──結論から言えば、A組から赤点は出てしまった。
根津校長の《ハイスペック》な知性に翻弄され、その姿はおろかゲートすら一目も見ることなく試験を終えた芦戸・上鳴の2人と、初手でミッドナイトの《眠り香》を嗅いでしまい、咄嗟にペアの峰田をかばいながらも試験中ずっと眠りこけていた瀬呂の3人が赤点であった。
赤点を取った生徒は林間合宿に行けなくなるという話は相澤先生お得意の合理的虚偽であり、赤点3人組はどんでん返しだと喜んでいたが、同時に赤点組には睡眠時間を削った補習地獄が設けられているとも告げられて3人の顔は再び暗くなった。
落ち込んで白くなっては喜んで元の顔色に戻り、補習を告げられて青くなったりと、楽しそうな連中である。
──ちなみに筆記試験では、上鳴と峰田は共通して国語の問題を1問落としていた。情報を無理やり脳に詰め込んだせいで、感情を問う問題に対応出来なくなっていたらしい。
要改良ねと2人は答案を見た紫那は呟き、モルモットにされてトラウマを植え付けられた上鳴と峰田は震えていた。
「まぁ何はともあれ、全員で行けてよかったよ」
「シーちゃん嘘だって気付いてたでしょー?! 教えてよねー!」
「それだと合理的虚偽の意味がないでしょう? そもそも私は相澤先生に口止めもされていたし」
全ての授業が終わり、帰りのHRも済ませた教室の話題は当然と言うべきか林間合宿で持ち切りであった。配布された旅のしおりを読みながら、何処もかしこもその話題で賑わっている。
「1週間の強化合宿か!」
「けっこうな大荷物になるね」
「水着とか持ってねーや。色々買わねえとなあ」
飯田が広げるしおりを眺めながら、緑谷と上鳴が話している。6泊7日に及ぶ長期合宿のため、必然荷物も多くなる。持っていない物資はデパートなどを巡って買い集める必要があるだろう。
「あっ、じゃあさ!明日休みだしテスト明けだし……」
緑谷達の会話を聞いていた葉隠が、ニコッと笑った雰囲気を醸し出しながら、1つ提案する。
「A組みんなで買い物行こうよ!」
「買い物って…、クラス全員で?」
「おお良いな! 何気にそういうの初じゃね!?」
葉隠の提案はクラスメートに概ね好意的に受け入れられ、集団行動を嫌った爆豪と母親の見舞いを優先した轟以外のA組ほぼ全員で買い物へ行く事になった。
大抵の物は自作できる紫那としては行く必要はないのだが、友達と遊びに行くと思えば吝かでもない。微笑む紫那に、隣の席に座る八百万が意外そうな表情で話し掛けた。
「脳依さんがこの様な行事に参加されるの珍しいですわね」
「そう? ……まァ研究も一段落ついているし、この時期は基本的に他所から仕事が回ってこないのよ。どこも『I・エキスポ』関係で忙しいから」
「あぁ、I・アイランドの。そういえば、もうそんな時期でしたわね」
──『I・アイランド』とは、学術研究都市とも呼ばれる、人工的に造られた移動可能な浮島である。
この島には“個性”研究とサポートアイテムの開発による世界平和への貢献を建前に世界中の優秀な科学者が集められているが、その実態はそこまで綺麗な物ではない。
ヒーロー関連企業や投資家がこぞって出資する事で成り立っているI・アイランドは治外法権の認められた一種の独立国家でありながらも、国を支えるスポンサーに逆らう事の出来ない歪な国だ。
移住した科学者達は身の安全を理由として常に監視下に置かれ、そんな中で造り出した発明品もスポンサー達の意に沿わなければ闇に葬られる事も少なくないのだと、紫那はI・アイランドに住む
そんなパトロンのご機嫌を覗う窮屈な環境を嫌って、紫那はI・アイランドに移住せず、更に特定のスポンサーや後ろ盾を持つ事なく自身の資金である特許やライセンス料で研究所を運用しているのだ。
「やはり脳依さんもI・エキスポには参加なさるのですか?」
「そうね、何も予定が入らなければ行くつもりよ。プレオープンの招待状も受け取っているし」
「やはり脳依さんの事務所にも届いているのですね。才気煥発、流石ですわ」
そう言う八百万の目には、体育祭以降見受けられた自虐的な色が無くなっている。実技試験で自信を取り戻せるような出来事があったらしい。
紫那も柄になく慰めたりと八百万の様子は気になっていたので、調子が戻ったのなら何よりである。
「そうは言っても、送られてきた招待状は1枚だけだけれどね。私、あの島の連中にも嫌われているし」
