島の中央、鬱蒼とした森。5、6メートルはあろうかというくらいの巨木が集まって形作る天然の迷路に、俺は足を踏み入れる。枝垂れた枝がちょうど目線の辺りにまで垂れてきていて、邪魔くさい。ただ、邪魔だからと言って下手に力いっぱい押し退けると反動で背を叩かれるのがまた厄介で、これを左腕一本で捌くのが中々に骨が折れる。特に両側から枝が邪魔している所など、上手くすり抜けねばいつまでも枝に身体を叩かれるのみで前に進めやしない。
おまけに、果てが無いのが厄介極まりない。いや、正確には果てはあるのだろうけど、全然見えて来ない。分け入っても分け入っても、見つかるのは木と雑草だけ。他に何か物珍しい物も、島を脱出するのに役立ちそうな物も見つからない。ただでさえ探索が面倒なのに、かれこれもう2時間程も儲けが疲れのみと来れば気も滅入るというものだ。
それに加え、探索途中に雨にでも降られればもう散々。……正に今がそうなのだが。
服は水を吸ってベタベタと肌に纏わり付いてくるし、地面はぬかるむし、倒した枝が雫を飛ばしてくるしで気分は最悪。おまけに雨上がり特有の甘ったるい土の匂いやジメジメとした空気にまで襲われると来れば、それは最早俺にとって拷問に等しい。これだから雨は嫌いなんだ、昔から。
心の内で悪態吐きつつ、しかしそれでもと足は止めず、奥へ奥へと進んでいく。
足を止めている時間が、停滞する事そのものが、最近の俺にとっては何だかひどく勿体無い事の様に思える。
勿論ただ闇雲に身体を動かせばそれで良いとも思わないが、しかし頭でっかちに座り込んでいても情報は増えず、活路も見えては来ないだろう。
つまり、いつまで経ってもこの島を出られない。……彼女に会えない。そう、俺が進むのを躊躇う程、俺の思い描く未来は遠のいて行く。
故に。
俺はぬかるみに足を突っ込む忌避感を呑み込んで、奥へ、奥へと歩を進める。いい加減左腕が痛くなってきたけれど、まぁ、何とかなるの精神で無視して続行だ。疲れを押して、弱音を隠して、進んで、進んで────
────進んだ先に。
「あ?……なんだ、これ」
恐らくは、島の中央部。
森を抜けた先、云わば俺にとってのゴールの様なもの。……そこには、異様な光景が広がっていた。
あれだけ鬱陶しかった森が開け、50メートル四方程度の大きさの広場が出来上がっている。今までが暗ったい深い森の中だったが故に、そのあまりの陽の通りように、一瞬眼が焼かれた様にさえ錯覚した。
……そして、眼が慣れた今、何より目を惹くのはその広場の中央に組み上がった明らかな
恐らくは、辺り一帯を更地にした際に出た材木で建てたもの。と言うより、正確には元より
そう、これは、端的に言えば「家」だ。1から10まで木で組み上げられた、家。
つまり。
「誰か……誰か居るのか!?」
俺以外の、人の存在。この家はそれを示唆している。
ただの獣がこれ程文明的な住処を造るか?……有り得ない。仮に木を組んで住処を作るとしても、こんなに整然としていない、もっと歪な物が出来上がる筈だ。ならばこれは明確に、人か、それに類する知的な何かが造った建造物。
つまり、この島にはその「知的な何か」が存在する事になる。
望外の、人の存在。俺は大層、その降って湧いた希望に歓喜した。
故に、半狂乱になって扉を叩く。
「すまない、誰か居るなら開けてくれないか!聞きたい事があるんだ!!」
──しかし、応答は無い。
それは単に、肉声による返事が無い、という意味に留まらず。部屋の中に、人の気配が一切感じられない。物音ひとつなく、いくら耳を澄ませようと呼吸音ひとつ拾えない。
物音ひとつ無い静寂。その冷たさが、ヒートアップした俺の頭を見る見るうちに平静に引き戻す。
現状、この家の中に人は居ない。この無音が、それを証明している。
それがたまたま、間が悪かっただけである事を否定はしきれまい。折悪く今は出掛けているだけで、普段はこの家には人は住んでいるのだ、という可能性もゼロではない。……ただ、その可能性は限りなく低い、とも考える。
