勇者を訪ねて三千里   作:ぺぺろんちーの

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基本表と裏を同時並行的に書いてるので裏から表よりは表から裏の方が早く上がります。
……早いと言っても2週間弱経ってしまっていますが。
お待たせして申し訳ありません。


3(裏)

懐かしい匂い。……そこに足を踏み入れた時、真っ先に抱いた感想は、そんなものだった。嗅ぎ慣れてはいない。けれど、絶対に、どこかで嗅いだ事がある。そう確信が持てる匂い。

 匂いとは存外に強く記憶に結び付いているもので、カビ臭さの奥に隠れたその懐かしい匂いに、何やら覚えの薄い光景が脳裏に浮かび上がった。

 

 夕日。窓辺。儚げな淡い橙色に包まれるのは、窓辺でうつらうつらと船を漕ぐ老齢の女性。……そして、その隣に立つ真っ白な青年。

 二人の顔を見ようとして、けれどそこは水で暈した様に判然とせず、一体彼女らがどんな目鼻立ちで、どんな面持ちなのかは分からない。

 

 ────しかし、確信する。

 

 記憶のアルバムを一年、二年、三年……と過去に遡って捲り、十より上を数える程にもなって漸く現れるその光景。

 それは正に、祖母の家だった。

 

 正直な所、俺は祖母という存在をよく覚えていない。祖母は俺が7つかそこらに亡くなっていて、しかもそれ以前に頻繁に彼女の家を訪れていた訳でもない。その関係値は、祖母と孫と言うよりは、却って遠縁の親戚くらいのそれに近かった様な気がする。

 祖母の顔も、声も、シルエットも。全ては遥かな闇の中だ。

 

 ────けれど、この夕焼けをバックにした一枚だけが、散々に暈けつつも今尚心に残っている。いや、残っていた、らしい(・・・)。……多分これは、最初に祖母の家に上がった時の記憶だろう。齢にして5つかそこらか。

 

『なぁに?この匂い。いい匂い』

 

 ああ、そうだそうだ。確か当時の俺は、こう尋ねた。それだけこの、ミントの様にキリッとしていて、それでいてどこか甘い様な匂いを気に入っていたのだ。

 

『あら、気に入ってくれた?』

 

 それに対し祖母はこう答えた。その声音は、まるで幼子が自分の玩具を自慢する様な、弾むもの────そう思った事を覚えている。

 

『この匂いはね、私の────』

 

 歳の割に皺の少なかった──そういうイメージのある──顔を皺だらけにしながら、満面の笑みを祖母は浮かべていた。そのくしゃっとした笑みは、祖母のコロコロと弾む声によく似合いだった。

 

 

 

 ────この光景が、果たして本当にあった事だったか。……今となっては分からない。幼少の頃の記憶など大抵自分に都合の良い様に脚色してあったり、複数の記憶を綯い交ぜにして再構築してあったりと、アテにならない。

 だけど、多分。……この光景は、本物なんだろうと、そう思う。何せそれを紐付ける匂い(もの)がある。裏付ける証拠があるのだ。

 

 だとするのなら。

 

「何で、この家から同じ匂いがするんだろう」

 

 その証拠たる「匂い」は、何故今この家に充満しているのか。

 

 ……もしかすると、この匂いは別段特殊なものでもないのかもしれない。たまたま俺が祖母の家以外で嗅いだ事が無いだけで、アロマとしてはありふれたものだという可能性は十分にある。

 しかし、もしそうであるなら、祖母はあれ程自慢げな声で語るだろうか。……有り得なくもない話だが、考え難くはある。

 

 何か、この匂いには特別な意味があるのではないか。……俺にはどうも、そう思えてならなかった。

 

 しかし。その脳裏にこびり付く謎を探求するだけの(いとま)は、今の俺には許されていない。答えの出ない、況て答えが出ようと大して得られる物の無い問いひとつに齧り付きになるには、些か身の安全が不足し過ぎている。

 如何に気高い哲学を内に秘めていようと、その探求に心血を注ぐあまりに生存が疎かになれば、それは最早哲人でなく愚者でしかない。

 興味の対象を存分に(おもんみ)たいのであれば、まずは自己の生存を確立せねばならない。

 

「そうだ。優先すべきものを履き違えるな」

 

 好奇心を満たす事と生きて彼女に会う事、天秤に掛けた時にどちらに傾くかなど敢えて言葉にするまでもない。

 ならば、今は考えるより先にやるべき事がある。

 

 気持ちを切り替えるべく、左頬を勢いよく叩く。バチン、という乾いた音と共に頬に走る鋭い痛みが、俺を冷静にしてくれた。

 

