「ぐはっ!」
深夜のアインヘル小要塞の広間でリィンは手から太刀を落として大の字に倒れる。
「うむ……そこまでだ」
オーレリアの合図にリィンは食いしばっていた歯を緩め、体から力が抜けた。
「はあ……はあ……はあ……」
床に寝そべったまま呼吸を整えるリィンは己の無力さを痛感せずにはいられなかった。
「どうだね、アリオス・マクレイン?」
オーレリアの問い掛けに息を乱していないアリオスは太刀を鞘に納めながら答える。
「入学した当初と比べれば格段に腕を上げていると言えるでしょう」
「くっ……」
賞賛の言葉は嫌味にしか聞こえずリィンは顔を歪める。
子供らしい反応をアリオスは見ない振りして続ける。
「一からの七の型、それに無手の型についても申し分ない……分け身も使える。初伝としては申し分ない」
「ほう、そこまで褒めるか?」
「いえ、裏を返せばそこまでです」
感心するオーレリアに対してアリオスは否定する。
「どの技も上辺をなぞっているだけで魂が籠っていない。それではどれほど研ぎ澄ませても初伝止まり、中伝と認めることはできない」
「厳しいものだな“八葉一刀流”は」
「そう言うヴァンダールとアルゼイドから見た貴女の評価はどうなのですか?」
「私か……ふむ……」
アリオスの問い返しに、不貞腐れた顔をしながら体を起こすリィンにオーレリアは目を向ける。
「気の練り方、立ち回りも申し分はない……
しかし前のめりが過ぎる。それは《修羅》の戦い方だ……
これではヴァンダールとしてもアルゼイドとしても《中伝》を授けるはできないな」
この深夜の稽古からも分かる通り、リィンはとにかく力を求めている。
揺るぎない“靭き意志”とひたすらに前へと突き進む“猛き意志”はオーレリアからしても目を見張るものがある。
しかしそれだけでは《理》には至らないとアリオスは問いかける。
「シュバルツァー。お前に足りないものが分かるか?」
「……足りないなんて……むしろ足りないものの方が多過ぎると思います」
あぐらをかいてリィンは首を振って唸る。
「武芸において“水”と“風”と呼ばれる心の持ちよう……これを修得できなければ《理》に至れないだろう」
「むぅ……」
“水”と“風”の心が足りないと言われてリィンは眉を顰める。
「そんな事言われても……」
諸事情から自分の中には“水”と“風”はないのは当たり前の事だと言いたいが説明ができないのでリィンは口を噤む。
「お前が言っていた《鏡火水月》という返し技……
術理から考えれば、今のままではいつまで経っても修得は不可能だろう」
「…………」
アリオスの厳しい言葉にリィンは項垂れて黙り込んでしまう。
その姿にアリオスは言い過ぎたかと悩み、後輩を指導する難しさが教官として指導する事と勝手が違うと痛感する。
「ともかく今日はここまでだ……
明日からは通常授業に戻る。遅刻するなよ」
「……はい。ありがとうございました」
すっかり消沈し、それでも一礼して去って行くリィンの背にアリオスは言葉を投げる。
「リィン、焦るな……切っ掛けを掴めればお前は《壁》を超えられる……
二年……いや一年じっくりと鍛えれば結社の執行者たちとも渡り合えるようになるだろう」
「…………失礼します」
慰めの言葉にリィンは何も返さず、ただ事務的な言葉を残して退出した。
「…………はぁ」
「ふふ、音に聞く《剣聖》も後輩の指導には苦労するようだな」
「分校長……ええ……教育者としてのノウハウならヴァンダール流やアルゼイド流の方が余程しっかりしているでしょう」
《八葉一刀流》は良くも悪くも放任が過ぎる。
道場を立てて、育成に力を入れている帝国の二大武門と比べれば自分の指導が稚拙であることをアリオスは痛感する。
「さて……シュバルツァーはいなくなった……」
そう言うオーレリアの闘気は鎮まることなく、昂り研ぎ澄まされていく。
「分校長……先程シュバルツァーにも言いましたが明日の業務に差し支えになります」
「そう言ってくれるなマクレイン……
四月からずっと我慢を強いられていたのだ」
「……先日、妹弟子……シズナとやり合っていたではないですか?」
「それはそれ、これはこれだ」
そう言い切ってオーレリアは大剣を構える。
アリオスはこれ以上の説得は無意味だとため息を吐く。
「……俺も今回のクロスベル事件ではいろいろと思うところがありました……」
「ふむ……それで?」
「悪いが少し、八つ当たりさせていただく」
太刀を構えるアリオスの宣言にオーレリアは獰猛な笑みを浮かべる。
「望むところだ――来い! 《風の剣聖》!」
「せいぜい持ってくれよ《黄金の羅刹》!」
挑発のような口上をぶつけ、二人の達人は激突した。
*
「はあ…………」
校舎から寮への帰り道、リィンは一人とぼとぼと歩いてため息を吐く。
「水……それに風か……」
言われた言葉が抽象的過ぎてリィンには理解できなかった。
「…………一年じゃ遅すぎる……それに戦えるようになるだけじゃダメなのに……」
生身での戦いに《機神》、これまでの戦闘を振り返りリィンはため息を吐く。
「俺の剣は確かにモノマネだけど何が違うんだ?」
記憶の中にある《彼》の姿を忠実に再現するようにしている。
腕の振り方、力加減、踏み込み、角度、タイミング。
