「やあ、セドリック」
その日、バルフレイム宮に来ていたセドリックは呼び止められて振り返る。
「兄上、戻られたのですね」
クロスベルの通商会議に赴き、大事件が発生したと聞かされていたセドリックはオリヴァルトの無事な姿に予め知っていたが、改めて安堵する。
「心配かけたようだね」
「はい……《零の騎神》が目覚めたと知らされた時は僕も《テスタ=ロッサ》で出撃するつもりだったんですけどね」
知らせを受け、《緋》と《灰》の決戦装備を用意して、いざエマに精霊回廊を開いて出撃しようとしたがその時にはもう決着はついたと知らせがあった。
クロスベルのエレボニア侵攻も、通商会議に参加した国賓たちも、クロスベル市民も無事。
結果だけ見るならば、独立戦争時の元国防軍を捕縛し、ようやくディーター・クロイスが起こした事件を解決する事ができた事になる。
「《テスタ=ロッサ》を出さずに終わってくれて良かったよ。流石に君まで戦場に出てしまえばクロスベルを庇い切れなかった」
「でも記録映像は見ましたが、よくあれだけの被害で治められましたね……
《零の騎神》……帝都での戦いの時にあんな暴れ方をされていたらと思うと」
「《テスタ=ロッサ》でもあの規模の戦闘は無理なのかい?」
「そうですね……ミリアムに協力してもらって“腕”を使えばガレリア要塞を撃ち抜く事くらいはできたと思います……
キーアだって守る者がいなければもう少し善戦していたはずです」」
さらりと言ってのけるセドリックにオリヴァルトは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
起動者の基準はオリヴァルトには分からないが、すっかり頼もしくなったと嬉しさも感じる。
「それよりも兄上……《黒い翼》の事ですが」
「ああ、ようやくオズボーン宰相の手札を見ることができたね」
戦闘の最後、美味しいところを奪う様に現れた《黒いティルフィング》を率いた《黒き翼》。
「オズボーン宰相が個人で用意したと対結社用の部隊と紹介されたが、どれだけ信じていいものやら」
「兄上は《黒のティルフィング》のパイロット達と顔合わせはしたのですか?」
「いいや、彼らとは機体越しでの対面だったね。オズボーン宰相に紹介されたくらいでロクに話もできなかったよ」
「…………そうですか」
「セドリック?」
「いえ、何でもありません。では兄上、僕はこれで――」
「ああ、待ってくれセドリック」
別れを告げて踵を返そうとするセドリックをオリヴァルトが呼び止める。
「実は本題は別にあってだね」
「はい? 何でしょうか?」
「例の件、ロックスミス大統領から是非参加したいと言われてしまったよ」
「…………え……?」
「ハミルトン女史を説き伏せてくれるそうだ。それにリベールのラッセル博士も乗り気なようだった……
エプスタイン博士の三高弟が集う催しを取り仕切るなんて我が弟の働きに鼻が高いよ」
「…………え……? 本当にカルバード共和国が、ハミルトン博士が参加するんですか?」
オリヴァルトの報告を聞いてセドリックは耳を疑い聞き返す。
例の件とは夏至祭で《機甲兵》を用いた学生主体のレース大会。
この話を《第Ⅱ分校》に持ち込んだ時、校長であるオーレリアには賛同を貰ったが、技術顧問であるシュミット博士が難色を示した。
その難色も大会そのものよりも、自分が参加できないことを憤るものであった。
セドリックとしてはシュミット博士には運営側で協力をしたい思惑もあり、彼の参加は諦めてもらうことを前提に条件を出した。出してしまった。
「この帝国と共和国の仲が微妙な時期に重要人物のハミルトン博士を帝国に送り出すって共和国は正気ですか!?