紫那は多方面に敵を作る。気紛れの様に既存利益や暗黙の了解に喧嘩を売る発明品を多々造り出す為、結構な企業や団体に嫌われているのだ。
紫那の言葉に、八百万は苦笑いで返した。紫那と社長令嬢である八百万は雄英入学前にも会食や式典で何度か会った事がある。紫那がI・アイランドの上層部と仲が悪い事も知っているのだろう。
だが、そんな紫那でもこの時代を代表する科学者だ。
100を越える特許を持ち、また様々な分野でブレイクスルーを引き起こした紫那のI・アイランドへの発言権は、それこそ個人でありながら巨大企業である八百万グループの影響力並みに大きい。
雄英高校の夏休み期間に開催される博覧会である『I・エキスポ』のプレオープン招待状は毎年研究所に届いているし、紫那も例年プレオープンの
……もっとも、ある意味でフリーである紫那はその手の大きな会合に出席する度に一旗上げたい身の程知らずな連中に纏わり付かれるので、I・エキスポに参加する一番の目的はI・アイランドに住む
「……そうね今年は…、誰か誘うのも良いかもしれないわね」
「あら? 何か仰いましたか?」
「いや、何でもないわ」
去年までは研究所の助手や秘書を同行させていたが、雄英高校に入学してから友人も増えた。気が向いたら誰か連れて行こうかと、紫那はリュックを背負いながら考えた。
■
──レディ・ナガンは考える。
「タバコを吸う人間には何種類かいてな。こんなご時世でも手放せないニコ中な奴や、単にお口が寂しい奴」
ヴィラン連合のアジトであるバーにて、出入り口からは死角となる位置にあるソファ席に腰掛けたナガンは語る。
「その中の一種が…“隠す奴”だ。本音に煙を混ぜて吐き出すから…、他人にはどこまでが本音か分からない。文字通り周囲を煙に巻くわけだ」
1度言葉を区切り、ナガンはタバコケースを開けてその中の1本を横着にも口で取り出した。マッチで火を点けたナガンは、改めて口を開く。
口から紫煙と共に言葉を紡ぐナガンのその姿は、退廃的な魅力を醸し出していた。
「気を付けた方がいい。そういう奴に限って…、心の内に化け物を飼ってるんモンだ」
公安の上層部には、この時代でなお多くの喫煙者がいた。その理由はきっと、ナガンの推測通りに違いない。
ナガンの話に耳を傾けながらもカウンターでグラスを拭いてきた黒霧が、タバコを咥えるナガンに問う。
「隠す奴…。レディ・ナガン。それはあなた自身の事でしょうか?」
「私がか!? おいおいバカ言えよ。こんな裏表のない善良なアラサー捕まえて」
戯けた様にそう言ってから、ナガンは1度大きく紫煙を吐いた。タバコの甘ったるい香りが、バーに蔓延する。カウンター席に座る死柄木が小さく舌打ちしたが、それを気にするナガンではなかった。
「しッかし…、今夜は平和だねェ」
「もうすぐブローカーが到着する筈です。こちらが指定した通りならば」
「分かってるよ。だから私は暇に飽かしてタバコを咥えてるんだ」
黒霧が死柄木の世話係であれば、ナガンがボスから与えられた役割は護衛であった。
協力者の立ち位置を崩さない
面倒ではあれど、一部下に過ぎないナガンは命じられたならば、死柄木の命
──コンッと、ドアを雑に叩いた音がバーに響いた。
死柄木、黒霧、ナガンが僅かな警戒を交えてドアに目を向けたのと同時に、ドアが開かれた。
「よォ死柄木さん。邪魔するぜ」
「──…! へえ…」
ドアを開けたのは、右前歯の欠けた口で煙草をくわえて、腸にも見えるマフラーを巻いた男。裏社会における大物ブローカーの、
元公安所属ヒーローであるナガンも顔と名前は知っていたが、義爛は気に入った客としか仕事をしない事で有名だ。
そんな男を動かすだけの魅力が、やはりAFOには有るらしい。砕けながらも胡散臭い調子で、義爛は口を開く。
「こっちの世間じゃあんたら
「御託はいい。で、そいつらは?」
不機嫌な死柄木の言葉を薄ら笑いで受け流した義爛がドアを開ければ、バーに入ってきたのは全身火傷だらけの男と制服を着た女だった。
「こいつが? 生で見ると…、気色悪ぃな」
「うわぁ手の人はステ様の仲間だよねえ!? 私も入れてよ! ヴィラン連合!」
「……黒霧、こいつらトばせ」
(──ハッ、また癇癪かよ)
ナガンは入り口から死角となるソファ席に腰掛けたまま、冷めた目で死柄木を見る。
何処で拾ってきたのかは知らないが、ナガンから見て死柄木はただのクソガキだった。ボスのお気に入りで無ければ、とっくの昔に何かのついでで風穴を開けていただろう。
