勇者を訪ねて三千里   作:ぺぺろんちーの

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もう1ヶ月半経ったんですか?
……すみません、遅くなりました。


3(表)

 

役所に泳ぎ着くと、まず応接間へと通された。どうやら、ハドリアさん──私が会いに来た人で、この辺りの長──は今留守らしい。ただ、留守と言っても何もどこかへ出張しているだとか、休暇を取っているだとかいう訳でもなく、ご飯を食べに行っているだけらしいので、そこは一安心だ。

 別段何をするでもなく、ソファ(の様な何か)に腰掛け、室内の装飾をただぼうっと眺めて時間を潰す。

 

 そうして待つ事、10分ほど。唐突にガチャリと扉が開き、その奥には待ち人の姿があった。

 

「やぁ、お待たせしたなアイリス」

 

 女傑、との評が相応しい。……やはりそれが、素直な感想だった。深海族としては珍しい、白銀の長髪。それが水の揺らぎに煽られて、ふわふわと漂っている。身長は私より頭二つ分以上も高く、もっと言えばグレンくんよりも大柄だ。

 その巨体から受ける剛毅な印象と裏腹に、彼女はしなやかなフォームで水を蹴り、そのまま私の反対側のソファに腰を下ろした。

 

「いえ。突然訪ねたのは此方ですから。寧ろ非礼をお詫びしなければならないのは私の方です」

 

「む。寂しい事を言うではないか。友人のもとを訪ねる事に何をそう遠慮する必要がある?」

 

「……そうですね。ありがとうございます」

 

 お礼を言うと、彼女は「礼など要らんさ」と笑い、そして挨拶もそこそこに核心に切り込んだ。

 

「……して、グレンの姿が見えないようだが?

用というのはその事か?」

 

「察しが良いですね。その通りです」

 

 そうして私は、彼女に事情を全て話す。グレンくんが魔王を討伐した事、その際、彼が爆風に煽られ海に落ちたと推測した事、何か情報が無いかと期待してハドリアさんのもとを訪れた事。全て、全て。

 私の話を黙って聞いていた彼女は、私が全て話し終えたとみると「成程」と一言呟き、継いでこう応えた。

 

「残念ながら、グレンの姿を見たという報告は私の国からは挙がっていない」

 

 ピシリと、心が凍り付く音がした。

 しかし、凍った心は、継ぐ一言で辛うじて動き出す。

 

「だが、他の国の者なら或いは、彼を見た者も居るやも知れん。少し当たってみるとしよう」

 

 一両日ほど時間をくれ、と真剣な顔で彼女は言った。勿論、異を唱える理由など私には無い。寧ろ想定より幾分も早いくらいだ、敢えて文句を付けようと思ったって付けどころが見当たらない。……どうかよろしくお願いしますと言って、頭を深々と下げる。すると。

 

「しかしアレだな。折角時間が出来たのだから、君は少し眠るべきだ」

 

 へ?……思わず素っ頓狂な声が口から漏れた。

 何せその言葉は全く想定していなかった。青天の霹靂、などと言うと些か大袈裟に過ぎるかも知れないが、けれど私の内心は正にその評が過分でない程に驚きに満ちていたのだ。

 

「へ?じゃない。……アイリス、君、最後に寝たのはいつだ?」

 

 心を落ち着け、はて、いつだったかと記憶を遡る。……そう言えば、彼の遺した手紙を読んでからこちら、眠っていない様な。とすると……。

 

「……そんなに酷い顔してますか、私?」

 

「ああ。可愛らしい顔が台無しだ。特に目元。……口には出さなかったが、一瞬別人かと疑った程だぞ」

 

「そうですか……」

 

 そんなに酷いのか、と顔をぺたぺた触る。……しかしまぁ、こういうのは自分では分からないものだ。その行為にそれ程意味は無い。

 その様を見て、ハドリアさんが笑った。……恥ずかしい。

 

「どうせする事も無いのだ、眠っておけ。そうでなければ体力が持たんぞ」

 

「そう……ですね。お言葉に甘えます」

 

