感想がモチベになりやっと戻ってこれました。
「島内に人の、生命の気配は無し」。──その事実は、私の心に満ち満ちたやる気を萎ませるには十分過ぎるほど、絶望的なものだった。
魔王城。グレンくんが魔王と戦い、そして消息を絶ったそこは、アルバスという島の真ん中に聳えている。
アルバス島は小島だ。……と言っても10キロ四方くらいの大きさはあるけれど、しかし一昼夜でも掛ければ歩き尽くせる程度のものだ。
実際、私は歩き尽くした。魔力探知の魔法なんかも併用して、虱潰しに。
その結果として得られたのが、「生命の気配無し」という絶望。
島内に彼は居ない。その事実の何が絶望的かと言えば、その理由はこの島の立地にある。
アルバス近海は通称、魔海域と呼ばれる。それは当然、魔王城周辺の海域という意味も持っているが、しかしそれはあくまで副次的な意味に過ぎない。
では、主となる意味は何か?────「魔物」、だ。
アルバス付近の海流は、とにかく流れが激しく、そして不規則極まりない。つい先程まで東に向かっていたと思ったら、ほんのひと瞬きする間に北に向かったり、渦を巻いたりと、その道何十年の
加えて、アルバス近海では常時波が高い。大人の男4人分くらいの高波は茶飯事で、突発的にその倍の高さの波が生まれる事もある。
そんな海域に船舶が乗り込めばどうなるか?……当然転覆、乃至は沈没する。
そうして幾隻の船舶が沈み、それ以上の船乗りが藻屑と消え──と歴史を重ねるうち、遂にこの海域は「魔物」と看做される様になった。「魔物の棲む海域」ではない。「海域そのものが魔物」である、と。
故の、魔海域。足を踏み入れたが最期、呑まれ消える運命が定められる死地だ。
ここまで来れば、私の絶望も理解して貰えるのでは無かろうか。
大型の、魔動エンジンを積んでいる様な船舶すら呑まれる程の荒波に、勇者とは言え人が、身一つで投げ出される。……まず命は無い。それどころか、遺体を取り返す事すら困難を極める。
それでも、仮にここから生還したと言うのなら、それは正しく
奇跡は滅多に起きないからこそ奇跡と呼ぶ。……使い古された表現だけれど、しかしそれが間違いでないから、今に至るまで使われ続けているのだろう。
実際、奇跡とはそう頻発しないものだ。常人なら、人生でたった一度起きたら出来過ぎなくらい。
けれど、常人でないのなら。……例えばそれが、
勇者は──と言うより、聖剣は奇跡を引き寄せる。
別に、裏付けがある訳じゃない。云わば迷信みたいなもの。……けれど、グレンくんの隣でずっと戦ってきた私だからこそ、その言葉は決して迷信で片付けてよいものではないと、そう理解している。
グレンくんは、紛れもない剣術の天才だった。
彼は聖剣に選ばれる前──ほんの一年程前まではどこにでもいる農家の息子だった。剣はおろか、斧すらもまともに振るった事はなかった人なのだ。そんな彼が、たった一年の間に、剣術に限れば人類でも20番以内に入るくらいの実力を身に付けた。
天賦の才に、聖剣の見せる確かな手本、そして文字通り血のにじむ努力。それらが合わさった結果として、彼は急速な成長を遂げた。
けれどいくら何でも、たった一年実力を磨いただけのヒトと、生まれ落ちたその瞬間から戦いを至上命題としている様な魔族たち。元より身体能力に差があるのに、加えて費やした年月にまで大幅に差があるともなれば、敵う筈は無い。……そう、無い筈だったのだ。
しかし。彼はその悉くを打倒した。
土壇場で身体能力を、脳からの伝達を、視覚情報の処理を、直感を────己が全てを研ぎ澄まし、遥か格上の魔族たちとも互角に切り結んで、挙句勝利した。死を瀬戸際で回避し、常に付きまとう死神の鎌から、終ぞその首を守り続けた。
これを奇跡と呼ばずとして、一体何を奇跡と呼ぶのか。
そう、私からすれば、彼がここまで──魔王のもとまで生きて辿り着いた事そのものが奇跡にも等しい。
勿論、彼はその為に剣を振り続けて来たのだし、私もその為の協力は惜しまなかったつもりだ。
ただ、それを直視して尚、奇跡と思う。
聖剣は奇跡を引き寄せる。それは決して迷信などでなく、私の眼前で起こった、紛れも無い真実だった。
だからこそ、希う。
此度もまた、そうあれかしと。
奇跡が起こらねば生存出来ないのなら、今回もまた、奇跡を起こしてくれと。……ただひたすらに、それを願う。
……さて。
奇跡を祈ったのなら、その奇跡に応える準備はしなくてはならない。
俯いた顔を上げ、折った膝を立ち上げる。
不思議なもので、奇跡を願ううち、萎んだ心も徐々に温かさを取り戻して来た。
すると、靄がかった頭が段々と晴れて行き、今自分が何をすべきかを、克明に脳裏に映し出す様になる。
────海。
そう、海だ。
如何に危険な海域であろうと、彼が飛ばされた先は、海に相違ない。
であるなら、専門家に頼るべきだ。
海底を知り尽くす者、深海文明の担い手。……そう、深海族に。
「ああ、そうです。そうでした」
何故忘れていたのでしょう。……そう呟き、懐から取り出したばかりの鈴を見つめる。