ただでさえクロスベルであんなことがあったばかりなのに!」
「共和国にもいろいろあるんだろうね。差し当っては《七の騎神》をまじかで見たいのかもしれないね」
今回のクロスベルの事件でテロへの警戒は強くなっただろう。
だがそれ以上に共和国の《機甲兵》に向けられた意識がそれだけ強くなっていることでもあるのかもしれない。
《零の魔神》は特別であっても、その被害を最小限に抑えられた帝国の部隊の現状について知りたいと思うのは自然の流れだろう。
「流石カルバード共和国の大統領と言うべきかな。見事な胆力だったよ」
「…………」
朗らかに笑うオリヴァルトに対してセドリックは冷や汗を流す。
「えっと……シュミット博士を大人しくさせるための無理難題だったんですけど……」
「ははは、無理難題にしてはちょっとハードルが低すぎたようだね」
オリヴァルトはセドリックの失態を楽しげに笑い飛ばす。
「差し当っては、夏至祭で共和国と王国を受け入れる手配、空港と宿泊施設の手配……」
オリヴァルトは呆然と立ち尽くすセドリックの腕に必要な書類を積み上げる。
「両国との会食、親睦会の企画も必要だね。あとは警備隊の配備についてもセドリックに取り仕切ってもらうことになった」
「あ、兄上!?」
セドリックの泣き言を無視してオリヴァルトは続ける。
「それから両国に対して提供する《機甲兵》の対価となる技術交換の内容に関して、これも全権を君に委ねるとオズボーン宰相と共に決定した」
「え……? それってどういう意味でしょうか?」
「セドリックも知っていると思うが《機甲兵》に関する機密はあってないようなものだ」
その言葉にセドリックは頷く。
《機甲兵》は内戦時に猟兵に盗まれたり、貴族派の残党が資金繰りのために闇ルートに売り捌かれてしまった経緯を持っている。
流出した《機甲兵》は出来る限り回収したが、回収できなかったものはいくつもあり、調査の結果共和国にまで流れているだろうと推察されている。
「とは言え、表立って技術交換をするというのも双方にとってメリットはある」
帝国はもはや意味のない《機甲兵》の機密を高値で売りつける事ができ、共和国は大々的に《機甲兵》の研究をする事ができる。
正直、機甲兵の発展は戦争の呼び水となり、激化させる要因になるのではないかとオリヴァルトは危惧しているのだが、既にオリヴァルトが干渉できる事ではなくなっていた。
とりあえず今はそんな《機甲兵》の技術をセドリックの教材にすると言うのが、オリヴァルトとオズボーンが出した結論だった。
「まあせいぜい《機甲兵》を高く売りつけてくれたまえ……
これは帝国政府の決定であり、セドリック皇子がどのような取引をしたとしても一切の文句を言わせないから安心したまえ」
「っ――」
過渡な期待にセドリックは顔を引きつらせる。
自分の安易な策によって墓穴を掘った事を自覚して、シュミット博士に連なる三高弟を舐めていたとセドリックは猛省する。
「わ、分かりました。この案件はラインフォルトの社長やキーアにも助言を頂くと思いますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ」
「そ、それでは失礼します」
夏至祭に向けて増えた仕事に内心で悲鳴を上げながらセドリックは肩を落として歩き出した。
*
バルフレイム宮の一室に帝国情報局と鉄道憲兵隊は集まっていた。
「こいつがクロスベルで確認された新たな《c》だ」
導力モニターに映像を出しながらレクターが告げると、室内にどよめきが生まれる。
「アランドール特務少佐、これは確定の情報なのでしょうか?」
訝しむ部下の言葉にレクターは分かると頷く。
「信じたくないって気持ちは分かる。だが真実だ」
「その《c》がクロウ・アームブラストの可能性はないのですか?」
その質問にレクターは肩を竦める。
「そのクロウからの情報だし疑う気持ちは分かるが、同行していた《第Ⅱ》のシュバルツァーや公安七課のバレスタインやバニングスの証言もある」
「アームブラストの証言では……」
「だが他にも証人がいるのなら……」
「しかし、この映像から推察される《c》は……」
誰もがその事に引っ掛かりを感じてレクターに説明を求める視線を送る。