「ん。そうすると良い。

……ああ、そう言えば。生憎と我々には寝具という概念は無くてな。何か身体の支えが欲しくば、ソファか何かを使う他に無いが」

 

「普段どうやって寝ているんですか?」

 

「その場で目を瞑る。何せここは水の中だ、地上と違って床に縛られる必要は無い」

 

 成程、と瞠目した。確かに、重力に強く縛られる事が無い水の中であれば、床が硬いだのなんだのと考える必要は無い。寝返りをうつも自由。……そりゃあ、寝具なんて無い筈だ。

 ただ、その眠り方は私たち地上の人間からすると、些か珍奇なものに映るのも確か。……はっきり言って、眠れる気がしない。

 

「……ソファ、お借りしても良いですか?」

 

「構わんよ」

 

「ありがとうございます。では後程」

 

「いや、直ぐにでも休め。どうせ私はすぐ出ていくから」

 

「そうですか?なら、お言葉に甘えて……」

 

 ころん、とソファに横になる。大柄な人の多い深海族用のものだけあって、身体は全部収まった。

 ふわふわと柔らかなソファの感触が一瞬身体を包み、そのすぐ後、身体全体が持ち上がる様な感覚があった。気を抜くとすぐにでもソファから離れてしまいそうだ。……私、起きたら天井に張り付いてたりするんじゃなかろうか。一抹の不安が横切るが、しかし一度身体を横たえると、どっと押し寄せた疲れによる脱力感で、色々と試行錯誤する意欲も失せてしまった。

 

「情報が纏まったら起こしてやる。それまでゆっくり休むといい」

 

 ありがとうございます、と言葉を返し、目を瞑る。翡翠が一転、深い黒に染まった。

 

 直後、急速に意識の輪郭がぼやけ、闇に溶けていく。

 ……今のうちに考えねばならない事はいくらでもある筈だ。特に、居場所が分からなかった場合にどうするか、指針を立てておく事は最重要とも言える。

 しかし、脳はそれを拒む。どれだけ意識を手繰り寄せても、指の隙間から抜けて、掠れていく。

 思考が伸びていかない。言葉と思いとが結ばれない。

 

 「あ、ダメだこれ」。……そう心の中にぼんやりと抱いたと共に、私はまるで気絶する様に、深い眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を、見ていた。

 

『あれ、アイリス?』

 

 所謂、明晰夢というやつだった。これが夢だと、そう本能レベルで察しているのに、目を覚ませない。夢を夢だと知覚して、けれどその中で私は現実に在るかの様に振る舞う。

 

『どうしたのさ、そんな泣きそうな顔して』

 

 その矛盾だらけの世界で、私は()と共に在った。

 見紛う筈も無い。その柔らかな微笑みは、その穏やかな声音は、そのスラリとしつつも確かな力強さを感じさせるシルエットは、紛れもなくグレンくんだった。

 彼と私と、二人きりの世界だった。

 風景は一面、白。絵の具を水も混ぜずに塗りたくった様な、そういう強烈な白。けれど彼は、それを気に留める様子も無く私に笑いかける。そしてその光景が、私に「夢なのだ」と、より強く語りかける。

 

『……何か、あったの?俺で良ければ話聞くよ?』

 

 「貴方(グレンくん)が、見つからないんです」。そう告げようとして、けれど出来なくて、口を結ぶ。

 弱音を吐いてしまったら、虚像(ゆめ)に慰められてしまったら、私はきっと歩みを止める。よしんば止めないとしても、その歩みは鈍くなる。逃げ道の存在は必ずや、私を弱くする。

 それは、出来ない。だって、夢幻(にせもの)の彼には温度が無い。感情(こころ)が無い。それは飽くまで、私自身が思い描いた、過去(ほんもの)の彼をなぞるだけの人形だ。都合の良い言葉を並べ立てるだけの彼の姿をした人形に縋るだなんて、そんなの、彼に失礼だ。

 

『……アイリス?』

 

「私は!」

 