純白。くすみなく、淀みなく、透き通る様な、白。地上で見られる金属とは違う輝き。……いいえ、そもそもこれは金属ではない。
これは所謂真珠の一種。しかし、ただの真珠ではない。
深海にのみ生息する、エルデ貝。その殻にのみ形作られる、白金真珠と呼ばれるものだ。
こんなものを用意出来る者、地上には居ない。エルデ貝はその生息域があまりに深すぎて、人間には手の出しようが無いからだ。
居るとすればそれは、遥か深海を根城とする者──つまり、深海族だけ。
そう。私はこの鈴を、他でもない彼女らに託された。
これはつまり、彼女らと私とを繋ぐホットライン。ひとたびチリンと鈴を鳴らさば、彼女らのうち誰かが、私を深海へと導いてくれる。そういうものだ。
だからこその、白金真珠。この音色は、地上の何を以てしても真似出来ない。即ち、確かに深海族の客である事を示す何よりの証拠となる。
陽を受けて虹に光る小さな鈴を、ちょんと摘んでゆったり振るう。チリン、チリン。透き通る様な音色。そのあまりの美しさに、波の音が一段小さくなって、静寂を生んだ様な、そんな錯覚を覚える。
もう一振。チリン、チリン。
音色に耳を傾け、ほんのいっときの安らぎを得る。
そして。
数分程が経ったその時、すぐそこの海面に一筋の孔が穿たれる。
そしてそこから顔を出す、人とも魚とも付かない、或いは人にも魚にも良く似た姿。……そう、彼らこそが深海族、嘗て私とグレンくんが友好を深めた友人たちだ。
「おお、アイリス殿であったか。鈴の音を聞き付けて来てみれば、貴女だったとは」
「お久しぶりです。ネルウァさん、ですよね?」
「おや、私の様な雑兵の名を覚えていて下さるとは。嬉しいものですなぁ」
迎えに来てくれたネルウァさんは、確か今年で二百何十歳の衛兵さん。人間で言うと大体、4、50歳くらいか。でっぷりと膨らんだお腹と人の好さそうな顔つきは、正しく「気の好いおじさん」といった感じ。率直に言って、深海族の人たちの中でも一、二を争う程に接しやすい。……名前をすんなりと覚えられたのも、実はそれが理由だったりする。
「して、何用で?見ればわざわざ手に取って鳴らした様子、間違いではありますまい?」
一頻りガハハと笑った後に、彼はやや締まった顔つきになってこちらを見つめた。
「少し、あなた方にお手伝い頂きたい事がありまして。お願いに上がりたかったんです」
飾り気なく、素直に応える。
すると。
「ふむ?……何か余程切羽詰まっていると見える。よくよく見れば、常の余裕がどこへやら。随分と険しい顔つきだ」
そう言われて、初めて不安と焦燥が顔に出ていたと気付く。両手で頬をむにむにと弄ると、それを見たネルウァさんは微笑ましげにこちらを見つめ。
「あいわかった。このネルウァ、己が最速で貴女を海底にお連れしよう。……さ、乗ってください。見た目が少し気になりますが、中はそれなりに高機能。快適な筈です」
そして、海の中から
蓋の中身は外見とは対照的に、なんだかとてもメカニカルだ。水圧に耐える用の機構だとか、空気を取り込むのだか、生成するのだか、とにかく内部の人が窒息しない様にする為の機構だとか、そういう
「ありがとうございます。お世話になりますね」
「ええ、ええ。お任せ下さい。安全運転で、しかし超特急で参りますぞ」
お礼を言って、棺桶型の潜水艇に乗り込む。
はて、中はこんなに広かっただろうかと思案して、今回は私一人なのだと気付き、寂寥に襲われた。本来なら、隣には彼が…………いや、考えても悲しくなるだけか。止めておこう。
寂しさを飲み込みつつぺたっとうつ伏せに寝転がり、安全の為に腰と背に固定具を装着。……そこまで確認すると、ネルウァさんは船の蓋を閉め、そして船を勢い良く引きずった。
地上と深海の連絡船は、今のところこの様な原始的な物──形としては馬車や竜車によく似ている──しか存在しない。それもその筈で、私たち人間にとっては深海にまで水を割り進むだけの推進力と深海の水圧に耐える頑丈さを両立した船などオーバーテクノロジー過ぎて作れないし、反対に深海族にとってはそんな船などそもそも
故の、この馬車スタイル。……彼ら──今回はネルウァさん──を馬車馬の如く扱う今のスタイルに罪悪感は感じるけれど、しかしこうでもしないと深海には辿り着けないから、致し方無い。……そう、致し方の無い事なんだと自分に言い聞かせて、一生懸命罪悪感に蓋をする。
……かれこれと思考している間に、一体どのくらい潜っただろうか。
覗き窓から入り込んで来ていた薄らとした光はとうに消え、船内はまるで灯りを落とした夜闇の様。
水を割る音も中には響かず、無音の闇が私に纏わる。……そして強調される、孤独感。
声が無い。本来であればあった筈の、声が。
静寂はその事実をくっきりと浮かび上がらせる。
……どうにも寂しい。寒い。
やっぱり私、グレンくんが隣に居ないとてんでダメなんだ。
彼の隣に居ればきっと、この寂しさは途端に掻き消える。
彼の隣に居ればきっと、身体も心も陽の光に当てられた様に暖まる。
彼さえ隣に居れば。……他に、何も。何も────!