何故って、誰か先住者が居たと仮定した時に、この島はあまりに手付かずだからだ。浜の方を誰かが歩いた痕跡は無かったし、森の方にだって、獣道の様なものは見られなかった(こちらに関しては未探索の部分も多いが)。手が付けられていそうな所と言ったら、それこそこの不自然な広場と、目の前の家くらいのもの。……この島で生き抜こうと思った場合の行動圏として、これではあまりに小さ過ぎる。
なら、どうして家には誰も居ないのか?……考えられるとすれば、それは、既に住人が居なくなっているから。どの様に居なくなったかは分からない。或いは俺と同じく島外への脱出を試み・また実行したか、或いは既に死んでいるか。
ただ、ひとつ限りなく事実に近いであろう推測として、やはりこの島内に人は居ないのだろうと、そう結論付ける。
「なんだよ、ぬか喜びじゃんか」
文句が零れた。
勝手な期待、勝手な憶測、それは重々承知だが。……しかし、それはまるで砂漠におけるオアシスの蜃気楼の如きもので、極限状態に現れたたった一筋の希望の光だった。それ故に、如何に勝手と分かっていようと、落胆を、失意を、俺は隠せそうもない。
けれど、大抵そういう感情は、口に出せばスッキリするもので。ただ一言の文句で、そういうマイナスな感情は鳴りを潜めた。
そうしていざ冷静になってみると、希望で目を眩ませていた時には思いもしなかった違和感を察知する事も出来るようになるもので。
「この家……なんで濡れてないんだ?」
雨に振られたのはつい先刻の出来事。地面はおろか、俺の服だってまだ乾いていない。けれど、この木造の家は濡れた気配すら見せぬ程に乾いている。或いは、そもそも濡れていなかったかの様に。
超常の現象。有り得ざる事象の発露。即ち、魔法による改変が行われたと考えるのが自然。
しかし、だとすれば人が居ない事が尚更不自然だ。魔法というものは往々にして、術者無くては成立し得ない。裏を返せば、魔法が成立している時点で、術者は存在する。それにも関わらず人の気配が無いとなれば、この超常の現象が魔法以外の何かに起因するものであるか、若しくは聖女や賢者クラスの魔力と魔法知識のある魔法士が放った魔法であるかだ。そうでもなければ、無人で魔法を維持する事など不可能だから。
前者であれば、正直お手上げだ。魔法の知識ですらあやふやなのに、更にその外側、別の体系・理念に則ったものだと言われても、わかる筈が無い。
一方後者であれば、ひとつだけ思い当たるフシがある。……あれは先代であったか、その前であったか。正確に覚えてはいないが、確か魔王討滅後に失踪した聖女が居たはずだ。……彼女がこの場で生活していたと言うなら、荒唐無稽ではあれど、一応矛盾無く話は通る。
もしその推論が正しいのであれば、この家が既に無人である事にも説明が付く。……が、しかし……やはり俄には信じ難いというのが本音だ。
かの伝説に拠るならば、その聖女は魔王討滅後、一度たりとも故郷へは帰る事無く、終ぞその最期を誰にも知られぬまま、死亡したと目算されたと言う。
そもそもこの島に何をしに訪れたか、その動機が不明だが、まぁ、そこは納得するとして。……何より不思議なのは、帰郷すらせずこの島に赴いた事だ。
この島に「何か」があったのか。或いは、俺と同じく己が意思に関わらず流れ着いたのか。……どちらとも考え難い。
これは聖剣に蓄積された記憶を垣間見た俺だからこそ分かる事だが、先々代の勇者以降、最終戦に聖女を連れた勇者は俺を含め存在しない。皆例外なく独りで戦場へと向かい、そして散っている。……つまり、俺と同じ理由からこの島に流れ着く事はほぼ有り得ないと言って良い筈だ。
一方、この島に「何か」があるとして、それをどうやって知り得たかが疑問となる。再三述べた通り、この島はあまりに人里離れ過ぎている。憶測を述べるなら、恐らくこの島は公式に人類の版図とはされていないだろう。俺やこの家の持ち主といった一部例外は居るものの、人類全体として、この島の存在を共有は未だ出来ていない、出来ていなかった筈だ。……そんな状態で、里帰りすらせずにこの島へ向かった理由がどこにある?焚き付ける者も居ないのに、そんな馬鹿げた話が有り得るだろうか?