 ……叫ぶ様な、激しい声。それが私の口を衝いて出た。

 それを聞いた彼は訝しげに、けれど優しい顔で伏せられた私の顔を覗き込む。

 続く言葉はこうだろう。「もう、休んでも良いんだよ」。他ならぬ私の弱みが見せる幻想(にせもの)だ、そんなの手に取る様に分かる。

 だから、それを遮ったのだろう。……自分が無意識にとった行動の裏にある思いが、手に取る様に分かった。

 きっと、いくら決意をしていたって。いくら脳内で、それを断固として否定すると想定していたって。……いざ、その言葉を彼の声音で聞いてしまったら、それが揺らいでしまうと思ったんだ。

 

 だから。

 

「貴方には甘えません。貴方には委ねません。貴方は……貴方は、にせもの、ですから」

 

『…………そう』

 

 瞬間、空気が凍る様な錯覚を覚えた。

 慌てて辺りを見回せば、先程まで純白だった四方の壁は、赤黒い斑が落とされ、おどろおどろしい様子を見せる。

 そして、何より。

 

 五体満足であった彼の右腕が、ボトリと落ちる。まるで、熟れた果実が木から落ちる様に。

 溌剌とした瞳が、闇に溶ける。その瞳はきっと、最早私を映してはいない。

 声は無く、口を衝いて出るのは溺れた様な、水の音だけ。……或いはそれは、内側から溢れ出る血の音かもしれない。

 

 グレンくんが、瞬きするうちに崩れて行く。

 

 真っ白な夢想は、柔らかな幻想は、薄ら寒くおぞましい「何か(げんじつ)」へと変わり果てる。

 

『……これが、君の思う現実(いま)か』

 

 その掠れた声に、黙って頷く。

 そう、偽物(かれ)の言う通り、これが私の想定する現実(いま)だ。

 生きていると信じている。それは確か。

 けれど、死にかけていると想定している。それもまた、確か。何せ彼は己が右腕を落とした後、間髪入れずに波に呑まれた筈だ。当然止血など、満足に出来ていないだろう。……随分前に渡した治癒の護符も──あれには止血効果があるとは言え──どの程度役に立つか。

 ……だから私にとって、後は時間との勝負なのだ。

 今、きっと生きている彼が、物言わぬ骸になるまでに私が間に合うか。……その勝負。

 生きてさえいるのなら、如何な姿であれ治癒して見せよう。それが聖女の本懐であり、聖女としての矜恃だ。

 けれど、死人はどうしようもない。死は人の、否生命の絶対的「終わり」であり、生と不可分でありながら、その間に厚く隔たりをつくるもの。生の延長上にありながら、生と同じ線の上に無いもの。……それを人の身で扱おうだなどと、そんな傲慢な真似、出来る訳が無い。理論とか理屈じゃなく──勿論、その問題も多分にあるのだが──倫理の問題だ。聖女であろうと何であろうと、自らを「人」と、そして「生命」と定義する限り、それは変わらない。

 だから、私は急がねばならない。取り返しは、付いてはならない。……ああ。理解していたつもりではあったけれど、それを改めて自覚した。

 

『そう。……なら、そろそろ目を覚まさないと』

 

「え?」

 

『ハドリアが戻ってくるよ』

 

「……なるほど。それは確かに、目を覚まさないとですね」

 

 時間を無駄には出来ない。

 幸い、休息は十分に得られた。……それに。夢の中、偽物とは言え、彼の声を聞けたのだ。これでまた、暫くは戦える。

 

『待ってるね』

 

「ええ。もう少しだけ、待っていて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────目を覚ます。

 視界の中で、世界は反転していた。先程まで……いや、寝付くまで体を預けていたソファは天井から吊るされており、私のすぐ隣でピンと上に伸びた照明が柔らかな光を発している。

 ……目覚めたら天井に張り付いていそうだとは思ったけれど、まさか仰向けだとは。

 

 寝ぼけ眼を擦り、軽く天井を蹴ってソファまで戻る。……それと、扉が音を立てて開かれるのはほぼ同時の出来事だった。

 