──思考が熱を持ち、明後日の方向へ加速し始めた、その時。
「おうい」、という声が匣の外から飛び込んで来た。
覗き窓から外を見れば、先刻までの漆黒はどこへやら、鮮やかな翠色が差し込んでいる。
「着きましたぞ。準備は宜しいか?」
準備?と一瞬考えて、直ぐに思い至った。
そう言えば、いつもなら外が少し明るくなったくらいで水中呼吸の魔法を発動していたが、今回はぼうっとしていて忘れていたな、と。
慌てて詠唱して、魔法を発動し。その後、「おまたせしました」と声を掛ける。
すると、ガゴン、という大きな音と共に蓋が取り外され、瞬間、煌びやかな都市が目に飛び込んで来た。
確か、エメラルドとか言うのだっけ。……眼前の幻想的な景色をぼんやりと眺めつつ、私はかの宝石の名を頭に思い起こしていた。
そう、エメラルド。エメラルドだ。あの、陽を受けると煌びやかに輝く、透き通る様な翠色。この景色は、正にあの宝石の中に入り込んだ様。
地上ではお目にかかる事の無い、奇抜で、何処か未来的な構造物。そのいずれもが、翡翠色に照っている。
「相変わらず綺麗な街ですね」
「はは、そうでしょう、そうでしょう。この景色こそ我らが叡智の結晶、進化の証。こればかりは、例えどれ程謙虚な同胞であっても、他種族に誇るであろうと確信しておりますよ、私は」
「そうでしょうね……」
本心から、そう思う。眠らない街、灯りの落ちない都市。それはきっと、文明の行き着く果てだ。
当然、私たち人間にとってそれは未だ夢物語。昼夜のべつ幕なく都市を動かし続けるなど、する必要も無ければ現実的でもない事だ。昼に働いて、夜は眠って。そういう秩序のもとに、人間は未だ発展を続けている途上と言える。
なればこそ、この光景には舌を巻く。そも深海は陽の光の届かない昏い場所であり、日中に相当する時間を明るく照らす事さえ、地上で同じ事をするのとは比べ物にならないくらいエネルギーを消費する。況してそれが一日中ともなれば、消費量は跳ね上がるだろう。それ程までのエネルギーを継続的に確保する手段を確立している事、その時点で私たち人間とは比べ物にならない技術力を痛感させられる。
加えて、人間と違ってエネルギーを確保するのに汚染を伴わないと来れば、最早技術のステージは天と地、月とすっぽんだ。
つくづく、敬服させられる。
「本当に。綺麗で、凄い街です」
「はは、嬉しいですなぁ。飾り気の無い言葉であるが故に、心がよぉく伝わる」
「そうですか?」
「ええ、それはもう」
そう言って、彼は呵呵と笑い放ち。
「……それはそうと、見蕩れているお暇があるのですかな?何やらお急ぎの様子だったが」
その一言で私を現実へと引き戻してくれた。
……そうだ、そうだった。見蕩れている暇は無いのだった。すぐにでも、この街の長の所へ行かないと。
頬を張って、そして彼に一度向き合う。
「ネルウァさん、ここまでありがとうございました。また、落ち着いたら改めて色々とお話させて下さい」
「おや、それは楽しみだ。……無事、迅速に憂いが晴れる事をお祈りしておきましょう」
「ありがとうございます。……では、私はこれで」
言うが早いか、私は体を倒して、そのまま役所の方まで泳ぎ始める。バタバタ足を振って、不格好に水を掻き分けて。
「お気を付けあれよー!」
背から飛び込んでくる快活な声に右手を振る事で応答する。明朗な笑い声が遠ざかるのが聞こえた。
──あと少し。
きっと、ここまで来れば、あと少しで手掛かりが得られる。
あなたに再開する為の第一歩を、漸く踏み出す事が出来る。
だから、もう少しだけ待っていて。……死なないで。
聖女:泳ぐのは苦手。平泳ぎで水しぶきを上げるタイプ。
深海族:ファンタジーお約束の辺境に住んでいる癖にやたらと高い技術を持っているタイプの種族。