そう、どちらも常識的に考えるのなら有り得ない、若しくは有り得ないとは断ぜずとも確率は極めて低い。強いて言うなら、後者の方が確率は高いだろう、という程度。
……しかし。もし、後者の理由で聖女がここを訪れたのであれば?……大陸からこの島への航路などを描き残してあっても不思議じゃない。そしてそれは、今の俺にとっては喉から手が出る程に欲しい情報だ。
これが廃墟であると、うち捨てられた拠点であると断定出来るのなら、迷わず扉を破壊して中を探るのだが。……けれど、今回はそうはいかない。持ち主不在の目算は高いものの、しかし断ずるには至らない。……ならば、どうする?
……扉を触ってみて、すんなり開くようなら中を探る。開かなければさっぱり諦める。……それで行こう。
扉の前まで近づいて、左手でノブを掴む。……瞬間、何だか懐かしい──例えるなら、そう、聖剣を初めて手に取った時の様な──感覚が俺の半身を包んだ。
「これ……」
多分、生体認証の様な魔法だ。術者と、術者の登録した者。そのどちらかに酷似した遺伝子を魔法で検知出来ない場合、罰が下る防護魔法。……旅の途中、なんどか見た……というか、他ならぬ「彼女」が何度か使っていた魔法だ。
まずい、と思った頃には遅かった。既に左手はガッチリとノブを握ってしまっている。
慌てて手を離した所で、もう意味は無い。
魔法による認証はほんのひと瞬きする内に終わり、そしてこちらへと牙を剥く。
衝撃に備える様にして、目を瞑る。それは意識的に行われた行為でなく、無意識的に、恐怖が身体を刺激した結果として行われた行為。
ぐっと、息を呑む。来る筈の痛みに備え、身体を強ばらせる。
……しかし。待てども待てども、一向に痛みはやって来ない。
「……ん?」
瞼を持ち上げる。……強い光に一瞬目が眩むが、すぐに落ち着いた。
視界に映るは、つい先刻となんら変わらない、木の家と簡素な扉だけ。迎撃用の魔法はおろか、警告文のひとつすら表示されていない様子だ。
もう一度ノブを握って、くるり、と回してみる。……引っ掛かるような感覚もなく、寧ろ歓迎を表すかの様に滑らかにノブは回り、手前に引けば、それに連動して扉も開いた。
「魔法の劣化か?」
無人で維持出来る魔法は、当然ながら日に日に劣化していく。刻んだ魔法陣は時と共に薄れて行くし、ただでさえ魔力というのはその形を変えやすいのだから、頻繁に指向性を再定義してやらなければ下手をすれば散逸してしまう。
今回は、その性質に救われたと見て間違いないだろう。認証魔法が劣化し壊れていたからこそ、俺はこうして無傷で居る。
……そして、その事実はやはり、この家が長年利用されていない事を示唆する要素になり得る。
「お邪魔します」
顔だけ出して中を覗き、誰もいない事を確認して一歩踏み出す。
するとそこには、何だか懐かしい様な匂いが、カビ臭さと混じって漂っていた。
勇者:雨嫌いの元農家の息子。魔法の知識は人並み以上魔法士以下。
家の持ち主:元聖女(推定)。拠点はガチガチに固めるタイプ。