 匂いにばかり気を取られていたが、俺が今真に必要とするのは物的な手掛かりだ。狙い通り航路図が出れば最上として、島の地図や家主の手記なんかが見つかってもきっと役に立つ事だろう。

 期待を含みに、部屋を見渡す。

 目に付いたのは窓際に置かれたふたつの簡易ベッドに、テーブルと椅子がひと組みに、恐らくは収納用の木箱がひとつ。……それだけだった。この殺風景さを見るに、家主は長期にわたっては滞在していない様だ。加えて、それらには薄らと埃が積もっており、予想通り、この家が長く利用されていない事を物語っていた。

 

 この中で手掛かりが見つかりそうなものと言えば、まぁ、木箱だろう。そうあたりを付けて、ずかずかと部屋を進んで行く。すると、その木箱には一枚、日に焼けた紙が貼り付けてあった。どうやらメッセージか何かが記されているらしいが、掠れてしまって読み取りづらい。

 

「えぇと……」

 

 もし、それがまた認証魔法の類だった場合、今度こそ死にかねない。魔法の劣化(きせき)が2度起こる保証は無いのだ。……そう思い、箱に手を触れるその前に、書かれた文字を注意深く読み取る。

 改めてよく見てみれば、その文字は現在の統一言語とは違う、けれどその面影を残す文字であった。否、どちらかと言うなら、現在の統一言語がその文字の面影を残すと評するが正しい。

 即ち、それはやや古式の文字だった。年代にして、今から100年か、200年か前といったところだろう。

 現在ではほぼ使われぬ文字であるとはいえ、全く読めない訳でもなかった。魔王討伐に際し多くの国で文献──それこそ、100年や200年も昔のもの──を読み漁った経験が、今なお俺の頭には枯れず根付いている。此度は辞書が手元に無いが、その一文は非常に簡単なもので、記憶の残滓に頼るだけでも解読が叶った。

 そこに記されていた内容とは、即ち。

 

「『もしこれを読む者があれば、この箱を授けましょう』、か。……一体、何が眠ってるのやら」

 

 仰々しい言葉。……こんなものを掲げているのだから、相応に中身への期待も高まる。

 貼り紙を引っ掴み、そのまま剥がす。パリパリという、日に焼けた紙特有の音が鳴り響いた。

 蓋と箱との結着は剥がれ、いよいよ中身とご対面。

 

「……え、これだけ?」

 

 そうしてそろそろと中身を見て、肩透かしを食らったような気になった。中に入っていたのは一枚の丸めた羊皮紙と、それとは別に綴じてある紙束。……それだけ。大きな箱に対して、その中身はごくごく小さく、不釣り合いだ。

 なんだかなぁ、と思いつつまず紙束の方を手に取った。……が、すぐに失敗だったと悟る。

 

「うげ……なんだこれ、全く読めねぇ」

 

 恐らくは貼り紙より、更に数百年、或いは千年程も古い文字。……そこに最早現在の面影は無く、文字と言うよりは、スケッチした絵を捏ねくり回した様な形をしていた。所謂、象形文字というやつだろう。

 表題も、本文も、何もかもが読み取れない。或いは辞書でもあれば、とも思うが、それにしたって三日三晩どころで済まない程の膨大な時間を費やす必要があったろう。

 まぁ、つまり、今の俺にとってこの紙束は読んで字の如くただの紙束であり、無用の長物でしかないという事だ。

 

 心底がっかりして、もう一枚の羊皮紙の方を──あまり期待は掛けず──取り出してみる。

 スクロール状に纏まっているそれを広げてみると、今度は先程と打って代わって、簡易な絵図が描かれていた。

 右上に描かれた矢印と十字が一緒くたになった様な図形は、恐らく方位を示すもの。要するに、この絵図は地図だということだろう。

 矢印を北と考えた場合に、南の方に位置するのは端から端までズバッと引かれた直線。一方で、その遥か北に位置するのは小さな丸。両者の間には──直線から丸に向けて──複数の矢印が結ばれており、うちひとつを除いた全てにバツマークが振ってあった。なお、文字の類は一切無い。

 パッと見は何が何だかさっぱりだった。直線と丸という凡そ地図とは考え難いビジュアルに、無数のバツ印付きの矢印。これらが何を示すのか。

 

 矢印の方から検討した方が早そうだと思い、数分程度思案する。……すると、案の定その意味に割合早く気付く事が出来た。

 