「アイリス。目は覚めて────と、もう準備万端か」

 

「今起きた所です」

 

「ふむ?……ああ、言われてみればそんな感じだな。心做しか顔が蕩けている」

 

 そんな顔をしているのか、と顔をぺたぺた触る。相変わらず無駄な行為だけれど、ついやってしまう。

 その仕草に、彼女はまたひとつ、クスリと笑いを零した。

 ……そして。

 

「……さて」

 

 その一言から、彼女の声音が変わる。からかい半分の鈴の鳴る様な声から、重く厳かな国の長の声に。その声に不思議と、居住まいを正される。……慣れない寝方をしたせいか、伸ばした背筋が張るように痛かった。

 

「グレンの事だがな。……他国で目撃証言を得られた」

 

 しかし。そんな痛みも、その一言で霧消した。

 

「本当ですか!?」

 

「ああ。ここより遥か北方。お前たちの住む大陸で言えば、北端の方、か?……すまん、陸の事情には明るくないから細かな事は分からないが……兎に角、その辺りの海で、隻腕赤髪の少年を見たと、そう言っていた」

 

 隻腕、赤髪。……それは確かにグレンくんの姿と符号する。或いは別人である可能性も否定は出来ないが、そこまで偶然が重なるとも考え難い。ゼロじゃないが、限りなくゼロに近い、そういう表現が正しいだろう。

 

「北端の方、ですね?」

 

「恐らくな。……ああ、付け加えておくが、その辺りの国には人間の死体はここ数週流れ着いていないそうだ」

 

「って事は、どこかへ打ち上げられたんでしょうか?」

 

「目撃が二日前の事で、その後の目撃は無いそうだから……そうだな、その可能性が高いだろう」

 

 成程。……なら、北方の海沿いを端からあたってみるのが得策か。

 

「ありがとうございます。お陰で方針が固まりました。……本当に、ありがとう」

 

 ……本当に、全て彼女のお陰だ。彼女が居なければ、彼女と友誼を結べていなければ、きっとこの段階で手詰まりだった。彼女のお陰で首の皮一枚繋がった、とも言える。

 だからこそ、心からの礼を、彼女に。

 

「役に立てたならば甲斐があったというものだ。……さ、このまま世間話でもと行きたい所だが、急ぐのだろう?

私に捕まれ。陸まで送ってやる」

 

「え……そんな、良いんですか?」

 

「構わん。……君には私の友人(・・・・)を捜索してもらうんだ。送り迎えくらいしてやらなくてどうする」

 

 私の、友人。……その言葉に、心がスっと軽くなる思いだった。彼女はグレンくんの危機について、他人事でなく、自分の事の様に思って協力をしてくれているのだと、そのたった一言でよく伝わった。

 ……ふと、冷たい深海の水が、目元だけ温まった様な感覚がする。地上に居る時のクセで目元を拭うが、水中でそうする意味は無かった。

 そうして、目元を拭った手を、礼儀的に服で擦り、彼女の右手に置く。

 同時に、簡易的に詠唱を行い、肉体強度を補強した。

 

「……お願いします。なるべく、超特急で」

 

「ああ、任せておけ」

 

 ────瞬間、景色が線状に歪み、遥かに遠のいていく。

 この分なら、地上まできっと10分と掛からない。

 

 未来は未だ暗いものの、たった一筋、か細くも確かに光は見えた。

 この光を絶やさぬ様、彼女たちの協力を、献身を、想いをふいにせぬ様、後は私が頑張らないと。

 

 より強まった決意を胸に、私はただ、水面の方を見詰めるのだった。





聖女:疲れがすぐ顔に出るが、勇者が隣にいると疲れは消し飛ぶ。一時期行く街々で勇者セラピーなる概念を広めていたとかいないとか。

深海族のある領主:こんな言動して実は死ぬ程焦ってる。一両日掛かるなどと言っておきつつ実際は6時間半で何とかした。うーんこのジェバンニ。

勇者:隻腕赤髪らしい。人……と言うか聖女を脅かすのが好き。
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