「俺の大嫌いなものがよりによもってセットできやがった……。餓鬼と、礼儀知らずだ」
鏡を見てみろよ、と
ナガンが飲み込んだ言葉の代わりに紫煙を吐き出していれば、黒霧が死柄木を宥めている。お世話係は大変だと、ナガンは嗤う。
「まぁ紹介だけでも聞いていきなよ。戦力的に間違いないってのは保障するぜ」
そう言う義爛がまず指差したのは、特徴的な髪型をしたJK風の少女。
「わたしからですか? トガです!トガヒミコ!」
「名も顔もメディアが守ってくれちゃいるが、連続失血死事件の容疑者として現在進行形で追われている娘だ」
高校生くらいの背丈で連続失血死事件と言えば、3年前にとある中学校の卒業式を契機に発生した、男性を狙った連続殺人事件だろう。
未成年故に実名報道はされていないが、ネットでは自宅まで特定されていたはずだと、ヒーローだった頃の癖で情報収集を続けているナガンは思い出す。
「生きにくいです!生きやすい世の中になってほしいものです!ステ様になりたいです!ステ様を殺したい!だから入れてよ弔君!」
「意味が分からん。破綻者かよ」
初めて死柄木とナガンの意見が一致した。
この手のイカレはナガンも公安次第に何人か対峙した事があるが、組織や状況よりも己の
組織への所属意識は期待出来ないがその分、殺人や非人道的行為に嫌厭感を抱かない傾向にあるので使い道はあるだろうが、死柄木に使いこなせるかは微妙な所だと、ナガンは考える。
「会話は一応成り立つ。きっと役に立つよ。次はこちらの彼だ。今のところ目立った罪は犯していないが、ヒーロー殺しの思想にえらく固執している」
義爛の紹介にピクリと、死柄木が眉を動かした。今の死柄木に“ヒーロー殺し”は地雷ワードだ。
「……今は“荼毘”で通してる」
「通すなよ本名だ」
「出すべき時になったら出すさ。とにかく…、ヒーロー殺しの意思は、俺が全うする」
「─……どいつもこいつもステインステインと……」
「はぁ…」
フラ…と猫の様に、殺気を隠すことなく死柄木は立ち上がった。
元々ステインの件で気が立っていた死柄木の前に現れたのは、ステインに大きく感化された参加希望者だ。平和だったがここに来て、新たな油が注ぎ込まれてしまった。
「良くないな……気分が。良くない」
(──流石に、止めなくちゃなんねぇか。面倒くせぇ)
死柄木が飛び掛かり、それに反応したトガがナイフを取り出し荼毘が腕を伸ばしたのと同時、ナガンはタバコを捨てソファから半身を乗り出し、ライフルを構える。一撃で2人纏めて仕留める自信が、ナガンにはあった。
瞬間──
「落ち着いて下さい、死柄木 弔」
黙って動向を見守っていた黒霧が《ワープゲート》を展開し、それぞれの腕を見当違いの方向へと飛ばした。
過保護な事だと引き抜いたライフルを腕に戻しながらナガンが息を吐けば、ナガンに気付いた荼毘が表情を動かさず意外そうに言う。
「おいおい、そこにいるのは“裏切りの女傑”レディ・ナガンか? 何でこんな木っ端組織に属してやがる?」
その声色には、好奇心ではなく警戒心が色濃く出ている。
ヒーロー殺しの罪をでっち上げられてヴィランとなったナガンは元公安所属の件を含めて裏社会の中でもそれなりに有名だ。ナガンがこの新興グループを隠れ蓑として乗っ取っている可能性を、荼毘は疑っているらしい。
「ハッ! そう警戒すんなって。 まァ私は…、コイツの護衛みたいなモンだ。お前らのやる事に口出しする気はないよ。こんなアラサー女を気にせず、若い連中で好きにやればいいさ」
荼毘の警戒をそう笑い飛ばした通り、ナガンがここにいるのに、死柄木の警護をボスに指令されたから以上の理由はない。
そんなナガンの適当な雰囲気を感じ取ったのか、荼毘がそれ以上言及してくる事はなかった。
「……うるさい」
「おいどこ行く気だ?」
「うるさい!」
黒霧が何とか説得したらしく死柄木は殺気を引っ込めたが、そのまま癇癪を起こしてバーから出て行ってしまった。
そんな死柄木に呆れてため息をつきながら、新しく取り出した煙草を片手にナガンは言う。
「たっく…、これ私が追わなきゃ駄目か?」
「ええ 。彼は任せましたよ、レディ・ナガン。面接の残りは私が受け持ちます」
「過保護だな面倒くせぇ…。餓鬼じゃねえんだから…」
だが放置するのは、流石に規約違反だ。ナガンは火を点けたばかりの煙草を灰皿に擦り付けてから、席を立った。