長々と書いていると、決着が着く前に君が起きてしまいそうだから、最後に1つ、わがままを。……って、さっきのが最期の頼みじゃなくなっちゃった。ごめんね。
えっと、俺の勘違いだったら恥ずかしいから燃やして欲しいんだけど、君もきっと、俺の事を憎からず想ってくれていると思う。最初がどうだったかは知らないけれど、少なくとも、今は。
だからこそ1つ、わがままを言いたい。
どうか、死に行く者の事は忘れて欲しい。
俺の旅路はここで終わるけれど、君の旅路はまだまだ続く。それこそ50年、60年、70年、もしかするとそれ以上。
だからどうか、進んで欲しい。
道半ばで立ち止まらないで欲しい。
死者の亡霊に囚われないで欲しいんだ。
そして良い人と巡り会って、幸せに暮らして、最期は沢山の孫に囲まれて。そういう人生を送ってもらいたい。
もちろん、何がなんでもそういう風に生きろって訳じゃない。君がここで立ち止まらず、形がどうあれ最期まで幸せに、往生してくれたなら、こんなに嬉しい事は無い。
そうして何十年か幸せな旅路を歩いて、歩き疲れた頃に、気が向いたら俺とまた1杯やろう。君の歩いてきた道程を、肴にして。
うん。こんな所かな。
じゃあ、そろそろ締めましょうか。
今までありがとう、アイリス。君のお陰で楽しかった。君のお陰で頑張れた。君のお陰で恋を知った。
君のお陰で、「勇気ある者」になれた。
ありがとう。
本当に。
ありがとう。
グレン』
ポタ、ポタと、両の眼から雫が零れ落ち、便箋を灰色に染めて行く。
視界が滲んで、ぼやけた。はじめはハッキリと読み取れていた手紙も、最後の方は読み取るのに苦労するくらい。
まるで、心臓を素手で鷲掴みにされた様な、そんな感覚だった。
グレンくん。掠れた声で名前を呼ぶ。
グレンくん。何度も何度も、名前を呼ぶ。
けれど、もうあなたの声は聞こえない。
あの柔らかで、聞いていて心が安らぐ声は、もう二度と聞けないのだと、他ならぬあなたの遺した手紙が、そう訴え掛けてくる。
手紙をまず1度読んで、空を見た。見れば、空を覆っていた暗雲は、すっかり晴れている。カラッと、心地の良い日差しが大地を照らしている。
だからきっと、この手紙に書いてある事は全て真実。タチの悪い冗談や悪戯じゃなくて、本当に決着が着いていて。……そしてきっと、あなたは既に死んでいるのでしょう。そう思った。
それでも信じられなくて、覚束無い足取りで魔王の根城へとひとり、向かう。
あなたが作ってくれた道を、あなたが遺した足跡を辿って、血塗れの道をただ歩く。
そうして、半日程が経って。日はすっかり沈み、空には暗雲とは違う、静謐な暗闇が広がって。
その頃になってようやく魔王城へと辿り着いた私の目に飛び込んだのは、ひとつの大きなクレーター。
アイアンゴーレムを20体、いやそれ以上に詰め込めるくらい、大きな丸い凹み。えぐれた大地は所々、星明かりを反射して鈍く光っている。
そしてその中央に突き刺さる、夜闇の中に在って尚輝く、一振の剣。……間違いない。見紛う筈もない。聖剣だった。
そしてそれをがっしりと掴んで話さない、真っ黒に炭化した、誰かの右腕。それはきっと、私の頭を撫でてくれた、私の涙を拭いてくれた、私を抱きしめてくれたあの右腕と、全く同じもので。
「ぁ……ぁぁ…………!!」
それを理解してしまったら、もう止まらない。
グレンくん。掠れた声で名前を呼ぶ。
グレンくん。何度も何度も、名前を呼ぶ。
けれど、もうあなたの声は聞こえない。
きっとあなたは、大地を抉ったこの一撃に巻き込まれてしまって。
万に一つも希望など持てやしない。完膚無きまでに、彼は死んだのだと、この凄惨な戦場が訴えかける。
「グレ……く……」
真っ黒になった彼の腕を、壊れない様にそっと手に取る。
軽い。硬い。そして、細い。それは間違っても、彼の腕とは似ても似つかない。
けれどこの暖かさを、私の身体は覚えている。
忘れたくない。
この暖かさを一生、私は感じていたい。
彼の最期のわがまま。それを叶えるには、私の心はまだ弱くって。だから強くなるまで、ぽっかりと空いた穴が別の何かで埋まるまで、まだあなたに縋らせて欲しい。