 航路図。……そもそも俺が何故この無人の家にズカズカと上がり込んだのかと言えば、偏にそれが欲しかったからだった。

 安全な航路が分かれば、それは即ち値千金。どのルートが安全かと時間と己の安全を賭して確かめるという煩雑な工程がカットされると考えれば、殊この極限状態においては、巨万の富と引き換えにしてでも得る価値のあるものだ。

 ……そして、この羊皮紙に描かれているのもまた、恐らくはその値千金なもの。

 複数の矢印。ひとつを除いてそれらの全てに振られたバツマーク。……これはきっと、航路開拓の経緯を余さず著したものだろうと、そう予想出来る。

 そして、矢印をそう捉えるなら、この丸と直線も、それぞれこの孤島と大陸とを表すものであると連鎖的に判明する。

 となると、バツの付いていない矢印がどの様なルートを辿っているかが重要になってくるのだが……。

 

「ひたすら真っ直ぐ、か」

 

 大陸と孤島とを最短で──即ち、真っ直ぐな直線で結んだ矢印。……それにのみ、バツ印が重ねられていない。つまり、最短経路と最も安全な経路とがイコールで結ばれるという事。経路そのものが安全である程不慮の死を遂げる可能性は減り、経路が短い程餓死の危険性は減る。両者は大抵、トレードオフの関係だ。それでも前者よりは後者の方が前以て対策しやすい為、普通は安全の方を重視するのだが……どちらも満たせるのならそれ以上に有難い事は無い。

 

 うん、うんと頷いて、広げた地図を再び丸める。

 期待通り、航路図が残っていたのはこの上無い僥倖だった。

 

 ……正直に言うのなら、今から3年以内に大陸に帰還出来れば上等だと思っていた。それだけ、ゼロからの船旅とは困難なものだ。波が激しい区域はどこか。渦潮の生まれやすい海域は。……ゼロから始めるなら、そういった事情をひとつひとつ、己の身体を資本として確かめて行かねばならなかった。そしてその作業には、下準備も含め途方も無い時間が掛かる。

 航路図を値千金、巨万の富と引き換える価値があるなどとと言ったのはこれが理由だ。究極的には、身の安全と時間と、その両者を金で買っているに等しいのだから。

 大枚はたいても欲しいそれを、こんなにも易々と得られた事は非常に有難い誤算だった。

 

 自分の中でモチベーションが、見る見るうちに膨れ上がるのを感じる。

 漠然と「帰る」と希望を持つだけでも、モチベーションは高く保てていた。だが実際に、それが現実味を帯びてくるとやはり違う。ただ漠然と、「効果があるから」と唆されるままに鍛錬を積むより、目に見えた効果があった方がモチベーションは続く。此度も、きっとそれと同じなのだろう。

 

 ただ、やる気ばかりが先行しても仕方が無い。

 生憎と俺は未だ病み上がりだ。目覚めてから1週間程度は経ったとは言え、未だに片腕で過ごす感覚には慣れなくて力仕事は難しいし、何なら歩くにもやや不自由する始末だ。それだけ、あった筈の(おもり)が綺麗さっぱり消えてしまうのは影響が大きい事なのだ。加えて、気絶していた間に失った体力も万全に戻ったとは言い難い。ただでさえ航海中は満腹まで食事出来るタイミングなどそうは訪れないだろうに、平常より蓄えの減った状態で挑むなど自殺行為が過ぎる。

 

 となれば、まず何より優先すべきは体力を付けること。体力が無くては航海も、それどころか木を切り出して来る事すらも難しい。最低限、魔王と戦う直前の、あの底無しと自負出来る体力の7割だけでも取り戻さねばなるまい。

 それと同時並行に、筋力増強と体幹の補正も必要だ。左腕一本で木を切り出し、筏を組んで、オールを漕がねばならないのだから、今のままのひ弱とは言わずとも、徒人(ただびと)の域を出ない筋力ではどうしようもない。況て重心がズレた事で体幹は乱れている。それを補正しない事には、なけなしの筋力も満足に動員できない。

 

 毎度毎度こんな言葉で思考を締め括っている気がするが、前途は多難だ。懸念点なぞ、たった数分考えれば10も20も出てくる。

 けれど、この航路図のお陰で100や200浮かぶ事は無くなった。

 今はただ、その僥倖を喜び、体力作りに腐心しよう。……そう考えた時、なんだか勇者として旅に出た直後の事が思い起こされて、無性に郷愁の念に駆られるのだった。





勇者:山育ちである故か鼻が利く。右腕が失くなり悪戦苦闘中。森を歩くのも実は相当苦労していた。

勇者の祖母:歳の割に若作りだった……とは勇者の父の談。

真っ白な青年:多分介護士。
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