ミリ単位でコンマ単位で修正を重ねて《初伝》の技を会得したはずなのに次に進めない。
「上辺をなぞっているだけで魂が籠っていない……か……見透かされてしまったな」
アリオスの指摘は全て正しい。
うまく立ち回ってきたつもりだが《中伝》の技を使えても使いこなせない自分の限界を感じずにはいられない。
「こんなことで本当に《相克》に介入できるのか?」
思わず漏れた自問自答。
“席”の外からの介入などできるのかすら分からない。
だが、それでも出来るはずだと突き進む事しかリィンに出来ることはない。
もっとも今のままでは《灰の騎神》にも届いていないという事実にリィンはため息を吐く。
「おや、こんな時間に珍しいですねリィン君」
「え……?」
不意に呼ばれ、一刀足の間合いの中にいるアルバにリィンは気付く。
「アルバ神父……?」
「ええ、こんばんわ……ふむ、何かお悩みのようですね」
「え……?」
顔を合わせてすぐに内心を言い当てられてリィンは思わず身構えてしまう。
「ああ、そんなに警戒しないでください。職業柄、そういうことには敏感なだけですよ」
「職業柄……七耀教会の神父ですよね」
リィンは夜の教会を見上げて呟く。
「ええ、そうですよ」
「…………四月から俺以外に教会に来ている人を見た事ないんですけど」
「七耀教会は一年半前の内戦で帝国からの信用を失ってしまっていますからね」
リィンの指摘にアルバは困ったように笑う。
「ですが、だからこそ地道な活動が重要な時期でもあるでしょう……
なので私は三度の祈りは欠かしていませんし。聖典もほら、肌身離さず持ち歩いて……」
アルバはおもむろに懐に手を入れて固まる。
そして居心地が悪そうに咳払いをした。
「こほん、どうやら寝室に置き忘れてきたようですね」
「説得力がゼロですね」
間の抜けたアルバの振る舞いにリィンは思わず笑ってしまう。
すると緊張がほぐれたせいなのかリィンの腹が空腹を訴えるように鳴る。
「っ……失礼しました」
「食事を抜くのは感心しませんよ」
「いえ、夕食はちゃんと食べました……むしろその後の運動が激しかったからであって……」
不可抗力だと弁明するリィンにアルバは苦笑して提案する。
「良かったら寄って行きませんか?
実は昼に作ったアップルパイが残っているんですよ。リベール産の良いリンゴが手に入りましたね」
「…………お邪魔します」
しばしの葛藤をしてリィンはアルバの誘いに乗るのだった。
*
気付けば美味なアップルパイによく眠れるハーブティーまで御馳走になったリィンは流れに身を任せるままに直前の稽古の事をアルバに話していた。
「ほう……そんな事を言われたんですか」
アリオスの名前を伏せはしたが、話せる限りの事を話すと少しだけ胸が軽くなった。
「……やはり俺には剣の才能なんてないんですかね?」
「才能の有無、それを証明するのは難しい事ですよ」
「そんな事は分かっています……でも……俺は……」
「ならば認めなければいけない時が来たということでしょう」
「認める……何を?」
訝しむリィンにアルバは眼鏡の奥の目を細めて笑う。
「君の剣はもう模倣の範疇を超えたと言う事です。これからは君だけの“八葉”を模索しなければいけないと言う事です」
「俺の“八葉”?」
そう言われてもリィンにはピンとこない。
「目指すものがある内は楽だったかもしれません……
しかしどれだけ憧れようと、君は憧れになることはできません。無いものを在ると否定し続けても、それは“欺瞞”でしかないのですよ」
「……アルバ神父……?」
まるで全てを知っているかのような物言いにリィンは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「ふふ……」
アルバは緊張を解すように笑いかけると問いを重ねた。
「難しい事ではありませんよ。リィン君、君はどの型が一番得意ですか?」
「俺の一番得意な型?」
「得意でなくても使い易い、つい使ってしまう。そう言った傾向は君だけの個性と言えるでしょう」
「…………俺は……」
「そして例えそれが“剣”とは関係ないものであったとしても、それを老師や兄姉弟子達がそれを咎める事などありはしないですよ……
むしろそう来たかと笑うでしょう」
「それは……」
アルバの指摘にリィンは思わず頷いてしまう。
「君はもっと自由にして良いんですよ」
その言葉はリィンの胸に深く残った。
*
「俺だけの“八葉”か……」
忍んで寮の自室に戻ったリィンは机の上の導力端末を前に腕を組んで物思いにふけっていた。
思い出すのはアルバの言葉。
他の誰かの言葉はどれも反発を覚えてしまうが、彼の言葉だけは気付けば耳に残る。
「神父だからなのかな……」
人の悩みを聞くという点ではアリオスやオーレリアよりも一日の長があるのかもしれない。
もしも同じ事をしろと誰かに言われたとしても、リィンは試す事もしなかっただろう。
「俺だけに……出来る事……」
リィンはキーボードにまずはこれから書き込む『プログラム』の名前を入れる。
「導力魔法――《螺旋撃》」
これが成功するのかは分からない。
もしかしたら無駄な作業をすることになるかもしれない。
しかし、それでもこの気付きを次に繋げるために、クォーツに刻む術式のコードの打ち込みを始め――ついにリィンは初めての寝坊してしまうのだった。