防腐の魔法を。不壊の魔法を。静止の魔法を。ありったけ、私に出来る全ての魔法を、めいっぱいにその右腕へと掛け続ける。……これできっと、何かの弾みに壊れてしまう事は無い。
そして彼の右腕を、彼の遺した手紙と共に、丁寧に袋に仕舞い込む。
それから幾許、すすり泣いて居たのだろう。いつの間にか夜は明け、東の空は再び陽に照らされて、紫色に輝いていた。
そして。
「聖剣……」
漸く顔を上げた私の目に飛び込んだその剣は、尚も煌びやかに。
持ち主である
「……ッ!!」
哀しみが反転、怒りに変わり。
けれど、どうしようも無かった。引き抜いて投げ捨てる事も。叩き折る事も。そもそも触れる事だって、「勇者」でない私には出来ない事だ。
あれはただ再び、来るべき時までまたああやって大地に聳え立つのだろう。誰か、引き抜くに相応しい者がここに来るのを、じっと待って。
前に共に戦った者の事など、すっかり忘れて。
「薄情な剣ですね……」
何とは無しに、その柄に手を伸ばす。
そんな事をしてもきっと、いつもの様に弾かれるだけだ。ピリッと、稲妻が走った様な感覚で以て、資格の無い者を拒むだけ。
……そう、思っていたのだけど。
「……ぇ?」
覚悟していた痛みは、私に降り掛かる事は無く。
それどころか、拒絶される感覚すらもなく、その柄は私の手の中に収まった。
「……なん、で?」
するりと、大地から引き抜く。
剣はまるで、私の手足であるかの様に馴染んだ。
瞬間。
「あ……あああああああ!!!!」
割れる様な痛み。
どこから?
腕から?……違う。
心臓?……違う。
頭。頭の中に、知らない何かが流れ込んで来る。
私の知らない街。知らない景色。知らない生き物。走馬灯の様に、或いはパッチワークされた夢の様に、私の知らない映像がぐるりぐるりと頭を巡る。
声とも取れない様な呻き声が、私の喉をかけ登って行く。
痛い。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛──────
────そして、その痛みの果てに。
「ぁ……グレン、くん……?」
漆黒の鎧に身を包む何かと切り結ぶ、愛しい、愛しかった彼の姿が、映し出される。
戦場は、きっとここ。この変わり果てた姿とは違い、整然としている。
そこに広がる、暴風、轟音、閃光。はっきりと目では追えないけれど、この聖剣と、対象的な色をした大振りで肉厚な剣とが、弾きあって、ぶつかり合っているのは分かる。
「グレンくん!!」
手を伸ばす。呼び掛ける。けれど彼に手は届かず、また、声も届かない。
分かっている。
これは幻想。この光景が、事実であったか、そうでないかは分からないけれど。
けれど、今この瞬間の現実で無い事だけは、この空を切る左腕が教えてくれる。
それでも。
それでも私は、手を伸ばさずには、声を張り上げずには居られなかった。
失った大切なものが、愛する人が、そこに居る。それを前にして、平静でなど居られない。
半狂乱になって、両腕で空を掻く。もちろん虚像は掴めないけれど。……でも、それでも良かった。もう一度、彼のその背中が見られただけで。
この背中を、私はずっと見続けて来た。
はじめは頼りなかった。もっと幅が狭くて、もっと細っこくて。なにより、もっとやる気無さげに曲がっていた。
はじめは義務感だった。「聖女」、なんて呼び名を彼と共に賜った者として、彼を支えて、世界を晴らさなければと、そういう強迫観念で以て、私はあなたを癒し続けた。
その内に、あなたの背中はしゃんとする様になった。筋肉も着いて幅も広くなったし、がっしりともして来た。
はじめは私があなたを救う側だった。きっと私が居なければ、あなたは何度も死んでいた。
けれど次第に、お互いに救い合う様になっていて。私の危機はあなたがその剣で振り払ってくれた。あなたの危機は、私が魔法で振り払った。助け、助けられ。そうしてここまで歩んできた。
そんな彼の、最後の姿。最後に見るはずだった背中。それが今、目の前に。
「頑張って……!」