「ああ、新しい《c》はガキだ。そこにいるミリアムよりもちょっと小さいくらいのな」
「こらーレクター! ボクを引き合いにするなー!」
レクターの説明にミリアムが抗議の声を上げる。
レクターはそれを無視して続ける。
「こんななりだが油断するなよ。クロウ達を圧倒したアリオスのコピーとこいつは正面から打ち合っている。戦闘力に関しては《達人級》だと思った方が良い」
「この《c》の目的は?」
「不明だ。初代と似たような事を言ってはいるが、特に犯行声明を残したわけでもない……本当に何しに来たんだろうな?」
思考をプロファイリングしようとしても情報が少な過ぎる。
それに加えていつもは働く勘が鈍くなっている気がする。
「だが二か月後には夏至祭が迫っている。こいつが初代の行動に倣うつもりなら夏至祭で何か仕掛けて来る可能性は高い……
少なくても“同志”と呼んでいる仲間が一人以上は存在しているが、今はただ気に留めておくだけで良い……
それから……」
レクターは続く資料を考えて、押し黙る。
「一応、こいつの素顔を見たって言う母子に似顔絵を描いてもらったんだが……」
重要な情報を出し渋るレクターに一同は怪訝な顔をする。
《c》を名乗る者の素顔が分かっているのなら、こんな会議など必要ないのではないかとさえ感じる。
「これが《c》の素顔らしい」
そう言ってレクターが導力モニターに映した絵に情報部は困惑する。
「これが似顔絵ですか?」
「言いたい事は分かる。だがその二人は本気でこれを人の顔だって思って描いていたんだ」
その場に立ち会っていたレクターはこれを描いた直後の二人の困惑を思い出して弁明する。
映し出された似顔絵は人の顔というよりも人の顔を模したロゴのようなものだった。
にこやかな笑みの顔は絵のコミカルさに反してレクター達の胸に苛立ちを覚えさせる。
「考えられるのは強力な認識阻害の術を――ってどうしたクレア?」
先程から黙り込んでいるクレアを――それだけではなく鉄道憲兵隊一同がクレアのように絵のような似顔絵を見て深刻な顔をしている事にレクターは訝しむ。
「レクターさん。この似顔絵の事ですが……
先月トールズ第Ⅱ分校からこの絵についての情報が上げられています」
「先月、トールズ第Ⅱから?」
クレアの報告にレクターは訝しむ。
そんな報告は潜入させた間者からは受けていない。
「って言うとトールズ第Ⅱは既に《c》と接触していたって事か?」
「いえ……その人物とは私も……私達、鉄道憲兵隊が何度も遭遇していたはずなんです」
クレアの歯切れの悪い答えにレクターは首を捻る。
「お前がそんな言い方をするのは珍しいな」
「ええ、私達もまだ自分の認識に整理がついていません」
そう前置きをしてクレアは続ける。
「私達はオーレリア分校長から指摘され、ある人物の似顔絵を描いたところ、全員が今回の《c》の絵と同じモノをその男のつもりで描いていました」
クレアの報告にその部屋に集まった一同は静まり返る。
「何か面白い事になってるね」
「お前は呑気で良いなミリアム」
ミリアムの一言にレクターは呆れ、同時に部屋の空気が弛緩する。
「で、クレア達が描こうとした人物って誰なんだ?」
「オリビエ・B・アレイスターです」
出て来た名前にレクターは顔をしかめる。
「近頃、話題の漂白の演奏家か」
「ええ、そして先月から彼の目撃事例が激減しました」
「それはいよいよきな臭いな」
オリビエの背恰好は20台の成人男性。
今回の《c》の十代前半の子供体型とは背丈の時点で変装は困難だろう。
「これだけ強力な認識阻害は……精神に深く干渉する七耀教会の“法術”だろうな……
あそこは守護騎士が一人代替わりしたらしいが、そいつかもしくは……」
「ちっ……また七耀教会かよ」
部屋の中の誰かが舌打ちと共に愚痴をもらす。
「テロリストを送りつけておいて温情を忘れてもう次の刺客を送り込んだか」
「やはり地方の教会だけじゃなく、五大都市の七耀教会も閉鎖した方が良いんじゃないか?」
漏れた愚痴は波及して現状の不満が広がる。
レクターはため息を吐き、その場を諫めるように手を叩く。
「そこら辺の政治的な判断はオッサンの仕事だ。俺達の仕事は国内に不穏分子の取り締まりだ」