無駄と分かっていても、応援したくなる。
届かないと知っていても、言葉を送りたくなる。
瞬間。
きっと、気のせいなのだろうけれど。
虚像の彼が、こちらをしかと見て、ゆっくりと1つ、頷いた気がした。
そして彼は、聖剣を両の腕に強く握り込み。
闇を纏う大剣を両断し、更には黒い鎧の大男の────魔王の心臓を、一突きにした。
彼の勝利。疑い様も無い、ケチの付け様も無い、勝利。……その様に見えた。
けれど私は知っている。この英雄譚の最後には、泥が塗られる事を。
彼が魔王の心臓に聖剣を突き立てたその瞬間、
そしてそれを
一切の躊躇なく、
そこまでで、夢は覚める。
「今の……」
今のは、そう。きっと、
「あなたが見せたの?」
尚も右腕で光り輝く、聖剣に問う。……答えは無い。けれど代わりに、その輝きが一度だけ明滅した様な気がした。
瞬間、バチリと、右腕に斥力を感じる。
「キャ!」
カラン、と音を立てて、聖剣は地に落ちた。
「今の……」
間違いない。これまで幾度か経験した、聖剣の拒絶反応だ。
私は聖剣に拒絶された。「勇者」足りえないと、そう断ぜられた。
それは、良い。と言うか、それが正常なのだから、不満に思おう筈もない。
しかし一つだけ、どうにも気になる事が出来た。
「なんで、一時だけでも、認められたんだろう」
そう。先程まで聖剣は、間違いなく私を受け入れていた。しっかり握り込んでもうんともすんとも言わず、粛々と、私という存在を受け入れていた。
あれは、一体何故だったのか?
考えて、ひとつ、仮説が立つ。
「私に……あの映像を見せる為?」
前に1度、聞いた事がある。聖剣は、前の持ち主の記憶の一端を、次代の「勇者」に見せるのだと。実際、彼もそれを何度か目にしたらしい。
そして今の映像は間違いなく、前任者──グレンくんの最期の記憶だ。
それを、気を遣って私に見せてくれたのか。……それ程までに、
「ううん、そうじゃない」
いいや。多分、違う。
聖剣は勇者を助けるシステムの1つに過ぎない。
何十年かのサイクルで復活してしまう魔王という存在に対抗する存在、勇者。その資格を持った者を導く為の、剣の形をした機械の様な物だ。それ以外の目的など、恐らくは組み込まれていないだろう。
ならきっと、聖剣がこの映像を見せた理由は、そんな曖昧なものじゃなくて。必ず、勇者──グレンくんにとって、意味がある筈だ。
あの映像。妙な所は無かっただろうか。
……あった。1つだけ、おかしな所が。
最後の瞬間、彼は澱みなく自身の右腕を切り落とした。……まるで、魔王の道連れを予期していたかの様に。
映像は、彼が腕を切り落としたその瞬間に途切れたけれど。
もし、その先の映像があったら。……彼はその後、何をしただろう?
そんなの、分かりきっている。
もし本当に自爆を予期していたのなら、彼は必ずそれを防ごうとする筈だ。
つまり────
「彼は、生きてる──?」
そういう可能性もあるのかも知れない、と思い呟くと。
それに、正解だ、と呼応するかの様に、聖剣が再び明滅する。
そうだ。彼は生きている。
彼はきっと前任者の記憶から、魔王が道連れを謀る事を予期して。そしてそれを、完璧に対策してのけたのだ。
だが彼は今此処には居ない。
失敗したのか?……いいや、そうじゃない。
自ら立ち去った?……そうとも考え難い。
なら、それはきっと彼の意思に拠るものでなく、不可抗力に拠るもの。だって、彼がここから立ち去る理由が無い。下手に動くくらいならば、私がここを訪れるのを待って、右腕を治癒してから動けば良い。
なら彼が見えない理由は、きっと、爆風でどこかへと吹き飛んだから。
そしてその先が不明なのは、右腕を切り離したその瞬間に、聖剣との記憶の共有関係が
合う。……つじつまが、全て合う。
だったら、私がすべき事はきっと、一つだけだろう。
「……待ってて。絶対に探し出して見せるよ。……グレンくん」
聖女:サラッと炭化した彼の右腕を懐にしまい込んでいる。早逝した恋人はミイラにして傍に置くタイプ。
聖剣:アフターサービスもバッチリな勇者のガイド役。
勇者:???