今は《結社》の動向に新たに現れた《c》の動向。
クロスベルのディーター派の問題が解決したというのに新たな問題が生まれてレクターは頭が痛くなる。
「ねえねえレクター。あのオジサンの新しい《鉄血の騎士》はボク達に紹介してくれないの?」
「それな」
レクターはここで新たに現れた同僚たちの事をミリアムの言葉で思い出す。
軽く顔を合わせてオズボーンに紹介された者達はどいつも仮面を被って素顔を見せようとはしなかった。
「あいつらは機甲兵の運用を目的とした新設部隊らしいな。オッサンが言うには好きにさせるらしいが……」
あの日まで“黒い翼”の存在もそこに配備されている“黒い機神”も全く知らされていなかったレクターはここに来てオズボーンが何を考えているのか分からなくなる。
――オリヴァルト皇子は内戦の際の演説でオッサンと敵対できなくなった……
――セドリック皇子を始めとした《七の騎神》の起動者たちが共有している情報を俺達が知らないのは良くねえな……
情報戦で一歩出遅れているという感覚にレクターはジレンマを感じる。
「……ともかく今は《c》だ」
疑心暗鬼に嵌りそうな思考を一旦止め、レクターは会合を締めくくるために目標を設定する。
「二年前の夏至祭の事もある。とにかく《c》とオリビエ・B・アレイスターの痕跡を探す……
ミリアムはオルディス方面を頼む。クレアは……クレア?」
レクターの指示にそれぞれが了解の意を示す中、大画面に映されている《c》を心ここにあらずといった様子でぼうっと見上げていた。
「おい、クレア。どうした?」
珍しい同僚の呆けた様子をレクターは訝しむ。
「…………いえ、彼を見ていると胸の奥が騒めくような気がして……」
クロウが使っていた色違いの《c》のヘルメットに象牙色のマント。
全体的に白い、もしくは灰色なテロリストだが、やはり目を引く特徴はその背丈だろう。
ミリアムよりも背が低い事や年齢の幼さが脅威度に反映されないことをクレアは知っているが、彼を見ているとどうしてか胸がイラつくと同時に不思議な郷愁を感じてしまう。
――ああ、エミルが亡くなった時の――
「クレア……」
結論を出そうとしたクレアの肩をレクターが叩く。
「やめておけ、俺たちにお前を逮捕させてくれるな」
「…………はい?」
「三十路が近いから焦っているのは分かる。だが犯罪に手を染めるのは違うだろ?」
「レクターさん、何を言っているんですか?」
「え……? お前の《c》を見る目が獲物を狩る獣の目をしていたからそういうことなんだろ?」
「…………」
「てっきりクレアの好みはバレスタインと同じでオッサン趣味かと思っていたが、まさか真逆だったとはこのレクター様の目を持ってしても分からなかったぜ」
俯きクレアに、軽い調子の言葉を続けながらレクターは自然な動作でクレアから離れて扉へ向かう。
「《c》が仮に十代前半だったとしてクレアは三十路だから二十の差か……
いくら三十路で“氷の乙女”って呼ばれるのがきつくなって来たからってショタに走るとはな……」
「レクターさん」
三十路を連呼するレクターにクレア(26)はドスの利いた声で彼の名を呼ぶ。
「じゃ、憲兵隊と情報局の諸君は先程の方針で動いてくれ」
そう言うと同時にレクターは会議室の扉を音を立てて開け放ち、駆け出した。
「待ちなさいレクター・アランドール!」
すぐさまレクターをクレアが捕まえるために駆け出した。
「はあ……アランドールもわざわざ突っ込まなければ良いのに」
「またドライケルス広場にかかしにされるんでしょうかね?」
「いや今日こそはアランドールが逃げ切るに50ミラを賭けるぞ」
残された憲兵隊と情報部は慣れた様子で会場の片付けを始める。
「…………《c》か……」
撤収作業の隅でミリアムは配布された《c》の写真を見下ろして独り言ちる。
思えばクロウの《C》を捜査するために、トールズ士官学院に潜入した頃がずっと遠くに感じる。
「…………何だろう? この《c》を見ていると懐かしい気がする」
顔も体格も隠した格好をしているのにミリアムは何故かそんな事を感じた。
「…………ボクはオルディスか……その前にアーちゃん達に会って行こうかな?」
誰に聞かせるでもなく呟いてミリアムは席を立って歩き出した。